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Posts Tagged ‘機能’


『センスの有無が判断できる椅子と曲の選択』


   


     8月 27th, 2017  Posted 12:00 AM

もはや興味がつきなくて、絶対収集して、実物を生活の傍らに。
最近、この癖を止めようと自分に言い聞かせている私です。
が、Z-Chairは、本当は6脚並べたいと思っているぐらいともかく好きです。
Z-Chairはあのリートフェルトが果たしたZIGZAG Chairです。
時折TV番組で観る土曜朝に「サワコの朝」というインタビュー番組。
この番組に田中泯氏が登場しました。
この番組には登場者が椅子を選びます。
そして、田中泯氏はこの椅子を選びました。
正直、あの番組ではこの椅子の選定で私は「センス」を推し量るのです。
プロのデザイナーとして、私は絶対的に「センスを決定」するのです。
若い頃、新人の東芝マンであった頃、Aurexの自分デザインを
秋葉原のオーディオショップを持ち回っていたら、
激しい批判いや非難をしばしば受けていました。
そのショップオーナーが、自分のカフスボタンを見せながら、
「デザイナーなら、この程度の仕上げをしろ」とか言われて、
「貴方のセンスがその程度なら結構です」と反論して、怒らせました。
営業からは、「相手を怒らせるな」と忠告されましたが、
「あんなセンス無しの店には置かない」と言い放し、
川崎は営業で随行させるべきではないと言うことにもなりましたが、
私は平気でデザイン部長からの説教も聞き流していました。
さて、田中泯氏がこの椅子を即決で選んだと
パートナーの石原淋さんとのメール交換で分かりました。
そして、彼の曲の選定でもびっくりしたのです。
それは阪大同僚の石黒教授と全く一致していたのです。
石黒教授はアンドロイドロボット学者です。
彼とは「こんなん見つかったぜ」とかで、
彼からは「こんなんどう?」とかやりとりする仲です。
要は「センス」の問題には、実は、機能も性能も効能も超えて、
「センスゆえの美学」があるのです。
こうしたことを超えて、Z-Chair=zigzag chairが存在しているのです。
ですから、なんとかレプリカでも本物はやっぱり私生活に必要です。
それは、この椅子の造形を超えているだろうか?
この椅子の側で自分デザインが存在するか?なのです。

* 『場踊りと言語舞台・「影向」によって』
* 『この男に惹かれる・舞踊と舞踏がテーマになってきた』
* 『男に嫉妬あり、田中泯と松岡正剛の間に割り込む』
* 『Red & Blue 生誕が来年で100年になる』
* 「誤謬へのシンボライゼーションプロトタイプ」


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『機能食品である栄養ドリンクの本質』


   


     8月 21st, 2017  Posted 12:00 AM

デザインと言えば、必ず、「機能美」。
機能あるモノは美しい、と言われてきました。
しかし、私はこれこそデザインに大誤解を与えた元凶だと考えてきました。
機能の裏側には機械主義が歴然とあります。
機械工学と今なお大学、学会と大間違いをしているのです。
なぜなら五大機械というのは全て兵器・武器つまり「械」であるからです。
結局、文明を成し遂げた機械は、武器・兵器だったということです。
そこから、実は、これらの栄養ドリンク剤も、
その裏側には兵隊が食事なくとも、身体保持が大丈夫であるという
機能食品であるということです。
私は機械という浅はかさをずーっと発言をしその反感を買ってきました。
名指しで言われたこともありますが、
日本は「機器工学」でなければ、真の文明は語ることが出来ないのです。
そういう意味では、こうしたドリンク飲料は明確に文明のモノであり、
身体機能を支えるある意味では武器だと言えば、また反感を買うでしょう。
しかし、文明は「機」織りで、「器」はうつわなのです。
寒さは機織りで衣服をつくり、飢えは器を要求し,それが文明でした。
文明が文化になっていくのは、武器兵器で闘ってその国を支配してこそ、
やっと文化が生まれていったと明言しておきます。
機械工学にデザインがなじめなかった最大の理由は、
デザインは文明を文化にする手法であったことです。
私はそのことを最も語るために機能性食品の飲料をここに差し出します。
もっと端的に言えば、人間工学を考えればすぐに理解されるでしょう。
自分は安全に相手=ヒト・モノを効率的に機能化する学問でした。
したがって、第二次戦争後には、エルゴノミックスは一端廃棄されて、
ヒューマン・ファクターエンジニアリングになったことです。
機能性食品である、栄養ドリンク剤は未だ知らされずに開発されたモノ、
すなわち、兵器であり武器だと断言をしておきます。
まさに「征露丸」が「正露丸」となったこの見事な医学的薬剤は、
栄養ドリンク剤に連鎖していたと言っていいでしょう。
「機能美はデザイン」からは離脱させるべきと私は考えています。

