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Posts Tagged ‘ギャラリー’


『もっとジャーナリズムは正確に報道すべき』


   


     3月 25th, 2020  Posted 9:48 PM

野口英世という細菌学者がいました。
ノーベル賞候補に何度もなり、伝染病の治療と
研究に生涯といのちを捧げた医学者の伝記をこどもの頃読みました。
私は以前から現金を持ち歩かないのですが、
聖徳太子、伊藤博文そして現在の千円札は野口英世の肖像です。
しかし、蛇毒、黄熱病の研究功績は、
ノーベル賞はもらえませんでしたが、世界の人々を病から救いました。
新型コロナウイルスは、肺炎が引き起こされますが
肺炎と言えば、細菌肺炎とウイルス肺炎、真菌肺炎があります。
基礎疾患がある人、高齢者は、肺炎での症状で死を迎えることが多く、
個人情報があると言っても、経路や接触者をオープンにできないことは
中国や韓国などと異なり徹底管理の妨げになっています。
米国のSOHOのギャラリー=これは国宝ですが、
オーナーからのメールで届いた写真です。
当初は、甘く考えていたために、今はこんな状態だと
生活が一変した状況を知らせてくれました。
世界はより身近に、同じ問題をようやく共有し、
とりわけ米国、イタリア、フランスの友人達と密メールをしています。


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『New Yorkでのホテルから海外のホテルを決めてきた』


   


     6月 20th, 2017  Posted 12:00 AM

New Yorkに行って最初に泊まったのが
The PLAZAでした。
その理由はビートルズが泊まったホテルだったからです。
ところが、海外のHOTELで最初に喧嘩をして、飛び出しました。
私が海外に作品発表していくギャラリーのオーナーに電話したら
「なぜ、そんな所に泊まるの?」と叱られて、
マディソンアベニューの最初のデザイナーズホテル=Morgansでした。
米国には、インテリアコーディネーターとインテリアデザイナーが、
明確に教育プログラムも異なりそれぞれの資格も異なることを知りました。
それ以来、New Yorkでの定宿にしていました。
おそらく白黒のチェック柄=市松模様の見事さと、
ホテルマンは格好いい金髪美男子(映画俳優志望者)や金髪の女性でした。
このホテルはアンドレ・プットマンのデザインであり、
以後、New Yorkにはデザイナーズホテルが生まれていくことになります。
これは1980年代の話ですが、デザイナーズホテルは結構物真似でした。
このホテルの朝食はバナナブレッドと生のオレンジジュースが中心でした。
宿泊客もどこかセンスが良くておしゃれな人達が多かった気がします。
このホテルの金色真鍮での象眼づくりなどはとても優雅だったと思います。
おそらく海外でのホテル選びではここからが私の中心になっています。
そう言えば最近は米国には余り行っていませんが親友や友人が多い街です。
このNew YorkにMacをデザイン界に広めたのは私だったと思っています。
さて、アンドレ・プットマンのデザインは
コーディネートとデザインは明確にモダンデザイン主体であり、
制服のデザインもカルバン・クラインだった?はずです。
私のホテル暮らしは相当にありますが、どうしてこのホテルだったかは、
絶対に書き残しておくべきだと思っています。

* 「シリコングラフィックスを使っていた頃」
* 『出張したホテルでも・「眠りの鎧」として』
* 「5年ぶりのパリ、5日目の報告」
* 『モダンデザインの造形に潜むスーパー楕円』
* 『客員教授の優れたオンリー教科書があるということ』


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「美術館・博物館という空間建築アイテムは終わった」


   


     3月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM

初めて「国立新美術館」に出かけました。
それもイベントのオープニングにちょうど東京にいることもあり、
出かけることにしました。
おそらく同じデザイン界の人物に会うことになるだろうと覚悟しました。
正直、僕はひっそりとじっくりと観ることが好きなのですが
出かけました。
もう、その美術館の入り口から知人たちに会い始めました。
「三宅一生展」は、観ておくべき展覧会であることは間違いありません。
車イスゆえ優先的に最初に会場に入ることができました。
いきなり、建築家・安藤忠雄氏に出会い、そのまま三宅一生氏、
そして会場構成の吉岡徳仁氏と
グラフィック総括の佐藤卓氏に会いました。
佐藤卓氏とは、東京では結構思いがけない店で出会っています。
「よく会うね」とか、
「あの店大好きだから、今度一緒に」と会話しました。
三宅一生氏の仕事は、いわゆるファッションデザイナーを超越しています。
「プリーツプリーズ」の評論は、私が最初に書いたと思います。
その時にはポリエステル繊維から、布特性の7段階を知りました。
これは今ようやく「羽二重」ブランドの骨子になっています。
さて、問題はこの「国立新美術館」の建築設備でした。
遠慮無く断言すれば、美術館という空間建築とその設備は
もはやとても時代遅れはなはだしく、
私には美術館ではなくて「博物館」でした。
三宅一生氏の仕事の集大成は、もはや美術館を超えていたはずです。
明確に言い切ればデジタル表現の設備が全く考慮されていない空間でした。
これは、未だにプロジェクタースクリーンが4:3であることです。
すでに画面表示は16:9にも関わらず、日本全国の公的場所は4:3です。
しかも一画面でしかありません。
投影アプリがPowerPointばかりと同等です。
たとえばデジタルというとすぐに「デジタルサイネージ」が喧噪ですが、
その実態には何も新鮮さがないことに等しいのです。
IoT=Internet of Thingsというデジタル表現もこの漠然さに日本は呪縛され、
本来のIoTの、その将来がみえていないことに等しいのです。
僕は「デジタルアッサンブラージュ」を提案していますが、
おそらくこれが理解されるにはまだ当分時間がかかりそうです。
もはや、美術館も博物館も、そうなると街角のギャラリーですら
「デジタルとアナログ」、「アナログとデジタル」、
この相関関係のインターラクションが必要です。
しかし、
インターラクションの定義はもっと時代で研磨されるべきでしょう。


