5月 2nd, 2015 Posted 12:00 AM
私はある時期から時計もコレクションになりました。
そうしたら、Apple Watchが登場してきて、
果たして手に入れるべきかどうかを迷っていました。
なぜなら、Apple Watchを身に付けるべきかで迷ったからです。
そして、明確になったことがあります。
自分の時計のコレクションを見ながら、
時計を最もそれこそ性能的に進化させたのはブレゲでした。
また、日本がクォーツの知財権を放棄したことで、
時計原産地であるスイスの苦悩は10年に及びました。しかし、
彼らは機械式性能を進化させることや、国立時計士を制度化して、
スイス製こそ、腕時計であることを証明してきたわけです。
さて、Apple Watchは、デジタル式のウェアラブルPCですが、
確かに高額なモノも発売して、時計市場の席巻を狙っています。
私自身は、ムーンフェイス式に今は最も興味がありますが、
気づいたことは、時計は効能性の証であって、
ファッション性として、どの時計を身に付けているかが問題です。
そういう意味では、デジタル式ウェアラブル時計は、
機能性が拡大したのではなくて、
効能性を捨て去り性能をデジタルにしているモノです。
ということは腕時計の存在は効能性=何を身に付けているかが重大、
性能は、たとえばムーンフェイスで、効能性が確約されているだけに
どのようなファッションスタイルであっても、
三都市の時間が分かる効能と性能があるということにすぎません。
結局、腕に装着してみれば、
Apple Watchは性能だけに期待できるだけであり、
確かに、スポーツタイプと言われればそれ以上の性能はありません。
結局、時計はブランドという効能性が性能を決定しているだけであり
腕時計というモノには、機能性はまだ人類は見いだしていないと
私は思っています。
つまり、時計・万年筆・メガネという男の持ち物には
まだまだ、機能性の発明が求められていると判断しています。
ちなみに、この万年筆はブランドモノであり、デジタル、
スタイラスなのです。明確な効能的な性能進化があるだけです。
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5月 2nd, 2015 Posted 12:00 AM
5月2日 仏滅(戊寅)
喧嘩は歴史的には
室町時代に
「喧嘩両成敗」という制度から、
ファッションの形式である。
だから、喧嘩にはファッション性が
常に求められている。
川崎和男「喧嘩道」
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4月 19th, 2015 Posted 12:00 AM
私は幸いにも花粉症ではありませんが、まさかという人までが
最近はこの病ブームにやられています。
そして、このところみかけるのが、企業、レストラン、ホテル、
もちろん医院や病院の入り口には消毒薬が置かれています。
手を洗うことは、小学生の頃から、かなりしつこく教えられました。
外から帰ってきたらうがいと手洗いは強要されてきたと思います。
しかし、今や強要ではなくもはや義務です。
しかも消毒薬次第で、防ぎきれないノロウィルスなどどころか、
さらに手洗いでも防御不可能なウィルスも登場し始めています。
またさらにこの消毒薬で、手荒れになってしまったりとか、
人間の体質も変わってきています。
私自身、除細動器を体内に埋め込んでから、アレルギー体質です。
しかもやっかいなことに、「甲殻類アレルギー」です。
これは北陸生まれの私にはなんとしてもカニはとなれば、
抗アレルギー薬を飲んででもカニは食べています。
花粉症に対策どころか、地球全体の温暖化、気候変動は、
感染症の増大は人智を超えだしているようですが、
人智を最大限にするためには、私は四つの対策を決めるべきと
それをデザインの問題解決の対象にしています。
● 環境の異変原因へに対策デザイン
● 人間・人類の抵抗力、その対策デザイン
● こうしたことを危機とする基本デザイン
● 危機解決デザインの具体的な解答デザインの制度化
これが、私がめざしている「危機解決デザイン」であり、
こうしたデザイン=問題解決を図ることがコンシリエンスデザイン。
このところ、この四つに具体例を、講演や企業提案をしています。
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」の準備に
走り回っていますが、いたるところで、この消毒セットを見ると
ともかく、自分の役割が明確になってきています。
出張中はどうしてもこのブログ休筆になりますが、元気です!
