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Posts Tagged ‘福井’


『金沢の武家文化が必ず見直されるだろう』


   


     2月 28th, 2015  Posted 12:00 AM

北陸新幹線がブームになってきたようです。
私の父は警察退官後は、ある団体の専務理事をしていました。
そして、北陸新幹線づくりの陳情に毎月上京していました。
私はよく批判したものです。そんなに懸命にならなくてもと。
父は行学の士でしたから、自分の役目に忠実でした。
が、北陸新幹線の存在意義は「金沢一極集中」であると言っていました。
富山も福井も、まして新潟には何もメリットは無いでしょう。
そこに、間違った加賀群青かもしれないブルーと、
加賀金箔の金色ラインの列車が走ることになっています。
加賀群青と金箔の組み合わせにはもっと熟考結果が必要です。
デザイナーはO氏であり、彼の能力全てが全開ではないと思います。
きっと、デザインが予算やつまらない意見で邪魔されたのでしょう。
しかし九州JRの列車デザインは鉄ちゃん素人受けでしかありません。
列車デザインとしては、遊園地仕上げで、技術進化形の
問題解決された最新デザインにはなっていないと言わざるをえません。
時代遅れのデザインだと私は明言しておきます。
九州JRの列車デザインは、デザインを勘違いしているのです。
北陸新幹線が全線開通することの大きな意義に関西は呑気です。
おそらく、北陸の若者は関西より関東をめざすことになるでしょう。
京都の公家文化と金沢の武家文化だけが今後の日本で輝くはずです。
関西、それも大阪の町人文化が廃れていく気配を感じます。
大阪はもっと真剣に北陸新幹線を敦賀から京都・大阪を
一日でも早く全線開通させるべきだと私は思っています。
北陸とは、東西南北の北ではありません。
まさしく北面の武士たる、体制批判の担い手の住処が北陸です。
列車移動は、車イスの者にはとても便利になりましたが、
現在のホームと列車乗降は恐くてたまらないほど、
バリアだらけの代物でしかないのです。
それでも北陸新幹線にはまだもっと大きな問題が残っています。
いづれ、このことを明白に発言していくつもりです。

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『1949.2.26日から生きている=死んでいく私』


   


     2月 26th, 2015  Posted 12:00 AM

私が交通被災に遭って車イス生活になったのが、28歳の時でした。
半年、救急病院で手術をし、転院してリハビリを受けました。
その病院で、統計データを見せた担当医は、私に、
「データ上では、確実に、40歳までが君の寿命」と言われました。
(こんなことを患者に伝える、お前はバカか!・・・)
それなら、いち早くこの病院を出ようと、
たとえ熱があっても体温計をゴマかしてリハビリ訓練をしました。
私の予測道理に米国のベトナム戦争傷兵脊髄損傷者の訓練で、
半年でリハビリ病院を出て、赤坂でデザインスタジオを開設、
しかし、父の命令で福井に帰り、40歳までをと・・・
気づいたら40歳になり、運良く毎日デザイン賞を受賞していました。
(あの嘘つきドクター!)と思っているどころか、
47歳で逝ってしまった母を考えて、47歳で大学人になりました。
2049年には100歳ですが、2050年以後の予測までを読んでいます。
66歳になってしまった私ですが、
やり残していることは、まず、デザイナーとしてやり遂げたい、
したがって、大阪大学を退官時の作品集「川崎和男Design」を出版。
出版社には、とんでもない、もう一冊作品集を出すと言っています。
結局、大阪大学大学院医学系研究科に転籍して、
今春からは正式に「コンシリエンスデザイン寄附講座」を新設です。
3.11の復興、範原発(脱原発は論理・言語論としても間違い)、
南海トラフ対策、そして2020年の東京オリンピックは観たい、
これが生きている=死んでいく私のとりあえず2050年までの計画です。
生まれて生きていくのは死んでいくことを明確に認識しています。
66歳ゆえに時間の体感経過速度はあっというほど光陰矢のごとし、
当然です。
66歳ともなれば、一年は66分の一で過ぎ去ります。
恩師は93歳で逝かれました。100歳を約束しました。
真正面で死を見つめて、それも3度も観てきた経験がありますが、
これから66分の一で過ぎ去る一年間にやれるだけやるだけです。

