2月 13th, 2019 Posted 12:00 AM
春日大社で、特別展が開催され名刀が一堂に公開されています。
大社と言えば、大きな神社のことと言われます。
神社、神宮、大社、天満宮、八幡宮、稲荷と格式と違いがあります。
日本には、仏教と神道がありますが、私はこれらのモノとコトを、
単にいわゆる宗教と言い切ってません。
768年に建立された春日大社には、神道である、天皇制よりも
日本国家という国づくりの瞑想的な逸話があります。
春日大社の宝庫で昭和14年に発見された太刀が、およそ80年経って、
研磨され日本刀の原型が成立した平安時代末期、
国内最古級の日本刀だと昨年明らかになったのです。
「古伯耆物(こほうきもの)」と呼ばれます。
太刀と刀剣では、身に付ける方法が変わります。
平安京の頃の太刀とは、刀としてもどこまで丈夫であったのだろうか。
刀剣といえば鎌倉時代よりも、
それこそ神具としての太刀があったということです。
日本人としての倫理性=武力具ではないことが、確かめられるのです。
春日大社のある奈良、大和国は
山城国、備前国とともに刀剣の産地でもありました。
神具である太刀には、神社の瑪瑙、鏡、そして刀があるのです。
Tags: 768年, 丈夫, 仏教, 倫理性, 備前国, 八幡宮, 公開, 刀, 古伯耆物, 名刀, 国づくり, 国内最古級, 大和国, 大社, 天満宮, 天皇制, 太刀, 奈良, 宗教, 山城国, 平安時代末期, 日本刀, 日本国家, 春日大社, 格式, 武力具, 特別展, 瑪瑙, 産地, 神具, 神宮, 神社, 神道, 稲荷, 逸話, 鏡
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12月 13th, 2017 Posted 12:20 AM
「宗教は文化では無い」という見解が必要になってきています。
宗教は「人間が生きてその系譜に感謝を捧げること」が基本であったはず。
ハダム・シャリーム:神殿の丘、そこに分断されている「壁」には、
ユダヤ・イスラム・カソリックという三つの宗教は、
聖地の主権、礼拝権はすべてこれら宗教の利害や経済関係となり、
宗教対立は民族対立を生んでいます。
宗教は宗教哲学として、私には仏教が日本人として生活にありました。
そして、米国で私自身が仕事をするとなったときには、
原始キリスト教・旧約・新約から、カソリックとプロテスタントを学習。
いわゆるキリスト教と仏教とは比較検討の知識化、
そこから改めて新興宗教もみてきました。
そして、ユダヤ教、イスラム教にいわば宗教哲学でなければ、
私には生活との一体感は全く不明でした。
正直、イスラム圏は分かりません。
イスラム教での教義からのテロにはいわば、
危機管理=リスクデザインとしても日本では不可能が結論です。
おそらく、私の予想では、欧州もイスラム教に支配されるでしょう。
だから、G7、G8にしてもこれらはキリスト教支配下であり、
日本の仏教思想のまともな宗教論理は外れています。
聖地を分断する「壁」はセーフティ・ウォールと呼ぶことすら、
私は宗教の大きな問題が世界観の文化では無いと思っています。
キリスト教の分断は英語が分断されて、イスラム教内での分断は、
より大きな力になって欧州はやがてこの宗教に支配されるかも知れません。
それこそ、歴史は戦争の系譜でしかなく、その裏側には宗教、
特にキリスト教が根付いていたことは否めません。
そのキリスト教の歴史も簡潔にまとめてしまえば、
差別と信仰感を支配してきた系譜になるだけです。
よって、宗教での倫理性などは無神論とせざるをえなかった哲学が存在。
結局は、「生きる」ことと「死んで逝くこと」を宗教支配での差別闘争、
これをもっても宗教は文化とは言えないと判断すべきでしょう。
今、世界は宗教分離は信仰差別が闘争となってしまったと言えるでしょう。
私は改めて仏教も根柢で見直して、民族思想の文化=美と義と善を、
デザイン思想に取り込み直すべきと考えています。
宗教の「壁」はデザインにとってもアポリアだと考えざるをえません。
* 『2017アライアンスフォーラムに今年も出席』
* 「Made in Japanの復権は、売国奴たちの追放である」
* 『目の前に未来・将来は無く背負っているのです』
* 『負のサイクルを即刻停止させるデザイン』
