5月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
5月 7th, 2010 Posted 10:26 PM
Tags: コスメティック, デザイン, 川崎和男のデザイン金言, 悲しさ
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5月 7th, 2010 Posted 10:26 PM
Tags: コスメティック, デザイン, 川崎和男のデザイン金言, 悲しさ
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5月 7th, 2010 Posted 9:25 AM
Tags: 勇気, 川崎和男のデザイン金言, 感得, 自分
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5月 7th, 2010 Posted 12:01 AM
人の心が広いことを「度量が大きい」と言います。
「度量衡」の中で、「量」という概念が、
日本には無かったのでは、ということから、
私は、徹底的にこの「尺度」=これも大きな疑問でしたが、
調べまくった記憶があります。
無論、こうした尺度観は、中国から朝鮮を経て入ってきましたが、
日本では、私はやはり、「度・衡」だったという思いが強いです。
度・量・衡は、度=長さ・量=体積・衡=質量ですが、
さらに、度・量・権・衡で、権=重さを量る分銅を表していると言われています。
そして、この概念と実務は「国家制度」の根幹です。
なぜなら、「税」はこの尺度制度そのものの「政治体制」だからです。
したがって、度量衡とMedia Integrationはやがて、
「社会制度」へ展開することは間違いないと断言しておきます。
さて、度量衡の概念と実際、この基本的な発想は、
「度」という概念をわが国が理解して「量」ということへ
つながっていったのではないかというのが私の独断的な結論になっています。
つまり、「度は長さを測る」ことから始まったと考えることができるからです。
これは、私が「音」からスタートしたデザイナーだったから、
その印象に囚われていたのかもしれませんし、確信しています。
なぜなら、「長さ」を測る基準が何だったか、ということになります。
中国で「黄鐘」=「律管」という笛に心惹かれたからです。
世界的には、「長さ」は、ほぼ五つに分類することができます。
1・「人体から」・腕の長さ、身長、指など
2・「自然物から」・穀物、アワやキビの長さや幅など
3・「道具から」・鋼や糸、結び目など西欧の言葉に残っている
4・「人や家畜の速度から」・日の出の最初の光を見て歩く距離など
5・「物理的なモノから」・ここに私が推測し、現代につながる長さの基本
こうしたことから、「度」は長さであり、
長さが分かってから
やっと「量」への概念が生まれたものではないかということです。
なぜなら、私流には、黄鐘=律管で「音」が違えば、
基準を決定する上で、
もっとも、「性能的な尺度観」ができると考えます。
現代、光の速さ=光速というのが長さを決定する基本ならば、
おそらく、「光」はMedia Integrationの基準ですから、
「度」は重要な概念として、
情報の度数は、「光」だと断言できます。
「光」の国家管理・国際管理が制度化するのでしょう。
やや乱暴な記載ですから、
「度量衡」はさらにメモを重ねていくべきだと考えています。
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5月 6th, 2010 Posted 6:24 PM
5月6日
名品灰皿
身近では、もはや喫煙者がいません
ので、ヤコブセン灰皿も
小物入れになってます。
「SYMPTOMS」
禁断症状と言う名の灰皿。
1988年の作品。
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
も当時は喫煙者でしたが、
作品にも表現した強い意思で禁煙に、とは。
本人は、心臓病で禁煙
で、この灰皿さほどでもと自白。
5月 6th, 2010 Posted 12:01 AM
Qというアルファベット、
その文字としての変遷は、とても興味深くて、
変遷しながらも意味が普遍だったことに注目すれば、
QuantityやQuality、そしてQuestionにつながっている。
無論、ヒエログラフでは砂丘の斜面であり、
発音もローマ字q(ku)と同じだったらしい。
精子や水が形態的には、テールに表れています。
この発音はシュメール語に由来があるのかどうかは不明。
しかし、ヘブライ文字、フェニキア文字、エトルリア文字では、
斧であり、「切断」の概念を意味していると言われている。
切断は、人間が叡智に到達するために、
自己がどれほど自らを孤立させ、
その孤高さを受け入れるかという象徴性があります。
この「叡智」を意味することから、
IQ=Intelligence Quotientに明快に表れています。
それでは、なぜ、
QuestionやQuantity =量・Quality=質に至っているのかは、
量と質は、「度・量・衡」に集約しています。
度・量・衡
qがquintalという重量単位であったり、
Q-ValueやQメーターなどの名称とその機能性の中核は、
明らかに、人間の叡智だと考えます。
たとえば、すでに伝統的な映画「007」での
Qという人物は、発明家として重要な登場人物です。
Mediaにとって、「度はどのようなIntegrationなのだろうか?」
Mediaにとって、「量はどのようなIntegrationなのだろうか?」
Mediaにとって、「質はどのようなIntegrationなのだろうか?」
Mediaにとって、「衡はどのようなIntegrationなのだろうか?」
