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Posts Tagged ‘オイコノミア’


12月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

12月16日 友引(丁丑)

日本では
何をサービスとして
考えているのだろうか。

サービスという概念が
商業化されてしまった。

真の原義であるオイコノミア
(oikonomia=
 神の救済計画を
 受け止めるための義務)
としてのサービスという思量が
まったく普及していない。

『デザインという先手』手抜き 不可欠である誠実さ


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「わが日常の仏様と幸と合掌と」


   


     1月 31st, 2012  Posted 12:00 AM

3.11以後、私は未だに解放されていません。
それは28歳で車椅子生活になってから、
無論解放されてはいないことを強めました。
朝目覚めると
車椅子に乗らないといけないことにいつも本当に嫌になります。
ここで毎日ブログを書いているのはそんな自分への内省表現でしょう。
さらにこの10ヶ月懸命に企画書に取り組み、
私を私ならしめるためには祈りが必要でした。
それでもこの「きもち」を保持し続けることの永遠さを
断ち切りたいとさえ思ってきました。
交通被災後、リハビリも終わって、
父から知人の宗教家の勧めですごい観音像が送られてきました。
即刻、そんな観音像を生活の傍らに置く気にもならず
送り返してえらく父の激怒を買いました。
しかし、人間はいづれたどり着くのかもしれません。
私がAppleのコンサルに入ったときに、
徹底して「曼荼羅」を背景にすべきと思いついたのです。
それが私の仏像興味、仏像知識へのアプローチであり、
仏像の意味やその美術的・歴史的・思想的・宗教的な
様々、広範囲な思考回路が私に取り憑いたようです。
今、生活の傍らにこの三つの仏様がいます。
そして京都に行くと必ず見に行く所があります。
そこにある仏像彫刻を欲しいとさえ思ってしまっています。
ワイフに「あれ自宅にどうか・・・ナンテ・・・」。
老人性鬱病にほとんど囚われていても、
(あれが在れば解決・・・)とすら思ってしまう次第です。
このブログのためにはいつも大慌てでブツ撮りをすませます。
今回も、申し訳なくも大急ぎでカメラに収めました。
仏像写真といえば故・土門拳の写真を思い出します。
そして、彼は仏像を凝視し続けること大変な時間を要したということです。
彼の著作には、確かこのような記述があったと思います。
出典は不明でうる覚えなので正確さはありませんが、
「仏様は、すごい勢いで駆け出す形相がある、
だからその瞬間が来るまで待たなければならない」と。
私はとてもそのような形相に出会ったことがありませんが、
ひょっとすると、
重篤状態で幾ばくかの仏像と対面していたという実感覚があります。
そして、日本おける「オイコノミア」的王座とは、
仏様それぞれの場、まさに曼荼羅に配置された場こそ、仏の座であり、
その座をイメージで捕らえられるかどうかが
日常の平穏さと日常呪縛されている状況での迷いと決断のサイクルです。
それが両手を縛られた「幸」なる象形ゆえに、
あらためて合掌=祈りによって、まず両手から解放させられるのでしょう。

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1月30日 staffblog


   


     1月 30th, 2012  Posted 4:20 PM

1月30日

先日、
京阪電気鉄道株式会社様のご依頼で
「京阪グループ連絡会」で
講演を引き受けました。
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)


講演のタイトルは
「 3.11以後のサービス産業」でした。
サービスの原意を求め、
公共交通サービスから、
企業グループ内での「サービス」のあり方を
「オイコノミア」という
原始基督教義から、日本の「復興」と
サービス産業のこれからについて
講演させていただきました。
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)


講演後、
質疑応答の時間は
川崎の率直な京阪グループへの意見にも耳を傾けていただき、
より有意義な時間を持つことができました。

このような機会を実現してくださった
京阪電気鉄道株式会社の皆様、
ご参加いただいた京阪グループ連絡会の皆様
本当にありがとうございました。


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「グローバリズムは冒涜的な思潮だと思う」


   


