6月 19th, 2012 Posted 10:00 AM
6月19日 先負(辛亥)
商品の良さを言葉で語りきれずに、
もどかしげに解説している人をたくさん見てきた。
商品が真に優れたものである場合、
言葉や表現として
うまく僕らに伝わってこなくても、
そのモノは確かに優れている
ということはわかるものだ。
『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」
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6月 18th, 2012 Posted 5:58 PM
6月18日 友引(庚戌)
プレゼンテーションの表現が
たとえもの足りなかったとしても、
それは決して心に響いてこないのではなく、
逆に本人の思い入れがとても強く伝わって、
聞いている側の心を打つことも
あるのだということだった。
誠実な態度は言葉を超える。
『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」
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6月 9th, 2012 Posted 10:00 AM
6月9日 大安(辛丑)
「ポートレート」が、
前述したペルソナ( 仮面 )を
かぶっている場合もあるだろう。
その人自身が表現されている場合もあるだろう。
いずれにしろ僕は、
どんなプレゼンテーションを見ても
そこで語られる内容よりもまず、
そこで発表しているプレゼンテーターたちの
内面をのぞいてみたい
と思ってしまうわけだ。
『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」
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5月 31st, 2012 Posted 12:00 AM
松岡正剛「連塾」、その他の舞台演出は、
いわゆる講演スタイルにオリジナリティが顕著です。
私は、彼の講演での話し方、語り部仕草は、
まったくのインプロビゼーションであり、
観客を引き込む術において、
あるいは、プレゼンテーションとしては、
世界的にもトップランクだと思っています。
故スティーブン・ジョブスがプレゼンテーターとして、
最高の人物評がありますが、
私は松岡氏の方がはるかに彼をしのいでいると思います。
なぜなら、製品を題材に語るより、
抽象論理を語ること、文化の根底を語ることは
とめどなく困難だからです。
頬に押し当てた掌は、思考を巡らしているわけではなく、
不安や欲求不満などありえず、
いわゆる心理学でのパフォーマンスに深層心理表現は
まったく当てはまっているとは思えません。
彼の言葉に、「読欲」があります。
ともかく「本を読む」という欲求が強い人なら、
多分、頬杖ではない頬に掌は、私にもその癖があります。
だから、読欲あれば思索サイクルの表出が舞台上に出る、
そんなことはありえません。
すでに反芻された思考結果を語るだけだから、
観客は引き込まれるのでしょう。
ひょっとすると、写真撮影禁止だったのかもしれませんが、
私は、私記録としてシャッターを押しました。
ここで「連塾・最終回」のレポートをしたわけではありません。
「九景」として構成された最終回は、
なぜ、九景だったのか、
それも私には推測がついています。
彼の「自叙伝」がどうだったのかは、
書物となって出版されるでしょう。
おそらく、その「語り」と「身振り」による空気感までを
編集されることはとても困難だと思いますが、
その記録、あるいは・・・
私はその出版を心待ちにしています。
男として惚れ込んでいる「ち」としての松岡正剛です。
「ち」とは、
私が常用する「いのち・きもち・かたち」の「ち」であり、
知・血・地・致・智・値・治・置・稚など、
日本の森羅万象を受け止める統合的な百科的認識を表してます。
10年に及んだ「日本という方法」、
その結論を師範として松岡正剛は最後に提示しました。
それらが何であったのかも、
是非に出版を待っていただきたいと思います。
私はその出版を待って、再び松岡正剛を伝承したいと考えています。
「グレン・グルードのごとくありたい」と、
松岡正剛は声を詰まらせたとき、私も同様に胸が詰まりました。
私はあらためて、10年の結論こそさらに「日本という方法」、
それが3.11からの復興と復活の「ち」ゆえに、
松岡正剛は、その師範役を引き受けるべきと伝えます。
「連塾」は、9.11をもって開塾されたのですから。
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5月 30th, 2012 Posted 12:00 AM
松岡正剛は「連塾」のみならず、
ことばの定めとして「漢字原意」をよく語ります。
私も常に追い求めてきたのは「漢字の系譜」でした。
小学校時代に、藤堂明保博士の講演を聞きました。
しかも、藤堂博士は何度も福井にみえていたようです。
私は転校した小学校でも、また、講演を聞いたのです。
そして、父からも書における、
たとえば「月」という漢字の書形には、
形(天体)と容(身体)があることを教えられました。
書家であってもこうした表現への無知が増えてます。
私は40代になって、ようやくなぜ、