* 「これが最悪か!・・・宗教戦争、語るべきか」
Tags: ? 宗教対立, G7, G8, イスラム, イスラム教, カソリック, キリスト教, キリスト教支配, セーフティ・ウォール, テロ, ハダム・シャリーム, プロテスタント, ユダヤ, ユダヤ教, リスクデザイン, 一体感, 不可能, 世界観, 主権, 仏教, 仏教思想, 信仰差別, 信仰感, 倫理性, 分断, 危機管理, 原始キリスト教, 善, 基本, 壁, 学習, 宗教, 宗教分離, 宗教哲学, 宗教論理, 差別, 差別闘, 感謝, 戦争, 支配, 文化, 新約, 新興宗教, 日本人, 旧約, 欧州, 歴史, 比較検討, 民族対立, 民族思想, 無神論, 生活, 知識, 礼拝権, 神殿の丘, 系譜, 経済, 結論, 美, 義, 聖地, 英語, 見解, 闘争
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6月 25th, 2016 Posted 12:00 AM
理系から文系へ、文系から理系へ、
このリニア的な教育プログラムを「デザイン思考」とした手法は、
あたかも最適に見えていましたが、
デザイン=問題解決とその解答には「美」が決着する必要がありました。
それはパラボラ的な教育トレーニングが必要でした。
なぜなら、デザインによる問題解決には、
デザイン思考を支援する、造形化が義務だということを、
リニア的なプログラムでは無謀でしかなかったのです。
そこで、理系文系を学術系とし、その対称性に芸術系を配置したのです。
それは、リニア、パラボラ、さらに、対称性の崩壊により、
プライミングエフェクトという想像力を育成しました。
それは「美的」な解決を目論むというデザインそのものでした。
これは思考を超え、論理をふまえた倫理性あるsilienceでした。
だから当然として、学術と芸術は統合してconsilienceとなり。
その統合意欲を失えば、resilienceで支え直さねばならないことになります。
この対称性の崩壊、あるいはパリティの崩壊をサークルとする
ラインの創成でした。
consilienceとresilienceは、
あたかもアレルギー現象になっているのでしょう。
翻って見直せば、学術と芸術は、
互いに抗菌と免疫の関係だったのでしょう。
デザイン思考は、学術と芸術のアレルギー関係であることを
教示してくれたのだと自分は結論づけています。
*『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予』
*『デザイナー能力の格差が拡大している』
*『100円ショップの廉価性と品質性と影響性』
*『マスクか、ペルソナか、マスカレードか、今のデザイン』
*『論理性と感性の対称性の破れ=パリティ崩壊』
Tags: Consilience, re+silience, silience, アレルギー, アレルギー現象, アレルギー関係, サークル, デザイン, デザイン思考, トレーニング, パラボラ, パラボラ的, パリティ, プライミングエフェクト, プログラム, ライン, リニア, リニア的, 倫理性, 免疫, 創成, 問題解決, 学術, 学術系, 対称性, 崩壊, 当然, 必要, 思考, 想像力, 意欲, 手法, 抗菌, 支援, 教示, 教育, 教育トレーニング, 教育プログラム, 文系, 最適, 決着, 無謀, 現象, 理系, 理系文系, 目論む, 結論, 統合, 統合意欲, 美, 美的, 義務, 育成, 芸術, 芸術系, 解決, 解答, 論理, 造形, 造形化, 配置, 関係
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6月 21st, 2016 Posted 12:00 AM
おそらく現代も、特に「イノベーション」をとか、
「デザイン思考」だとか、
「ソリューション」という言葉が多用されています。
そこには必ず「コンセプト」という、あたかもデザイン効果があるという
そのような企画が大氾濫しています。
しかし、これらでは明らかにデザイン成果はゼロだと断言します。
企業経営とデザイン=企業デザインと経営のイノベーション、
あるいは
伝統工芸とデザイン=産地活性化のデザインイノベーション、
この二つが明確に自分には見えています。
