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Posts Tagged ‘用紙’


『ノートとスッケチは別、今年はこれだけでも十分』


   


     2月 25th, 2019  Posted 12:00 AM

私は手帳だとか、スッケチブックをやたらに集めてしまいます。
もうこれ以上は集めない、
できる限り紙のノートは使わない、と断言しています。
ただ、私の使い方の法則として
「ノートとスケッチ用紙は絶対に分けること」が決まりです。
これはスタッフにも言ってあります。
メモしたりアイデアを文章で書きとめるノート、
絵を描くノートを明確に分けて
上手く頭の切替や発想転換は嫌いですが想像に使っています。
年単位で今年はこれっと数冊常に所持するモノを選ぶのですが、
ずっと同じシリーズで揃っていたら
どんなに管理と見栄えが良かったとも思うのです。
が、現状ではノートや筆記用具も滅法あります。
しかも、ファイロファックスなどファイルに対して、
ノート、用紙自体を自分用に名前入りで作ってしまっています。
無地からグリッドのピッチや線の細さから名前の色とサイズ、
紙の質と、わかるだけにもう止まりません。
丸いケースは、薬入れで、一応黒、白、赤色と全色所有し、
デザイン界の名作の形態でスライド式で開閉します。
循環器常用薬と甲殻類アレルギーでの非常薬です。
もはや携帯するのはiPadやiPhoneで十分なのです。
なのに肝心な時になると、
持ってくればよかったと思うのが嫌で現状に至っています。
日本文具大賞の審査委員長なので、
文具マニアの私には恵まれている環境です。
新製品の情報もわかり、
各雑誌編集長との審査会での交流も文具愛を深めています。


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『電子ペンのアナログ表現から、AIでのデジタル表示へ』


   


     5月 28th, 2017  Posted 12:00 AM

パソコン、そしてケータイとともに、
電子ペンはワイアードから相当に進化してきました。
電子文具はおそらく私は全て使ってきました。
が、電子ペンが紙でアナログ表現しても今ではiPhoneやiPadでも可能です。
私はともかく使ってみますが、日常的な文具にはなっていません。
それでも最近は、ペン先にCCDがあって、用紙も専用でしたが、
どんなノート用紙でも、いわゆる下敷き仕様で、
Bluetoothで機器とのデジタル化ができるようになりました。
ともかく、使おうが使わなくても鞄には入れてあります。
ただし、現状の万年筆ほどの仕上げはあるメーカーだけですが、
全ての電子ペンは貧弱だと評価しています。
私の世代は鉛筆、烏口、ロットリングで、デザイン技能を鍛えられました。
だから、図面でも、実線・一点鎖線・二点鎖線・破線の太さを
身体、手先が覚えています。
例えば、烏口ではインクが長持ちしないので、
烏口のペン先間に脱脂綿を使うのです。
また、図面に戻れば、一角法と三角法があります。
そして、これは断面図の描き方に最も影響を与えています。
したがって電子ペンでの表現はやがては断面図、詳細図にはAIが必要です。
電子ペンでのアナログ表現が、
AIによって、デジタル表示までが
今後の電子ペンデザイン、その方向性だと考えています。

* 烏口=からすぐち

* 『紙墨相発・電子ペンとノートとのインターラクション』
* 『電子ペンはすっかり日本開発が海外に負けている』
* 『ペンホルダーある組み合わせの筆記具は自分表現』
* 『毛筆も万年筆も細軸だから可能になる運筆がある』
* 『万年筆のミュージックタイプとインクで筆跡品格が可能』


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『牛乳プロセスから新パッケージは看医工学デザイン』


   


