9月 25th, 2016 Posted 12:00 AM
リオのオリンピック・パラリンピックでは、
「日本製でなければ・・・」というスポーツ用品が
相当にありましたが、筆頭は何と言っても、卓球台です。
デザイナー・澄川伸一氏のデザインであることが話題になっています。
彼が来宅してくれて、疑問点を聞きました。
それは、水平度はどこで調整しているのだろうかということでした。
「やっぱり、そこだったんだ」で大納得。
最近は、日本のデザイン界で盗作が相次ぎデザイナーって腐っている、
こんなことを言われてしまいます。とんでもないことです。
ロゴのデザイン料が高すぎると市民運動になるとは、とても遺憾です。
彼のスタジオならロゴ周辺までの仕事がきっと満載しており、
デザイン成果は国際的です。ローカルならず行政のデザイン対価そのものが
実は未だに安すぎるのです。これには自分も反省をしなければなりません。
よくあの金額でOKであったとさえ評価すべきことです。
廉価すぎるというのがプロ=職能のデザイン対価とは海外から「なぜ?」です。
さて、あの卓球台はなんと恩師・柳宗理先生と天童木工での発明デザイン、
バタフライスツール、そのコンテクストがこんなに見事に適合していました。
これまでTVでも紹介されなかったこの話を聞いて、
先生が生きておられたら少しニヒルな批評あっても「凄い」の一言です。
なぜなら、かつての東京オリンピックでは丹下健三氏の代々木競技場、
ポスターの亀倉雄策氏が有名ですが、インテリアは柳宗理先生。
聖火台からトーチ、トーチ輸送装置器具は恩師・柳宗理先生の作品でした。
トーチ輸送装置器具はようやく消えずにアテネの火を守れた
発明的なデザイン輸送装置になったのです。
「建築とグラフィックデザインと工業デザイン」、
このそれぞれの個性を調整し勝見勝先生のデザインディレクションで、
世界で「デザインがオリンピックをまとめた」
最初のオリンピックになったのです。
なんとそのコンテクストがあの卓球台に
澄川氏はしっかりと受け継いだのです。
これまで、特に卓球台はコーナー処理や使い勝手で選手たちから、
不平不満の連続だったのですが、卓球台デザインのすばらしさは、
別途にメダルを合同企業に授与されたほどです。
しかし、これも記さなければなりません。
なんとGマークグランプリとは言わずとも、
Gマーク100に入っていないとは、元総合審査委員長として残念。
「コトのデザイン」からすでに35%?も通過?、
確かにあの制度は褒章制度ゆえ赤字。
受賞数のあり過ぎは大間違いゆえに、Gマークは認知度があっても、
国家的褒章制度は「破綻」しています。
日本のコンテクストでは「大物主神」モノの美神様からの指示で
「事代主神」コトを伝える、情報仕組みの神に伝達があったのです。
この見識無き審査委員に歴史のコンテクストを告げます。
もっと真剣に「美」でこその「モノの美」知識から
見識も悟識もある審査委員になってください。
デザイン界はまずは「大物主神」から
「事代主神」の代理役職能だということです。
デザイン界はもとより、ライバル心はあってもジェラシー心では、
「美」は創れません。目先の利益もあるでしょうが、未来の美が目標。
あの卓球台は柳宗理先生の思想を受け継いだ素晴らしい成果だったのです。
* 『理念という思想からの発明がデザイン造形を決定する』
* 「*貿易国策の一つがGマーク賞制度、その審査委員資格*」
* 「商品・コミュニケーションから意味論的デザイン」
* 「ロンドンオリンピックでのハードとストロング」
* 『現代妄想には闘い続けなければ大間違いの世情になる』
Tags: Gマーク, Gマーク100, アテネの火, オリンピック, グッドデザイン, グラフィックデザイン, コーナー処理, コトのデザイン, コンテクスト, スポーツ用品, デザインディレクション, デザイン対価, デザイン料, デザイン界, トーチ, ニヒル, バタフライスツール, パラリンピック, プロ, メダル, モノの神様, モノの美, ロゴ, ロゴ周辺, 不平不満, 丹下健三, 亀倉勇作, 事代主神, 代々木体育館, 代理役職能, 使い勝手, 凄い, 勝見勝, 卓球台, 受賞, 大物主神, 大納得, 天童木工, 審査委員, 工業デザイン, 市民運動, 廉価すぎる, 建築, 思想, 悟識, 日本製, 東京オリンピック, 柳宗理, 柳宗理先生, 水平度, 澄川伸一氏, 疑問点, 盗作, 知識, 破綻, 聖火台, 職能, 見識, 認知, 調整, 輸送装置器具, 遺憾