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『インテリアデザインからの拡大・森田恭通のパリ個展』


   


     11月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

「Porcelain Nude」。
インテリアデザイナー森田恭通氏、パリでの個展タイトルです。
ヌード写真の美しさを彼の美学で真正面から切り取り撮影し、
プラチナ焼き付けの写真パネルと磁器転写アートとスツールにまで展開。
それもパリではトップクラスのギャラリーで個展を開催しました。
森田恭通氏と最初に出逢ったのが、もう10数年前、それもパリ。
ちょうどルイヴィトンの旗艦本店が建築改築中のために、
仮店舗内でのお互いが買い物中でした。
ワイフが知り合いであったことから初対面をして、
それ以後は伊丹空港や飛行機内で出逢いました。
そのうちに彼の活動を見ているデザイナー友人達が多く重なり、
ますます彼のデザイン活動を知るようになりました。
なんだか私と彼とは顔つきも似ています。
なるほど彼の母親は福井県出身でしたから、
それは私の判断では、
北陸福井とロシアアリューシャン列島系の鼻筋高い顔立ちです。
ちょうどパリに行く機会と彼の個展が重なり、
私はオープニングパーティに出かけました。
正直、そうしたパーティ出席は避ける性分の私ですが、
なんだか彼の活動は見逃せないデザイナー直感がありました。
今度は写真家としてのデビューとその写真を磁器装飾に展開するという
バウハウスからスタートしたキネティックアート的な
フォトコラージュ手法を革新しました。
ヌード写真撮影を自らが行い、それを磁器に展開することで、
さらに彼が最もインテリアデザイン対象としている
レストランやホテルで使用できるモノの効用デザインを果たしました。
フランスでの磁器づくりでは相当の苦労があったはずです。
聞けば、何度と造り直しをしたそうです。
しかもそうしたスタッフには、私の教え子を師匠とする子も居ました。
森田氏は創りたいと思ったら、直接、自らがクライアントを決めて、
自分のデザインアイディアのプレゼンテーションで説得をして
デザイン実現させる
まったく数少ない国際的なデザイナーです。
パリには何度も行っていますが、幸いにインターン生だったフランスの子や、
カーデザイナーとして教育してきた教え子は、全員、海外企業留学しています。
しかし、この個展はやがて歴史的になるであろうテロリスト銃撃戦により、
非常事態宣言により、この個展は中断を余儀なくされました。
しかも、このギャラリーに女性が逃げ込んだことから、
森田氏とそのスタッフ達は閉じ込められたと聞きました。
それはギャラリーと銃撃戦現場の劇場は200mしか離れていなかったそうです。
全員が無事でした。
彼の革新したフォトコラージュ的な磁器アートは、スツール天板まで展開。
私は、インテリアデザインをベースにしながら、
今後はまたデザインの拡大化が出来るデザイナーだと評価しています。
私の役割は、さらに彼のデザイン拡大展開に対して、
私の経験の限りを伝えておきたいと思っています。


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『負のサイクルを即刻停止させるデザイン』


   


