kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘解放’


『資本主義からの逃走』
 「解にある三つの手続き=問題解決の三段階」


   


     3月 11th, 2010  Posted 1:46 AM

解
「解」という文字も素晴らしくわかりやすい漢字です。
角があるウシに刃物ですから、
そのまま、ウシという対象物を刃物で「解体」する、
と考えていいでしょう。
解体・分解・解剖
だから「対象物」を「解体・分解・解剖」する。
これを第一段階とします。
そうすると、
今度は、「解体や分解や解剖してみたモノやコトを」、
「解釈・解説し、理解」しなければなりません。
これが第二段階です。
解釈・解説・理解
そうして、解釈することができる。解説することができる。
こうしたことは、第一段階でのモノ・コトを、
理解しないと出来ないことです。
そうして、理解しているから解釈もできる・解説もできる、
ということにつながります。
解放
この第一段階・第二段階で、やっと「解放」されるのです。
つまり、そうだったのか、「答が見つかってホッとした」。
この問題から解放された。
それこそ、「問題解決」あるいは「難問解決」からの解放です。
これが、「問題」ー「解答」です。
これまで、
「話題」ー「応答」
「課題」ー「回答」
ということから、真に、デザイン解決というのは、
「問題解決」での「デザイン解答」であるべきなのです。
問題ー解答
ProblemーSolution
Design Problem—Design Solution
これに至るのは、
「解」と言う文字に潜んでいる三段階だと私は確信しています。


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『資本主義からの逃走』
 「ビジネスモデルにデザインを組み入れた意義」


   


     3月 8th, 2010  Posted 12:01 AM

結果判断
日本の産業構造が国際的立場を危うくしています。
その原因は、すべてに立ち返れば、
「日本人」という意識が、敗戦というトラウマから、
まったく解放されないままだったことに始まります。
むしろ、私は「結果」を評価するべきと考えています。
現在、日本という国家構造と国民の民意と意識、
こうした背景によって明らかに経済的基盤への不安は、
ほぼ失望から絶望にすら至ろうとしています。
「政権交代」への民意期待があえなく失望に変質、
これを私は「結果」と判断しているのです。
したがって、この「結果」を「考察・熟考」するには、
私がデザイナーであることを、
社会化していくことだと考えるわけです。
それはデザイン実務で、
その実例を提示提案することでした。
一つは、「ビジネスモデル」というある意味の理想が、
まったく歪みと曲解が正当化されているという結果です。
「収益構造」は、「利益独占構造」となり、
企業存在性を証明する「アイデンティティ」は、
「社会還元」でしたが、
それは崩壊していることを看過していることです。
綺麗事
デザインを組み入れるには、
「美学性+倫理性」=綺麗事です。
現況に対する綺麗事という無謀さは、
笑いとばされることでしょう。
綺麗事をどこまで訴え続けられるか、ということが、
デザイン・デザイナーの本質を社会化させる道理であり、
なおかつ、デザイナーの綺麗事という二重性です。
私の持ち出した「ビジネスデザインモデル」には、
「収益構造と社会還元」も二重構造になっています。
二重構造


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2月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 17th, 2010  Posted 10:00 AM

2月17日 仏滅(戊戌)

いまわしい日常、
いまわしい日本、
忌まわしくなってしまう自分から、
解放されなければならない。

『デザインの極道論』いまわしい


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『資本主義からの逃走』
「Master-SlaveとClient-Server、
    関係性の呼称が恣意し示唆すること」


   


     2月 8th, 2010  Posted 12:30 AM

呼称は時代を隠喩

前回に、Serverの種類について、一気に記述。
そうしたら、やはり、「超・突っ込み」を受けました。
スペル間違いや、人物特定などです。
でも、ここまでを批判できる人物はやはり専門家です。
それが学者にはなぜできないのでしょうか、
無視しているほど、見下げていると考えられます。
すでにこうした連中を学者というのは、
学者職能が大学内職名・TVコメンテーターだからです。
本当は知らない。わからない。使えないのです。
資本主義の限界は、明らかに言葉に表れてきています。
資本主義の支配・被支配関係、
つまり、資本家・労働者という富分配の格差関係です。
クライアントとサーバーという呼び名には、
統治と役割や依頼と受諾などなどの隠喩性とみれます。
マスターとスレーブは、私も、人工心臓の分散化に、
コンセプトとして、主機能統合と分散機能配分などで
呼称展開に引用しました。
主従関係や統合分配に、コンピューター用語ですが、
「分配」機能性を表現する言葉として、
この逆読みで、呼称意味の恣意性と示唆性を、
● 経済的な富の分配=利益構造の差異性
● 産業構造での役割=権限制御の効能性
● 文化格差の再構築=格差品性の表現性

として、
これらを資本主義の革新に差し戻すヒントです。
だから、私は、コンピューター技術、その用語・術語には
そのサイエンス性やユーザビリティ性から、
資本主義からの逃走どころか、
「解放」社会をなんとしても引き込みたいのです。
それを、いの一番に可能ならしめることが、
「日本だからできる」という
自負感覚を誇りにしていきたいと思っています。


