kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘大政奉還’


「資本論が引きずっていることから早く解放されるべきだ」


   


     5月 16th, 2013  Posted 12:00 AM

私がこのブログを開始したのはマルクスの「資本論」からでした。
わが国がようやく大政奉還から明治維新を迎える寸前、
その後、世界中が引きずられてきた「資本論」があります。
ひょっとすれば、あたかも「聖書」と同様に様々な解釈や、
そこから世界は新たな思想、制度、哲学などを支配されてきました。
特に、20世紀はこの理論の解釈は大きく二分されて、
大戦を二度も体験しながらも、
まったく人類は存続の知恵を創ることもできませんでした。
私自身、社会人になる寸前、1970年には「ローマ賢人会議」で、
すでに「地球存亡、地球資源の枯渇予測」があり、
私はとても大きなショックを受けました。
このショックは今なお私の奈辺に大きな重力のままです。
まさか、と思っていた「March.11.2011」を体験するとは・・・
そして、豊かさを勘違いしながらも平和なこの国家が、
産業構造も瀕死状態にあります。
「資本論」は人間の存在を労働力としての批判だと一言にすれば、
「自然資本」は地球資源を自然力としての見直しと考えます。
私は、モノづくりに関わって生きてきた人間です。
そして、たとえば「サスティナビリティ」というのも、
単なる「人類の生き残り」などではなく、
明らかに経済用語だとその論理付けもしています。
私は明らかに「モノづくり」の視点から、
光造形を語り、3Dプリンターの虚実を見極め、日本の未来づくり、
その創成と創出をデザインで主導することを考えています。
まだ明らかに「世界戦争は連綿と私たちを苦しめている」のです。
私たち日本民族が消滅するのは2300年頃と言われています。
そこまで私には全く関係はありませんが、
少なからず、2050年までは自分の思想意欲と、
祖国日本、日本人のあり方を何らかに記述しておきたいのです。
人間中心=労働力で語ろうが、地球中心=自然力で語ろうが、
結局は、人間の日常のエネルギー=水・食糧・電力だと思います。
しかし、すべからくを「資本」と呼ぶこと、
その姿勢を変えるべきだと主張しておきたいと思います。
私の専門で語るなら「型」と「版」でのモノづくりは終わります。
だからこそ、現代の基盤思想は、
「資本」という語りから解放されなければなりません。
私は、とりあえず、これまで記述してきたテキストに、
「Natural Capitalism」、
その邦訳本「自然資本の経済」を取り上げておきます。
「ビジネスモデル」?、もうそんな思考回路は消えています。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
  「1800年代編年体的な虚構創成時代だった」


   


     11月 6th, 2010  Posted 12:00 AM

1800年代は新たな時代を希求
日本はペリーの黒船に驚愕。
鎖国時代からの解放が始まります。
その頃、マルクスは経済学批判から「資本論」の草稿に入っていきます。
日本のいわゆる若き志士たちと同様に、欧州でも「新たな時代」に向かって、
現実否定が始まりました。現実否定は虚構の創出です。その代表が「資本論」。
これは現実を見据えて、まずはその虚構性を批判します。
しかし、この虚構批判そのものが虚構であり、
虚構のスペクトルと比喩すべき、理想・幻想・妄想へと、特に若者は駆り立てられていくのです。
私は、「資本論」が壮大な虚構論だったと認識しています。
虚構は理想・幻想・妄想に連関
理由は明快です。
資本主義に対抗する社会主義マニフェストは、理想でした。
しかし、現実社会の資本主義の進展はめざましく、
「資本論」に傾倒していく者たちは、その幻想に囚われます。
比して、資本主義者から社会主義・マルキストは妄想者として排撃されていきます。
虚構は理想・幻想・妄想に連関しています。幻想・妄想が理想とされるのは新興宗教だからです。
したがって、マルキストはある意味では、新興宗教の信者と言われる所以はあるでしょう。
そこで、1800年代を編年体で現実となった歴史的史実を欧州と比較すれば、
わが国が、尊皇攘夷だ、開国だ、という混乱期には、
現実での幕藩体制から大政奉還という時期に過ぎなかったように思われます。
虚構史実を編年体で読み解く
さて、私は越前藩での「制品検査所」という約款書に、
産業経済、その活性化に時の幕末志士が体制開放の一方で、
相当の資本主義とも社会主義とも言い切れない経済主義を追い求めていたことに注目しています。
これは私が日本の伝統工芸産地と幕藩体制での経済主義を見詰め直しているからでしょう。
1800年代編年体的な史実=現実に対抗した虚構は、
新たな時代を招致する理想だったと考えることができます。
翻って、この時代を原点として、
資本主義も社会主義も、ともに虚構であり共同幻想だった、
そのことに気づくべき世紀に、今、私たちは生きていると思います。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
  「虚構・大河ドラマのヒーローはトリックスターである」


   


     11月 4th, 2010  Posted 12:01 AM

坂本龍馬はヒーローか
NHK大河ドラマは日本の歴史的物語です。
毎年、誰が主役となりその活動の街が脚光を浴びます。
今年は「坂本龍馬」でした。
時代は幕末、大政奉還という日本の転換点が選ばれました。
制作側には、現代日本に対するなんらかの意図があったのでしょう。
ヒーローがトリックスターとなる虚構性
この大河ドラマは日本人に対して、
大きな連綿させるべき意識構造の維持をめざしていると私は思ってきました。
しかし、このドラマはヒーローを演出した情報操作だと判断しておくべきでしょう。
すなわち、大河ドラマに関わらず、
いわゆる歴史小説はすべからくその主人公をヒーローとした「虚構」、
情報操作どころか情報攪乱性さえあるということを分別しておかなければならないでしょう。
結局、歴史物語・歴史小説・歴史そのものが、
ある意味では、歴史情報・歴史時空間性での虚構性があるということです。
日本にとって、300年の武士社会・鎖国時代からの解放であった明治維新には、
現代日本のその後の原点の多彩な展開があり、登場するヒーローへの強い敬愛観が出るものです。
私は、明治維新に至るまでの1800年代を見るとき、近代日本の医学的歴史書に最も注目しています。
理由は、ただ一点です。
虚構非在の歴史性
医学的な事実には、「虚構性」を忍ばせることは不可能だと考えるからです。
幕末から明治維新での、経済史・政治史・その他どのような領域においても、
「虚構」を包含させる可能性があるからです。
杉田玄白から福沢諭吉に至るまでの史実の中に、
幕末・大政奉還が記述されている近代医学史に、当時の政治情勢、特に開国に至る経過には、
坂本龍馬というヒーローはまったく存在していません。
となれば、トリックスターをもってのヒーロー物語は、
「虚構」そのものでしかないことを明記しておきます。


目次を見る