* 『若き日、「東京家具見本市」で二人は学んでいた』
* 『デジタル表現の基礎は、烏口や用紙感覚も必要』
* 『哀しみのためから楽しみのための電動車椅子開発へ』
* 『イスと空間、空間の質量を自在化するデザイン』
* 『HUSATとInternet of Medical Thingsのデザイン言語 』


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「哀しみのデザインから楽しみのデザインへ」


   


     8月 14th, 2017  Posted 12:00 AM

1989年にあるメーカーいくつかの支援で、
私デザインの車倚子を名古屋にて発表をしました。
それはアルミハニカムコアの車輪、これはセスナ飛行機の羽根部蒸着炉と
すべてチタニウム溶接、ゴム製でのエアー制御のローホークッション。
これは世界的な評価を受け受賞と収蔵になり、MoMAのコレクションです。
以来、この車倚子を乗り越えたモノはまだ無いと判断しています。
しかし、私も年齢とともに身体には変形が起こるとともに、
電動がとても重宝するようになりました。
最初の車倚子デザインは「哀しみにデザイン」を掲げました。
デザインは喜怒哀楽を主眼とすべきがテーマでした。
そして、このところは「楽しみにデザイン」を主眼として、
電動車倚子=これは私の足ですから全くの「一人称デザイン」です。
今では電動車椅子が多種多様に商品化されていますが、私の評価では、
肝心のいくつかが全く気づいていないことが多すぎます。
デザイン賞授賞であっても「これは歩けない老人には」使えるでしょうが、
とても脊髄損傷で、頸椎・胸椎での障がい者には「全く使えないモノ」が、
やたらと氾濫していて、私はデザイナーである前に障がい者として、
絶対に認めるわけにはいきません。交通や建築のとの不都合さが増大し、
ユニバーサルデザイン?、バリアフリー?、これが私の気持ちです。
そんなことを解消解決するには、ひたすら新素材の開発と、
美大同期の光野氏がシーティングエンジニアリングにて、
三つの方向を組み立て、そのスケッチもすべてiPad上で行っています。
三つの方向は
● シーティングエンジネアリングでの「身体保持性能と機能」の高度化
● 電動車椅子として超軽量の折り畳み可能な「走行性能と効能」の充実
● 前輪駆動によるインバーターと無線化での「インターラクション効能」
これらがすべて障がい者補助者への機能に合致させるべきと考えています。
さらに、iPadでのスタイラスも決定してきたことです。
今iPadでのスケッチでとても有効なことは左右利きなので、
右手でも左手でも本当にペンシルスタイラスで何枚も描けることです。
ただ困難だろうと予測していることは、
新素材や新しいキャスターなどの支援出来うる技術企業の発見です。

* 『哀しみのためから楽しみのための電動車椅子開発へ』
* 『二人称のデザインをめざす超軽量と収納性の車椅子開発』
* 「車イスデザインのための文脈づくりに気づく」
* 『超軽量で収納コンパクトな電動車椅子をめざして』
* 『 インクルーシブデザインとは「人称デザイン」である』


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07月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 29th, 2017  Posted 12:27 AM

07月29日 赤口(丁巳)

性能には技術の美、
効能には存在の美、
機能には使い勝手の美、
そして、
価値には、
安全・信用・安心・信頼がある。

川崎和男の発想表現手法


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『「寸は尺よりも長し」をデザイン表現したハンガー』


   


     7月 29th, 2017  Posted 12:25 AM

「デザインは機能である。」という、
この断言がズーッとデザインを縛り付けてきました。
未だにこれは念仏にしか私には思えません。
デザインは、性能・効能・機能と価値であり、
「問題解決の美的な応答・回答・解答」だともう40数年も主張しています。
そして、「神は細部に宿る」というのを、
私は先祖(宮大工家系)からの巻物には、
「寸は尺よりも長し」を自分に言い聞かせてきました。
先日、間も無く商品化の製品をこのブログで発表しました。
それはこのメーカーがそれもDESIGN TOKYO展で、出展したからです。
これはイタリアのある有名ブランドの生地・繊維見本帳を見て、ここまで?
絶対に乗り越えるという動機で、
このサンプルデザインの部位をハンガーにしたのです。
それこそ自分なりには徹底した細部設計と仕上げでの精度に拘りました。
日用品のハンガーはもう廉価も廉価。
しかし、2本1組みでの商品の高級化を目指しています。
ハンガーへの人類の歴史、ハンガーの進化、その一つを追いかけた、
私デザインの「モノの存在性」という
美的な価値表現です。
だから性能・効能・機能の日本ならではの高価値表現のデザインです。

* 『藤原行成の書体との出会いは先生からの指示だった』
* 『パノラマ的な拡大は詳細を見詰めることだ』
* 『最近見なくなった竹藪、その思い出』
* 『享保の手帖から私が学び直したこと』
* 「黄金コンパス・黄金比と白銀比を身体化するには」