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6月 18th, 2016 Posted 12:00 AM
「コンセプト」、この幻惑に閉じ込められて来た現代人の
発想・思考、そして論理構造を断罪しました。
一言で表せば、「コンセプト」そのものが曖昧で、
思考の源泉である知識・学識・常識の否定です。
そこで、「コンセプトの完全否定」から、
自分としては「ライン:line」発想・思想・論理を提案します。
理由は、とても明快です。
思想・良識・知恵は「真・善・美」に最終結論として到達するはずです。
したがって、少なからず、「真」である科学性・非科学性も、
「善」に関わる思想・理念も、概念では説明すら曖昧になります。
それが「美」ともなれば、
「コンセプト」には大抵大概にして「感性判断」を求められます。
ここに「コンセプト」では決して「美」には到達不可能であることを
まず「知る」ことが重要です。
それこそ、silienceで辿り着いた「知られざる知性・見識」であり、
「コンセプト」では決して
「美」を語り切ることが不可能だということです。
感性での「美」の判断はとても「コンセプト」論理では近接できません。
昨今はあたかも感性重視でのコンセプト発想が、
「美」をも絶対的に完遂するという思考が氾濫し始めています。
なぜ人は「美学」という学識で
連綿と美しさを追い求めてきたのでしょうか。
結論を言えば、
コンセプトで美は決して創り出すことは不可能だということです。
デザイン界もコンセプトと感性でこそ、デザインが形成されているという、
この幻想の中に封じられてきました。
それこそどれだけのデザイナー、芸術家、建築家などが、
コンセプトで語り切ろうとするこの曖昧さの中に
「美」をはめ込んできたのでしょう。
その実例が、機能的なデザインには美がある、という発想でした。
これは単なる曖昧で感性的なコンセプト論理でしかなかったのです。
あえて自分は「コンセプト」で語られてきた「美」の曖昧さを否定します。
この曖昧さを捨てるときに「ライン」発想・思考・論理に、
「美」が見えてくるはずです。
*『Silienceの原意・・・デザインが何になるかという意義』
*『デザイン言語表現がコンシリエンスデザインになる』
*『「真善美」をプラトンに教えられたから生きてきた』
*『たかがリモンコンではありえない』
*『若手芸術家の紹介から学ぶ『範・感性』の確認』
Tags: LINE, silience, コンセプト, コンセプト発想, コンセプト論理, デザイナー, デザイン, デザイン界, ライン, 一言, 不可能, 判断, 到達, 創り出す, 否定, 善, 大抵, 大概, 学識, 完全, 完遂, 実例, 常識, 幻惑, 幻想, 建築家, 形成, 思想, 思考, 感性, 感性的, 感性重視, 捨てる, 提案, 断捨離, 断罪, 明快, 昨今, 曖昧, 最終結論, 概念, 構造, 機能的, 氾濫, 源泉, 現代人, 理念, 理由, 発想, 真, 知られざる知性, 知る, 知恵, 知識, 科学性, 結論, 絶対的, 美, 美しさ, 自分, 良識, 芸術家, 見識, 語り切る, 説明, 論理, 辿り着いた, 近接, 連綿, 重要, 関わる, 非科学性
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4月 2nd, 2016 Posted 12:00 AM
「人工知能」が間近に来ていると言われています。
最も「人工知能」というのを、どこまでの範囲、領域、
あるいは性能・効能・機能で語るのかによって限界があるでしょう。
しかし、僕は、人工知能は不可能だと言ってきています。
それは「知能」という日本語がすでに間違っているからです。
「知」を明確化するために
「ち」の日本的な哲学・思想が欠落していること。
つまり、「ち」は日本の伝統的な思潮であり、
それは血から値・地・治・智・致など、知の思想までが
人工=コンピュータで創り出せるだろうかにあります。
かつて僕はコンピュータにはSyntax Errorがあると言ってきました。
そこで、Configuration Error を徹底して排除したのが
ゲームであり、囲碁、将棋。そしてチェスに対して
