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Posts Tagged ‘動機’


9月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 20th, 2021  Posted 12:00 AM

9月20日 先負(辛未)

『選定としてのデザイン』

しかし、
大衆は未知の形態、
未然の機能、
未体験のモノに
親近感を持つには
勇気と動機が必要だ。

artificial heart:川崎和男展


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5月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 9th, 2021  Posted 12:00 AM

5月9日 赤口(丁巳)

『始計としてのデザイン』

猶予の無い世紀末における
デザインヘの
積極的動機づけと
態度に
「始計としてのデザイン」を
デザインの実技で
断行すべきと考える。

artificial heart:川崎和男展


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1月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 2nd, 2021  Posted 12:00 AM

1月2日 大安(庚戌)

『修景としてのデザイン』

その造形は、
モノの存在
その目論見の動機となった
レトリックを、
印象の核心として
視野におさまり
美学的判断への
回路を作動させる。

artificial heart:川崎和男展


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『軍事技術である人間工学 は軽薄に語るべきでない』


   


     11月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

本格的に「人間工学」を認識せざるをえなかった経験は美大ではありません。
ヘッドホンのデザインに取り組んだ時でした。
それは自衛隊の戦闘機パイロットのヘルメット設計マニュアルでした。
随分と説明、説得に自衛隊に行きましたが、閲覧は駄目でした。
理由は「人間工学」は元来、軍事技術工学であるからです。
しかし、日本での商品説明で多様されている人間工学の軽薄さは虚実説明。
人間工学は、機械の使用者(兵士)が機械行使(戦闘)で、
安全(生命を防御)であり、効果(敵を倒す=殺す)ことが中核です。
このことから第二次世界大戦以後、エルゴノミックスは学会活動が停止され、
学術名称もヒューマンファクターエンジニアリングで、
フェールセーフ・ヒューマンエラーの技術とデザイン(設計)になりました。
さらに、HUSAT(Human Sciences and Advanced Technology)になり、
今ではUIやレジリエンスデザインの領域にと進化しました。
それでもエルゴノミックスが最適解になっているのは、F-35に他なりません。
F-35A・F-35B・F-35C、これらのパイロットヘルメットが最適解でしょう。
もし、すでに想定されている北朝鮮への軍事圧力にはこの戦闘機でしょう。
結局、古来から工学技術が軍事開発と軍需産業が経済進化の動機が、
無念ながら、この人間界の世界観政治姿勢になっていることは、
このスティルス戦闘機に象徴されていることです。
モホリ・ナギ的に言えば、
「デザインとは社会に対する態度である」とするとき、
こうした軍事技術が不要な世界観にありましたが、
私はいわゆる商品コピーで語られる「人間工学」で、
例えば倚子を語り直すときには、軍事技術の切れっ端程度の語り口では、
それこそ引用というよりも偽善、
したがって、人間工学をデザイナー教育の基本には軍事工学技術を
避けてはならないのではないかと思います。
少なからず、私には男の子ゆえの戦車から戦闘機、武器などは、
正直、殺し合い=戦争とは全く無関係に、好きなことでもあるのです。
男は武器が好きといういう感覚、あるいはセンスは、
カモフラージュ柄がファッション性と同語化していることに匹敵しています。
それだけに、こうした戦闘機は、ビジネスジェットと同等のPower by Wire
と言われている油圧アクチュエータでの電気信号制御があります。
軍事技術である人間工学とデザインの整合性は
もっともっと整合性構築に向かって革新されるべきと考えています。

* 『若き日、「東京家具見本市」で二人は学んでいた』
* 「自動車デザインはもっとビジネスジェット機から学ぶべきだ」
* 『HUSATとしての「シーティングエンジニアリング」』
* 『情報戦とマッハ戦から無関係であってほしい』
* 『軍備産業の機能・性能・効能を廃止する哲学が要る』


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『「寸は尺よりも長し」をデザイン表現したハンガー』


   


     7月 29th, 2017  Posted 12:25 AM

「デザインは機能である。」という、
この断言がズーッとデザインを縛り付けてきました。
未だにこれは念仏にしか私には思えません。
デザインは、性能・効能・機能と価値であり、
「問題解決の美的な応答・回答・解答」だともう40数年も主張しています。
そして、「神は細部に宿る」というのを、
私は先祖(宮大工家系)からの巻物には、
「寸は尺よりも長し」を自分に言い聞かせてきました。
先日、間も無く商品化の製品をこのブログで発表しました。
それはこのメーカーがそれもDESIGN TOKYO展で、出展したからです。
これはイタリアのある有名ブランドの生地・繊維見本帳を見て、ここまで?
絶対に乗り越えるという動機で、
このサンプルデザインの部位をハンガーにしたのです。
それこそ自分なりには徹底した細部設計と仕上げでの精度に拘りました。
日用品のハンガーはもう廉価も廉価。
しかし、2本1組みでの商品の高級化を目指しています。
ハンガーへの人類の歴史、ハンガーの進化、その一つを追いかけた、
私デザインの「モノの存在性」という
美的な価値表現です。
だから性能・効能・機能の日本ならではの高価値表現のデザインです。

