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Posts Tagged ‘エコロジー’


8月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 29th, 2021  Posted 12:00 AM

8月29日 仏滅(己酉)

『相観としてのデザイン』

一般的なことばで
表現すれば
エコノミーと
エコロジーの
最大の差異と差違は、
この相観論的な
視座での
座標上の
人間存在点の
認識である。

artificial heart:川崎和男展


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『間伐材での木製ストローは製造特許の山だ』


   


     7月 3rd, 2019  Posted 12:00 AM

「G20」の閣僚級会合で使用され話題となった
日本技術の木製のストローは、最高に良かったのだろうと思います。
まだまだ高価だとは思いますが、
間伐材でのあのストローが、世界に投げかけたモノは、
エコロジーへの強いメッセージ性があったと思います。
0,15mm厚で、間伐材だったことは
紙のストローよりもよく仕上がっていました。
それこそ木製のスプーンも必要ですが、デザインが違うなーと思いました。
ストローの製造特許はより安い方法があるでしょう。
おそらく、ペットボトルは今のデザインでは駄目だろうと考えます。
ともかく、海の汚れは世界的に取り組む大問題です。
洗剤などはじめとするパッケージのデザインは大改革が必然です。
地球がこれほどまでに、汚れるとは。
プラスチック素材が、必ず「土に戻る」という手法が必要です。
こちらではマスコミが全然報道していませんが、
TOKYO-2020の新国立競技場の木材が、世界規範と衝突しています。
違法伐採木材が含まれている可能性を指摘されているのです。
オリンピックの施設では「持続可能性に配慮した木材の調達基準」のもと
資材調達しなければなりません。
それほど、エコロジーや国際的な環境を護ることになっています。
デザインにとって、
地球環境全体を守る難問に取り組まなければなりません。


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『ビートルズのカセットテープ集だけの自作の静電型』


   


     4月 21st, 2019  Posted 12:00 AM

31歳の頃、インテリアメーカーと
スピーカーシステムの商品開発をしました。
運良く、フィラデルフィア美術館に永久収蔵されました。
ところがしばらくして、その作品が永久収蔵から外されてしまいました。
というのもウレタンフォームの経年変化が管理上問題となり、
永久展示には向かなくなったためでした。
ソファーはウレタンフォームは永久収蔵は無理です。
現在知っているのは、エコロジーであるウレタンフォームは種。
これらのウレタンフォームはすべてが、ドイツ製です。
これは、その商品開発当時にそろえた「ビートルズ」のテープ集です。
このスピーカーシステムは、多分、音圧78dBで、
エレクトロスタティック(静電型)ゆえ、25mmの厚さで完成します。
どちらと言えば、スピーカーシステムはクラッシック専用ですから、
現代の120dBにはふさわしくありません。
ともかく、ビートルズは、LPレコード盤・CD集・カセットテープ集、
さらにはUSB集も持っているのです。
ジョン・レノンが亡くなった時に、
私は青春をかけてデザインをしていた東京を離れました。
そして今、この企業のC.I.からマーク・ブランドを
クライアント設立から70周年を機にデザインしています。
Aurexのラジカセがきてから、BGMには保管してある
カセットテープ集を聴いてみることにしています。
時折、「音ってどうですか?」を聞かれますが、
「まず自分のHi-Fiって何か?」を自問自答してください。

CRIPEUS


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『車検がビデオで届くと、なぜ、まだこんな状態か』


   