人間とコンピュータの勝敗はコンピュータが勝ったという論理です。
これで、人工知能はもはや完成の射程距離が明確になってきたという風潮。
すべからく、僕は大嘘だと断定しておきます。
人工知能という性能と機能はPlay Backシステム、
すなわち決定的な「繰り返し作業」は可能になりますが、
これを「人工知能」というのは憚られます。
したがって、Play Backシステムが効能化されれば、
人間の労働環境に異変が起こることから、
必要とされない職業が出てくることは間違いありません。
僕はこれを「人工知能」と言ってはならないと考えています。
知能が完成されるのは、創成・創発・創出という考え出す発明力です。
これを成し遂げる「ち」の思潮がコンピュータに、アルゴリズムに
確実に蓄積される必要があります。
そうした意味でも、あえて「人工知能」は不可能説を
僕は言っておきたいと考えます。
それこそ、ロボットが30年経ってようやく「医用ロボット」になったこと、
この事態と極めて似通っていると思うからです。
産業用ロボットはすべてPlay Backシステムでしかなかったことと同値で
おそらくArtificial Intelligencesでは無理があり、
Consciousness / Information / Knowledge にはすべて
「ち」の思想から理念があるということです。
*『心を持つロボット表現として、「泣き出す表情」』
*『リトルコンピュータピープルの顔色は人工知能要素かも』
*『「KK塾」の対談と質問はイニシャルで方向決定』
*『KK塾最終回 松岡正剛氏からの新たな知の編集』
*『資本主義からの逃走』「各産業の0.5次化という高度化は情報化を加算」
Tags: Artificial Intelligences, Configuration Error, Consciousness, Information, Knowledge, Play Back, Syntax Error, アルゴリズム, ゲーム, コンピュータ, システム, ち, チェス, ロボット, 不可能, 事態, 人工, 人工知能, 人間, 伝統的, 値, 創出, 創成, 創発, 労働環境, 効能, 効能化, 勝敗, 医用ロボット, 可能, 同値, 哲学, 囲碁, 地, 大嘘, 完成, 射程距離, 将棋, 思想, 思潮, 性能, 意味, 排除, 断定, 日本的, 日本語, 明確化, 智, 機能, 欠落, 治, 理念, 産業用ロボット, 異変, 発明力, 知, 知能, 範囲, 繰り返し作業, 考え出す, 職業, 致, 蓄積, 血, 論理, 限界, 領域, 風潮
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12月 26th, 2015 Posted 12:00 AM
わが最も敬愛する橋本左内は16歳で「啓発録」を書きました。
それは16歳において、人はすでに一人前であったことを宣言したのです。
しかし、時代は、政権は、彼を26歳で斬首の刑に処しました。
今や人は、知識獲得を16歳ごろから問い詰められます。
端的には、あなたは「文系か、理系か」と。
まだしも「学術系か、芸術系か」の方が、ましかもしれません。
幸運にも私は学術よりも芸術を選びました。
学術が嫌いだったわけでもなく、芸術のそれこそ当時ははずれという
デザインという領域に私の知識欲は吸い込まれていきました。
その最大のおかげが、学術も芸術も、ましてや、
文系も理系も乗り越えるほどの膨大な知識体系に居る自分に出会いました。
少なからず、芸術系だと自称しても「美しく無い物事」には
激しく嫌悪感を覚えました。
それは思想上の問題に、経済上の問題に、生命の問題に、
見事に的中する中で、「デザインありき」に至ったのです。
真善美を語るとするなら、とても私の知識の中では、
たった一つを選ばざるをえませんでした。
それは美であり「美しい」ことを具体的にしている「美しいモノ」でした。
40余年、私は工業デザインを主に、糧と成し、
デザイン全般への表現意欲を決して失わないことと、
誰よりも自分が表現するデザイン・設計・計画に最も自分の正当性を、
それこそ、容姿端麗であること、端正的な生き方を貫くことでした。
時に、思想が真っ向から反対であるなら、
命がけでこれを最大に攻撃することで、人からはその存在を怖れられ、
私を排撃しようとする輩には、