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3月 22nd, 2015 Posted 12:45 AM
私がデザイナーとして、大学人として辿り付いているのは、
形態設計と制度設計による安全と安心の未来社会の創出です。
しかし、その前に、日本人には天災人災での福島復興が前提です。
この前提には、自然と人間、地球と人類の問題があります。
その問題解決には、私が主張している「ち」という
日本語が理念構造に配置した「血液から、知性、土地など」全てへの
デザイン記号論があると認識しておかなければなりません。
デザイナーはForm=かたち=形態設計を成し遂げ、
そのFormに突き動かされた感性と感情=きもち=Emotionが、
社会と時代のFrom=社会形式の制度でEmotionを制御するのです。
結果はデザイン効用としての命=いのち=Lifeを繋いでいくのです。
そのためのデザインは、学術でのデザイン工学や、
芸術でのデザイン技能に押し込められてきたことから解放が必要です。
私は学術の文科系+理科系に対して、さらに芸術から学術を
もう一度引き離すことを「コンシリエンスデザイン」と定義します。
これまで、大学での文理融合が複合学術領域では制限があり、
芸術を専門的な機関で呪縛していることからも解き放ちます。
かつて、大学は、宗教と医学と法律から出発しました。
その時には、医学はアート=芸術領域でした。
わが国の科学研究の系統・分野・分科の細目を見直しました。
やっとこの中には、これまでのデザインは美術から解放され、
デザイン学が複合領域にあります。
また、設計学は摩擦学→トライポロジーから派生したままです。
当然ながら、医学の細目からは人間学は保健学に含まれています。
私は、もう一度この系統・分野・分科からの統合学として、
明確な看医工学を配置し直しました。
コンシリエンスデザイン看医工学が、危機解放学の基盤であり、
結局は、「かたち」・「きもち」・「いのち」を
デザイン記号学として、造形言語と形態言語に具体的に整理します。
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11月 5th, 2014 Posted 12:00 AM
かつて点字ブロックについては、徹底的に調べてその効用を
私はどうしても変更すべきではと思っていました。
なにしろ、私の視点は1m20cm程度からですから、
地表、地面、歩道、舗道にある障害物は目についてなりません。
なんといっても、点字ブロックが役立つことは、
極めて少数の人たちですが、それだけに重要なモノだと思います。
そして、この点字ブロックを提唱して生涯をこの制度づくりは
様々な社会的な抵抗の中で、今では全国に普及しています。
しかし、制度の甘さ、行政の「やればそれでいい」という観点、
これが一般化したときには、見事に真の文化性どころか、
この制度を提唱した人の真の狙いは、点字ブロックそのものまでを
とても汚れさせてしまっていると指摘し直さなければなりません。
これは駅構内にともかく点字ブロックをという投げやりさです。
床面にはあらかじめ床仕上げ素材が敷かれているのですから、
何も別個の点字ブロックを引き詰める必要性など全く無いのです。
そこで、改めて街中の舗道を見つめ直して下さい。
この点字ブロックを埋め込むために、手抜き工事が氾濫しています。
ただむやみやたらに、本当に必要な少数派のためゆえに必要な、
現代技術だから可能になる素材開発は皆無だと言っていいでしょう。
もはや、点字ブロックでは無い、新たな技術と誘導制度の一新こそ、
21世紀の智恵で生み出す必要があると思っています。
ともかく、私の視点は舗道面をいつも見ていますから、
その意味ではわが国の舗道は綺麗な方だと思います。
ただむやみやたらに点字ブロックが貼ってあるだけの行政、
その街を列挙する必要があるのかもしれません。
すべてを最近はすぐに撮影ができますから、撮りまくっています。
絶対に、これは許せないと思う街・行政を指摘するつもりです。
理由? 簡単です。
道とは闘いで死んでしまった人たちが朽ち果てていたのです。
それだけに道は美しくあるべきだと思っています。
『通称・点字ブロックのデザイン間違い!』
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2月 3rd, 2014 Posted 12:00 AM
久しぶりに建築家・内藤廣に会いました。