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『布と衣と織りと・・・」


   


     1月 28th, 2015  Posted 12:00 AM

私の文明論の基本は、歴史的にも明確な決定モノがあります。
それは、まず、器であり、もう一つが織です。
人間が生きる上での最小限のモノを表します。
飢えているから食物を食べる、水を飲む、そのモノとして器があり、
寒さから身を護るために衣を纏う、そのモノが織物です。
ついでに、文化は刃物から始まることも明記しておきましょう。
刃物=ナイフがあれば、次の道具が創れるからです。
となれば、ナイフが無ければ、器も織りも無かったのでしょう。
器が器械となり、器械は機械、そして械の野蛮さを超える時代ゆえに今は、
機器の時代になっていると考えることができます。
織りといえば、私の故郷は福井、織物産業の街です。
この織物も、絹織物が生糸産業から羽二重に続いています。
そこで、織物といえば、たとえば、紙の原型はパピルスですが、
それはパピルス自体が織物であり、和紙とは大きく異なっています。
ともかく、織りの中でも、肌触りということで、
布と衣が人間の文明から文化に纏い付いてくる正しさがあります。
その肌合いで現代最高のブランドから、選び抜けば、
結局は肌と衣では、このブランドの織物が今は最高だと思います。
日本の伝統工芸での織物や、伝統工芸に寄りかかったままで、
何も努力も無く、先人の知恵にしがみついている織物は滅びます。
そこで布となり、衣はファッション性を時代と社会に表明するには、
今の日本には、私は四つ大きく欠落しているコトがあります。
その一つは必ず、故郷で表現ができるようにとデザイン導入を企画中。
他の伝統工芸や地場産業には、このブランドの少なからず、
布と衣の最大公約数的発想も最小公倍数的発想も全くありません。
少なからず、布は人肌とのベストマッチング性を発見すべきです。
私はそのヒントに、このブランド商品の布性と衣性を記述しておきます。

『地方国家からのデザイン戦略・熟考の成果として』
『「織物・布の感性的評価軸=オノマトペ」産地福井から発信』


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『開発コードネーム・Popeyeからの拡大』


   


     12月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

Sweet-peaというコードネームが、マスコミに突然流布されると、
Popeyeというコードネームがきました。
これは元々、Popであることとそれを見つめるeyeという、
メディア・インテグレーションにはふさわしいと考えられていました。
そして、Popeyeがほぼポップアップメニューにも、
インターラクションで「これが入る!」というシンタックスがあり、
私は日本で騒がれているマルチメディアの軽薄さに失望しました。
そして、ポパイをもう一度整理するために、
随分とビデオを探し回り、数本見た経験があります。
そこからオリーブとブルータスのデザイン企画が広がり提案しました。
丁度、航空企業の整備マニュアルの話が舞い込むと、
今度はNikeからの接客と店頭販売ツールの実装設計までに至りました。
今ではこれがiPadになりましたが、当時はCD-ROM企画での
まさにメディア・インテグレーションでした。
ユナイテッド航空、ナイキはそれぞれの要求が異なっていましたが、
共用できる設計となり、日本では実装でまとまることが、
回路設計はレイアウト、筐体設計はコンフィグレーションでした。
この二つの技術設計のフィージビリティを私はまとめるべく、
実装をConfiguration Layoutという一語にまとめるプレゼをしました。
デザイン部門には気楽に入ることが許されていましたが、
なかなか、当時ASAHI=MacBookとの設計でぶつかっていました。
一応、この写真モデルまでの実装設計にまで辿り付いたので、
さらに雨天用から水中使用のブルータスの条件まとめも
スタートしましたが、さらに、生徒用(小中生相手)MacBook企画は
コードネームがJeepが、Newtonのキーボードを私が提示したために
この企画までが飛び込んできました。
ともかく、福井とクパチーノでこの開発がされていることは、
完全にマスコミ対策にはなっていたと思います。
デザイン契約では、Apple本社の弁護士からは、
当時、福井のデザインスタジオに指紋認証入室まで求められました。
そして、なんと言っても、プレゼでは当時、Director=動画を使い、
プレゼの後には、必ず聞かれていたことがありました。
この話はいづれ記録しておかなければと考えることでした。