徹頭徹尾、彼らの存在をも抹消したいと念じています。
そこには自分の野性と野生を常に息づかせておかなければいけません。
ロランバルトの生誕100年、
彼のディスクールはその本の装丁すらスカーフになるのです。
そのことの美しさを知ることができたのも、芸術の範疇でのデザイン、
デザイナーという職能にあるからかも知れません。
プラトンは、「もし迷ったなら、美しい方を選べ」と。
私にとっては文系も理系も、まして学術も無いのです。
デザインが芸術から派生していたとしても、
デザインによる統合=文系+理系・学術+芸術は
すべてが要因要素なのです。
したがって、統合的なデザインを私は
「コンシリエンスデザイン」と呼びます。
学術+芸術、文系+理系の中心に球体を置いて、
私はこの球体に働く力の概念を確認しています。
それは次世代デザイン、次世代デザイナーへの遺言なのです。
Tags: 16歳, 26歳, コンシリエンスデザイン, スカーフ, ディスクール, デザイナー, デザイン, デザインありき, デザイン全般, プラトン, ロランバルト, 一人前, 中心, 反対, 命がけ, 問題, 啓発録, 嫌悪感, 存在, 学術, 学術+芸術, 学術系, 宣言, 容姿端麗, 工業デザイン, 幸運, 当時, 徹頭徹尾, 思想, 抹消, 排撃, 攻撃, 政権, 敬愛, 文系, 文系+理系, 斬首, 時代, 本, 概念, 橋本左内, 次世代デザイナー, 次世代デザイン, 正当性, 派生, 球体, 理系, 生き方, 生命, 生誕100年, 真善美, 知識, 知識体系, 知識欲, 知識獲得, 端正的, 端的, 範疇, 糧, 経済, 統合, 美, 美しい, 美しいモノ, 美しく無い物事, 職能, 膨大, 自分, 自称, 芸術, 芸術系, 表現, 表現意欲, 装丁, 要因, 要素, 計画, 設計, 輩, 遺言, 野性, 野生, 領域
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9月 12th, 2015 Posted 12:00 AM
fragment=フラグメントというのは、
ラテン語の語源的には「割れたもの」であり、
英仏両語では、断片、さらには断章とも邦訳されます。
私は記号論やあるいは編集というのはことばの世界観で語られます。
だから、ロラン・バルトの「モードの体系」は、
デザイン・建築によっては必読の教科書といって紹介してきました。
そこから「零度のエクルチュール」にでも至ろうものなら、
ことばの日常、書くことと書かれることは、意図と内容やさらには、
言語と会話であり、ラング=辞書的言葉とパロール=会話的言葉に
きっちりと辿り着く思想になると考えてきました。
だから、ロラン・バルトは私が影響を受けた人物にすべきかどうか、
迷いに迷った人物でした。
それはミッシェル・フーコー、ガストン・バシュラールとほぼ同列でした。
学生に教えなかったのは、
ロラン・バルトの「恋愛のディスクール・断章」でした。
実際、恋愛は狂気だと語られてきましたが、
バルトの言説でしかも断片的な殴り書きとしては、明確に語られました。
「恋愛は狂気である。
しかし、狂気だと言い切れる私は狂ってはいない・・・・」
彼のこの断章の書籍を、文章を塊として、全ページをそのままに、
グラフィックパターン化したスカーフの存在を知りました。
この作者がなぜ、バルトを選びバルト著作書籍パターンを選んだのか。
それこそ、バルト自身は「作者とは何か」ということから
「何が作者になるのだろうか」を文章で問いただしていました。
昨夜私は、「現在の特に雑誌はつまらない」と批判しましたが、
そんなことはなくて、これでいいという多分若者もいました。
だとするなら、私はこの批判をもっと強めなければなりません。
それこそ、先般もTVドラマが映画化された作品を観ましたが、
それにも、「観るべき映画は選ぶべき」と言われました。
最も賛同できますが、
私の興味は映画作品の俳優たちだけではありません。
それは作家である原作者から監督、キャスト全般以上に、
今ではCG・SFXから音響システムなどの
膨大なモノづくり支援者や企業存在までです。
ようやく、映画館が7.1ch化してきました。
そんなことも含めると、このスカーフデザインでは、
作家の展覧会をしなければならないほどに、
ロラン・バルトが語り直されて来た現実です。
つまり現代の見事な
