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Posts Tagged ‘エッセイ’


『ドローンの自宅内初飛行で学んだ』


   


     12月 4th, 2019  Posted 12:00 AM

自宅で初めて「ドローン」が飛びました。
これまで、どれだけドローンを購入し迷ってきたでしょうか。
いつも周りには、Apple製品やその周辺機材を
推薦してくれる連中がいました。
案の上、今回は元アスキーで、
私のエッセイを編集してくれた中筋くんが、
「なぜ、ドローンについて書いてくれないんですか?
絶対好きですよね」と。
一人で完結できそうなモノだったら飛びついていましたが、
ドローンは傍から見るに留まっていました。
「まだよく分からないよ、先般、ドローンの爆撃兵器を見たんだけど」、
そんな会話していたら、先月出たばかりの機種、
その新製品・ドローンをお披露目してくれました。
時にはデザイン系大学で最新テクノロジーの製品や
AIなどをテーマに非常勤講師をやっている彼は、
ドローンを説明しながら眠っている学生のところに飛ばすと
効果覿面、ただ講義の感想はドローン一色になるらしいのです。
自宅内での初めての飛行を経験させてもらいました。
『最新ドローンの空撮入門』も手掛けた彼からの指導です。
一方で、ドローンは、元々は兵器としての開発が進み、
おそらくこれからも、残念ながら、
テロや戦争がまとわりついています。
やはり様々な観点からドローンを追いますが、
私にはこのドローン初飛行が
また大きなきっかけになったと判断しています。


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『教えるということは、教わることだ』


   


     10月 29th, 2019  Posted 12:00 AM

カーボンファイバーの新作椅子発表会には、色んな人が来ました。
かって、三省堂で「広報誌のエッセイ」の私の担当だったT氏でした。
ほぼ20年ぶりに再会、その後インタビュー記事を書いてくれました。
インテリア雑誌とは違って『東京人』です。
カーボンファイバーのイスも取り上げてもらいます。
彼が長年買い足して愛用してくれている
私のメガネMP-690の写真も掲載予定です。
このモデルにはコアな目利きのファンが多いのです、感謝。
主題は手描きの力。
それは、私のデザインの起電力そのもので、
簡単に言えば、デッサンを重ねて訓練していれば、
頭を無にした状態で、手が起電力となって発想が生まれるのです。
そんなスケッチや、私の筆記具を見せました。
取材を受けるとあちらこちらに散らばっている道具たちが
一堂に会しなんとも圧巻です。
ライターの彼は今では母校の非常勤講師をしているらしいのです。
22年間も大学人だった私が彼にも言いました。
「教えるということは、教わることだ」には、
彼からも大賛同を得ました。
おそらく彼の「文章の構成力、編集力そしてインタビューの作法」の講義
それをを私も聞きたいなと思います。


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『もう一度、とっても会いたい菅野沖彦先生』


   


     3月 27th, 2019  Posted 12:00 AM

昨年、10月13日にダンディズムとしてのオーディオ評論家、
その道を極められた菅野沖彦先生があの世に逝かれてしまったのです。
私は好き嫌いがはっきりとしています。
たくさんの評論家の中でも特に先生に傾倒していました。
東芝時代、若手のデザイナーとして私のデザインを、自社の営業より
評価、理解していただいた先生の期待に応えたいと通っていました。
オーディオ評論家という枠を超えて、
パイプ、西洋人形などの世界観を教えてもらいました。
菅野先生が提唱された「レコード演奏家」は必ず残っていくでしょう。
コンピューター雑誌に私は連載を2つ持っていました。
あるときに、新進のスピーカー企業に行きました。
前日には菅野先生からもアイディアをもらったことを聞き、
「S先生」とエッセイで、菅野先生との東芝時代の想い出を書いたところ、
「S先生」とは菅野先生のことではないかと、オーディオ雑誌の編集者、
M氏が、交通事故と東芝退社で、途切れていたご縁をつないでくれました。
先生の自宅にお邪魔しました。
懐かしい空間と、選び抜かれたオーディオから、
音響を何十年かぶりに体感しました。
ワイフは、息が出来ないという音質を感じ取りました。
そして、先生から、「レコード演奏家」として、
私を取り上げていただくことになりやはり部屋を改装し準備しました。
今では、この程度で?と、
残念なオーディオでありビジュアルの評論家が多いのです。
東芝時代には、まずは先生に試作を持っていき
なかなか通らない私のデザインを
東芝の偉いさんに先生から説得してもらいました。
無神論者である私ですが、
先生とこちらで再度会いたいと思っています。

先生との対談


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『光陰へはただ祈るだけだと思い想っています』


   


     5月 27th, 2017  Posted 12:00 AM

「光陰矢のごとし」というレトリックがあります。
かつては時間の過ぎ去る早さだと思っていましたが、
60代になると知人・友人、その周囲の人が、
突然、逝ってしまう事が増えました。
その度に「会えなくなる」という無念さで胸がつまります。
「長友啓典」氏といえば、デザイン界、
それもイラストレータの大御所です。
いつかは逢えるはず、と思っていました。
インテリアデザイナーの森田恭通氏の紹介で彼の主宰する雑誌で対談し、
その後の食事でもう親友のごとく大仲良しになり、
次回会えることを心待ちにしていました。
ところが突然逝ってしまいました。
今年は、後輩、インテリアデザイナーの大御所、
デザイン界で最も大事な社長、仲間の母上は高齢でしたが、
彼にとっては母ですからその空しさを語りあい、
さらにはエッ!、教え子のこれからの娘さんの事故死と、
人生という光陰の瞬間性を思い知らされています。
あるクレジット会社の広報誌に、
作家である伊集院静氏のエッセイには、
彼の挿絵:イラストレーション最後の作品、
そして伊集院氏の彼への思い、
その文章には、もう本当に、逝ってしまった人たちへの想い、
それを引き出されて泣きました。
逝ってしまった人への思いは心の中にしまい込んでいただけでした。
「もう、逢えない」という悲しさと哀しさで、
まさに光陰、陽明と陰影が、襲いかかってくるのです。
長友氏とは、たった一回しか逢っていないのですが、
FBメールでは心割ってやりとりができました。
いわゆる「あの世」への思いと想いは祈ることだけです。
でも、自分の人生に光陰を与えてくれた人へ、、
あらためて私は祈るだけです。

