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Posts Tagged ‘森羅万象’


『「森羅万象悉く紙なり」とは神と死に直結している』


   


     5月 22nd, 2017  Posted 12:00 AM

「紙」は神とも髪、さらには守でもあります。
さらに死であり、市・士・師・史などを同音異義語を引きつけています。
私には紙は神と死との対称性を持っています。
私自身、紙漉きは「落とし紙」という今ならトイレットペーパーが
母の実家=最終の宮大工一族で灰色の落とし紙を造って=漉いている所で、
それが出来上がると実家に持って帰りました。
そうすると、祖母が一族に配りなさいと言われ、多分4〜5歳の思い出です。
デザイナーのプロとして、一時ふるさとでは、
「越前和紙」の産地に入っていって、
「オータキペーパーランド」を結成し、
そのタイトルには、
「森羅万象悉紙也」というロゴを作成しました。
和紙での実験のためには雁皮・楮・三椏を覚えました。
先祖が図面として残していた泥漉きの和紙は越前和紙では無理でした。
紙についての前章ですが、デザイナーとして、
紙は設計用紙からモデル用紙となり、
今ではバージンパルプから古紙のリサイクルは
私の大きなデザインテーマです。
「セルロース戦略」という基幹産業化を考えています。
またそれ以上に、紙の用品は、
ティッシュペーパーには普及品から、
高級品ともなるとそれはもはや布です。
最も紙はパピルスを源流とすれば、
パピルスは織物であり漉いたモノではありません。
そして現代の紙用品はおむつ・生理用から料理用とライフスタイルでは
不可欠のモノとなっています。
とりわけ紙用品の多様さとその品質では日本がトップ技術を持っています。
それこそ、越前和紙が正倉院では、
今でも経年変化していません。
にも関わらず、ユネスコ認定の「和紙」が三つの産地は大間違いと、
再度、大声で発現しておきます。

* 『大人的な表向きだけは嫌です: 洒落てはいけない』
* 『越前和紙こそ、紙の文化を再活性できるはずだ』
* 「布=『ふ』への七つのことばと割り出し線」
* 「『布』平織りの集積された知恵=晒を見直すこと」
* 『越前和紙に私専用を特注、なぜなら伝統の技能だから』


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『「森羅万象悉く神なり」は樹木と二酸化炭素の関係』


   


     1月 25th, 2017  Posted 12:00 AM

日本は70%が森林の島国です。
そして私たちは樹木にも神様の存在を知って育ってきました。
北陸・福井ふるさとの私は山育ちでもあり、
白山山系の源で育ってきました。
ゆえに、白山山系のブナ林はこの島国を護っていると信じています。
実際白山神社というのは私の記憶では2700カ所以上全国にあります。
このことを強く知ったのは、
九州の普賢岳が大爆発して火山流という天災時に、
普賢岳の麓に普賢神社がこの地に一社しかなかったときに、
天災を九州は古代から怖れて生きて来なかったのではと思い、
ほとんど冗談ぽく、人身御供が必要と、そんなエッセイを書いてしまい、
読者の一部からえらく叱られたことがありました。
現在なら大炎上し、社会的にそのエッセイは抹殺されてたでしょう。
なぜ、白山神社が2700カ所もあるかというと、
その神社を結んでいくことで「結界」ができるのです。
これこそ、日本人、日本列島の,
「森羅万象悉く神なり」という神道的発想でした。
子どもの頃には白山は休火山として習いましたが、
今では白山も活火山なのです。いつ爆発するかはわかりません。
日本の火山山系に休火山というのはあり得ない、
というのが現代の学習知識になっています。
海外で漢字の象形文字性を講演するには、
「木・林・森」が最も伝え易いのです。
つまり人間と樹木の関係は二酸化炭素を樹木は消し去ってくれるのです。
これこそ、とても重大な樹木-自然と人間の活動を繋いでいるのです。
現在、二酸化炭素は温室効果ガスと呼ばれ、CO2の削減こそ、
地球環境の保全以上に地球存続の問題として、
「パリ条約」にまでなっているのです。
私は、現代のデザイン系教育機関で「パリ条約」を教えていないこと、
これこそ大問題だと考えているのです。
なぜなら、日本からの「基幹産業」は、
二酸化炭素そして「パリ条約」のことも
絶対に詳細を伝えるべきと考えるからです。