デザイン=設計学と編集学の再考が必要だということです。
Tags: 7.1ch化, CG, fragment, SFX, TVドラマ, ガストン・バシュラール, キャスト全般, グラフィックパターン化, ことば, スカーフ, スカーフデザイン, デザイン, パロール, フラグメント, ミッシェル・フーコー, モードの体系, モノづくり支援者, ラテン語, ラング, ロラン・バルト, 世界観, 人物, 企業, 会話, 会話的言葉, 作品, 作者, 俳優, 内容, 再考, 原作者, 同列, 塊, 学生, 展覧会, 建築, 影響, 必要, 必読, 思想, 恋愛, 恋愛のディスクール・断章, 意図, 批判, 教科書, 文章, 断片, 断片的, 断章, 日常, 映画, 映画作品, 映画化, 映画館, 時代, 書かれること, 書くこと, 書籍, 殴り書き, 狂気, 現代, 現実, 監督, 章立て, 紹介, 編集, 編集学, 興味, 若者, 英仏両語, 言語, 言説, 記号論, 設計学, 語源, 賛同, 辞書的言葉, 連続, 邦訳, 雑誌, 零度のエクルチュール, 音響システム
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8月 16th, 2015 Posted 12:00 AM
私の企画戦略には必ず立ち戻る基本があります。
それはインド思想の木火土金水と仏教思想の風地火水空です。
この四句分別によって25 のマトリックスが生まれます。
それは25のコンセプトが生まれるということにつながります。
少なからずこれは世界観での25の問題点が整理されたコンセプトです。
しかし、これだけ全てを列挙すると、二つの疑問にぶつかります。
まず、デザインでそのようなことをやってもらいたいとは・・・
これで台無しにして仕事をどれだけ失ってきたでしょうか。
デザインでそこまで語ってほしくは無かった・・・
これで仕事をしたくない行政マン、役人(人に役立つ人)を知り、
彼らの生息生理をほとんど知ってしまいました。
このことで、若い頃はクライアントに喧嘩を売り喧嘩師になりました。
最近は利口になって、インド思想にも仏教思想にもある火と水を
主体的に語っていくことを中核にしています。
無論、両方の思想の核心にある火と水には同意性と差異性があります。
それを論理的に学び直したのはガストン・バシュラールでした。
バシュラールは、明確に水と火は対照的な著作を残しています。
そして彼の著作を度外視していたつまらない輩がいたこともあります。
私にとって、現実的には、水と火、それぞれがCGになる過程を
まさに米国で立ち会ってそのプログラミングを見ることができたこと。
これは生涯の思い出になっています。
しかも、このNatural Phenomenaというコードネームには、
明らかにバシュラールが基底で語られていたことです。
火も水も、デジタルとして燃えさかることと水滴や流れまでが、
制御と否制御が起こってしまうことでしたが、
結局、火は燃えさかっても熱くはなくて破壊することがありません。
水も自然と水滴から大洪水も決して起こらないことです。
これがデジタルの限界でありながらも、自然よりも勢いがあります。
私は、自宅にデジタルの全く無温度の火と水を配置します。
それこそ、自然と人工を対比させた日常を側に置いてみることで、
自然=アナログを絶対にデジタルで調和も制御も出来ないことを
言い聞かせる手法だと思っています。
Tags: CG, Natural Phenomena, アナログ, インド思想, ガストン・バシュラール, クライアント, コードネーム, コンセプト, つまらない輩, デザイン, プログラミング, マトリックス, 世界観, 両方, 中核, 主体的, 人工, 仏教思想, 仕事, 企画戦略, 側, 列挙, 利口, 勢い, 台無し, 同意性, 否制御, 問題点, 喧嘩, 喧嘩師, 四句分別, 基底, 基本, 大洪水, 学び直し, 対比, 対照的, 差異性, 度外視, 役人, 御, 必ず, 思い出, 思想, 手法, 整理, 日常, 明確, 最近, 木火土金水, 核心, 水, 水滴, 流れ, 火, 無温度, 無論, 燃えさかる, 現実的, 生息生理, 生涯, 疑問, 破壊, 立ち戻る, 米国, 結局, 絶対, 自宅, 若い頃, 著作, 行政マン, 言い聞かせる, 調和, 論理的, 過程, 配置, 限界, 風地火水空