     4月 18th, 2017  Posted 12:00 AM

牛乳orミルク?と聞かれれば、
私の年代だと「牛乳」、紅茶なら「ミルク」と答えます。
高校生ぐらいまでは、牛乳瓶が毎朝、自宅に届いていたと思います。
小学生の頃は、牛乳瓶の紙蓋円盤が面白くて、収集したり、
何枚かを重ねて車輪として工作したものです。
現代、コンビニに行けば多彩多量な牛乳パックを見ます。
牛乳パックに内面が紙パルプゆえ、
これをミキサー撹拌して、はがき用紙を紙漉きセット「すきっこ」は
私が越前和紙産地として発売し、ニューヨークでも大ヒットした商品。
そんなこともあって、ともかく、牛乳パックのパッケージデザインでは
あの「おいしい牛乳」とかに大興味。「おいしい生活」からのヒント?
出来る限り「飲み比べてその味を確かめています」。
理由は二つあるのです。
牛乳の味評価軸が見いだせません。
繊維には七つの評価軸を論文化して、一応の評価をマーク化も終えました。
ともかく、牛乳は3〜5種類飲み比べてみることです。
あたかもペットボトルの水を飲み比べて味検討のようにです。
そうしたら問題?牛乳になるプロセスに思いがけなく興味が湧きました。
また、こんなことを思いついてしまい、
しかも現在取り組んでいる新素材との関係がデザイン対象になったのです。
そうか、濾過素材?そのロボット化?チーズ化プロセスの進化手法?など
もう数アイデアに包まれています。そして明らかにこれは看医工学であり、
コンシリエンスデザインの具体事例に間違いありません。
かつて、牛乳瓶の蓋集め興味が拡大してしまったようです。
牛乳って面白い!、
となれば、豆乳はもっとデザインテーマは、
間違い無くデザインで拡大し進化するでしょう。

* 『乳牛は決して美味しいミルクを絞り出すわけではない』
* 『蜜柑の食べ比べと「蜜」という文字』
* 『水には様々なペットボトル入りがあるけれど』
* 『水というエネルギーの国際化』
* 『布の感性評価はこれまで無かったからこそ』


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『電子ペン?電子版?、モバイルとの関係性は?』


   


     4月 11th, 2017  Posted 12:00 AM

デジタル文具はどんどん進化しています。
私は電子ペンは常に追いかけてきました。
おそらくこれまでの電子ペンは全て試用し使用もしました。
しかし、満足なモノは無かったと思います。
もし満足していれば、常にそれを使ってきただろうと思います。
果たして、今度は海外のモンブランからのノートとペンですが、
デザインはペンにもいささか不満がありますが、
試用中ですが、まだとても日常の文具にはなっていません。
そうしたら今度は国産のモノが登場しました。
これはワイフが待っていたかのように使い始めていますが、
それを私は海外製と見比べています。
iPhoneやiPadと紙に書いたことがかなりスムーズにはなりました。
しかし、これでスケッチをとなると、
どうしてもまだまだの使い勝手です。
これは一つにはペンの問題があります。
万年筆コレクターである私にとっては、
ボールペンであっても、この使い勝手が一番重要です。
ようやくCCDで用紙は、普通の用紙でもOKになりましたが、
果たして、大きな問題はペン仕様にあると考えます。
たとえ海外製であってもこのペンではという不満があるそうです。
そこを考えると、国産のペンは比べようもなく
日本の万年筆やボールペンの廉価性に引っ張られているのです。
これは日本の筆記具の廉価性そのままだと考えます。
正直残念ながら、日本文具大賞の審査委員長としても
ようやくスレート=電子版とペンがiPhoneやiPadとの連関性ができましたが
この進化は方向が違うとデザイナーとして発言せざるをえません。
通常の紙に書けば、それがモバイルと適合するには
私なりのアイディアがありますが、これは内緒にしておきたいと考えます。
むしろ、私にはiPadProでの書道の法が優れています。
ともかく、この紙に書いたことがモバイル性と関係がでるためには、
まずは万年筆を見直してほしいと思っています。

