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Posts Tagged ‘1994年’


『非常事態宣言の街=パリにて、決意!』


   


     11月 17th, 2015  Posted 12:00 AM

パリには三つの目的を持ってやってきました。
三つとは、ちょっと内緒ですが、それよりも大変な事態発生でした。
到着翌日の夕方は「森田恭通氏」の個展オープニングに出て、
現地時間11月13日には、英国駐在の教え子が会いに来てくれました。
彼は、帰英前にその個展を見て英仏間特急電車ユーロスターに乗車。
その時に、パリ6カ所で「同時多発テロ」が起こりました。
ホテルでFBには「無事ですか?」、「大丈夫ですか?」
・・・ん、何?・・・・
TVをつけると、非常事態宣言、パリでの多発テロリズムが発生、
「武器があるから闘うよ+絵文字」とか親友に返答していたら、
「冗談言っている場合じゃない、帰国できるのか?」って怒られました。
ともかく、CNNとBBC(何がWord New?)を見て事態を確認。
ところが・・・NHKは何も伝えてこない!・・・?
現地のTV報道とは格段の違いがある・・・なぜだ?
部屋にあるTV2台を使って、報道を見比べてみるが、
嘘だろう、CNNもBBCも視点が違うのです。
CNNもBBCもeye-point=視座からテロを見ている。
しかし、現地TVはview-pointである被害都市で実態を見つめている。
だから視線=まなざしは動揺し全く視野と視界が異なっているのです。
これがあの3.11も二つの視点違いで情報流布されていたなら、
私は身震いが起こりました。
ジャーナリズムはもう全世界が盲点だらけの報道になっているのです。
哀悼の表現は、PRAY FOR PARISと花とキャンドル、
ライトアップされているフランスのトリコロール色。
これは明らかに全世界の「悲しみ共有の表現」ですが、
現地TVではテロリスト容疑者逮捕、
その荒々しい警官たちの「怒り」は拳銃とマシンガンが暴力的に使用。
もし、日本だったら、これほど荒々しい事は絶対に不可能だと確信します。
非常事態ながら元阪大インターンのフランスの子も駆けつけてくれました。
ともかく、翌々日に新聞を買い、目を通しました。
タイトルはなんとか読めても文章はわかりませんが、
これだけのテロはまさにACT OF WARです。
銃撃戦を報道で見ていたワイフは、怖い、怖い、このホテル襲われない?
帰国の飛行機に自爆テロリスト乗ってこない?
・・・・・・私はひたすら、
8世紀の銃で今なお宗教対立は許せないと思うだけなのです。
1994年にPKFもPKOも銃で平和は大間違いゆえPKDを提唱していました。
「このデザイン活動を急ぐんだ」と自分に言い聞かせるだけです。
一流のエンジニア、一流のテクノロジストにこのショックを
デザイン開発に変えないといけないというメールをしました。
パリでの銃撃戦は映画を超えての恐怖を与えています。
戦争の形式を大変更する、これがイノベーションであり、
IoTをIoMeTに変えるために私はパリにきているのでしょう。
「IoMeT as PKD」は帰国次第、早々に取りかかるつもりです。

* PKD=Peace-Keeping Design


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『経緯が敬意に、形態言語から自分の造形言語化を』


   


     8月 17th, 2015  Posted 12:00 AM

New YorkのMoMA・現代美術館、
その一室にモンドリアンの絵画だけの部屋があります。
私はMoMAに行ったときには必ずその一室にてしばらく居ます。
モンドリアンが大好きだからです。
「プラトンのオルゴール」展は1994年に開催、2006年には再び、
金沢21世紀現代美術館にて永久収蔵されました。
12点のオルゴール作品は、モンドリアンへのオマージュどころか、
モンドリアン=絵画・サンローラン=ドレス・倉俣史郎=家具、
このすべてから私が学んで、モンドリアンの造形言語から
サンローランが形態言語とし、倉俣史郎も形態言語としたことへの
私の造形言語化をオルゴールとしての形態言語にしました。
黒・白・赤・黄・青は、それぞれが測定されたかのような、
色面から、立体化されたときには、色量の色彩重量比までを
測定しなおした言語化が必要でした。
私は正直、美大に行っても、現代絵画を見る、知るということでは
現代芸術には全く無知だったと告白しておかなければなりません。
ところが、美大生時代に宮川淳の芸術評論で、
絵画とは何か、ではなくて、「何が絵画か」というイメージ評論、
特に、鏡や色彩でようやく自分なりの絵画や彫刻などへの
接近観がつかまえられるようになりました。
だから、私にとっては「何がモンドリアンなのか」を、
サンローランでも、倉俣史郎でも、ドレスと家具から、ようやく、
「オルゴールでのモンドリアン」を鏡や色量で捕まえたと思います。
オルゴールをボックスに収めて、そのボックス上面には
鏡面をつくり、モンドリアンの正方形作品での色量を計算しました。
そのためには、サンローランのドレスと倉俣史郎の家具が必要でした。
こうした作品を熟知させられたのは宮川淳でした。
デザイナーにとって、先達であるデザイナーたちあればこそ、
リスペクトの背景を私の中に押し込めてもらうことが出来ました。
正直、私の「プラトンのオルゴール」その一点であるモンドリアンには、
もちろん、オルゴールとして、ビートルズの一曲で、
形態言語を可能なだけ纏わせることが必要でした。
これが、モンドリアンへのリスペクトを重々にしてきた経緯でした。
この経緯が敬意を構成していると私は考えていました。