以上を、私は念頭において、
「度量衡」がデザインにとっての叡智尺度であることへ
私の思考を続けていきたい。
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5月 5th, 2010 Posted 9:00 AM
5月5日 赤口(乙卯)
しかし、
視覚による体験をベースに
体感までに到達するには、
聴覚・嗅覚・触覚・味覚で
置換できるパラメーターを
決定する必要があると思う。
5月 5th, 2010 Posted 12:01 AM
質
質には「かたち」という読み方があります。
質=たちの読み方の方が会話語的です。
私は、「かたち」を「か・かた・かたち」論とした建築家に倣って、
「か・かた・たち・かち・かたち」と分離・分割、
そして統合化をしています。
この場合の「たち」=質です。が、正式に、質=かたちがあります。
したがって、「何が質=かたちとなるのか」という
述語命題はありえるのです。
それは「何が質=たちとなるのか」ということと、
通底していると考えることが可能です。
Mediaの「質」が問われている、とするならば、
それは次の三つのアプローチが考えられるのではないでしょうか。
1● Mediaの性質
2● Mediaの保証物件・身代性
3● Mediaの材質性
ということになります。
そして、おそらく、この三つが統合化・集約化・集積化が、
Media Integrationではないのだろうか、というのが私の推察です。
たとえば、という私のメモで上記をつないでおきたいと考えます。
性質
1)性質は、量の概念との関係です。
容量という性質と言い換えてもいいでしょう。
量の概念は、古代インドのバイシェーシカ学派の説では、
実体に内在している性質というのが、
的を得ているのではないかと私は判断しています。
たとえば、重さ=重量は加減算法が可能です。
しかし、温度は、加減をするには手続きが必要です。
温度が2度+3度=5度とはなりません。
2度をさらに3度加温して5度になる、
この加温性は実は素材の「質」だと考えるべきでしょう。
身代
2) 類聚名義抄の「むかへり」・日本書紀の「むかはり」「しろ」など
古代からの保証物件、身代金という代替価値です。
ここから、私は「たち」と「かち」を接合して
「かたち」論としているのです。
材質
3) 材質は素材の性質そのものですから、
これがMediaの要件内容だと考えています。
つまり、素材となる要素そのものの性質や、
それぞれの要素の構成によって成立する性質であり、
これは「量」の概念とのつながりを持っているというのが私の解釈です。
quality
それはなぜ、英語ではqualityと表したのだろうか、ということです。
何が量・quantityでそして質・qualityになったのだろうかというヒントを、
常にデザインは疑問視していることの動機に他なりません。
まさしく、「量から質へ」という時代志向に合致しています。
「質」はあらためて「かたち」であり、
Media Integrationの「かたち」だと考えています。
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5月 4th, 2010 Posted 9:00 AM
5月4日 大安(甲寅)
人間の
聴覚や
嗅覚も、
身体との距離感がある。
触覚は、触れる対象との距離感だ。
5月 4th, 2010 Posted 12:01 AM
形容
「容」。
かたち、としたのは立原正秋でした。
彼の文体は、まさに形体でした。
形体とは、立方体や四角錐といった規定ある形態です。
したがって、文体は、作者の規定という思念定義があるのです。
立原作品には、女性・庭・能・作庭・樹木・陶磁器・刀剣などへの造詣、
彼のの著作深度は、学者以上であったと思っています。
私が、樹木や作庭については、幼心に祖父の一言一言があり、
陶磁器・刀剣は、父に連れられていった道具商の市でした。
しかし、当時私はそうしたモノは傍観していただけです。
「きれいだな」と思う程度でした。
それから、美大を出てようやく気づきました。
伝統工芸の産地と先祖の書き残してあった図面で、
私は、これらのモノと日本人について考えることになったのです。
それは年齢とともに、蓄積されてきた知識や感受性に深みが
やっと出てくれたのだと思いたいわけです。
綺麗
そして、ひとまず、日本的そうしたモノが「きれいだ」と思うこと。
この「きれい」という言葉と「美しい」との距離感に私が放置されたのです。
それは絶対に一直線上にあるものではないということです。
なぜならば、
● きれい・・・形容動詞
● 美しい・・・・形容詞
すでに、言葉の領域、その次元がいわば異次元だということです。
しかし、たとえば女性たちが望む「きれいになりたい」欲望は、
「きれい」になることから「うつくしい」、
あるいは「かわいい」次元に
ワープ=超光速航法を切望するということです。
はかない夢想だと、私は思います。無論大切なことですが。
トランスレート
むしろ、「綺麗」から「美」へトランスレートすることが論理性があります。
なぜなら、綺麗という形容動詞はネットワーク層があるのです。
ところが、その層からトランスレートすれば、
「綺麗になる・綺麗にする」動作の蓄積が
「美」という層へ運びこんでくれるでしょう。
「形容動詞が形容詞になる=綺麗が美になる」述語解です。
私のこのまなざしでは、決して、日本の伝統ですら、
「綺麗」なモノやコトで終わっているのは、
「美しい」とは言い切れません。
Media Integrationへは、形容動詞から形容詞として、
「形容」の世界観を、私はめざしたいと考えています。
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