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Posts Tagged ‘集約’


10月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 18th, 2023  Posted 12:00 AM

10月18日 赤口(己酉)

デザインにとって、
デザイン造形の集約となる
形態=フォールムは、
常に機能と美しさが問題となっている。
これはデザインの最も核心であり、
本質的な課題・問題でもあるからだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性


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5月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 8th, 2022  Posted 12:00 AM

5月8日 大安(辛酉)

『分割としてのデザイン』

デザインによる造形は、
この集合体となる要素を
形態の各部位や部品、
表面性、
素材感などの統合性と
総合性に
集約されるものである。

artificial heart:川崎和男展


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1月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 12th, 2022  Posted 12:00 AM

1月12日 先負(乙丑)

『賛歌としてのデザイン』

その存在の認識は
理想主義を
抱くことに
集約している。

artificial heart:川崎和男展


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12月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 2nd, 2019  Posted 12:00 AM

12月2日 仏滅(癸酉)

デザインにとって、
デザイン造形の集約となる
形態=フォールムは、
常に機能と美しさが問題となっている。
これはデザインの最も核心であり、
本質的な課題・問題でもあるからだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性


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『人間工学の基本の基礎は残念ながらまだあります』


   


     8月 22nd, 2019  Posted 12:00 AM

「フォルクスワーゲン」は、ヒトラーの国民車計画でした。
これに乗っている教授の審美眼を疑いました。
そして、ヒトラーは欧亜両大陸横断鉄道としてスーパートレイン計画を
立てていました。が、私はその鉄道模型 Zゲージを三つ程度持っています。
当時では巨大で豪華な機関車でした。
今回は、私がマニアへの世界に足を踏み入れたH&KのVP−70の考え方、
計画そのものがドイツ製の「国民の拳銃」だったと知りました。
H&K(Heckler&Koch GmbH・独)のVPとはVolks Pistole(国民の拳銃)、
ポリマー製フレームの自動拳銃です。
しかし、これにはさまざま、デメリットが多かったため、
オーストリアでのglog17から新商品シリーズ=プラスチック製に続くのです。
一時は、トミーリージョーンズ(TV-CMで話題)が
映画 追跡者で使っていました。
そこから、SIGザウエル・ゾーンでの
日本警察向けSIG SAUER P226J(機動隊とある一部)があります。
拳銃からは、掌中での操作性と機能性が集約された
人間工学の基礎を学ぶことができます。
おそらく人間工学の基本は、自転車ではなくて、拳銃なのです。
人間工学でデザインを学べるのは、唯一、知っています。
死をもたらすデザインには携わることがないよう学ぶべきです。
オーストリアでのデザインには基本の基礎があるようです。

拳銃


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『METガラ・ドレスをまとった美術館がテキスト』


   


     2月 14th, 2019  Posted 12:00 AM

名古屋市立大学での教授のIDカードは、海外の美術館では
とても有効で専門家として書庫や倉庫まで閲覧できました。
大阪大学のIDカードは、意外にも、旧帝大での文化として、
芸術が全く認められていない、海外での有様でした。
メトロポリタン美術館の服飾部門が手掛ける展覧会、
そのファッションの祭典 、メット ガラは美しいドレスのセレブが集い
展覧会の熱狂と、ともにニュースは世界へ発信されています。
そしてこういった様々なパワーを集約し
美術館の大切な資金をしっかりと集めます。
映画「メット ガラ ドレスをまっとった美術館」には
このファッション ドキュメンタリーがおさめられています。
絵画、彫刻とともに、あるいはそれ以上にファッションが、
未だに、国内ではドレス=ファッションを切り口としての
アートが、語られることははありません。
デザインもまた美術館で、展覧会を行うことは貴重です。
私自身もデザイン製品を美術館で並べるなんてといった
古典的な考え方に対峙したことがあります。
キュレータがかかげる、展覧会のテーマそのものが、
伝統や固定概念、倫理や道理、歴史や政治の問いかけとなっています。
大きな役割を担うヴォーグの編集長は広報はもちろん
装飾やゲスト管理、さらには、テーブルコーディネイトに席次を担います。
メトロポリタン美術館には、一本の柱がありました。
外したい位置づけの柱は、ティファニーから寄贈でした。
知識やセンス、そして決断への力が必要となりますが、
彼女の「審美眼」を理解し、スタッフ全員が従っていました。
この展覧会は、それこそ、どうやれば、全てに渡って表現を
商業的にも芸術的にも昇華できるかの教科書です。
「モードの体系」に引き続けた、デザインの新しいテキストです。


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01月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 12th, 2018  Posted 12:00 AM

01月12日 赤口(甲辰)

デザインは「かたち」に集約される。
が、
「ことば」それも言語だけではない。
言語
記号までが重要である。

この重要度に気づかない大学、
その教員にデザイン教育は

無理どころか無謀だと言っておきたい。

「川崎和男 強い人弱い人」


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『月への願いは「新月」に願うことらしい』


   