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『金沢21世紀美術館から届いた10周年の収蔵作品集』


   


     4月 2nd, 2015  Posted 12:00 AM

2006年は私が阪大に転籍して、しかも個展を行い、
結果、敗血症・多臓器不全にて重篤常態になり生き返った年でした。
その個展は金沢21世紀美術館での自分最大規模の個展。
金沢美大で学んだことを30年間デザイン活動の結果報告ができました。
しかも、その個展で最大のことは、1994年ギャラリー・「間」での
「プラトンのオルゴール展」でのインスタレーションと
その作品は、スケッチから作品、作品集までが国内で初めて収蔵。
金沢の21世紀美術館の存在は、日本の美術館存在を変革しました。
そして、開館10周年の記念で収蔵作品集が発刊され私に届きました。
4月1日に、この作品集を熟読できました。
幸い、このところ多忙を極めていただけに、アート作品は、
私にとって最良の清涼剤になってくれたようです。
私は工業デザイナーですが、「プラトンのオルゴール」は、
私が影響を受けた12名へのリスペクトを、
ビートルズ曲、これも市販されていない曲名を選び、
編曲をしたオルゴールユニットまで作成して仕組んだモノでした。
「デザイナーの作品などはデパートにあればいい」などという
陰口も私には届きましたが、金沢21世紀美術館サイドは、
「デザインという手法が、アートに直結していること」を
公認するがごとくに収蔵作品として買い上げていただきました。
私の個展後も、その特別展示や、私のデザイン活動も取り上げて、
PKD(Peace-Keeping Design)特別展示などもしていただきました。
デザイン作品を収蔵する国内では唯一の美術館だと思っています。
そういう意味では、海外ではデザイン作品が収蔵されますが、
国内の美術館がデザイン活動でのアート性を評価していません。
この5月9日、「柳宗理生誕100年記念講演」を
未来のデザイン活動のあり方について、私は先輩達から
金沢21世紀美術館で講演をすることを依頼されています。
柳宗理先生の教え子の一人として、この使命を果たします。

 


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『HMDを目指してきて・・・』


   


     2月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

1994年から取り組んでいます。
コンピュータ関連へのデザイン、無論、オーディオについても、
デザインですぐに未来が視えてしまうものです。
その未来を明日にでも実現したいと思い込んできた生涯です。
HMD(ヘッドマウントディスプレイ)をこの当時、
すでに、私は「スカウター」と言い変えていました。
この開発は1996年に大学人になってからも連続させています。
そして、このスカウターが最も利用可能なのは、
医療系で手術場面・音楽系で作曲場面・スポーツ系での競技場面、
そして、いわゆるパソコン全体への使い道へと拡大しました。
この画像は、すでに1995年のプレゼンテーション画面です。
PowerPCでの作成ゆえに、現在のMacでは動きません。
そして、20年の技術蓄積がようやくまとまり始めています。
しかし、蓄積無くこの表面的な進歩には具体的問題を視ます。
また、この画像に視られる手術用メスも進化しています。
可能な限り、生体を切ること無く手術=NOTEなどもあります。
とりわけ医療・手術での医学の進歩とその周辺機器には、
「確かな医工+デザイン」が必要です。
私は、ちょうどこのHMD→スカウターと名辞して以後、
医工+デザイン=デザイン医工学を目指してきたようです。
このスカウタープレゼンで、私は「スヌーピーキャップ」を知り、
結果、脳外科・循環器外科・消化器外科へのデザイン、
それは機器開発・内臓の人工化デザイン・再生デザイン医療、
こうしたことへのデザイン導入に関わってきたと思います。
今や、デザインを支援するのは、機器=モノづくりだけではなく、
生体再生=コトづくりにまで反映させられるデザイン医工学です。
スカウターの実現化は間もなくでしょう。
その結果をもとめていくにはやはり20年必要だったのでしょう。