Jeep「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」
「キーボードデザインはここから始まった!」


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『『新大阪駅もまだ改装しているが、なんとも工夫欠落だ』


   


     11月 4th, 2014  Posted 12:00 AM

毎月1回は、新大阪からふるさと福井に行っています。
そのおかげで、帰阪すると、改装中の駅構内を観察してしまいます。
とても21世紀の駅構内とは言えないほど、まず、建築的にも
単なる場づくりに終わっています。
日本には優秀な建築家やデザイナーがとても多い国です。
当然、時代に見合った建築をすべきだとつくづく思ってしまいます。
私自身が車椅子移動をしていますから、私の目線=視界は、
天井と床面をしげしげと見つめながら、素材、建築資材も本当に
それこそ、原価すらわかってしまうことがありますから、
この新大阪がこの程度であれば、ローカルはもっともっと低価格、
安く造ればそれで構わないという風潮が蔓延しているようです。
確かに、天井そのものを構造材で視覚的にもOKとしています。が、
少なからず、工夫があるはずです。
おそらくプロである建築家には様々な欠点が判明しているでしょう。
新国立競技場では、その建築では一般も混在して大騒ぎしています。
私は、日本全国の公的でもっと日常的な駅・駅構内も
衆目監視の下に、流石に日本だといわれる建築をしないのでしょう。
駅ですら、この程度ですから、機関車・新幹線のデザインなど、
「少しだけ、鉄ちゃん」(=鉄道マニア)の私は、
職能もデザイナーですから、とても見逃すわけにはいきません。
駅の建築コンペでは、やはり、プロはここまで熟考している、
そのような素晴らしい提案を一杯見て知るのですが、
果たして、この新大阪であってもこの程度、貧弱で安っぽさは、
ものの見事に、動線など何も計画されているとは思えません。
最も、鉄道での移動で、出かけて帰ってくれば、それなりに、
なんとなく「帰ってきた」という感覚はありますが、
もっと、時代的性能性とそれぞれの街のセンターとしての機能を
存分にして、この時代を生きた公的熟慮性が伝統になるべきと、
私はもっともっと、駅・駅構内、その建築は重大と考えています。
いい加減、プラットホームと列車のデザインはやり直すべきです。

「駅構内エレベーターについて」
『駅舎もさることながら、鉄道には育たない美学』


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『駅舎もさることながら、鉄道には育たない美学』


   


     10月 5th, 2014  Posted 12:00 AM

あえて私は鉄道の美学と言っておくことにします。
駅にはその土地なりの美しさがあってほしいと思います。
新幹線でも真実素晴らしい電車というのは2台程度しかありません。
だから、まだ昔の蒸気機関車の美しさはノスタルジーで、
美しい形態だったと思うことができますが、新幹線はじめ、
鉄道車両には何の進化も起こっていません。
確かに、プロのデザイナーが起用されていて、
スゴイと報道されていますが、私は全く駄目だと断言できます。
その最大の理由は、未だに駅舎・プラットホーム・電車は、
バラバラであり、特に、車イスで利用するようになってからは、
正直最悪のデザインが蔓延していて、それらはデコレーション列車。
デザインされた列車とは呼ばないでほしいと心から思っています。
頭の悪さを露呈した鉄道スタイルをいつまで続けているのでしょう、
かと、私は指摘しておきます。
これはわが故郷福井の駅舎の天井の骨組みをみると無念です。
悲しくなるほど悲惨な建築構造であり、貧しい智恵足らずです。
夏は暑くてたまらず、冬は酷寒吹きさらしのホームです。
時々、駅舎の建築コンペでは「やっとここまで来たか」と称讃すると
すべてが落選しているのです。何か裏側での商売?政治?ですね。
駅・プラットホーム・列車はトータルにデザインすべきです。
やがて、ふるさと福井に新幹線が走り始めますが、大落胆の列車。
しかも、もしこれが湖西線なら液状化対策なしで大丈夫でしょうか?
いつまで、ホームから列車にスロープで乗り込むのでしょう。
ここに大問題があります。
電動車椅子利用の乗客のことなど皆無な計画だということでしょう。
新幹線、あるいはリニア新幹線の肝心なことは、後部脱線防止です。
そのためには、車体デザイン設計において、唯一の形態確保は、
もはや忘れられているようです。
駅舎と列車をトータルにデザインすること、
それこそ、列車というトランスポテーションの新たな問題解決です。
だから私は怖れずに「美学ある鉄道デザイン」をと叫んでおきます。