ところが、これらの成果・成功を、デザインで意図している背景には
「コンセプト」・「ソリューション」・「イノベーション」が
必ず存在していることを最も自分は危惧しています。
「イノベーション」の原意とそこからの歴史を思い出していただきたい。
「ソリューション」のテーマは「問題」でなければなりません。
ところが、ソリューションでの答は応答であり、回答に過ぎず、
そうした答えがイノベーションに成ることは決してありえません。
それらのデザイン成果をあたかも生み出すであろう、
それこそ「デザイン思考」には
ぴったりと「コンセプト」が張り付いています。
観自在からの概念や観念ではなくて、
あくまでも言語性と記号性の問題です。
そこにはstory:物語、argument:議論というライン性が明確にあります。
すなわち、思考のブラックホール、論理の対象性、
これらを破壊する発想は決して「コンセプト」には存在していないのです。
この感性を強化しているのは知性でも理性でもありません。
それは倫理性・倫理観という健全な想像力です。
この想像力は限定された人間にのみ存在していることを判定すべきです。
デザイン意図とデザイン内容に、
「造形言語」と「形態言語」によるデザイン、その造形手法は決して
「コンセプト」や「デザイン思考」はありえないのです。
最大の理由は、デザイン造形でのイノベーションとは、
「美しさ」を判断する倫理性があるかどうかだと思っているからです。
*『デザインは解である』
*『デザインは記号論的な『造形言語と形態言語』での論理化』
*『「形と性能」・デザイン成果=造形言語と形態言語』
*『盤・盆・膳」という文化は木に宿る』
*『現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ』
Tags: argument, story, イノベーション, コンセプト, ゼロ, ソリューション, テーマ, デザイン, デザインイノベーション, デザイン内容, デザイン効果, デザイン思考, デザイン意図, デザイン成果, デザイン造形, ブラックホール, ライン性, 人間, 企業デザイン, 企業経営, 企画, 伝統工芸, 倫理性, 倫理観, 健全, 判定, 判断, 危惧, 原意, 問題, 回答, 多用, 大氾濫, 存在, 対象性, 強化, 形態言語, 応答, 思考, 想像力, 意図, 感性, 成功, 成果, 断言, 明確, 概念, 歴史, 物語, 現代, 理性, 理由, 生み出す, 産地活性化, 発想, 知性, 破壊, 答, 経営, 美しさ, 背景, 自分, 観, 観自在, 言葉, 言語性, 記号性, 論理, 議論, 造形手法, 造形言語, 限定
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6月 19th, 2016 Posted 12:00 AM
Lineと言えば、
現代はSNSの一つの代表的なスマートホンの手法です。
しかしこれ以前に、米国の日常語=ほぼスラングに登場したlineには、
”a story or argument used to seduce someone”という意味があります。
この現代的な使用語の登場こそ、これまでのconceptでは到底困難であった
イメージや印象をすべて捨て去ることが可能です。
特に、「美的」であることの包囲性がconceptにあれば、
それは論理を超えた倫理性の必要性を再訴求することでした。
つまり、プラトンが「美しさ」を判断の決定要因に用いたということは、
論理ではなくて倫理的な判断によるものです。
倫理的な判断は、それこそカントの「純粋理性批判」で、
ようやく「感性」と「理性」を同格とした判断基準が最重要視されます。
デザインにとって、
「感性」と「理性」の合致性は「倫理性」になるわけです。
それは間違い無く「機能美」とデザインの再考を余儀なくしています。
まさに機能論はデザインの登場で語られる以前から論議されてきた
実際的な美学的な理性判断であったということです。
その理性判断の曖昧さを感性的な見方には理性判断と同等と決定した、
それこそカントの判断すらconcept発想は破壊してきたと断言しておきます。
もはや伝統となったことを曖昧にしてきたことがconcept発想であった、