     1月 4th, 2012  Posted 12:00 AM

ひょっとすれば、現代人、
つまり、20世紀後半を共時共有してきた全ての人間は、
重大な過ち、いや過ちと言うべきではなく、
生命の根源と、それを授けてきた「神」なる存在、
それは民族それぞれの信仰神への畏敬を勘違いしてきたのかも知れません。
私はここで宗教論的見解を記そうとは考えていません。
もっと簡潔に歴史における様々な「神」なる存在を、
オイコノミアを再読することで再思考したいと思っています。
それは「王座」、すなわち権威と権力は元来は「神」にあって、
その代行者である政治的なリーダーや、
さらにマクロな世界=業界や国際構造での指導者では無いということです。
わが国において、八百万の神は自然であり自然神を象徴化してきました。
あくまでも象徴です。
それはミッシェル・フーコーも読み解こうとした「印徴」=signatureです。
それはまさに、designareというdesign の原語と結びついています。
すなわち、今、designがその本質において、
復興と復活をさせなければならない問題が明確になってきます。
私は「オイコノミア」という
原始キリスト教の教典というより問題仮定書に心惹かれます。
それは、「権威」も「権力」も「神」への賞賛と喝采であり、
賞賛は、キリスト教ゆえの三位一体への畏敬となり、
「生きていること」への感謝が「神」への喝采になります。
やや短絡的な言い方をしてしまえば、
資本主義への清教徒的禁欲主義は忘却されたか、
あるいは廃棄されてしまったのかもしれません。
資本主義的な世界観・国際観である「グローバリズム」こそ、
「神」への冒涜行為だったかもしれないと、
私は考えるようになっています。
すなわち、世界の「王座」は唯一、経済活動の優位者、
その国家中心主義にしたことが冒涜だったのかもしれません。
しかも、それはもっと私たちを
大きな幻覚に引きずり込んでいたのでしょう。

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「サービスの原意を求めて」


   


     1月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM

紀元2世紀、パル・コクバの元で使われたというコイン。
私は年末から、「サービス」の原意を求めています。
理由は、サービスは資本主義社会にて「産業化」された言葉と商業です。
私がこの原意を求めるのは、三つの理由からです。

  • 資本主義象徴である「サービス産業」の今後
  • 資本主義がもたらした様々な害悪からの逸脱法
  • 「サービス」本来の社会的効果です。

この探求には「オイコノミア」という原始基督教義が重なります。
その中で、2世紀に、キリスト教からユダヤ教を分離した一人の救世主。
それが、パル・コクバであり、彼は救世主でした。
救世主であると同時に王様でもあったわけです。
そこから、王座に座るべき者の「権力」と「権威」が定義されます。
「オイコノミア」とは「エコノミー」と同義です。
そしてオイコノミアはすでに神学的対象になっていますが、
確実に、この教義あるいは論理に始めて
「サービス」という言葉が出てきます。
私は、この言葉を再検証から再定義が、
現代の資本主義の歪みを是正できるのかどうかがとても気がかりです。
それは、資本主義での産業には、「情報産業」と「サービス産業」があり、
当然、この「情報サービス」と「サービス情報」が
資本主義を再構成あるいは資本主義からの解放を発見したいのです。
この正月にぎりぎり
「オイコノミア」を読解してしまいたいと考えています。
これから、その検証結果をここでメモを報告していくつもりです。
なぜならこの国難の日本は
改めて資本主義社会から逸脱することが大事だと直感しています。


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「サービスの原義に立ち戻るために」


   


     12月 16th, 2011  Posted 12:00 AM

「糖尿病」の増加が著しいらしいと聞きました。
血糖値計が必要な検査器具であり、
一説には、1兆円市場規模があると言われています。
果たして、それほどの市場規模がある商品ともなれば、
企業経営においては当然のこと、商品開発は急務です。
しかし、私は「立ち止まってしまいます」。
なぜならば、検査器具の開発よりもこの病の根絶が命題だと考えます。
医療は現代経済社会の中ではサービス産業エリアです。
というよりも医療行為が「サービスであり産業」という原意が不明です。
不明という断定が正しいのかどうかすら確認しなければなりません。
緊急にはTPP交渉が国家課題になっている現在、
あらためて、医療サービス:医療制度、この境界線が問題です。
病院が出来た地域には必ず疾病患者が増加すると言われてきました。
まして高齢社会にあっての医療サービスは、
社会福祉制度の根幹にありながらも、その経済効果よりも課税負担となり、
他の制度をも破壊しかねません。
よって、市場規模の大きさでの商品提供とその収益構造ある産業存在、
この関係、構造、境界にデザインが不可欠になってくるものと考えます。
古代統治制度としての
「オイコノミア」に「サービス」の原意を見つけたい。
それが今、私の大きな関心になっています。
おそらくsmart city構想での医療はサービス産業なのか、
あるいは医療福祉制度なのかという問題に突き当たることは明白です。

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12月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 14th, 2010  Posted 10:00 AM

12月14日 先勝(戊戌)

日本では
何をサービスとして
考えているのだろうか。

サービスという概念が
商業化されてしまった。

真の原義であるオイコノミア
(oikonomia=
 神の救済計画を
 受け止めるための義務)
としてのサービスという思量が
まったく普及していない。

『デザイナーは喧嘩師であれ』鉄道思量


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