* 『藤原行成の書体との出会いは先生からの指示だった』
* 『パノラマ的な拡大は詳細を見詰めることだ』
* 『最近見なくなった竹藪、その思い出』
* 『享保の手帖から私が学び直したこと』
* 「黄金コンパス・黄金比と白銀比を身体化するには」


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『Zゲージで再確認するトランスポテーションの美しさ』


   


     1月 6th, 2017  Posted 12:52 AM

私はちょっとだけ恥ずかしながら「鉄ちゃん」です。
ただし、のめり込んでまたまた懲りまくってはいけない、
その自制として、
子どもの頃から憧れていたZゲージのメルクリン鉄道模型、
それも、極めて自分の想いも絞り込んでいます。
もう随分前には、メルクリン?楽部がありました。
しかし、コレクターが減少し販売店も激少しましたから、
その?楽部(入会審査とても厳密)も消滅してしまったというわけです。
メーカー自身が経営危機にまでなったのです。
蒸気機関車なら、ヒットラー命令での当時の「高速列車」は
ナチス評価を離れれば、高速性はとても見事で大好きな列車です。
オリエント急行や、赤十字の病院列車などが、私のコレクション自慢。
今では、月刊でのメルクリン誌とそのwebsiteにわくわくします。
なかんずく、私がトレーラー列車は、液体運搬車がその存在、
それだけでもとても美しいので、
HPでのオークション探しをすることがあります。
とても高額なモノがあります。
石油輸送は当然ながら葡萄酒運搬やビール運搬と、
もう絶対にその性能美が機能性を引き出しています。
男の子にとっては、車、列車、飛行機、船舶はなぜか、
わくわくさせるモノです。
デザイン教育者としてはカーデザイナーは数人育成して、
教え子全てを企業留学させました。
船舶は海洋デザイン戦略論を教え、Ship of the Yearの審査委員ゆえに、
こうしたトランスポーテーションは何と言っても性能性で、
すでに美しさを確かめてこそ、機能的な美ある乗物だと思います。
そのコレクション性は確実な美しさ発見の動機になると思っています。

* 『メルクリンの世界も私の憧れのコレクションだ!』
* 『やっぱり造り込んでしまいましたが・・・』
* 「医・職・趣だからこそ今さらながらNゲージ・いいな?〜〜」
* 「ほんの少し『鉄ちゃん』ですから、言っておきたいこと」
* 「遠くへ行きたいからという本能」


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『素材産地のダブルブランド・「羽二重」HUBTAE』


   


     4月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM

「五か条のご誓文」は由利公正(越前藩士三岡八郎)によるものでしたが、
彼は富岡製糸場の殖産興業を動機づけただけではありません。
ところが、生糸が海外からの要望が無くなってきたときに、
福井で細江順子女史は、縦糸2本横糸1本で「羽二重」を産み出します。
この「羽二重」が落下傘=パラシュートとして、
最高の品質であったことが、米国でのナイロン発明のきっかけでした。
福井は絹織物=羽二重の一大産地として、後には人絹取引所となり、
人絹はポリエステル繊維・布素材産地でした。
しかし、織物産業は時代的経済的にも逼迫した状況に追い込まれました。
ところが、最近のポリエステル繊維は織物編物として、
高度な素材として次世代素材として大きな性能開発が出来てきました。
僕は「羽二重ブランド」とともに、
繊維や編物、その「布特性」を明確に七つの特性評価を
オノマトペでの七つの感性評価を学術的に決定してきました。
 ・はり
 ・ふくらみ
 ・こし
 ・ぬめり
 ・きしみ
 ・しゃみ
 ・しなやかさ
こうした言葉はすでに死語的になっていますが、
オノマトペ=擬音語表現を幼児にも布体験をしてもらうことで、
明確な感性表現をして、そのマーク化を行いました。
すなわち、「羽二重」と「布の7感性的特質」は
ダブルブランドとして、新たな「素材産地ブランド」として
福井=素材産地が商品アイテムの提案をしていく基盤にしました。
これからの地方地場産地は「素材から製品アイテム提案」の
出来る場、
これが素材産地の革新的役割になると考えています。

*「オノマトペ=感性評価軸が学術検証された」
*『幼児たちの布感覚=感性評価実験から最学習』
*『「織物・布の感性的評価軸=オノマトペ」産地福井から発信』
*『落下傘としても羽二重は最高品質だった』
*『日本の繊維産業、その先鞭をつけた人たちの偉業に続け』