* 『活火山の噴火で学ぶこと=高密度情報化の再熟考』
* 『越前和紙こそ、紙の文化を再活性できるはずだ』
* 「自然崩壊と資本主義終焉が同時進行しているのでは」
* 『セルロース戦略とカーボン戦術は発電も可能だ』
* 「世界中が・March.11.2011ならば・・・」


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『越前和紙こそ、紙の文化を再活性できるはずだ』


   


     8月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

「紙」は日本の文化の産物です。
それは和紙にその根幹があります。
ところがユネスコ遺産に、越前和紙が選ばれなかったということは、
本来1500年の和紙文化という継承性に対し、
日本の国家の勝手な制限制度によって、
和紙産地はまるで破壊されたようなものだったと思っています。
和紙づくりは越前の山奥で始まったと言われています。
川上御前という女性が突然現れて和紙づくりを教えたという
このような逸話が残っていますが、これは想像です、
多分、飢餓で苦しんでいる山奥の里に朝鮮からの誰かがおしえたのでしょう。
30代の自分は、福井県越前市の山里に「森羅万象悉く紙なり」という
このコピーでオータキペーパーランドという産地ブランドづくりに必死でした。
無念ながら、この産地活性化は成功せずに終わりましたが、
和紙そして紙への知識と見識をデザイナーとして一杯得ることができました。
越前和紙をレンブラントが使っていたということも最近は分かりました。
折角、日本の紙の原点である越前和紙をなんとしても駆使しようという
その動きが出てきました。
そこで、「大学ノート」と言われるいわゆる学習帳面に、
その最高級品で1000年は大丈夫という大学ノートに仕立てた
大学ノート様式の非売品をいただきました。
帳面ゆえ相当に廉価である必要があります。
確かにとても高額なノートもあるだけに、大学ノート仕様では
とても市場性はありませんが、自分自身がアドバイスを考えて、
なんとしても世界に誇れる紙を越前和紙からと思っています。
なにしろ、100円ショップで事足りてしまう大学ノートのままでは
とても商品、その価値創出はほとんど困難であり、最近では石灰からの紙も
そして古紙から10回もリサイクルし、しかも水無しでの紙が創られる時代です。
紙づくりには、水をどれだけ必要とするのかとか、
リサイクル性が要請されています。
それ以上に「書き心地」の大問題があります。
鉛筆、サインペン、ボールペン、筆、万年筆での書き心地です。
そうゆう意味では越前和紙はまだまだこのように一応大学ノートで、
という開発が見えてきたようです。
デザイナーとして最高のアドバイスを与えたいと考えています。

* 『和紙は越前和紙ぬきになぜ語れるのだろう!?』
* 「越前和紙から名塩和紙への悲しい物語り」
* 『納得出来ない日本の伝統技=和紙の切り売りと分断化』
* 『越前和紙に私専用を特注、なぜなら伝統の技能だから』
* 『やわらかい美しさのあるノート』


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「語り部仕草は、再出発するべきです。」


   