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8月 9th, 2015 Posted 12:00 AM
私はあまり講演会に出かけるタイプではありませんが、
このところ2回に渡って若い建築家集団の定期的講演会に行きました。
最も、前回は内藤廣氏であり、彼から講演前に例の国立競技場の
現場設計チームで苦渋の統率をしていましたから、
これまでのプロセスを聞くことが出来ました。
今回は北川原温氏で、彼の高校時代先輩からの誘いを受けたからでした。
しかし、北川原氏とは35歳当時から、そして、ある建築コンペでは、
建築家では無い私が審査委員としてその審査に加わり、
彼にある地方のある施設の建築を彼に決定する裁断をしました。
前回も今回もこの講演会は、建築家自身の生い立ちから
思想までを聞き出しながらのとても面白いものでした。
北川原氏の建築活動の後ろ側は、彼の生い立ちや思想の原点があり、
講演会での会場からに質問後には、私に司会側から質問がきました。
正直、建築界とデザイン界はとても近い存在であり、
私もGマーク審査委員長時にはグランプリは建築を選んだほどでした。
今回、彼が建築思想の裏側は現代詩から現代アートが強くありました。
そして何と言っても、ルーチョ・フォンタナが出てきたことに
私はビックリしながらも、かつて彼を建築コンペで選んだ納得の基本を
再確認することができました。
フォンタナのキャンバスにテンションを与えて、
「切り開く」作品は、まさに「革新」を実在化した作品でした。
それは、革新という言葉の意味が、
「革をピーンと張って刃物を入れる」という行為そのものでした。
私もフォンタナのこの作品には現代アートの革新そのものがありました。
私は「革新」という意味とフォンタナの行為を会場で語りました。
それはただ、そのコンペで彼が選抜されただけでなく、
彼とその後の交友をお互いだけが知り合う内容と一致していまいた。
そういえば、次期大阪大学総長とは二人きりで会談をして、
「アートとデザインの違いは?」という最初の質問に、
簡単に答えれば、
「アートは主観的であり、デザインは客観的」という回答をしました。
つまり、アーティストは主観的創造=自分主張を表現しますが、
デザイナーは客観的に作り手使い手の意見=客観性を大事にします。
アートからデザインへ、デザインからアートへ、
私はデザインをアートに、という試みをしたことがあります。
彼も建築をアートに出来るクリエーターでした。
*「イノベーション』大衆化した原意も疑う」
Tags: Gマーク, アーティスト, アート, キャンバス, グランプリ, コンペ, タイプ, チーム, デザイナー, デザイン界, テンション, ビックリ, プロセス, ルーチョ・フォンタナ, 一致, 主観的, 主観的創造, 交友, 会場, 会談, 作り手, 作品, 使い手, 先輩, 再確認, 刃物, 切り開く, 原点, 司会, 回答, 国立競技場, 地方, 大事, 大阪大学, 存在, 定期的講演会, 実在化, 客観性, 客観的, 審査, 審査委員, 審査委員長, 建築家, 建築界, 後ろ側, 思想, 意味, 意見, 施設, 次期, 正直, 決定, 活動, 現代アート, 現代詩, 現場, 生い立ち, 簡単, 納得, 統率, 総長, 自分主張, 若い, 苦渋, 行為, 表現, 裁断, 裏側, 言葉, 設計, 講演会, 質問, 選抜, 集団, 面白い, 革, 革新, 高校時代
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5月 19th, 2015 Posted 12:00 AM
5月19日 大安(乙未)
国民投票というのが、
民主主義の原点というのは間違いである。
結論は
民主主義が最高の政治思想、
その肝心な中核思想では無い。
川崎和男「喧嘩道」
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4月 23rd, 2015 Posted 12:35 AM
「柳宗理生誕100年記念講演」の資料を再整理しています。
再整理をするなかで、私には柳先生の笑顔はあまりありません。
それは大学入学直後はもちろん、卒業制作でもいつも
私は生意気な反抗を繰り返していたからだと思っています。
「お前の名前を覚えておく」ー(覚えてもらえた!)