藤堂博士が福井での講演をし回っていたのだろうか、
その理由を推測できるようになりました。
漢字の解釈、甲骨文字から説文解字や金文体解釈などにおいて、
藤堂明保と白川静は正面衝突する解釈論議の真っ最中だったのです。
二人の対決は学者域を超えるほど凄まじいものであったことを知りました。
そこで、藤堂明保は白川静の出身地・福井で、
小学生に向けてまで彼の自説をアジテーションしていたのでしょう。
私は当然、ふるさと福井の偉人である白川静をこよなく敬愛し、
彼の著作はほとんど読破し収集していると思います。
そして、中国の象形文字解釈にまで自説を展開した白川静説こそ、
「漢字の原意」だと盲信してやみません。
松岡正剛氏も、結論として「漢意・古意」として、
その基盤を白川静説を確信しています。
そして、白川静についての著作、
漢字解釈の入門「白川静」決定論を書き上げてしまいました。
松岡正剛氏と「白川論議」は、
幕末論に至り、特に「橋下左内」にまで及びます。
なぜなら、白川静氏は「橋本左内」についても、
相当な研究者であり、橋本書簡の収集もされていたということです。
さて、今や中国語の漢字は省略形になってしまい、
「漢字」に込められた思想の根源を完全喪失しています。
私自身はそう思わざるをえません。
象形文字に込めらた思潮の根源は、
すべからく「白川静説」をもってこそ、
これは「東洋の思想・哲学」の根本を決定していると断言します。
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5月 27th, 2012 Posted 10:00 AM
5月27日 仏滅(戊子)
そうするとどういうことが起きるのか。
見た目にもわかるほど、
自分の発想を語る口調に熱意がこもり、
時には聞く人を圧倒してしまうほどの
魅力的な表現と伝達、
すなわちプレゼンテーションができるのだ。
『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」
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4月 27th, 2012 Posted 12:00 AM
「ロボット」、その言葉=戯曲からの由来はすでに教科書的です。
が、その由来名辞から解放されているとは言い難いと私は思っています。
J・ボードリヤールは「物の体系」で、
「ロボットは想像的なものの局面が神話として
到達したものに他ならない。
それは目に見える機能性の投影という局面である。」と、断言。
私は、わが国のロボット学者や企業は、
ヒューマノイド系とメカノイド系に
輪郭化されていることに不満がありました。
この指摘を「私のロボットデザイン」で
評論的な表現にモデル化したいと考えてきました。
ベースは、中村雄二郎先生の「形態論」と「身体論」です。
「形態論」=安心+安全であり、
「身体論」=安全+安心として再考すると、
スポーツや舞踊が引用できると結論づけることができました。
ところが、「舞踊」は日本だけでなく、
世界中の「踊り」が見事に二分できるとたどり着いたのです。
それはボードリヤールの指摘からも、
ロボットという名辞からも解放されるデザインから
技術仕様を決定していく一つの「基礎学」でした。
「舞」は、足裏を決して見せません。
能舞が日本の伝統芸能として的確でした。
名前も『Nomenclator』という古代ギリシア語を選別しました。
「Nomenclator」というのは召使いですが、
データを把握している情報マンのことです。
誰かが歩いてきて領主的な主人に挨拶をすると、
「あれはどこそこの誰で、先般、病気をしていたとか」、
性格や立場を主人様に伝達する奴隷でした。
しかし、人間ゆえに「感情を持っている」という決めてがありました。
だから、私のロボットは呼び名を変えて、足裏を見せないで行動し、
なおかつ感情=泣いたり笑ったりという表情を、
ヒューマノイドでもメカノイドでもない
形態の身体化を図るということでした。
これは私の人工心臓の究極である「感情=交感神経β1と副交感神経β2」で
鼓動しているような「性能化」感覚と一致しています。
例えば、帰宅すると出迎えてくれて、
ユーザーの想いを共有してくれることが目標意図になりました。
これは大阪大学に特任教授となったときに、
阪大フロンティア研究機構で、ワーキングモデルとして、
「感情共振」=Emotional Domainまでへのアドバンスデザインとして
開発具現化できました。
このモデル化は「玩具性」を離脱する一つの方法だと思っています。
Tags: Domain, Emotional, J・ボードリヤール, Nomenclator, β1, β2, アドバンスデザイン, スポーツ, データ, ヒューマノイド系, メカノイド系, モデル化, ユーザー, ロボット, ロボットデザイン, ワーキングモデル, 不満, 世界中, 中村雄二郎先生, 主人, 二分, 交感神経, 人工心臓, 人間, 企業, 伝統芸能, 伝達, 共有, 具現化, 再考, 出迎え, 到達, 副交感神経, 古代ギリシア語, 召使い, 名前, 名辞, 呼び名, 基礎学, 大阪大学, 奴隷, 学者, 安全, 安心, 局面, 帰宅, 引用, 形態論, 性格, 性能化, 情報マン, 想い, 想像的, 意図, 感情, 感情共振, 感覚, 戯曲, 技術仕様, 把握, 投影, 指摘, 挨拶, 教科書的, 断言, 日本, 機能性, 泣いたり笑ったり, 物の体系, 特任教授, 玩具性, 由来, 的確, 目標, 神話, 究極, 立場, 結論, 能舞, 舞踊, 表情, 表現, 解放, 言葉, 評論, 足裏, 踊り, 身体論, 輪郭化, 選別, 開発, 阪大フロンティア研究機構, 離脱, 領主的, 鼓動