     5月 31st, 2012  Posted 12:00 AM

松岡正剛「連塾」、その他の舞台演出は、
いわゆる講演スタイルにオリジナリティが顕著です。
私は、彼の講演での話し方、語り部仕草は、
まったくのインプロビゼーションであり、
観客を引き込む術において、
あるいは、プレゼンテーションとしては、
世界的にもトップランクだと思っています。
故スティーブン・ジョブスがプレゼンテーターとして、
最高の人物評がありますが、
私は松岡氏の方がはるかに彼をしのいでいると思います。
なぜなら、製品を題材に語るより、
抽象論理を語ること、文化の根底を語ることは
とめどなく困難だからです。
頬に押し当てた掌は、思考を巡らしているわけではなく、
不安や欲求不満などありえず、
いわゆる心理学でのパフォーマンスに深層心理表現は
まったく当てはまっているとは思えません。
彼の言葉に、「読欲」があります。
ともかく「本を読む」という欲求が強い人なら、
多分、頬杖ではない頬に掌は、私にもその癖があります。
だから、読欲あれば思索サイクルの表出が舞台上に出る、
そんなことはありえません。
すでに反芻された思考結果を語るだけだから、
観客は引き込まれるのでしょう。
ひょっとすると、写真撮影禁止だったのかもしれませんが、
私は、私記録としてシャッターを押しました。
ここで「連塾・最終回」のレポートをしたわけではありません。
「九景」として構成された最終回は、
なぜ、九景だったのか、
それも私には推測がついています。
彼の「自叙伝」がどうだったのかは、
書物となって出版されるでしょう。
おそらく、その「語り」と「身振り」による空気感までを
編集されることはとても困難だと思いますが、
その記録、あるいは・・・
私はその出版を心待ちにしています。
男として惚れ込んでいる「ち」としての松岡正剛です。
「ち」とは、
私が常用する「いのち・きもち・かたち」の「ち」であり、
知・血・地・致・智・値・治・置・稚など、
日本の森羅万象を受け止める統合的な百科的認識を表してます。
10年に及んだ「日本という方法」、
その結論を師範として松岡正剛は最後に提示しました。
それらが何であったのかも、
是非に出版を待っていただきたいと思います。
私はその出版を待って、再び松岡正剛を伝承したいと考えています。
「グレン・グルードのごとくありたい」と、
松岡正剛は声を詰まらせたとき、私も同様に胸が詰まりました。
私はあらためて、10年の結論こそさらに「日本という方法」、
それが3.11からの復興と復活の「ち」ゆえに、
松岡正剛は、その師範役を引き受けるべきと伝えます。
「連塾」は、9.11をもって開塾されたのですから。


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「資本主義からの逃走」・『謹賀新年』」
    「『月』に兎ありという想像力に」


   


     1月 2nd, 2011  Posted 12:00 AM

楚辞
屈原という詩人のことを思い出します。
中国がわが国にもたらした文化、
それは日本の東洋的知性を相当に育みました。
ところが、今の中国にその知性は認められません。
これほど、一党独裁には、権力と集中的な富の偏在があり、
中国文化の知性はおかしな富奪取にまみれてしまいました。
おそらく中国には二つの大きな詩集があったことなどは破壊されていることでしょう。
その詩集は、詩経と楚辞であり、その楚辞の作者が屈原でした。

楚辞・天問篇に、月と兎が詠われています。
  
  夜光何徳
  死則又育
  厥利維何
  而顧菟在腹

「月は何の得があって、月は満ちたり欠けたりしているのに、ウサギを住まわせているのだろう」
という意味です。
月とウサギは、なぜ世界的にも象徴的な関係性があるのかは正直疑問です。
この年明けにいくつか探ってみたいと思います。
そして私にとっても、ウサギにはいろんな思い出があります。
幸いにして私は雪国生まれの雪国育ちでした。
ウサギの捕獲から解体、食仕方も知っています。
しかし、幼いときには、月にウサギが餅をついている話を信じていました。
あらためて、楚辞を読み直すとそこには屈原が森羅万象の自然を彷徨って、
大きな想像力が記録されています。
昨年から、わが国は中国に翻弄され続けています。
私は中国の多大な文化思想をもっと学びたいと思いますが、
現体制の中国を信用することは全く不可能だと告白しておきます。
いづれ中国の巨大な人口は、水不足という大変な事態になるでしょう。
そして確実にあの国の崩壊は起こるはずです。でなければ、帝国主義として破壊側になるでしょう。
その時、隣人として「大きく彼らを支える」そんな気概ある政治外交姿勢が欲しいものですが、
日本の現政権ではこれも全く不可能でしょう。
楚辞、屈原の想像力が森羅万象に向けられていたことを再読し,
あくまでも知性的な自分でありたいと思っています。

元旦


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