彼も松岡正剛の誕生会発起人の一人でした。
出逢い時に、「あの主張で友人を失ったよ」と言いました。
私はこのところ日本の建築界が、「新国立競技場建築コンペ」で、
大騒動をしているのを傍観していました。
建築コンペ最優秀選択への審査訂正論文は読み応えがありました。
その論文を今更というのは、これまでの建築コンペ審査反対では、
いくら提示しようが、ある意味は残っても、それだけです。
まして審査に関わった審査委員非難はほとんど無意味です。
案の上、盟友・内藤廣は正面からその反対運動そのものへ、
彼の主張を提示していました。
私は、あの建築家の提案を認めていますから、
彼が提示したことに大納得していました。
21世紀になってすぐに私はGマーク賞の審査委員長でした。
私は、「Gマーク審査委員」という表記が名刺にある人を、
「来年消去」を要求し、
消去無し友人を審査委員からことごとく外しました。
「川崎は友情と国家、どちらを選ぶのか」と罵倒されました。
即、「君への友情は無くなった」と告げました。
私は根っからが過激ですが、内藤廣はとても温厚な人間です。
その彼への敬意無き人は、元から友情など無いのです。
彼は、Gマークの審査委員長を引き継いでくれました。
彼も相当にGマーク賞の改善を試みてくれた人物です。
彼は最も「国家的な正当性」を語り切れる建築家であり、
私のデザイン活動を厳しく批評してくれます。
私は、いまなおこのコンペ非難で「署名運動」に関わる人は、
もう一度、わが国の制度となっている日本の建築コンペを
歴史的に検証し直してほしいと思います。
最優秀案となった彼女の「建築意味」を
これまでの彼女の作品で読み直してほしいと思います。
私は内藤廣の主張を「反論反撃」にすべきだと支援します!
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5月 24th, 2013 Posted 12:00 AM
人間はほとんどの人が長寿を願っています。
「長生き」することの大事さを最近わかります。
私が「人工心臓=Artificial heart」にたどり着いたのは、
人工心臓がArtとartで挟まれた言語性が象徴しているのです。
「芸術性・新たな革新」にほかなりません。
本当は光造形が日本の発明であり、
その進化は「生体医工学でのマイクロ&ナノテクノロジー」にて、
その進化を成し遂げました。
日本の高密度な技術進化は、人間の寿命に結びついています。
現在、日本人の寿命年齢と健康年齢では10年の格差があります。
つまり、寿命つきるまで生きるほとんどは病院介護が必要です。
ところが、健康寿命はその人たちより10年早く逝ってしまいます。
命果てるまで要介護者が必要ゆえに、医療制度や税金が必要であり、
健康年齢での死は、脳溢血や心臓障害などで10年早く死亡です。
この根本的な理由は、
わが国の工業産業での技術進化は見事に敗戦からも復活しました。
しかし、ポスト工業社会のままでは、
情報社会への対応は大変に遅れたということです。
たとえば、プロのデザイナーとして、
「世界の何とか標準にわが国は準じていないから・・・」とかを
よく耳にします。
私は明快に、
「そんな世界基準こそ、わが国、クライアントが創ればいい」と、
主張すれば、私との敷居が高いと言われます。
しかし、世界の動向に、デザインは、
その先手=ガンビットを打つことですし、
私も60代ですから今後が見えてきています。
結局、「人造人間」というロボットに技術は集中しますから、
ヒューマノイド、メカノイド、アンドロイド、アバターへと
実際は工業時代成果と情報時代成果の二つの技術は、
さらに、
遺伝子制御技術・光重合技術・電磁波制御技術が加わるでしょう。
そうして、
その工業技術・情報文化・遺伝子制度・光制御文化・電磁波進化、
この五つが必ず、光造形から3Dプリンターを実装置として、
アンドロイドとアバターの創出に向かうものと思います。
そのための「問題解決」の解答は、
ロボット学者・石黒教授の新書である
「糞袋(くそぶくろ)の内と外」に記載された、
「人間とは何か、何が人間か」になるでしょうかという著作に、
その重要なヒントがあるようです。
これが、今の私の60代の、プロとしての想像です。
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5月 16th, 2013 Posted 12:00 AM
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10月 26th, 2012 Posted 12:57 AM