     12月 5th, 2018  Posted 12:00 AM

車検のビデオが届きました。
現状の愛車の状態と検対象箇所が映像で確認できます。
これが届けられると、美大時代の塗装等の実習の思い出が
見事に重なってきて、もっとこの部分知りたい、
なぜこの箇所を確認しないとかが気になりはじめ、
フィルター取り替え、消耗部品の買い換え時期とか、
仕様のやり直しとついつい追加指示をしてしまうのです。
正直、私の愛車、おそらく「人生で最後の車」でしょうが、
デザイナーとしては、
「もういい加減、車体のデザインは変えよ」という願いはあります。
愛車と、デザイナーとして理想の車とは、
まだというかいつまでも乖離しています。
デザイナーゆえに理想を追い求め続けるのでしょう。
なぜ、いつまで経っても、ソファの如くとか、
カーボンファイバーゆえにエコロジーは全く無理だとか、
もうすでに車のデザインが限界に来ているということです。
私は、これまで国産車は一回も乗ってきませんでした。
アメ車の「モンザ」から始まり、枚挙に暇なく・・
何しろ私の移動手段は限られてますのでイタリアやドイツ車、
そして映画に憧れ、最後は007のアストンマーティンにしました。
しかし、デザイナーとしては、この実装では駄目だと思っています。
また私仕様の運転補助装置の改造は、制度からやり直しが必要です。
大学人になって、カーデザイナーを育てて来ました。
カーデザイナーとして2?3年はそれぞれ、
海外研修機関の機会を得て活躍しています。
私はおそらく最高の車を乗ってきました。
これはとても幸福なことでした。
私の人生では残念ですが、ヘリコプター、ビジネスジェットは
とても手が届かなかったし、
最も欲しいと思ってた戦闘機は手に入らなかったのです。


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「国土強靭化計画から次段階へはデザイン手法が必要」


   


     9月 10th, 2013  Posted 12:00 AM

「March 11. 2011」は、私たちが天災と人災を識り尽くしました。
結果、「国土強靭化計画」には、多数の知識が集約しました。
すでにわが国の法整備の中にも知識理念の法律を構成しています。
私は、多分、祖国列島=国土を強靭化することが、
これだけの知の集積と集約は代表的一つの手がかりだと思います。
しかし、今や、明確になったのは、計画時間です。
それはオリンピック・パラリンピックまでの7年間です。
これは、毎年毎年の計画もありますが、私は以下三つを考えます。
・3年+4年計画
・2年+5年計画
・2年+3年+2年計画を私は進行設定計画ができます。
そして、こうした強靭化計画には机上的な論理がすぐに、
確信できますが、具現化手法として、
デザインが必要であるがゆえに、
再度、強靭化するという意味の再考察が求められると考えます。
私は、この計画に関わる法制定、知識・知性の集約から、
強靭化して継承していく方法を探し出していくべきだと考えます。
中心課題は、天災+人災=自然+技術の方向性でしょう。
単なる土木工学や交通工学と、自然放置の大問題が残っています。
この解決案を見いだすことはこれら資料からは不可能でした。
さらにクラウド感覚、空中資産と国土資産が情報で連鎖されます。
私流には、「物質としての国土性と情報性への想像力問題」です。
おそらくこれらの知的集約は物質的な国土性全て認識できますが、
情報性の進化は多分私たちの想像力を超えるものと考えます。
「物質・情報・エネルギー」をこの国家においても、
国土観全容に配置すれば、エネルギー問題では必ず、
大きな行き詰まりになることは明らかです。
時代性はすでに石油文明を終焉していますが、
それがそのままエコロジーで補完されるはずはありません。
この「国土強靭化デザイン」は未だに、
タブラ・ラーサ=白紙の状態でした。
すなわち、この白紙の余白にこそ「デザイン」の実務が
必要かつ充分条件として書き加えられるべきと考えます。
そして、今日は明確に開催地東京決定が、
大きな余白になり、デザインが要求されたと思っています。
デザインが入れば「しなやかさ」と「たおやかさ」になるでしょう。


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「商品力を低下させている流行マーク・小学生も信じない」


   