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「『まさか』『ふだん』、だからこの寄附講座開設の動機です」


   


     9月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

昨日朝に大阪市880万人に非難訓練の速報がスマホに鳴りました。
正直、びっくりしました。
私は今春大学を退任後、3.11でのやり残しもあって残っています。
「危機解決産業創成デザイン重要拠点」として、
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を開設しました。
危機管理学は、
1960年のキューバ危機後に、国際関係論の学域に提示されました。
ところが、私たち日本人は、東日本大震災大津波という天災と、
原発事故という人災によって、大変な「国難」にあります。
この天災=ふだん、という事態と、
人災=まさか、ということを実体験してしまいました。
以来、私のほぼ最終時期に入って、デザイン活動の中心を、
ふだん=CRISISとまさか=RISKに対して、
これまでの危機管理学を危機管理デザイン工学とすべく、
国内の論文で学域設定を行い、超党派での政治への提案事項を
エネルギーをかけて取り組んできました。
私は、なぜ、この国難を自分の生涯で体験したのだろう、と
随分と考え込まざるをえませんでした。
結論は、この事態にこそ、「デザイン」による、
机上の論理と化している制度設計の不備だらけを正し、
危機管理学を形態設計によって産業の創成に向かわせること、と
新たな学域と実務手法を明確にしました。
それは、これまでの大学機関のあり方の一新を取り込みます。
私自身、美術系大学で学び、芸術工学という学域で、
これまでのデザイン対象を拡大してきました。
そうして、デザイン対象領域を拡大するには、
さらに大きな大学院領域での活動を7年間してきました。
その大学人が終わる寸前に、
「ふだん」=CRISISと「まさか」=RISKという事態に
私自身がこの小さな日本列島で対峙しています。
ようやく、来10月から本格的な「デザイン講座」を基幹にして、
「デザイン」実務ゆえの具現化実現に向かわせる覚悟です。


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「進化した光造形・ラピッドプロトタイピング」


   


     11月 12th, 2011  Posted 12:00 AM

私が大学人になった一つの理由です。
それは、光造形=ラピッドプロトタイピング、
この手法をプロダクトデザインに導入したかったからです。
米国で、ALIAS社とプリンストン大学で開発途中の光造形、
そのモデルは小さな平板の歯車でした。
その歯車がきっと立体になるという直感でした。
日本では手に入らない光造形原書を読みまくりました。
「クラインボトル」がモデル化されていた写真、
これは多分、合成写真だと思いました。
自分で試したい、その気持ちが大学人につながりました。
1996年、名古屋市立大学に芸術工学部新設時、
私の研究室には、光造型機(紫外線レーザー)と、
周辺のワークステーションと初期の3D-CADが入りました。
結果、「クラインボトル」を当時の3D-CADでは、
ほとんど製作が困難でしたし、
3D-CADからSLAデータへの変換などで自分を鍛えました。
素材も湿度影響などでとてもやっかいなものでした。
したがって、3D-CADソフトの変遷は全て見てきたと思います。
今や、半導体レーザーでの光造形はすでに一般化しました。
そして、光造形での素材も初期のエポキシ系からは
相当に進化し透明になり、湿気影響なども全くなくなりました。
そして、この組み合わせた「クラインボトル」は、
研究室訪問のゲストにプレゼントしているモノです。
今回、KAIST=韓国科学技術大学院大学へ持参のために量産。
そしてこのクラインボトルを二つ組み合わせて製作可能も、
ラピッドプロトタイピングなればこそ可能になります。
この組み合わせを、米国・フィラデルフィア大学でプレゼし、
ティニアである教授達との会話から、私が「人工臓器」、
なかでも「人工心臓へデザインを」という動機になりました。
これまで、私は名市大から阪大の研究室につながるまで、
この製作によって、様々なノウハウを持つことができました。
「点・線・面」の概念が、
それこそ、カンデンスキーの芸術的予測は、
数学領域での「空間論」と対峙することを暗示していました。
点には大きさがあり、それは限りなく正方形であり、
線には太さがあり、面には厚さがある、という予想です。
光造形=ラピッドプロトタイピングは、
もっと造形教育に取り入られるべきものだと思っています。
米国の大学では、デザインや建築の実習では当たり前です。
すでに、3D-CADは6D-CADに進化していることも
「モノづくり」日本に多次元CADは不可欠な領域です。

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8月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 8th, 2011  Posted 10:00 AM

8月8日 先負(乙未)

コンピューター通信の
高度な発展の中に理想を抱いてきた。

ところが、
コンピューター通信での対話が、
殺人への大きな動機付けになるというのは、
まったく言葉を失ってしまう。

『デザインという先手』手法


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