「ほんの少し『鉄ちゃん』ですから、言っておきたいこと」


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『陶磁器の二つの歴史・創れないモノまた創れるモノ』


   


     2月 7th, 2014  Posted 12:00 AM

私は陶磁器には二つの歴史があると見ています。
縄文弥生にあった六古窯の歴史と、
秀吉の朝鮮征伐により日本にもたらされた家元制度の歴史です。
そして、私が陶磁器には進化が無かったというのは、
かつて革新されてつくれたモノが現代では創れなくなったモノ、
もう制作不可能だったモノが現代、なんとか再現できるモノです。
日本が貿易国家になっていった九谷焼(右)はもう再現不可能。
比して、現代、弥生時代には出来たであろう越前焼(左)です。
九谷焼は明らかに有田焼技能が北前船で伝わったであろうこと、
しかし、有田での輸出品よりはるかに技術開発されましたが、
現代、九谷でこのガラスのような磁器と絵付けはもう出来ません。
福井にいたころ、越前焼ではないと私は主張し過ぎて、
越前焼には出入り差し止めでした。
ところが、陶器である六古窯時代を再現する若手が出てきました。
これら陶磁器はいづれも日本の伝統工芸です。
私は恩師から、伝統工芸にデザインを向ける時のまず知識、
その蓄積を教えられました。
そして、革新的な「造形」の新製造生産システムづくりです。
したがって、伝統とは継承ではなくて「革新」です。
ところが、日本のモノづくりの大誤解が最近まかり通っています。
それは、日本の伝統工芸への美的なセンスの全く無い、
プロデューサーを自称する輩に「産地」が騙されているのです。
伝統工芸の革新づくりには勿論、現代生活への適合性が必要です。
だからといって、安易な手法での商業主義では台無しになります。
こうしたモノを見たときには、徹底的に非難します。
問題は、もはや再現できなくなった技術の復権である高度化と、
再現が可能になったなら、過去になった伝統性への裏切りです。
デザインにとって、日本の伝統工芸には未来があるのです。

【ブログの関連記事】
『磁器お皿・三つのパターンと料理手法に進化無し』
『陶磁器産業地を視察して・伝統産地は県行政を決定する』
「六古窯・越前焼ー若い才能が復元から再興を始めだした」
「陶磁器は進化も革新もしていなかった、私の判断」
「自然から学んだはずだった・・・のだが?」


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『わが哲学の恩師・中村雄二郎先生』


   


     11月 15th, 2013  Posted 12:00 AM

高校時代は「倫理社会」その中の哲学が最も好きでした。
大学入試の模擬テストでも、この科目だけは全国トップでした。
「哲学」を本当に深く知るようになったのは、
中村雄二郎先生と直にお目にかかり、いくつも勉強しました。
だから、この本棚には特別の想いがあります。
あるとき、「このナイフのデザイナーは?」ということで、
先生自らが福井に来訪され、以後は、なんでも聞きました。
先生の新聞連載のイラストを任されたこともあります。
先生は、考え方をフランス語で打ち込まれるので、
フランス語のキーボードを用意したこともあります。
先生は、明治大学退任直前には、
アップル日本法人の新聞全面コマーシャルにも出演されました。
デザイン・デザイナーの批評はとても子細なコトまで熟知。
かつては日本のグッドデザイン賞の思想を教示してもらいました。
先生を囲んでの勉強会は素晴らしく楽しいものでした。
現在日本のデザイン界に哲学的な支柱が無いと私は思っています。
「デザインは難問解決である」とか、
ロボットデザインにおいての理論的背景も教えられました。
デザイナーは、「形態論」だけを語っていてはいけない、
「身体論」での論議性を懸命に解説をしていただきました。
この秋、フランスとカナダが共同してのプロジェクトにおいて、
私は、医療・原子力・ロボットがテーマになっていますが、
ロボットデザインでは、中村先生からのヒントを紹介します。
先生は今は加療中ですが、この本棚には先生がおられます。
私はこの本棚の前で佇むときにはいつも想い出すことが出来ます。
私の著作にも一文書いていただいたこともあります。
つまり、デザインにはこうした哲学の先生が最も必要なわけです。


