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Posts Tagged ‘MacOS’


『表示画面は4:3ではなくて16:9表示であるべきだ』


   


     8月 23rd, 2018  Posted 12:00 AM

4:3という画面表示に関して、私は15年前より言い続けてきました。
私はもう16:9を主張してきました。
すでに、TV画面もこの大きさになっているのに、
どうして画面表示が未だに4:3は、PowerPoint を使用している
大きな特長にもなっているのでしょう。
PowerPointが、今でも書体表示が情けないのにも関わらず、
これを表示として使っているのは、表現力の無い人格です。
さらに、こうした画面に著作権マークである?が無いのは、
無体財産権の無いことを表示しているのです。
著作権と商標権は大きく違うことを示しています。
したがって今でも新築されている所に画面表示パネルがある場合、
随分と落ちぶれた建築家だと思っています。
そしてPowerPointづくりでの学会は既に遅れているのです。
私の講演会では必ず200名を超える場合は200インチで16:9、
これを必ず準備してもらっています。
PowerPointで白黒画面を最初に使ったのも私です。
それ以後はLightShowでしたが、これを使っていました。
そして、LightShowがMacOSのKeynoteです。
これはスティーブ・ジョッブスの置き土産だと思っています。
TVではすでに4Kが表示されていますし、
多分、8Kまではいらないです。
ともかく私はパソコンでは16:9が表示画面だと確信していますが、
どの講演に行っても4:3なのは、私はやっぱり許せないのです。
Keynoteだったら、画面も8画面音楽まで再生可能なことを
ともかくデザイナーは表現ゆえに熟読使用すべきです。


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『「電卓」内の増殖化と焦点化にパソコンがある』


   


     6月 8th, 2017  Posted 12:00 AM

電子計算機は電卓からスタートしています。
電卓には、デザイン名品はあと1点あります。それはブラウン製です。
しかし、このオリベッティの電卓は、
マリオベリーニのデザインであり計算結果がプリントアウトされました。
ところが、当時のプリント用紙は特異な銀色プリントされたモノでした。
すでにこの電卓は今では博物館の展示品でしょう。
しかし、電卓を決定付ける造形デザインは電池収納性も含めて
デザイン造形のお手本と言っていいでしょう。
電子計算機が電卓から始まったとすれば、
パソコンのCPUとプログラミングは、
二つの流れがあります。
まず、電卓から様々な機能が増殖してきたモノ。
様々な機能の中で電卓機能だけを取り出したモノ。
この二つがあり、増殖を余儀なくされたインテル系CPUと、
電卓機能だけを際立たせたモトローラ系CPUがあります。
これがMC68000であり、以後現在のCPUになったのです。
前者がWindowsであり、後者がMacOSと整理ができます。
そういう意味では、
折角オリベッティは早期にこの電卓を商品化しましたが、
結局は、電卓がパソコンになると、
マイクロソフト社とアップル社になってしまいました。
こうした系譜の源流として、この電卓を見直すことが可能です。
特に、デザイン造形としての素材とそのカラーリングは見事でした。
その企業としてのオリベッティには、
私もデザイナー成り立ての頃には、
タイプライター、特に、バレンタインがデザイン造形では名品でした。
このタイプライターが女性に秘書という職能、
コトのデザインを成し遂げたと言い切っていいでしょう。
しかし、コトのデザインを成し遂げたのは、
モノのデザインとしての造形美だったということです。

* 『デザインの名作で学んだことだが、モノはもはや消滅している』
* 「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」
* 『スマートな人とスタピッドな(前頭葉不能な)人々』
* 『Macの進化と自分の進化は使い分けるべきでしょう』
* 『電話・電話機、通信環境の変化は社会革新を成す』


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『Programmingが整ってきたのはMacの世界になったから』


   


     5月 21st, 2014  Posted 12:00 AM

コンピューターが登場して、OSはこれまで様々に展開しました。
私は、MS-DOSとMSX、そしてUNIXがまだ二つの頃には、
Logoに惹かれSmallTalkが人工知能になるものと思っていました。
しかし、UNIXはその二つがNeXTによって、
Project Builderでまとまえられると、
結局はMacOS、このベースになりました。
私は、おそらくやがてはProgrammingは、
Mac機種そのもので実現することになるものと想像していました。
これからのデザイナーはProgrammingが絶対に出来るべき、
そう考えていた私は、阪大在任中は、研究室学生には、
iPhoneのアプリ制作を課題にし、しかもそのアプリは、
私がすすめるPKD=Peace-Keeping Design支援活動にしています。
このアプリ制作は、デザイナーの新しい能力を示していました。
これが組めないデザイナーを阪大ですら発見することができました。
それは、これからのデザイナーには不可欠のことです。
しかし、今この教育機関は国内に数えるほどしかありません。
無論これまでの美大ではほとんどこの教育はありません。
ProgrammingがNeXT上であったことはプレゼンソフトと同等でした。
すなわち、PowerPointでは未来はありえずに、
LightShowがKeynoteになってしまったことと一致しています。
私はコンピューターの進化は、
プログラム・プレゼン・ネットワークを何で動かすのかを
見詰めていくだけで明確に見えてくるものと考えます。
これからのデザイナーになる必須条件はProgramming=Xcodeです。
このXcodeなら現在のすべてのOSに指令を与えることができます。
PC に新しい世界をあたえ、Mobileもこれで進化するでしょう。
そして、ネットワークもCloudの世界からFogへと向かいます。
これこそ、私が考えてきたIntegration Mediaになるでしょう。

「 Media Integrationへのプレゼンテーションツール・4」
「もう一つの言語を教えていた昔・ロゴレゴのこと」
「数理造形から見えてきたAtom時代の終焉 ・01」
『1984年からMacintoshとの付き合いが私の重大経験』
「iPhoneアプリ・もう一度知らせます」
『画面プレゼンテーションを再考せよ』


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『資本主義からの逃走』
  「Ambient=情報空間に向かうMedia Alliance」


   


     9月 16th, 2010  Posted 12:00 AM

起動音
Ambientを、音楽環境と定義、
いやそう呼称したのは、1970年代のブライアン・イーノです。
マイクロソフト社がWindows95の3秒間の起動音は、
ブライアン・イーノに依頼をしています。
そして、このいわばジングル的な音響が、新しい情報化その進化を伝えることになりました。
実際、彼の作品には”Going Unconcious”というのがあります。
しかし、この起動音は「コンピューターのある空間」へのAmbientだったという意識は
当時はまったく無かったと思います。
むしろ、MacOSのGUIを引用していたことの方が私の記憶にあります。
これらのGUIによって、世界中がパソコンを日常の道具となり、
ユビキタスの概念も登場してくるわけです。
ところで、大阪万博では、クセナキスが日本をテーマとした「響き・花・間」も、
すでにAmbientの先手だったと私は認識しています。
クセナキスはもともと建築家でしたが、
現代音楽と環境、サウンドやレーザー光線などのインスタレーションは、
情報空間を予知して表現だったと思っています。
この作曲ではIBM360が使われていたと記憶しています。
情報空間に音楽空間が結びつくことを、私は「Media Alliance」とひとまず呼ぶことにします。
これは、「Media Integration」からの進化形となっていくでしょう。
私はこれを「Media Alliance」としてのデザイン文脈づくりをしていきたいと考えています。


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