     4月 9th, 2013  Posted 12:00 AM

地球環境の存続はローマ会議1970年頃に大懸念になりました。
その兆候とともに、エコロジー」という概念が重大視され始めました。
商品世界において、
それは「エコ商品」とか「エコスタイル」や「エコプロダクト」として、
私も当時には、
「地球にやさしい賞」を「エコロジー商品賞」を決めた一人でした。
ブームの火付け役だったかもしれません。
しかし正式なエコ・マークは、企業の商品開発に結びつき、
当然ながら、商業主義的な「エコ・マーク」がデザインされました。
基調の色彩はグリーンであり、
対比色にオレンジ系、補助色にブルー系になりました。
ECOというアルファベットの造形要因は円形ですから、
この展開も見事に応用されました。
それだからこそ私から見れば、このマークで補完された企業商品には、
それこそ小学生ですら大懸念を持つほど、
商業主義の卑近さがたっぷりと宿っている気がしてなりません。
もちろん、デザインとしての完成度は最低レベルが多発頻発しています。
正眼の構えで「地球環境保全」に関わるなら、
あえてこのマークは使わなないからこそ、
ローマ会議以来の懸念を最も重要視しているそんな企業表現が必至です。
万一使ったとしても、もっと知性あふれるモノになっているでしょう。
正直、地方行政の多少ほほえましい程度の
「ゆるキャラ」ほどにも昇華もされていません。
つまりこのマークをさらに深度ある知性で、
まとめ直すという理知識・見識・胆識が欠落しているのを凝視します。
かえって、このマークと企業マークを合わせ見るほどに、
商業主義での「売らんかな主義」が目障りだということです。
日本企業のモノづくりで、企業マークしかなく、
さらにこの「エコ・マーク」添付商品戦略そのものが、
わが国のモノづくりを最低にならしめている、
元凶だと私は断言しておきます。
私は、もう一度、「エコロジー」についての正当で歴史ある学識的な知識を
企業や行政そのものが再確認して、
このマークのあり方を新鮮化してほしいと思うのです。


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「デザインが根付かないままに・・・」


   


     4月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

最近わが国でも流行りだしていることには空しさがあります。
まして、それが欧米で流行っているから、とか聞くと、
私は悲しくなります。
歴史連鎖性の大きな読み違えが明白です。
確かに、パリの街に「人力の何とか」がありました。
日本でも、観光地と言われる乞食(こつじき)街に出没し、
これが今後のエコロジーとかの発言や評論を見かけました。
誰もが乗れる電気自動車も街角の風景になっていました。
電気自転車もありましたが、
カメラを向ける気にもなりませんでした。
おそらく、勘違いのエコ・プロダクトとして語られるのでしょうが、
存在に、デザインの重大な三つが欠落しているのです。
機能性から美しさはありませんでした。
性能性も慌て過ぎですから、それがデザインにつながっていません。
無論、街の景観に溶け込むほどの効能性はまだ育っていません。
おそらく、行政の成せる未来性への道程であることだけは認めておきます。
だから、根本のプロダクトデザインが大欠落しているのです。
この傾向は、全世界のきわめて先進国に見かけられる現象です。
プロダクトデザイン・インダストリアルデザインが、
悲しいかな、ほんの一部のデザイナーにしか伝わっていません。
かつて、「フランスにおける日本年」1997年に、
私はフランス在日大使館の紹介で、
フランス・トゥールーズにて、「経済と文化でのデザイン」に招かれ、
作品展示と講演をしたことがあります。
その時には、デザインの役割について話をしましたが、
あるフランス商工会の偉いさんと、結局喧嘩してしまいました。
彼らの中では、まだまだ、デザインをアート扱いしていました。
それが、残存しているのでしょう。
しかし、フランスの「デザイン都市宣言」の街や、
フランス芸術大学には、「デザインでアルツハイマー病の関係」までが、
すでに論議され、その実務活動も始まっています。
デザインがこの大都市パリに根付くにはまだ歳月が必要です。
まして、パリでも流行していたから、なんてのが出てきたら、
私は見逃さずに、喧嘩師になるでしょう。


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「憂国のパロールの思考定本から知ること」


   


     7月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

祖国への憂国はずーっと心にありました。
特に、海外に出ると比較することができます。
良いところ、ダメなところ、必ず心に残ります。
それでも日本は素晴らしい祖国、
それなのに憂いは拭い去ることができませんでした。
当然です。
人は、生きていることが死に向かっている不安を、
そのまま祖国への愛着と重ね合わせることができる、
そんな知性と感性を人は持っているからでしょう。
友人・松岡正剛氏は「連塾」最後に25冊の書籍を紹介してくれました。
その中に、エドマンド・バーク「崇高と美の観念の起源」がありました。
本棚にありました。読んだ記憶はありましたが再読しました。
彼の近著「3.11を読む」をテキストに、
私は、この三冊を憂国のパロール、
いやナラティブ・セラピーとして選んでいます。
松岡正剛は、ポール・ヴィリリオ「情報化爆弾」を紹介しています。
私は「民衆防衛とエコロジー闘争」を挙げたいと思っています。
そして、ウルリヒ・ベックの「危険社会」と「世界リスク社会論」を
まずテキストにしておくべきと考えます。
「憂国」はすでに「対立」も「衝突」も
超越した思想の創出でなければなりません。
その思想らしきことに近接するデザインを
祖国=日本のためにと考えています。