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『ご飯のふりかけ最高もの・福井名産数多し』


   


     11月 14th, 2013  Posted 12:00 AM

子どもの頃から、ご飯には「ふりかけ」が必需品でした。
そうして、ふるさと福井には「ふりかけ」最高品が一杯あります。
なんといっても、蟹とウニが最高です。
残念なことは甲殻類アレルギーになりました。
理由は、除細動器を体内に埋め込んでからのアレルギーです。
したがって、ウニのふりかけが一番のお気に入りですが、
きわめて高額です。
このふりかけは出征を余儀なくされ、これが生まれたらしいのです。
おそらく国内のふりかけの中では最高品最高額品でしょう。
でも、大好きです。
ウニは子どもの頃には三国の浜のおばさんが売りに来ていました。
シンプルな曲げ木のパッケージに、
ぎゅうぎゅうにたくさん詰め込んでもらった記憶があります。
だから、名産となって、気取ったパッケージを見ると、
当時の簡素なパッケージの方が美味かったとさえ思います。
最近は月1にはふるさとに必ず帰るので、
ふるさとの味は、いつでも自宅にそろっているのがうれしいです。
ワイフは京都ゆえに、京都に帰ればやはり京野菜は買い込みます。
車椅子になって、父や恩師から北陸に帰って来いと言われたときも
結局は、帰ればあれが食べられるとすぐに思ったものでした。
味覚は14~5歳で決定するとさえ言われていますから、
北陸に育った私には、なんといっても「ふるさとの味」が、
今でも楽しめることはとても幸運なことです。
ただ、母とは21歳の時に死別しましたから、
母の味の記憶はあっても、もう確かめることはできません。
父母や祖父母の好みは想い出すことができます。
人って、結局は育った環境の食べ物こそ生涯の味の基本です。
私にとって、ウニは欠かせない食べ物のひとつです。


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『ふるさと福井から大阪に帰る車中では、必ず!』


   


     10月 30th, 2013  Posted 12:00 AM

小さい時から、「ソースカツ丼」が大好きでした。
本当は敗戦後日本の貧しいながらも、
精一杯の豊かさが今では名産の一つなのかもしれません。
「ソースカツ丼」も、福井には多種多様ありますから、
福井の個々人みんなのオススメもいっぱいあります。
教え子がわざわざ差し入れをしてくれることもあります。
それでも、福井ー大阪へ帰阪する車中では駅中のお店のものを
必ず買って食べることを、正直楽しみにしています。
大阪では見つけていませんが、
京都ではこの「ソースカツ丼」を食べられるお店があります。
実にシンプルな薄いカツレツとそのソースがかけられたご飯です。
ワイフはまず、カツそのものに興味がなくて、
私が「絶対に!」というのを聞き届けて注文してくれています。
今回、このカツ丼にはミスがあったと私は思っているのです。
それはこの薄揚げのカツが2枚しかありませんでした。
「んー!、違うゾ、いつもは3枚のはず」と思っていました。
だから、ご飯をすべて食べられなかったことです。
この大きさなら、カツは3枚あるべきです。
「手を抜いたナ」とすら思いました。
そんな気持ちで大阪に戻れば、高級ブランドホテルの、
あれは確実に「偽装」で罪悪です。
平均で20倍の値段を付けていた?、なんということだろう!
大阪はここまで腐敗してきていると私は思います。
高級ホテルでオレンジジュースなどは、
「これ本物?」とよく私は聞いていました。
今、確かな信頼性を自らが偽装し始めてきているこの貧しさ、
しっかりと私たちは「喧嘩」を挑む必要があるのです。
少なからず、室町時代からの「喧嘩道」は文化です。
喧嘩とは「自らに喧嘩を売る」覚悟からスタートすべきことです。
この大好きな「ソースカツ丼」は絶対に偽装などしないでほしい、
そんな心持ちにならざるをえない「現代日本」になっています。


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