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4月 14th, 2012 Posted 10:00 AM
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3月 15th, 2012 Posted 12:00 AM
モダンデザインというよりも、
デザインの源流として、
私はロシア・アヴァンギャルドを位置づけています。
マレーヴィチやマヤコフスキーなどがその代表者ですが、
陶磁器でみると、1920年代には、スエーチンやチェホーニンの作品から、
ロシア革命が一段落し、
革命後次第にスターリンやレーニンの独裁制が強まり、
彼らからの粛正によって、表現形式と内容の後戻りが見えてきます。
シュプレマティスムとしてのスエーチンのレプリカは
MoMAで手に入れることができました。
それから岐阜の現代陶磁器美術館での
ロシア・アヴァンギャルド展は感動的な展覧会でした。
ロシア革命が「ナロード・ニキ」=(人民の中へ)という平等主義は、
コーヒーカップでの加飾においても、幾何学的な正方形や長方形、
そして単色での色面構成でした。
しかし、次第にそれはかつての貴族的な装飾に戻っていきます。
モダンデザインの源流が
次第にデコレーションとしての加飾性を抱え込むことで、
共産主義あるいは社会主義の階級制は復活するのです。
それはデコレーションを過飾してしまうことで、
モダンデザインの破壊につながっていきます。
ロシア革命を芸術・建築・演劇をデザインで統合していったリーダーたち、
彼らの芸術表現活動への圧力や粛正に注目します。
彼らは自殺や虐殺される歴史こそ、
イデオロギーが芸術によって
意識改革できる手段であることを証左しています。
クズキッツフやチェホーニンの作品=シュプレマティスムが
影を潜め始めます。
私の想像では、スエーチンのコーヒーカップ、
そのレプリカをMoMAが製作した意味に、
モダンデザインの源流があったからだと思っています。
こうしたロシア・アヴァンギャルドでの陶磁器技術は
現代と遜色ありません。
むしろ、その色面構成などは現代での商品価値を
今でも確実に持っていると評価しています。
Tags: MoMA, イデオロギー, クズキッツフ, コーヒーカップ, シュプレマティスム, スエーチン, スターリン, チェホーニン, デコレーション, デザイン, ナロードニキ, マヤコフスキー, マレーヴィチ, モダンデザイン, リーダー, レーニン, レプリカ, ロシア・アヴァンギャルド, ロシア・アヴァンギャルド展, ロシア革命, 人民の中へ, 代表者, 位置づけ, 作品, 共産主義, 加飾, 加飾性, 単色, 商品価値, 圧力, 展覧会, 平等主義, 幾何学的, 建築, 意識改革, 手段, 正方形, 歴史, 源流, 演劇, 独裁制, 現代陶磁器美術館, 社会主義, 粛正, 統合, 自殺, 色面構成, 芸術, 芸術表現活動, 虐殺, 表現, 装飾, 証左, 貴族的, 長方形, 陶磁器, 陶磁器技術, 階級制
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2月 22nd, 2012 Posted 12:00 AM
デザインという手法は、言葉を持つことができます。
それは単なる造形言語、
あるいは記号論的な意味性という小難しいことではなく、
単純明快な比喩です。
これはその一つの商品にまでした作品です。
日本ではそれなりに商品になりましたが、
海外では大きな評価を受けました。
80年代、New Yorkのブルックリンは治安が悪く、
その再開発計画で、国際家具センターが新設されました。
世界中の家具取引をセンター規模でというきっかけを創った最初でした。
そのオープニングで、世界中から400点のイスが選抜されました。
日本からは、たった5点しか選ばれませんでした。
私のこのイスも選ばれ、
最終的にはグランプリ候補5点に入りましたが、
親友のイスがグランプリになりました。
このイスのテーマは「休息」でした。
休息の無い人、それは兵士です。
だから、まず兵士は迷彩服の戦闘着を脱ぎ捨てること、
そして、大砲や銃身をグニャリと曲げてしまうこと、
背もたれがその砲筒を曲げたことを比喩しています。
したがって、裸になった兵士と戦闘不能ゆえ、
兵士に休息があるということは「平和」に繋がるのです。
「譬」表現のメディア化を試みたイスです。
「平和」表現するポスターと
同等のインダストリアルデザインをめざしました。
そして、日本の座布団を積み重ねた形態です。
「TON TON」という商品名でした。
イスは、その造形によって物語りを用意すれば、
まさしく、比喩、直喩、換喩、隠喩によって
象徴的なメディアにすることができます。
次世代デザイナーに試みて欲しいことです。
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