というのがデザインでの美の創出で明確になったのです。
黒は全てを飲み込むブラックホールであり、
それは思考・論理をも飲み込むでしょうが、
ブラックホールとホワイトホールに設けた境界ラインに、
実は倫理としての「美学的な」決定ラインが表れていると主張します。
コンセプトという境界が、物語性すなわちアフォーダンスの配置は
決して登場させられない機能の再構成と構造を決めるでしょう。
その決定によって、性能・効能、そして機能として個別的、複合的、
さらに、統合的な倫理感覚をLine発想が可能になります。
それこそ、初めてコンセプト発想を解放することとなり、
その拡大的かつ深度を知ってもらいたいと自分は真剣に考えています。
*『コンセプト主義からの解放=デザインテクノロジスト』
*『SF映画が示唆していること=その真実性と想像性』
*『モノの神話性から物語り性がアフォーダンスを超えていた』
*『難問解決の大ヒントは「素材」開発デザインの美です』
*『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』
Tags: argument, concept, concept発想, LINE, seduce, SNS, someone, story, アフォーダンス, イメージ, カント, コンセプト, スマートホン, スラング, デザイン, ブラックホール, プラトン, ホワイトホール, ライン, 主張, 代表的, 以前, 伝統, 余儀, 使用, 個別的, 倫理, 倫理性, 倫理感覚, 倫理的, 再構成, 再考, 再訴求, 初めて, 判断, 判断基準, 到底, 創出, 効能, 包囲性, 印象, 可能, 合致性, 同格, 同等, 困難, 境界, 実, 実際的, 必要, 思考, 性能, 意味, 感性, 感性的, 手法, 拡大的, 捨て去る, 断言, 日常語, 明確, 曖昧, 最重要, 構造, 機能, 機能美, 機能論, 決定, 決定ライン, 深度, 無く, 物語性, 現代, 現代的, 理性, 理性判断, 発想, 登場, 破壊, 米国, 純粋理性批判, 統合的, 美, 美しさ, 美学的, 美的, 複合的, 要因, 見方, 解放, 論理, 論議, 配置, 間違い, 飲み込む, 黒
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8月 15th, 2015 Posted 12:00 AM
デザイナーの倫理観が社会的批判、非難を受けています。
デザイナーとしてデザイン学者として至極無念でなりません。
2009年、私は知財権における著作権・商標権・工業意匠権について、
これは国家施策として、早稲田大学と北海道大学そして特許庁に、
特に「アプロプリエーション」がデザイン界では無知なことを示し、
実は、リスペクト・インスパイアー・オマージュなど、
これは盗作問題にならないように警告を与えてきました。*
ところが、ある私立大学の教員教授達(彼らは学者教授ではない)は、
そこまでの勉強も不足し、
見事に平気な盗作を、ジェネリックプロダクトなるいい加減さを
学生まで巻き込んで、その蔓延さをとうとう露呈しています。
これは現在問題のエンブレムデザインだけではありません。
私自身、1994年、ギャラリー・間で「プラトンのオルゴール」展にて、
モンドリアン、パウル・クレー、キェルケゴールへはオマージュとして
デザイン造形をしてきました。
それはデザイン手法でのオマージュ(リスペクトからのプロセス)であり、
今や、レベル無きデザイナー達が簡単にインスパイアーと言うなかれ、
リスペクトと言うなかれ、という安易なデザイン手法を否定します。
全く手法論としては無知蒙昧な方法が現代はまかり通るばかりか、
逝去したデザイナーのオリジナルを自分デザインとは許せません。
これは明らかに盗作であり、それにも関わらず、
彼らで成り立つ私立大学での教員教授たちの存在を見過ごすことこそ
犯罪行為、詐欺行為だとさえ考えてしまいます。
改めて記します。著作権は無方式登録で160カ国が加盟しています。
デザインレベルが「応答作品」という低レベルであっても、
商標権は登録審査されますから、商業主義的な登録成立も
私はデザインの神聖さ、これはパウル・クレーの置き土産ですが、
私はデザイナーとしてこの倫理性を護り抜く覚悟です。