【ブログの関連記事】
「HMD・『単眼タイプスカウター』を米国でプレゼンは失敗だ」
「HMDを『スカウター』と呼んでいる・商品化されたモノ」
「20年追い求め、やっとその時代到来か・・・」


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「蓑豊館長はやっぱりすごいなー」


   


     9月 11th, 2012  Posted 12:00 AM

2005年、金沢21世紀現代美術館から、
館長が名古屋のスタジオに来ていただきました。
この美術館にはFさんが赴任されていました。
彼女からの紹介があったのかもしれませんが、
「私の美術館全部を使って個展をやりませんか」と言われました。
大驚愕であり、プロダクトデザイナーに展覧会というのは、
とてもわが国では考えられないことでした。
そして、1994年ギャラリー・間での個展、
「プラトンのオルゴール」作品からインスタレーションを
すべて永久収蔵します、とのことでした。
私は「遺作展になっても構わない」という覚悟で、
この壮大な個展に取り組み、2006年76万人が観ていただきました。
金沢21美術館は、年間200万人を集客する国内最大に活性化しています。
蓑館長は、その後、サザビーズで副社長を務められ、
途中、慶応大学で二人で講演もし、食事もする仲良しになれました。
帰国されると兵庫県立美術館館長に就任されました。
兵庫県立美術館では、
脳科学者茂木健一郎氏と対談イベントをしたこともあります。
が、その時はまったく活性化されているとは思えませんでした。
そうしたら、この「超<集客力>革命」を出版されるほど、
この美術館は今や83万人/年・見事に生き返っていました。
おそらく、
日本の美術館のあり方を革新したのは、蓑豊氏と断言していいでしょう。
同じ関西に居ながら、なかなかお目にかかれずにいたところ、
電話をいただき、「君のこと、書いたから」とか、
私も、
「倉俣史朗のデザイン・夢の形見に」に帯文を書いていただいていました。
今回は、県立美術館開館記念10周年に、話をしに来ないかと誘われました。
12月に兵庫県立美術館のイベントを引き受けました。
早く会って、見せたい作品や紹介したいアーティストがいます。
蓑館長なら、
「美術館ほど面白い知的な場」はあり得ないという、
意志決定できる人物です。
「あの作家はダメ、彼はすごい」とか平然と毅然と評価されます。
きっと私の作品のこれはダメとかも言っていただきたいのです。
早く会いたいと思っています。
日本のすべての美術館はもとより、
すべての公的な「場」は、
この本で書かれているシステムに変革されるべきです。


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『資本主義からの逃走』
 *「学問が決着するべきは行学・実践でしょう」*


   


     12月 10th, 2009  Posted 9:00 AM

私は1994年に「PKD」を文章で提示しました。
大学人になってから、
この活動に取り組むには、まだ環境不足でした。
ようやく、阪大にて環境が出来て開始しています

その具体的なモノとして、
iPhone-アプリの三つ目を発売しました。
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この活動資金にしていくためです。
私はデザイナーだから、デザインを学問としてよりも、
実学としてのデザイン、
これを「行学」と称しています。
「行学」というのは、
日本では「道」という精神論と美学性があります。
したがって、デザイン道と言うのは、ややセンス無し。
大学人になって、多くの教授や准教授を見てきました。
退官したら、「大学という不可思議な場と人間」を
書き残すつもりです。
それこそ、人生最大の過激性と攻撃性でまとめます。
訴訟も辞しません。そのような覚悟もせずに、
自らの美学などは公表ならずが、
「行学の志」でしょう。

というわけで、今回は、
「黄金比を計算することができます」。
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http://www.design.frc.eng.osaka-u.ac.jp/info/iphoneapp/GRC.html

しかし、これを運用するには、「知識」が必要です。
その知識は学問という、問いかけの解答です。
設計する実学のツールに、是非傍らに置いてください。
何かモノを購入するときに、
「これって、美しいかな・・・」って迷ったら、
高さとか幅とかの寸法比を、このアプリで割り出せば、
「なるほど」ってことになればいいわけです。
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Peace-Keeping Designは徐々に拡大し、
今ではクリントン財団のプロジェクト・アフリカ支援
そのプロジェクトに一つになっています。

来年早々にアップルストア銀座(1月22日・無料)、
国際文化会館の支援事業で講演(2月26日)です。
「行学」・「学問」がめざすところ、
「1日に5000人の子供が死んでいます」という現状を
「ジャンボジェット機が毎日10台墜落しています」、
この直喩によって「問題解決」を実務実行のはずです。


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