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Posts Tagged ‘平等主義’


「モダンデザインへ、ロシア・アヴァンギャルドから」


   


     3月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

モダンデザインというよりも、
デザインの源流として、
私はロシア・アヴァンギャルドを位置づけています。
マレーヴィチやマヤコフスキーなどがその代表者ですが、
陶磁器でみると、1920年代には、スエーチンやチェホーニンの作品から、
ロシア革命が一段落し、
革命後次第にスターリンやレーニンの独裁制が強まり、
彼らからの粛正によって、表現形式と内容の後戻りが見えてきます。
シュプレマティスムとしてのスエーチンのレプリカは
MoMAで手に入れることができました。
それから岐阜の現代陶磁器美術館での
ロシア・アヴァンギャルド展は感動的な展覧会でした。
ロシア革命が「ナロード・ニキ」=(人民の中へ)という平等主義は、
コーヒーカップでの加飾においても、幾何学的な正方形や長方形、
そして単色での色面構成でした。
しかし、次第にそれはかつての貴族的な装飾に戻っていきます。
モダンデザインの源流が
次第にデコレーションとしての加飾性を抱え込むことで、
共産主義あるいは社会主義の階級制は復活するのです。
それはデコレーションを過飾してしまうことで、
モダンデザインの破壊につながっていきます。
ロシア革命を芸術・建築・演劇をデザインで統合していったリーダーたち、
彼らの芸術表現活動への圧力や粛正に注目します。
彼らは自殺や虐殺される歴史こそ、
イデオロギーが芸術によって
意識改革できる手段であることを証左しています。
クズキッツフやチェホーニンの作品=シュプレマティスムが
影を潜め始めます。
私の想像では、スエーチンのコーヒーカップ、
そのレプリカをMoMAが製作した意味に、
モダンデザインの源流があったからだと思っています。
こうしたロシア・アヴァンギャルドでの陶磁器技術は
現代と遜色ありません。
むしろ、その色面構成などは現代での商品価値を
今でも確実に持っていると評価しています。

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『資本主義からの逃走』
  「用間=インテリジェンスの核心、その操作効用」


   


     9月 23rd, 2010  Posted 1:07 AM

二つの用間フィクション
私は、資本主義は終焉していると考えています。
だから、情報は情勢報告、すなわちインテリジェンスであり、
策略・謀略があまりにも見事な「情報化社会」だったということです。
それは国家市場主義であり、一党独裁、
大衆をあたかも情報操作で資本主義とみせかけているものかもしれません。
となれば、資本主義そして自由主義、それらを裏付ける民主主義の否定論理が働いています。
これはフィクションと考えてください。
なぜなら、ここには私が創作しようとしてる二つの矛盾仕掛けがあります。

一つ目は、私自身、資本主義・自由主義・民主主義には大きな疑念を持っているからです。
自由主義という情報操作が、あたかも民主主義を理想主義の上位概念にしてきました。
それは本当に正しかった=正義だったのだろうか、と考え込んでしまいます。
自由主義は拘束主義を、自由主義保全として正当化しています。
自由主義に裏付けられている平等主義も、明らかに社会差別を制止することはありえません。
民主主義を防衛するための戦闘=暴力行使への異議申し立ては当然の事実として
現代史をつないでいます。

二つ目は、以上のことをそのまま、新たな社会主義としての国家的な統制論としています。
それは民主主義的な資本主義ではなくて、あたかも資本主義的で自由経済性的な策略操作です。
さて、私のこのフィクションが、現代日本を取り囲んでいるのかもしれません。
だとするなら、情報=インテリジェンス=用間の戦略論がとても活性化している、
こうした想像力をあなたも持っておられるでしょうか?、ということです。
わが国の「情報」=インフォメーションから隔絶してみる必要性を
このフィクションに託しておきます。


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