病院とは、医療を受ける空間です。
しかし、病院が街にひとつ出来れば、いわゆる病人=患者、
その数は必ず増加すると言われています。
それは端的に言ってしまうと、現代社会の中では、
病院は、制度の空間だと言い切ってしまうことが出来ます。
したがって、病人という患者は、
その制度に呪縛された空間要因だとも考えることが可能です。
そこで、私は一ヶ月に必ず一回は患者として、
その制度空間に身体をすり寄せているわけです。
そして、この定期検診という日時は取り決められています。
しかし、患者は時に、いやしばしば、
この空間に通うことが身体的に苦痛なことがあります。
私は、その時、なぜ苦痛があるのに、
その約束を果たさなければならないのだろうと考え込みます。
というより、常に、
制度に身を任せなければならないことを真剣に対峙します。
それは、
毎月一回の検診が死ぬまで連続することの意味を再確認するわけです。
時折、「病苦に悩んで自殺」という事件を目にします。
私は、この心理を心底理解できます。
それは、身体的苦痛が激しいからこそ、
定期検診という制約に立たされるとき、
<もう、面倒だ、死んだ方がどれだけ楽だろう>と、
瞬間思ってしまいますから、
この心理=心情は深く理解出来ます。
けれども、死にたくないからこそ、制度・定期検診に通いながら、
この心理に突き落とされているとき、
実際は次のようなことが「見えていない」のです。
人類が、「生」を存続させるために創り出した「病院」、
ひいては「制度」が患者への大きな矛盾をつきつけているのです。
したがって、今更ながら「生」に固執するためにこそ、
人間は存在せざるをえない生き物だということです。
「制度」は行列を創らせ、
「制度」は、ゆえに呪縛されていることを再確認させ、
「制度」はしっかりと資本主義体制に根をはっていることを
証明しているのです。
ならば「尊厳死」なるものも、結局は、「生」への固執であり、
それを積極果敢に
開放させたかのような幻想にすぎないということになります。
かつて父が「尊厳死協会に入ったから」と一報をくれたときに、
私は彼の覚悟を誇らしく思ったものでした。
しかし、それはやはり矛盾の中の「生と死」の問題に過ぎません。
おそらく、
私は死ぬまでこの「制度」に身を寄せているだろうと自覚しています。
それが、患者という心理、心理という患者だと納得しています。
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8月 17th, 2012 Posted 12:00 AM
私は車椅子になってから車を所有しました。
いわば男の子としての車への趣味性は一応満足しています。
工業デザインを学んだ者としては、
車はまさにカーデザインとして興味は人並み以上です。
教育者として、カーデザイナーを育成しました。
今現役デザイナーとして車メーカーや
そのメーカーの海外デザインセンターに赴任しています。
私自身どれだけの車に乗ってきただろうかと思い起こすと、
結構な車種所有と使用経験があります。
しかもすべてが手動用に改造しましたが、
これには国内事情が絡んでいて一家言持っています。
さらに個人的には運転手も雇っていましたから
ハイヤーの運転手程度の運転技術を知り尽くしています。
正直、国産車は一度も所有はしていません。
自分用に相当に改良をしたり、キャデラックのロングリムジンは、
クライアントからプレゼントされて乗っていた時期もあります。
現在は夫婦2人なので、ベンツSL500一台だけです。
先般までは、S320を徹底的に使っていました。
そうしたら10年使用ということで、
ダイムラーベンツから感謝状とメダルが届きました。
友人からベンツにはこうしたサービスがあると聞いていましたが、
それなりに嬉しいものです。
私は絶対にベンツには乗らないと思っていましたが、
ある時、車に詳しいスタッフの薦めでショールームに出かけ、
しかもGマークでSLKを確認してその発売されて以来、
セダンからワゴン、スポーツタイプと乗り継いできました。
おそらく、今乗りたい車は2種あります。
これを所有すれば、
私の生涯と車体験はとても幸運だったということになります。
そして、10年も工業デザインとしての成果品ユーザーへの感謝を
企業がサービス制度にしていることは嬉しいことです。
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