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Posts Tagged ‘相観’


8月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 31st, 2021  Posted 12:00 AM

8月31日 赤口(辛亥)

『相観としてのデザイン』

群集は
経済的な相観でしかない。

artificial heart:川崎和男展


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8月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 30th, 2021  Posted 12:00 AM

8月30日 大安(庚戌)

『相観としてのデザイン』

相観論での群落は、
フォーメーションである
群系と
アソシエーションである
群集に
分類される。

artificial heart:川崎和男展


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8月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 29th, 2021  Posted 12:00 AM

8月29日 仏滅(己酉)

『相観としてのデザイン』

一般的なことばで
表現すれば
エコノミーと
エコロジーの
最大の差異と差違は、
この相観論的な
視座での
座標上の
人間存在点の
認識である。

artificial heart:川崎和男展


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8月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 28th, 2021  Posted 12:00 AM

8月28日 先負(戊申)

『相観としてのデザイン』

この止揚は
人間から自然への
経済的な客観論から、
生態学という
自然から人間への
主観論へとなり、
経済的な価値評価を
問題外に
していることである。

artificial heart:川崎和男展


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8月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 27th, 2021  Posted 12:00 AM

8月27日 友引(丁未)

『相観としてのデザイン』

生物の
経済学的な論察から
離れることができなかった
生物学が、
生態学の
地球規模的な
大きな視野から、
その景観で
見直そうとした考察の
止揚があったこと。

artificial heart:川崎和男展


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8月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 26th, 2021  Posted 12:00 AM

8月26日 先勝(丙午)

『相観としてのデザイン』

最大の理由は二つある。

artificial heart:川崎和男展


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8月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 25th, 2021  Posted 12:00 AM

8月25日 赤口(乙巳)

『相観としてのデザイン』

これは単なる、
景観的な群落の
認識手法としての
術語としてよりも、
景観や環境を
把握していく上で、
今後重要な予兆を
含んだことばとして
考えていきたい。

artificial heart:川崎和男展


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8月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 24th, 2021  Posted 12:00 AM

8月24日 大安(甲辰)

『相観としてのデザイン』

植物の群落を
外観的にとらえることばを、
「相観」と言う。

artificial heart:川崎和男展


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『資本主義からの逃走』
「相観論的に現代社会を見直せば、
        経済的景観がデザインできる」


   


     2月 12th, 2010  Posted 10:00 AM

physiognomy

相観=physiognomyという「学論」があります。
植物群落の外観的な検証であり、
これは群系=formationと言われる見方と、
そしてもう一つが群集=associationという見方です。
私は、現代社会、あるいは人間の集団性を、
生物・植物の生態群として、ある意味での景観論を
相観的なアナロジーをデザインに応用していこうと
考えてきました。
その根本は、エコロジーをデザインでどう解釈し、
なおかつ、
経済的なエコロジー論をデザイン背景にできるか、
ということを熟考してきました。
だから、いきなりここでも、
associationとformationについて記述してきたのです。
考えてもください。
企業名で「×××××アソシエーション」が、
資本主義企業では使われてきました。
そしてその時代の終焉の様相が進行してきたのです。
とりわけ、私は医療制度、医療環境に、
このことばづかいを援用しました。

群集と群系

つまり、
群集は、さらに細密的に、群系化することで、
それぞれの機能性が明確になると考えた結果なのです。
今、私は、「ビジネスモデル」がアソシエーション、
だとするならば、それはビジネスモデルが
「群集的」だったということです。
そこに、相観・あるいは景観、景気を再考するには、
「群系的」にビジネスモデルにデザインを付加すれば、
細分化した役割分担が明確になると判断しています。
もっと具体的に言えば、
「日本は群集=アソシエーション社会」だったのです。
日本が群系化していく方向を見いだせていない。
いつまでも単一民族だから、群集だったのです。
世代・男女・老若など、どの群系の生態国家だろうか、
という発想が必要になってきたと判断すべきです。
企業=アソシエーションが危機になっているなら、
それは群集的な活動統合体だったことなのです。
「企業をフォーメーション」とすればいいのです。
一時、企業グループではなくて、
企業内企業という分業化をしたことがありましたが、
生態系・相観に学ぶという視点は欠落していました。
私は、群系と群集という分類と概念での見直しを、
デザイン的景観手法として提案しておきます。


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