この私立デザイン系大学は、社会的存在性はありません。
*I.P.Annual Report知財年報〈2010〉
Tags: 160カ国, 2006年, 2009年, I.P.Annual Report知財年報〈2010〉, アプロプリエーション, いい加減, インスパイアー, エンブレムデザイン, オマージュ, オリジナル, キェルケゴール, ギャラリー・間, ジェネリック, デザイナー, デザイナー達, デザインレベル, デザイン学者, デザイン手法, デザイン界, デザイン造形, パウルクレー, プラトンのオルゴール, プロセス, プロダクト, まかり通る, モンドリアン, リスペクト, レベル, 不足, 低レベル, 倫理性, 倫理観, 加盟, 勉強, 北海道大学, 否定, 商業主義的, 商標権, 問題, 国家施策, 大学教授, 存在, 安易, 工業意匠権, 平気, 応答作品, 成り立つ, 手法論, 教員教授, 方法, 早稲田大学, 無念, 無方式登録, 無知, 無知蒙昧, 特許庁, 犯罪, 現代, 現在, 登録審査, 登録成立, 盗作, 知財権, 社会的批判, 神聖, 私立大学, 私自身, 簡単, 置き土産, 至極, 著作権, 蔓延, 行為, 見事, 見過ごす, 覚悟, 詐欺, 警告, 護り抜く, 逝去, 露呈, 非難
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8月 6th, 2015 Posted 12:00 AM
「点・線・面」はデザイナーのバイブルです。
「造形思考」はテキストです。
「点は限りなく正方形になる」と記したカンデンスキーは、
現代の液晶ピクセルを予想していたと私は確信しています。
線と曲線の関係性は、カオスに響く音楽論で、
パウルクレーは、デザイナーの教科書にしてくれました。
幅ある縦線と円形には、「ヘアーライン」という視覚補正が必要です。
オリンピックのエンブレム、そのデザインは、
盗用という極めて失礼千万な批判あるいは非難が取り憑いていて、
デザインはその平面図形の比較で「似ている、似ていない」を喧噪。
そして盗用というのは何事でしょうか。
ベルギーの劇場マークは、デザインの「応答」作品にすぎません。
東京オリンピックのエンブレムデザインは、
デザイナーの言説から「回答」作品ですから、
盗用というのは職能への大侮辱です。
釈明という失敬さをマスコミは平気で乱用していることは許せません。
ただし、私はプロとして、「ヘアーライン補正」という技能を
それぞれに解釈と解説と批評を与えてしまえば、
ベルギーの単なる劇場名と場所名の組み合わせは、
確かに、ベルヌ条約の無方式主義の著作権で訴訟をしてくる事、
それは補償金目当てでしょうか。
エンブレムデザインをマドリッド協定議定書での
商標権と対決させるのではデザインを応答作品でしかない
ベルギーデザインの幼稚さを保護しただけに過ぎません。
比して、
わが国の回答作品を商標権で護ることには正直大きな不利があります。
著作権と商標権での対立は
八百屋と魚屋のどっちがおいしいかの議論でしかないからです。
が、応答作品と回答作品では
デザインの職能倫理性は日本に正当性があります。
無念なことは、釈明会見というマスコミの姿勢はデザイナー虐めです。
「盗作」とはもっと別次元にあることは確かですが、
日本のデザイナーの正当性を私たちは護り抜くべきだと、
私は思っていますし、ベルギーの言いがかりなど無視すべきです。
そして、日本もベルギーも、バイブルそしてテキストも勉強不足と
「ヘアーライン補正」訓練不足があることは否めません。
本来、デザインは解答作品を審査委員会のたとえギルド性があっても
日本人デザイナーを著作権から護りぬくべきでしょう。
なぜなら、世界中がローカルなマークを知ったと言う話題でしかない、
つまりベルギーの応答作品が告知広報しただけのことです。
この応答と回答の対立でオリンピックは遠くなっているのは事実です。
