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『コンシリエンスデザインの認識に向けて』


   


     8月 22nd, 2014  Posted 12:00 AM

インクルーシブデザインの大間違いの書籍は感情的に見逃せず、
デザインの方向を大きく狂わせてしまうことを書き残します。
私は私なりにインクルーシブデザインを海外でも講義してきました。
ところが、大間違いどころか、デザイン実績も無い人たちによって、
インクルーシブデザインが拡散されている状況を超えるために、
コンシリエンスデザイン(=コンシェリエンスデザイン)を
最初の方法として徹底的に論理構成を試みています。
その原書と邦訳本を読み比べています。
私の読み方は、原書と邦訳本での翻訳違いを探し出すことです。
これは、時には、原書より邦訳の方が優れているものがあります。
今回も、邦訳の方が若干いいかもしれませんが、
まだ少し残っているので、両面的にいい内容を選んで、
それを元に自分の認識を明確にしたいと考えています。
結局、私は「能書きが多いデザイナー」です。
ちなみに、能書きとは効能説明です。
これは学生時代から言われていたことですからそうなのでしょう。
しかし、重要なのは、原本=原書で語られたことが翻訳されたとき、
極めつけを発見することが最重要だと思考する自分自身です。
その自分にコンシリエンスデザインがふさわしいかどうか、
もし似合っていないとしても、似合いたい自分を創ることです。
自分を創れる人間がクリエーターになれる資格があるでしょう。
デザイナーは全てがクリエーターではありえません。
42年デザイナーだった私の判断では、1%程度がクリエーターです。
その他は、デザインのような職能をしているに過ぎません。
この原書と邦訳本ともに面白いコトは、
十字形の交差点に何十もの円形があれば、目が回ります。
そのように、融合も統合も目が回る錯覚から離れる自分の認識です。
「デザイン的にどうでしょう」なんて言われると、
「それは、デザイン的=装飾的」程度のレベル知能に呆れます。
コンシリエンスデザインとは、やはり問題解決を果たすために、
実は目眩するほどの幻覚から醒めて、デザイン解決のための
融合と統合をどうすべきかが、改めて問われています。


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「資本論が引きずっていることから早く解放されるべきだ」


   


     5月 16th, 2013  Posted 12:00 AM

私がこのブログを開始したのはマルクスの「資本論」からでした。
わが国がようやく大政奉還から明治維新を迎える寸前、
その後、世界中が引きずられてきた「資本論」があります。
ひょっとすれば、あたかも「聖書」と同様に様々な解釈や、
そこから世界は新たな思想、制度、哲学などを支配されてきました。
特に、20世紀はこの理論の解釈は大きく二分されて、
大戦を二度も体験しながらも、
まったく人類は存続の知恵を創ることもできませんでした。
私自身、社会人になる寸前、1970年には「ローマ賢人会議」で、
すでに「地球存亡、地球資源の枯渇予測」があり、
私はとても大きなショックを受けました。
このショックは今なお私の奈辺に大きな重力のままです。
まさか、と思っていた「March.11.2011」を体験するとは・・・
そして、豊かさを勘違いしながらも平和なこの国家が、
産業構造も瀕死状態にあります。
「資本論」は人間の存在を労働力としての批判だと一言にすれば、
「自然資本」は地球資源を自然力としての見直しと考えます。
私は、モノづくりに関わって生きてきた人間です。
そして、たとえば「サスティナビリティ」というのも、
単なる「人類の生き残り」などではなく、
明らかに経済用語だとその論理付けもしています。
私は明らかに「モノづくり」の視点から、
光造形を語り、3Dプリンターの虚実を見極め、日本の未来づくり、
その創成と創出をデザインで主導することを考えています。
まだ明らかに「世界戦争は連綿と私たちを苦しめている」のです。
私たち日本民族が消滅するのは2300年頃と言われています。
そこまで私には全く関係はありませんが、
少なからず、2050年までは自分の思想意欲と、
祖国日本、日本人のあり方を何らかに記述しておきたいのです。
人間中心=労働力で語ろうが、地球中心=自然力で語ろうが、
結局は、人間の日常のエネルギー=水・食糧・電力だと思います。
しかし、すべからくを「資本」と呼ぶこと、
その姿勢を変えるべきだと主張しておきたいと思います。
私の専門で語るなら「型」と「版」でのモノづくりは終わります。
だからこそ、現代の基盤思想は、
「資本」という語りから解放されなければなりません。
私は、とりあえず、これまで記述してきたテキストに、
「Natural Capitalism」、
その邦訳本「自然資本の経済」を取り上げておきます。
「ビジネスモデル」?、もうそんな思考回路は消えています。


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