「どうして、絵を描く?」ー(レンダ、スケッチ上手くなる!)
「なぜだ?」ー(私はそうなる時代を創ります)
「なんで、車イスになったんだ!」とかのセリフが聞こえてきます。
それでも、
「先生の生誕100年では、僕が話をします!」
(先生は怒ってしまうかな、いや、護り抜いてきたから大丈夫です)
最近、デザイナー志望の学生達は先生の名前も知りません。
先生のデザイン、造形デザインを私なりに論理化するつもりです。
先生の造形デザインには独特の楕円構造があります。
私はパロールとしてのオーバル造形とラングとしてのエリプス造形、
そして柳宗理のスーパー楕円構造です。
柳デザインといえば、バタフライスツールがあり、
このスツールは、先生が金沢美術工芸大学教授になった、
その翌年1956年だったということですが、
この木工企業の元デザイン部長が、現代寸法への変換では、
先生のやり直しの連続その苦労話をいっぱい聞いたことがあります。
私が最も学んだことは、デザイナーとしての理念は思想であり、
強固なるゲマインシャフトからしか、デザインは生まれないこと。
アノニマスデザインを常に手本とする創意工夫は、
伝統が創造であり、それは発明でなければいけないことでした。
私のデザインは、それを素直に遵守してきたという自負があります。
先生がシャルロット・ペリアンの直感判断を確信したがゆえに、
偽物を見通していたことは、私はなんとしても引き継ぐつもりです。
先生が私に笑顔を見せてくれたことがありました。
それは、私が金沢美大の卒業制作批評で、
「たとえ玩具の動物でも、バラバラにする遊具などあり得ない!」、
その判断を学生に言ったら、振り向いて、
(そうだ、よく言ったな!)と笑顔で振り向いてもらえました。
記念講演をめざして、私は柳デザイン全てを心に包み込むつもりです。
柳宗理生誕100年記念講演
Tags: アノニマスデザイン, エリプス造形, オーバル造形, ゲマインシャフト, スーパー楕円構造, セリフ, デザイナー志望, バタフライスツール, パロール, ラング, 再整理, 創意工夫, 卒業制作, 大学入学, 思想, 批評, 柳宗理生誕100年記念講演, 理念, 笑顔, 資料, 造形デザイン
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11月 19th, 2014 Posted 12:00 AM
11月19日 甲午(大安)
私は、私なりに宗教は、
学問、あるいは哲学の対象でしかなかった。
理由は明快である。
多くの哲学者は、
宗教への全幅的な信頼を元にしたか、
あるいは無神論を確信したか、
そのいづれかである。
私は、宗教はひとつの熟考対象であって、
決してそれが信頼にも確信にも至らないと
考えている。
元来、思想や熟考は哲学であり、
それは宗教とは隔絶されていることが科学だと
思っている。
川崎和男「強い人間 弱い人間」
Tags: 哲学, 哲学者, 喧嘩道, 学問, 宗教, 川崎和男「強い人間 弱い人間」, 思想, 無神論, 熟考, 理由, 科学
Posted in APHORISM, 川崎和男 強い人間 弱い人間
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