Tags: エンブレム, オリンピック, カオス, カンデンスキー, ギルド, テキスト, デザイナー, デザイン, バイブル, パウルクレー, ピクセル, プロ, ヘアーライン, ベルヌ条約, マーク, マスコミ, マドリッド協定議定書, ローカル, 不利, 世界, 乱用, 予想, 会見, 作品, 侮辱, 保護, 倫理性, 円形, 別次元, 告知, 商標権, 喧噪, 回答, 失敬, 失礼千万, 姿勢, 審査, 対決, 平面図形, 幼稚, 広報, 必要, 応答, 批判, 技能, 教科書, 曲線, 正当性, 正方形, 正直, 比較, 液晶, 点, 点・線・面, 無念, 無方式主義, 無視, 盗作, 盗用, 確信, 線, 縦線, 職能, 著作権, 虐め, 補償金, 視覚補正, 解答, 解説, 解釈, 言説, 訓練, 訴訟, 話題, 議論, 護り抜く, 造形思考, 釈明, 関係性, 非難, 音楽論
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12月 14th, 2014 Posted 1:04 AM
酒や煙草企業が市場拡大をめざせばめざすほど、
アルコール依存症や癌発症患者が増加することは明らかです。
酒・煙草企業の市場認識には社会学的な倫理性が制度化されるべきです。
同様に、病気患者の治療や療養には医療機器や医薬品は大量に不可欠。
よって、患者は購入者やユーザーであり、医薬品業界では、
企業利益獲得のために患者数の増加が期待視されることも分かります。
それならば、患者獲得のために医薬品企業の進歩があるのでしょうか。
そうなれば、ディスポーザブル=使い捨ての医薬品・医療機器部品が
と当たり前の企業方針がそのまま企業理念になります。
ディスポーザブルなモノの破棄処分性など、その制度は、
患者あるいは人間主眼なものであるべきです。
しかし現状の制度では、企業擁護的なことが多いと判断しています。
たとえば、人工透析、ずばり人工腎臓であるダイアライザーなどは
すべて使い捨て使用のモノばかりになっています。
しかも人工透析を必要とする患者は増加する一方です。
そしてディスポーザブルなモノが商品となり、
人工腎臓の進化は、市場占有率の競合だけになっています。
人工透析だけにかかわらず、医薬品企業の方針は、
あらためてユーザー認識の大変更が確約されなければなりません。
つまり、あくまでも人間中心主義であり、社会保健学的な認識です。
医薬品企業は、極論すれば使い捨て商品を生産しないこと。
万が一にもそのような商品は、リサイクル性や廃棄制度の一新です。
医薬品業界のために患者が存在しているわけではないこと。
患者の存在があるから、医薬品業界には消費構造をさらに進化させる
購買・使用・廃棄・回収・リユースの新制度化です。
この新制度化と医薬関連商品のモノづくりは同次元だと考えます。
私は、この社会保健学性を医学・薬学・工学の学際化を
「コンシリエンスデザイン看医工学」と定義しています。
Tags: アルコール依存症, コンシリエンスデザイン看医工学, ディアライザー, ディスポーザブル, ユーザー, リサクル性, 一新, 人工腎臓, 人間中心主義, 企業利益獲得, 企業擁護的, 企業方針, 企業理念, 使い捨て, 倫理性, 制度化, 医学・薬学・工学, 医療機器, 医療機器部品, 医薬品, 医薬品業界, 同次元, 大変更, 大量, 市場拡大, 市場認識, 患者, 患者数の増加, 新制度化, 治療, 消費構造, 煙草, 病気患者, 療養, 癌発症患者, 破棄処分性, 確約, 社会保健学, 競合, 購入者, 購買・使用・廃棄・回収・リユース, 酒, 酒・煙草企業
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10月 28th, 2014 Posted 12:00 AM
私がよく受ける質問に「アートとデザインの違いとは?」です。
簡潔に極言すると、アートは主観的表現であり、デザインは客観的。
この差異性から、アート手法をデザインで再利用するにしても、
それには、引用、借用、隠喩などのアート手法をデザイン運用する、
その限度、限界については、なんといっても倫理性があります。
その倫理性とは盗作には決して至ってはいけないということです。
最近はインスパイアとかオマージュとかということの限度があります。
ところが、コピーを国是ともしている中国では、
すでに著作権がオープンになっている過去の名作をコピーして、
それを「ジェネリック製品」とか呼び、その原創作者名も表示します。
これはあたかも容認されているかのようですが、