     11月 20th, 2017  Posted 12:00 AM

11月18日から19日3時までは「新月」というらしいのです。
人には願い事があるものです。
「新月」にはその願い事を書き貫けば叶うということがあるらしいのです。
68歳になって、講演会を終えて自宅にもどって、
ワイフと二人でそんな話をしました。
この歳になっても願い事は考え出すと相当にあります。
が、結局、集約すると「デザインのこと」と「ワイフのこと」につきます。
全てはここでは書き留めることはありませんが、
自分が今、大事にしているノートには書きとどめようと思っている次第です。
ともかく、毎日毎晩、このブログには正直にテーマを
ま身近なところで考え抜いてともかくかなり大慌てで写真を撮り、
ブログにしますが、読み直すと日本語になっていないことしばしばです。
漢字の間違いや文法としておかしいことは指摘されます。
さらに、無体財産権として著作権が確定していますから、
これを無断使用は罪悪でもあり、罰せられます。
ともかく、この「新月」は12月4日はスーパームーン、
12時47分には最大に「満月」になるらしいのです。
私は、太陰暦が日本人には向いていると思っています。
時折、月を見上げますし、ムーンフェイズの機械式時計は、
まだ人類には出来上がっていないとも聞いています。
「月」に語りかけることが人には多いのだろうと思っています。

* 『間も無くだろうか、中秋の名月を看るだろう』
* 「『風景』とは天地異変のシグナルだった」
* 「月齢表示・ムーンフェイズが暗黙に指示しているかも
* 『皆既日食と太陽フレアが風景の予測シグナルかも』
* 『機械式腕時計とスマートウォッチの出現から』


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『コンセプト主義からの解放=デザインテクノロジスト』


   


     4月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

デザイン発想は「コンセプト」主義に呪縛されています。
僕は、コンシリエンスデザインと看医工学を対象として、
「コンセプト主義からの解放」を
新しい手法論に持ち込んでいます。
それは、文脈と物語性、コンテクストとアフォーダンスで
「ライン」にコンセプトからストーリー発想を込めています。
この結果がつながっていくのが、
インターネットの高密度情報ネットワークの基盤化です。
ところが、これはすでに「スマートシティ」計画や
「ビッグデータ」に結びついていますが、
現在、この言葉もコンセプト、
ほぼ概念どころか観念に近く破綻しています。
これは何としてもコンシリエンスデザインの実務実績の目標です。
また、わが国の3.11での天災と人災では、その復興と対策は不可欠ですが、
国内の全大学でも、3.11を教訓として「レジリエンスデザイン」は大欠落。
僕の次世代デザイナーへの置き手紙はここに集約されなければなりません。
これらをテクノロジーで陵駕していくのは、
まさしくロボット社会ですが、
これは、人工知能的な思考に「手=脳」というアナログ性をデジタル化が
コンシリエンスデザインの最大目標だと認識しています。
そこから、このデザインの対象は
「私たちが幸福だろうか」という根本疑問があります。
この問題解決・価値創出・未来創成を創発させるのは、
「ライフケア」という新たなプライバシーと社会的な新たな制度設計です。
これらを成し遂げる次世代デザイナーは、
必ず、「コンシリエンスデザイン」を下敷きにした、
デザインテクノロジストの養成だと考えています。
インターン生・研究員を公募しています。

*『看医工学としての介護のコンシリエンスデザイン』
*『モノの神話性から物語り性がアフォーダンスを超えていた』
*『コンセプトからイノベーションは起こらない』
*『プライバシーという人権の荒唐無稽さ』
*『コンシリエンスとレジリエンス』


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『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』


   


     1月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

我ながら、どこまでApple製品に囚われているのでしょうか。
そう想いつつも確かなPCもPadも進歩はしていません。
そして、ベルトが二重巻きのApple Watchに至っては、
時計もそれなりに気ままに使ってきた私でさえその未来は見えていません。
それにも関わらず、絶対に二重巻きの時計は手に入らないとなると、
元来、一人っ子だった僕の物欲が呼び寄せてしまうのです。
もはや時計、クロック、Padにしろウォッチにしろ
稼働部品は極めて低額です。
実際、生産原価はどのブランドにしてもほとんど知り尽くしています。
Apple Watchも、稼働ユニット部品は定額コストであり、
筐体やベルトでのほとんどそれこそ付加価値での競合にすぎません。
Padのスタイラスペンにおいても同様です。
僕はプロのデザイナーですから、結局、モノとブランドの価値で、
所有価値と使用価値を価値判断にしてしまっています。
このApple Watchは皮革ブランド独自の価値を借用して、
時計の価値を高めているだけにすぎません。
最も、僕は銀座のApple Storeで現物を見、その説明を受けました。
結果、この店員さんからは絶対に購入しないと決めました。
そして、ブランドショップで改めて質問をした結果、
商品知識ははるかに勝っていましたし、
ほとんどいつ注文しても困難でしたが
結局、すぐに私の所に来てしまいました。
それこそ、Padのスタイラスにしても、
僕がそれなりに認めているブランドと
新興ブランドは、一方はレンダリングスケッチ用であり、
もう一方はすでに書道用に落ち着いています。
商品価値がブランドに左右される時代にあって、
デザインがデコレーション価値になってしまうことはやむを得ないですが、
やはり、僕はデザイン=問題解決・価値創造・未来創成ですから、
ともかく、現代性でデザインのこの三つを満たしているモノの世界観に
僕自身は取り囲まれていたいと思うのです。
デザイン=問題解決・価値創造・未来創成の結論は、
「美」に集中と集約される焦点でなければなりません。
それは、僕自身が「真善美」三つはとても自分には立ち向かえないけれど、
「美」って決して分からないかもしれないけれど、
「美しいモノ」に取り囲まれるコト=環境に
ありたいと思ってきたからです。
物欲も年齢とともに消えていく、
そんな気配が忍び寄っているのも事実ですが、
あくまでも、自然は自然なりに美があっても、
自然も人間も裏切りがありますから、
デザインされた「美」には自分を浸すことができます。
自分の生涯において物欲からの「美」は求めるつもりです。


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