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Posts Tagged ‘孤高’


『久しぶりに教科書的なMac駆動を再勉強しています』


   


     4月 22nd, 2019  Posted 12:00 AM

パソコン用コンテンツのいわゆる教科書的な本を買いました。
「ClarisCAD」はMac用ソフトで、
私が最初に、パソコン用の教科書的な実用本を書きました。
事務所のスタッフが数人で、内容をまとめた書籍でした。
当時から、少数のMac派だった私は、デザイン業にはこれが必須だと
言い続けてきました。その普及のためにノウハウ本が必要でした。
日本の経済においては、デザイン界はまだまだ責任もなく力もありません。
海外のデザイナーは、国家戦略的に支援を受けて日本においても、
売り込みを行いますが、日本のデザイン・デザイナーは経済産業省に属し、
工業立国としての日本、その輸出にも貢献している割には、
とくに後ろ盾もなく孤高な取り組みを遂行しています。
本来は「デザイン省」が必要だと考えますが、なかなか難しいでしょう。
日本が遅れているのは、グローバル・貨幣価値、さらにMac派が、
たった5%というところです。
デザイン学科でMacでないのは間違っています。
工業社会が95%という大多数がWindowsシリーズでは、
リエンジニアリングも叶いません。
イノベーションなんて不可能です。
それが、国策である日本のモノづくりでは大きな理由です。
今回購入した教科書的な本は、
自分なりのHTMLを直そうと思ってのことです。
そういえば、BBSでのSouceカードも捨てました。
おそらく、Macintosh512KでスタッフにBBSを、
電話通信では、300ボー、それに1200ボー(=国内で3番目)まで、
私の生涯は、パソコンの歴史とともに歩んできました。

「ClarisCAD」

512K


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『資本主義からの逃走』
「 何がMedia Integrationとなるのか・4」


   


     5月 6th, 2010  Posted 12:01 AM

Qというアルファベット、
その文字としての変遷は、とても興味深くて、
変遷しながらも意味が普遍だったことに注目すれば、
QuantityやQuality、そしてQuestionにつながっている。
無論、ヒエログラフでは砂丘の斜面であり、
発音もローマ字q(ku)と同じだったらしい。
精子や水が形態的には、テールに表れています。

この発音はシュメール語に由来があるのかどうかは不明。
しかし、ヘブライ文字、フェニキア文字、エトルリア文字では、
斧であり、「切断」の概念を意味していると言われている。
切断は、人間が叡智に到達するために、
自己がどれほど自らを孤立させ、
その孤高さを受け入れるかという象徴性があります。
この「叡智」を意味することから、
IQ=Intelligence Quotientに明快に表れています。
それでは、なぜ、
QuestionやQuantity =量・Quality=質に至っているのかは、
量と質は、「度・量・衡」に集約しています。
度・量・衡
qがquintalという重量単位であったり、
Q-ValueやQメーターなどの名称とその機能性の中核は、
明らかに、人間の叡智だと考えます。
たとえば、すでに伝統的な映画「007」での
Qという人物は、発明家として重要な登場人物です。

Mediaにとって、「度はどのようなIntegrationなのだろうか?」
Mediaにとって、「量はどのようなIntegrationなのだろうか?」
Mediaにとって、「質はどのようなIntegrationなのだろうか?」
Mediaにとって、「衡はどのようなIntegrationなのだろうか?」

以上を、私は念頭において、
「度量衡」がデザインにとっての叡智尺度であることへ
私の思考を続けていきたい。


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