そもそも、最近では「ジェネリック薬品」自体の信用性が医学的にも
否定され始めてきているのが実情です。
かって、著作権・商標権・意匠権・実用新案権・特許に関して、
国家プロジェクトとして、私は特にデザイナーのアート手法について
「文と理の狭間からの飛翔」ーI.P.Annual Report知財年報〈2010〉
「デザインの本質と法的保護の未来を探る」を書いたことがあります。
これはデザイナーも読んだ形跡がなくこの日本でデザイン盗作実態や
盗作全肯定の教育までが私あてにその告発希望がやってきます。
美大生になるとすぐ、私には最も難解であった
マルセル・デュシャンの「L.H.O.O.Q.」を徹底的に学習しました。
結果、デザインでの再教育が極めて必要だと主張しておきます。
それは、デザインとは客観的な表現であり、コピーも盗作も同一、
この倫理観、デザイナー道徳の無いデザイナーやデザイン教育は
決して許されることでは無く、デザイン史実には残らないでしょう。
すでに原創作者が逝去を隠して、オマージュでもインスパイアー、
ましてアプロプリエーションの論理も語れないのは盗作です。
「未構築・非構築な『知財権』と制度設計」
「2010年・行学に向かい合ったか」
「AppropriationーDesignに紛れ込んできている危険性・1」
Tags: I.P.Annual Report知財年報, L.H.O.O.Q, アートとデザインの違い, アート手法, アプロプリエーション, インスパイア, オマージュ, コピー, ジェネリック製品, デザイナー道徳の無い, デザインの本質と法的保護の未来を探る, デザイン史実, デザイン盗作実態, マルセルデュシャン, 中国, 主観的表現, 信用性, 借用, 倫理性, 原創作者が逝去, 告発希望, 客観的表現, 差異性, 引用, 文と理の狭間からの飛翔, 盗作, 盗作全否定, 芸術手法, 著作権・商標権・意匠権・実用新案権・特許, 著作権がオープン, 限度, 限界, 隠喩
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10月 25th, 2014 Posted 12:00 AM
日本人にとって、最も規範性を決め、倫理観の原点を探ると、
私は二つあると判断しています。
その一つは武士道と商売道であり、武士道とは忠誠と生死への態度、
商売道とは儲けることよりも、儲けたことで何をなし得るかです。
今や、世の中はメチャメチャだと言わざるをえません。
まず、なんと言っても武士道も商売道も「家訓」としてさらに、
その詳細と制限、不自由さを取り決めています。
自由であることを不自由にすることこそ実は幸不幸を決定しています。
なんといっても、鎌倉時代、武士という職能、御家人時代の倫理、
それは「御成敗式目」51箇条は、すべてを漢文とせず、
ひらがなも用いられていて制限は警察権と裁判権に集約されています。
その制限は道徳の正当な論理性は、自由さを制限していますが、
私が最も共鳴するのは、裁判裁決の平等性です。
たとえば、裁判の迅速性であり、20日以上かかってはならないこと、
これに私は脱帽せざるをえません。現代は、裁判とは長期どころか、
生涯の闘争になってしまっています。
しかも有力者によって庇護されたり、損得が決して起こらないこと、
まるで現代とは大きな違いがあります。
「御成敗式目」の不自由さの根幹は、必ず死を迎えること、
あるいは死を持って購う潔白さという美しさこそ武士の正義。
正義には不自由さで制止されることこそ、極めて重要であり、
不自由さゆえの解放は、倫理性、正義性を身体化するからこそ、
真の自由さを存分に出来るという理念、思想、道徳、倫理です。
よって、自由さを制限する暴力性などは非在なのです。
解放された自由さにある不自由度には、平等感があるということです。
御成敗式目には、暴力と嘘への裁決がとても明白に規定されています。
私は、この御成敗式目、武士道規範に立ち戻るべきだと主張します。
私は嘘つきには、成敗するために武力発動は当然であり、
これはまったく暴力ではないということです。
「幸不幸の連鎖の中で」
「あらためて『幸』文字の意味をかみしめる」
「テロという名の殺戮に怒りを込めて」
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