     11月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

11日、日本を発ち、12日には「森田恭通個展」オープニングに参加。
13日、教え子が英国からパリに来てくれました。
昼食を森田氏グループと教え子も一緒にすることが出来、
教え子は英国へ日帰り、その直前に森田氏個展を見て仏英間特急で帰宅。
「森田恭通氏」個展会場から200m先の劇場から、
突然女性がギャラリーに逃げ込んできてから事態は一変したのです。
シャッターを下ろして全員が息を潜めていたと聞きました。
同時テロリスト達の乱射で亡くなった方々には、
ひたすら不運への「祈り・鎮魂」がありました。
が、翌日にはこの近辺で銃撃や爆発で、鎮魂の人々が折り重なって、
一斉に逃げ出す場面が放映されていました。
そして、私にはこれが現実という、テロリスト容疑者を拳銃とマシンガンが、
警官や軍隊が取り囲んで、その余りに「怒りいっぱい」の場面を見ました。
日本でここまで暴力的とも思える容疑者確保は無理です。
8世紀に生まれた銃武器が、
21世紀にまでまだまだ人殺し武器ということには大違和感があります。
フランスは「やられたらやりかえす」という空爆を即実行。
これはまた負のサイクルに立ち戻って鎮魂=PRAY FOR PARISは
見ている側の平和希求というeye-point だけの報道です。
この報道では永久に平和は来ないこと明らかです。
しかし、現場は見られてview-pointゆえに「怒り」一杯です。
この怒りからも平和は決して来ません。
CNNもBBC(World News)も報道機関という視座からの情報に過ぎません。
現地パリには「恐怖と激怒」、これがview-pointであり、
eye-pointとview-pointという二つの視点があってこそ、
視線=眼差しがあったはずですが、CNNもBBCも完全に欠落していました。
そして、「やられたらやりかえす」このサイクルを何としても
辞める決断の武器が必要だと私は確信しました。
日本には日本刀がありましたが、
この武器記号がどうやって300年間の平和を歴史に持ち得たのでしょうか。
私は、威嚇防衛の武器デザインこそ必要必至だというメールを
トップエンジニア・トップテクノロジストに送付しました。
「これが現代の真のイノベーション」という返事がきました。
戦争の形式を根本で変えること、戦争=最悪の事態にデザインが果たすこと。
この大問題解決こそ、最重大なデザイン解答だと認識できました。
G20はほとんどがキリスト教思想です。
中国は宗教思想否定ですが、このデザイン解答は不可能です。
ならば、自己を見詰める仏教と神道にこそ、
この役割が出来るのではないでしょうか。
キリスト教とイスラム教は宗教イデオロギーの対決という負のサイクル、
これを停止決着つけるデザインがあるはずです。


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『若手デザイナーの海外個展を応援する』


   


     11月 9th, 2015  Posted 12:00 AM

私が自分のデザイン活動をようやくニューヨークで
発表したのは30代中頃でした。
それは、いつか、海外で発表をと思っていた時期に、
米国のギャラリーからも誘いをいただきましたが
資金もなくて1年間待ってもらった経験があります。
そしてニューヨークでの個展から、
ようやく私も海外での仕事ができるようになりました。
日本がバブル経済で東京が浮かれているのを私は見ていて、
何か、変だと思っていたときは、
Apple本社でいくつかのコードネームでデザイン提案をしていました。
だから、最近は、次世代デザイナーの一部の
海外での活躍ぶりには目を見張るものがあります。
しかし、海外での日本人デザイナーの仕事は、
明確にはっきりとしつつあることが起こっています。
海外でのアドバンスデザイン展でのプロトタイプをコピーし
まさに盗作。
この情報も私には届いていますが、
先般の盗作問題もあり、
私はこうしたことが一般化することを反対しています。
これは正当な海外進出ではありませんから、
やがて国際問題にならないことを願いますし、
この事実は黙秘せざるをえません。
しかも海外評判を国内に逆輸入しているデザイナーには呆れます。
それを助長しているマスコミには大きな疑問があります。
国内の雑誌などで、いかにも国際的活動だという取材を見ると
残念でなりません。
しかし、このところインテリアデザインを主体に活躍している
Yasumichi Morita氏が、今度はインテリアを超えて、
写真家として、しかも写真表現そのものを
モノづくりに向けて、パリで発表することを以前から聞いていました。
丁度、パリには行こうと考えていた時期と重なり、
その個展を見にいくつもりです。
欧州には、教え子たちが何人かいます。
フランスにはインターン生だったフランス人もおり、
彼の仕事ぶりが心配なので会ってこようと考えています。
また、教え子たちでも車関係・カーデザイナーを目指す子は
企業留学しています。
私の時代、何も分からずに米国から出発しましたが、
最近は、なんとか次世代のデザイナーに
私に出来ることはないかということを自分に求めています。
なにしろ、最近は海外を目指す若者が減少しているだけに
そのことが不思議でたまりません。
Yasumichi Morita氏の国内外の仕事は、かえって海外での評価が高く、
そうした仕事は、海外からの依頼かと思っていましたが、
すべからく自分でそうした仕事を求めて行くという勇気を
私は絶賛しています。
彼がパリで、写真家、そしてそのデザイン応用の個展は
ほとんど国内で宣伝をしていませんが、
私自身、その個展を見てくるつもりです。
幸い、教え子たちにも会えそうです。


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