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義で民主主義を防衛している大きな錯覚」


   


     1月 6th, 2010  Posted 8:00 AM

錯覚

民主主義は、近代市民権で最高かつ最大の理想主義?。
私はそうは思っていません。
民主主義はある意味では、
「無血革命」での勝利成果なのでしょうか。
そうだとするなら、
「革命」は、民主主義の体制下では不可能だと思います。

だから暴力的な「革命」を私は望んでいるわけはありません。
なぜなら
「革命」と「革新」は、まったく意味が異なっています。
「革命」というだけに、「いのち」がかかっています。
「革命」は血が流れて「痛い・苦しい」はずです。
そんなのは嫌です。
「痛い・苦しい」というのは、
私はどれほど体験してきたことでしょうか。
だから、
民主主義は本来、決して、
痛かったり、苦しかったりでは無いはずです。
ところが、人生・生涯には、痛みや苦しみがあります。
それを民主主義が全て解放してくれるわけではありません。

革

「革命」の革という象形文字は、解体された獣の皮です。
「ピィーン」と張った「革」に刃物を入れることが、
「革命」・「革新」の「革」を表示しています。
私はもう一度、問い直します。
民主主義は語られれば語られるほどの理想主義でしょうか。
絶対に「民主主義」が大きな隠れ蓑になっていると思います。
その隠れ蓑を補強してきたのが資本主義かもしれません。
そろそろ、民主主義が民衆主義を言い換えている、
その事実をあぶり出す必要が私はあるとさえ思っています。
資本主義と民主主義の狭間に常に起こっているのが「錯覚」。

私はこの「錯覚」を見極めてこそ
「美」・「義」・「善」が、
やっと自分の表現に込められると考えています。

美・義・善


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12月26日Staff Blog


   


     12月 26th, 2009  Posted 9:00 AM

12月26日

風の革命〜!!
dyson Air Multiplierを
お届けいただきました。
スタッフも実物との対面感激!

BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)が、
今年ベストプロダクトとして
ホンダの一輪モビリティ、
歩行サポートロボットと
B&OのアラームクロックBeoTime、
そして
ダイソンのエアマルチプライアーであると、
講義などで評価していました!
「やられたな〜」とBOSSも絶賛。

今まで、扇風機なるものを、
買ったことも置こうと思ったことも
ありませんでした。
やはり、羽からの解放は、すごいです。
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『資本主義からの逃走』
  「生産と消費、その資本主義の構造化の破壊」


   


     12月 18th, 2009  Posted 10:00 AM

18seisan

「生産」と「消費」の世界で、
大量生産と大衆消費の構造に私は生息していました。
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私はすでに資本主義に何の疑いもためらいも無く、
大企業で社会人デザイナーとなりました。
ただ、その企業が儲けるよりも、
自分の提案デザインが、
「商品化」されることに驚喜していました。
そんな私ですら、「生産」と「消費」の構造の中で、
「デザインは付加価値」ということに対して
やり切れない憤りがありました。
もっと賢明なデザイナーとしての発言力を持ちたい、
その想いをぶつけたのが、
構造主義、記号論、マルクスの形態価値論に出会います。
ミシェル・フーコーに出会います。
ジャン・ボードリヤール
の批判に、「かたち」で、
この思想と対決したい。
ソシュールやモーリス・メルロー=ポンティ、デリダ、のとめどなく
深い思考の森の中に入っていきました。
この森の中でも、せっせと「モノのデザイン」は、
決して、「付加価値を生み出しているのでは無い」という
直感を信じていました。
おそらく、私にその啓示がめぐってきたのは、
「言葉と物」、「物の体系」をはじめとするどこかで、
マルクス臭のある論策でした。
結果、
結論は、「デザインは付加価値では無い」ということ。
「デザインは全体価値」、
だから、
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であったデザインをどう解放し、
その証拠立てをしていくことだったと思い返しています。
point of contactという「生産」と「消費」の結合点に、
デザインを配置し直そうとしましたが、
すでに、時代は、「生産」して「消費」することが、
どれほど、今度は私たち自身の「存続」、
地球環境の破壊が私たちを取り囲んでしまったわけです。
それでも
●「欲望」あるいは「フェティシズム」は、誘惑的です。
●「希望」あるいは「ダンディズム」は、魅力的です。
そうした私が障がい者になって、思い知らされたことは、
「喜怒哀楽」でした。
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には、「医学」と「デザイン」によって、
「生」と「死」を
根底から見つめ直すことでした。


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11月27日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 27th, 2009  Posted 9:00 AM

11月27日 友引(丙子)

「金は天下のまわりもの」という
景気循環論で
この現代が語れるはずがないと考える。
経済学は、そうした景気循環論を
十九世紀後半からさまざまに学説化したり、
理論としてテキスト化してきたらしい。
こうした予測論は、不況からの解放でも、
脱出、再生でもない。
不況からの逃走、逃避でしかない。

『プラトンのオルゴール』
不況解決のトライボロジー


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