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『日本文具大賞・機能部門グランプリが示していること』


   


     7月 11th, 2017  Posted 12:00 AM

「日本文具大賞」では、デザイン部門と機能部門二つに分野を分けています。
正直、私は最初は1部門、つまりデザインだけで十分と思っていました。
しかし、最近は2つの部門で、性能・効能・機能によって最終的な「美」、
その有無でこれは機能部門グランプリ。
私自身、私デザインでのハサミは海外美術館にパブリックコレクションが
それこそあるだけに、刃物、さらにハサミについては一家言あります。
なぜ、ハサミが人類に必要であったかは、伸びる髪の毛を切る道具でした。
いわば、刃物という文明をさらに進化させたモノでした。
このところおそらくハサミを進化させているのはわが国・日本です。
また、この文具大賞は連続受賞であっても、
モノの優れていることが当然であれば、
その賞品を選ぶことになっています。
このメーカーは、他分野からの経営者が変わってから、
格段に文具業界に新しい風を吹き込んでいるメーカーに変身しました。
また、日本だからこそハサミは進化を相変わらず遂げてきています。
さらに、このメーカーは「売れているという市価」への拘りがありません。
正直、ハサミはまだまだこうして進化する方法があったものと思いました。
ハサミの切れ味は、水で濡れているティシュペーパーを空中にぶらさげて、
それを下から切れるだろうか、と、
もう一つは、これも濡れている強靱な和紙が和紙を持たずに切れるか、です。
ところが、このハサミは厚さ3mmもあるステンレス鋼で、切るということに、
「切り落とす」という性能の存在性、これを使い勝手という機能にまで、
見事に昇華させていたことでした。
このメーカーは経営者にデザインセンスの判断が明解でした。
残念ながらデザイン部門では、もう一歩でしたが、他の応募作では、
おどろくばかりの文具設計での、従来では考えもしなかった検査結果があり、
このメーカーは日本の文具づくりを根本で変えていく
企業存在性が生まれてきているようです。
それは経営者の理念が変われば、文具への技術革新があるということを
見事に商品の機能性で証明してもらったと評価しました。

* 『「機能」と「デザイン」=日本文具大賞の審査基準』
* 『売れるより売る文具大賞グランプリ』
* 「散髪がシステムデザインされているから気に入っている」
* 「まだまだ見つけ出すことがある、ようだ。」
* 「日本流見本市の創出=日本は常にホスト国であるべき」


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『ファッション雑誌での製品デザイン紹介の今後』


   


     7月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM

最近の雑誌、そこには工業製品があふれて登場しています。
眼鏡などは、模倣が多くやなぜコレがとかを
プロとして編集意図、センスを疑います。
また、眼鏡しかり、時計にいたってはメーカー宣伝戦略が氾濫しています。
そして、もはやかつての機械式腕時計の時代は終わりつつあります。
しかも今では、最新雑誌30数冊はPadで読めてしまう時代です。
40代当時はいくつかの雑誌に製品紹介や製品批評の連載もしていました。
最近、ファッション誌で製品紹介をしました。
デザイナーですから、自分の作品である商品をとも思いましたが、
それは自分で違反だと考えました。
そして自分自身が使用していてデザインによっての
性能・効能・機能を満足させているモノを選び抜きました。
結果はどうしても、光と音の製品=モノになっていて、
自分でも笑ってしまいました。
何しろ私が美大で最も生涯は音と光、
これらのデザインでと思っていたからです。
ヘッドホン、これは最高級であり、
現在のヘッドホンやインナーホンでの電磁波問題を解決しています。
また音、音響ではワイヤレスであり、これも最高のモノを選びました。
ワイヤレスというのは、音も光もWiFiを運用していることです。
私はこの三点でしたが他の批評されたモノも極めて正確な商品選別でした。
現在の出版業界はおそらく商品の情報化では、
必ず、センス、ファッションセンスとデザインセンスが問われるでしょう。
しかし、ファッション性とデザイン性は同一性と差異性がセンスという見識、
それが問われると共に雑誌形式からの離脱性に革新化が求められるでしょう。

Staff Blogにて詳細

4日・多摩美大にて特別講義16:30より
5日・「日本文具大賞」で表彰式にて総評

* 『ファッションも完全完璧な信用・信頼・安全・安心だ』
* 『ファッション誌で知ってさらに自分ファッション』
* 『腕時計には本来、機能性の無いモノだった』
* 「デザインすることの勘違いは大間違い」
* 『失われてしまっているジャーナリズムは雑誌に歴然』


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06月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 17th, 2017  Posted 12:00 AM

06月17日 先負(乙亥)