* 「光陰の下で佇む姿勢」
* 『もう絶対に逢えない、今日は母の命日』
* 『インテリアデザインからの拡大・森田恭通のパリ個展』
* 「人は『闇』に生きていく」
* 『羊と鋼が調律の要だった、それを実証した友人』


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『「森羅万象悉く神なり」は樹木と二酸化炭素の関係』


   


     1月 25th, 2017  Posted 12:00 AM

日本は70%が森林の島国です。
そして私たちは樹木にも神様の存在を知って育ってきました。
北陸・福井ふるさとの私は山育ちでもあり、
白山山系の源で育ってきました。
ゆえに、白山山系のブナ林はこの島国を護っていると信じています。
実際白山神社というのは私の記憶では2700カ所以上全国にあります。
このことを強く知ったのは、
九州の普賢岳が大爆発して火山流という天災時に、
普賢岳の麓に普賢神社がこの地に一社しかなかったときに、
天災を九州は古代から怖れて生きて来なかったのではと思い、
ほとんど冗談ぽく、人身御供が必要と、そんなエッセイを書いてしまい、
読者の一部からえらく叱られたことがありました。
現在なら大炎上し、社会的にそのエッセイは抹殺されてたでしょう。
なぜ、白山神社が2700カ所もあるかというと、
その神社を結んでいくことで「結界」ができるのです。
これこそ、日本人、日本列島の,
「森羅万象悉く神なり」という神道的発想でした。
子どもの頃には白山は休火山として習いましたが、
今では白山も活火山なのです。いつ爆発するかはわかりません。
日本の火山山系に休火山というのはあり得ない、
というのが現代の学習知識になっています。
海外で漢字の象形文字性を講演するには、
「木・林・森」が最も伝え易いのです。
つまり人間と樹木の関係は二酸化炭素を樹木は消し去ってくれるのです。
これこそ、とても重大な樹木-自然と人間の活動を繋いでいるのです。
現在、二酸化炭素は温室効果ガスと呼ばれ、CO2の削減こそ、
地球環境の保全以上に地球存続の問題として、
「パリ条約」にまでなっているのです。
私は、現代のデザイン系教育機関で「パリ条約」を教えていないこと、
これこそ大問題だと考えているのです。
なぜなら、日本からの「基幹産業」は、
二酸化炭素そして「パリ条約」のことも
絶対に詳細を伝えるべきと考えるからです。

* 『活火山の噴火で学ぶこと=高密度情報化の再熟考』
* 『越前和紙こそ、紙の文化を再活性できるはずだ』
* 「自然崩壊と資本主義終焉が同時進行しているのでは」
* 『セルロース戦略とカーボン戦術は発電も可能だ』
* 「世界中が・March.11.2011ならば・・・」


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『盟友のエッセイから思い出した=スタイライゼーション』


   


     3月 8th, 2015  Posted 12:00 AM

私は東芝に、級友の光野は日立に、
当時、私はどこまで光野は私とライバルで、一番給与の安い企業へ。
そんなこともあって、彼がその後、柳宗理先生を一番知る級友でした。
先般、二人がはっきりしておきたいことがあって朝まで語り合った。
私が彼を批判し、彼はそれなりに、結局、殴り合い寸前までだった。
彼から、最近書いているエッセイを読んでいたら、
「スタイライゼーション」のことが克明に書かれていた。
生きている鶏を毎日毎日朝から一日、デザインストロークという
細密なデッサンを描き、もうどの角度からも鶏が描けると、
今度は、筆巾違いや、切り絵やら、コラージュ、そして立体まで
それこそ、体育館が一杯になるほど制作を繰り返す。
デッサン力が磨かれて平面から立体までが、様々な素材で、
鶏をテーマにした造形全般をやりつくすというトレーニングでした。
しかも、今の時代では絶対に出来ないであろう、
その鶏を解体して食ってしまう、それは酒を飲んで鍋にするわけだ。
鶏を解体出来る人間は限られていました。
私はウサギも鶏も解体は祖父や父から教えられていたのでできました。
私が非常勤講師だったときには、魚でしたから腐ってきていました。
最近はトランペットだと聞くと、それはダメだろうと思います。
鶏は生きていて動き回るのでデッサンそのものがとても困難でした。
光野は私とは別方向から車イスや介護系のデザインを実現しています。
私が車イスになったときとても心配をしてくれました。
工業デザイン専攻30名全員男子であったので、考え方は全く別物ゆえ
大学時代は常に作品方向もまったく別でしたが、
気がついてみると、私も彼も、身障者や少数派のためのデザインを
まったく別方向から入ってきて、理想は同じ方向だと知りました。

「手を頭脳化するトレーニング=デザインストローク」


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