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『資本主義からの逃走』
   「風土とゲマインシャフトがグローバルへ」


   


     11月 14th, 2010  Posted 12:00 AM

生命力を培う風土
風土とは後漢時代の説文解字です。
土地への四季・気候、あたかも風のごとく、
その天地に宿る生命力を培うことを表す言葉です。
私が、医師からふるさとに帰れといわれた意味を知ります。
「生まれ故郷には、生命力を守ってくれる力があるから」ということが理解できました。
「活性化の三要因」
そして、伝統工芸の産地では、地縁・血縁社会=ゲマインシャフトがその労働を支えていました。
この産地現場に資本主義の論理には何かズレがあるという懸念もありました。
「火造り鍛造」の現場では、真っ赤になった鋼を鍛錬し、水に浸すという交互の作業です。
温度の制御がありました。伝統技は経験で蓄積されてきた濃密な知恵でした。
私は、こうした作業の中で、デザイナーの立ち位置が次第にはっきりとしてきたのです。
すなわち、「活性化」という化学的な三つの要因と向かい合いました。
「温度=情熱と冷静さ・濃度=知識と知恵の濃密さ」がまずあります。
そして「触媒となるデザイン・デザイナーの存在としての私」です。
「温度+濃度+触媒=活性化」という図式を産地に当てはめれば、
確実に活性化を起こすことができるということでした。
当時は、「第四次全国総合開発計画=四全総」が立ち上がりましたが、
その目標と目的を遂行する活性策の基本的な認識に、この三つは欠落していました。
すでに「地方の時代」が提言されてからも10年は経過していたはずです。
リージョナリズムからグローバリゼーション
「地方の時代」=ローカリズムという言葉よりもむしろリージョナリズムという論理は、
「風土性」を基盤とした地域・地方主義です。
この論理に、ようやくグローバル=地球全体のことへと関心の方向が芽生えます。
地域風土それぞれの集大成と統合性が見え始めていたことを思い出します。
70年代、80年代、経済社会と自然環境の隔絶が始まる時期に重なってくるのです。
それは、功罪としての地球の共有感と環境破壊を抱え込み、
エコロジーとしての、地域各地の風土性を分断していきつつも、
なんとか共有意識化の始まり=グローバリゼーションでした。


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『資本主義からの逃走』
 「資本主義に動物が革命蜂起し始めているのかも」


   


     9月 14th, 2010  Posted 12:00 AM

動物たちの革命蜂起
ふるさとの深山からイノシシやサルが、
食糧危機で実力行動していることをあらためて知らされました。
そうしたら、神戸では登山客を襲うイノシシの存在をTVで観ました。
明らかに自然破壊の大きな話題です。
彼らは、人間不信で「革命蜂起」しているのです。
さて今、「レアアース」や「サスティナビリティ」、エコロジーやリサイクルも、
こうした概念と連鎖しています。
もっとも、「サスティナビリティ」は欧州で発言された英語です。
したがって、日本人はまったく素直にこの言葉を受け入れています。
しかし私は、この言葉があくまでも、
「欧州だけが経済の生き残り戦略語」であることに注視しています。
彼ら欧州が、経済的な「富の独占化」を、この言葉の背後にしていることは、
疑念の持ち過ぎかもしれませんが、ある意味では熟考用語であると思っています。
それは、なぜ、「ISO」規格が、欧州からあたかもグロバール標準になりながらも、
その規格取得費支払いを義務化されているのかを再熟考するべきだと考えます。
それこそ、サスティナビリティはエコロジーよりさらに強力な世界標準化規格になっています。
これらの世界標準化規格こそ、資本主義経済体制にはある歪みがあるものと判断しています。
世界規格など、本来は無用です。人類が大切にすべき暗黙の常識了解だとすべきでしょう。
その最大の歪みは、「生産と消費」の背景文脈には、
自然との関係はすべからく無視されてきたと判断してかまわないでしょう。
ISO27001=Infomation Security Management Systemをあらためて読み直しながら、
資本主義経済体制は明らかに「情報社会」でさらに強化されるでしょう。
しかし、情報環境と自然環境の世界標準規格は、
わが国こそ創出していくべきだと思った次第です。


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