創造力の基本は、
何も想像力だけではない。
むしろ、
写実能力が
手、その機能である
描写能力でもある。

川崎和男の発想表現手法


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『デザイン造形美は時間軸を超える存在になる』


   


     6月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

日本のTVドラマに限らず、米国それもSF映画にまで登場している照明です。
おそらくインテリアデザインの決定的で代表的な要素のフロアランプです。
実際、私の自宅でも一室には、
このフロアランプの位置からソファ配置などを決めました。
たとえば、このランプがSF映画にまで在るとなると、
その未来にまで影響を与えるのだろうか、と私は思います。
しかし、このフロアランプはインテリアデザインでの
象徴的な造形デザインになっています。
SF映画にまで登場するとなると、フロアランプはその未来までと思います。
私は偶然New Yorkでこのデザインで有名なカステリオーニ氏に逢えました。
それはMoMAでの個展に招待され、彼にとっても最大の個展でした。
彼には「自分が柳宗理先生の教え子」だと言ったら、
もの凄く強くハグされていくつかの彼の作品の造形コツを聞く幸運でした。
そのこともあって、私は自宅にこのフロアランプのコピー商品ではない、
正当な照明器具を買い求めました。
いわゆるコピー商品はランプシェードの取り付け位置が違います。
TVドラマでは、すぐにあれは中国製だと分かります。
最近はジェネリック家具とかを教える馬鹿なデザイン教育者もいて、
物真似では造形デザインの肝心なディテールには気づいていないようです。
カステルオーニのデザインでは、
大まかな外観性だけを知っていることは
造形デザインの実際の詳細性までをしっかりと知るべきです。
モダンデザインの旗手として、
彼のデザインはお手本だと認識しています。
かつてサルトルは「想像力」について、
「非現実化」させる機能を意識的に働かせると言っていましたが、
私はその機能は性能と効能を認識出来ることがデザインであり、
そのデザインは問題解決の美的造形力と定義しています。
そういう意味では、カステリオーニのこのフロアランプは、
計算された大理石と大きな円弧のシャフトと球的なランプシェードです。
「非現実的」な想像力からの造形美は時間軸からも解放されています。
そしてこの照明器具という「モノのデザイン」は、
その室内での「コトのデザイン」は時間軸も超えた様々な出来事なのです。
しかし、このランプが非在するのは、照明システムがワイヤレス化時に
形態は変容するでしょうし、それは自分デザインへと思っています。

* 『インテリアデザインからの拡大・森田恭通のパリ個展』
* 『最先端ラボラトリー展にて講演」
* 「自動車デザインはもっとビジネスジェット機から学ぶべきだ」
* 『想像力を今また熟考を毎日繰り返している』
* 『研究室のMac環境は最高性能の自分デザイン』


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『「電卓」内の増殖化と焦点化にパソコンがある』


   


     6月 8th, 2017  Posted 12:00 AM

電子計算機は電卓からスタートしています。
電卓には、デザイン名品はあと1点あります。それはブラウン製です。
しかし、このオリベッティの電卓は、
マリオベリーニのデザインであり計算結果がプリントアウトされました。
ところが、当時のプリント用紙は特異な銀色プリントされたモノでした。
すでにこの電卓は今では博物館の展示品でしょう。
しかし、電卓を決定付ける造形デザインは電池収納性も含めて
デザイン造形のお手本と言っていいでしょう。
電子計算機が電卓から始まったとすれば、
パソコンのCPUとプログラミングは、
二つの流れがあります。
まず、電卓から様々な機能が増殖してきたモノ。
様々な機能の中で電卓機能だけを取り出したモノ。
この二つがあり、増殖を余儀なくされたインテル系CPUと、
電卓機能だけを際立たせたモトローラ系CPUがあります。
これがMC68000であり、以後現在のCPUになったのです。
前者がWindowsであり、後者がMacOSと整理ができます。
そういう意味では、
折角オリベッティは早期にこの電卓を商品化しましたが、
結局は、電卓がパソコンになると、
マイクロソフト社とアップル社になってしまいました。
こうした系譜の源流として、この電卓を見直すことが可能です。
特に、デザイン造形としての素材とそのカラーリングは見事でした。
その企業としてのオリベッティには、
私もデザイナー成り立ての頃には、
タイプライター、特に、バレンタインがデザイン造形では名品でした。
このタイプライターが女性に秘書という職能、
コトのデザインを成し遂げたと言い切っていいでしょう。
しかし、コトのデザインを成し遂げたのは、
モノのデザインとしての造形美だったということです。

* 『デザインの名作で学んだことだが、モノはもはや消滅している』
* 「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」
* 『スマートな人とスタピッドな(前頭葉不能な)人々』
* 『Macの進化と自分の進化は使い分けるべきでしょう』
* 『電話・電話機、通信環境の変化は社会革新を成す』


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