* 『紙墨相発・電子ペンとノートとのインターラクション』
* 『電子ペンはすっかり日本開発が海外に負けている』
* 「現代文房具はどうして面白いのか」
* 『イコン=アイコンが明解なモンブランとペリカン』
* 『自分文房具の紹介をしながら語った取材でした』


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『見つけた1.3mm芯のシャープペンシルの効能性と機能性』


   


     10月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

スケッチは鉛筆に限ると思っていました。
2Bか6Bと決定していましたが、万年筆を趣味としている自分には、
シャープペンシルは考えていませんでしたが、5mm芯でのスケッチペン。
その代表例は研究室にも揃えていますが、
先般、大学内である研究科長は自分が文具大賞の審査委員長ということで、
専門外の話で、1.3mmが如何に優れているかという話でもりあがり、
大学内では面談時間が限定されているだけに、秘書や助教が焦りました。
話は1.3mm芯とそのペン軸の話は
おそらくこれからも大きな話題になるでしょう。
最近は0.3mmで折れないシャープペンシルが話題ですが、
確かに1.3mmペンシルル芯は全く最適でした。
確かにスケッチにとっては、「適合している用紙」と「描く」ことです。
自分の主張は用紙の開発もありますが、「描く」ことが「書くことよりも、
発想の基本中の基本と考えています。
なぜなら、「夢は描く」のです。「書くことは欠くこと」。
欠落を埋めるだけですが、「描く」ことが生徒の時代に絵を描いて、
その評価を「下手くそ」とも言う教育者は、
その生徒の夢を奪い取っていると考えていただきたい。
鉛筆はもとよりスケッチペンは発想の文房具だと強く主張しておきます。

* 『まだまだ進化するシャープペンシル、だが作法がない』
* 『書く事のモノは最初から進化を続けている』
* 「プロとして元気の素は鉛筆への作法」
* 『鉛筆・最も基本的なモノにスタイラスもなってほしい』
* 『スケッチペンは脳と手の気分的な発想回路を動かす』


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『「デザイン部門グランプリ」は見事な原稿用紙』


   


     7月 12th, 2016  Posted 12:00 AM

400字詰め原稿用紙が日本文具大賞「デザイン部門」のグランプリです。
受賞メーカーが優秀賞でびっくり、グランプリで仰天されました。
自分はメーカーに小声で伝えました。
「この審査委員会は凄くよく見ているでしょう」と。
他の文具専門メーカーからも、あれが「デザイン」の本質ですね。
自分自身、どれほど原稿用紙自体を自作もしてきたでしょう。
ともかく、原稿用紙はもとより、紙・和紙については
絶対に国内外の用紙全てに自信を持って詳しいと自負しています。
この原稿用紙の紙・用紙を超える紙は無いでしょう。
高級ブランド商品の包装紙にも採用されています。
まず、用紙の性能はトップクラスです。したがってペン、鉛筆から万年筆、
この文字筆写においても最高です。
原稿用紙という日本人には極めて典型的な社会的な存在性を持っています。
つまり効能性は優れて「筆写する」ことを歴史的にも支えています。
そして、当然にして色彩展開されたシリーズ商品になっていますが、
装飾性が色彩毎にイラストがささやかにさりげなく加飾されています。
これは原稿用紙にどうやって向かうか、
「何を書こうか」という問題解決を成立しています。
デザインはデコレーション主体ではありませんが、
加色と加飾による美学性、美学的な効果をもっていることです。
グランプリとしての、性能・効能・機能に
プラスしての美学的な決着性が見事です。
私は、この原稿用紙は手紙の便せんとして使っていくつもりです。
多分「あっ!この色罫線とイラストの意味が」と思ってもらえるでしょう。
日本らしい素晴らしい原稿用紙です。

*「書くための万年筆の真の意味」
*『手づくりから物事デザインと事物デザインを決める』
*「高級品ということの詳細」
*『やわらかい美しさのあるノート』
*『未来創世を象徴している地場産業産地でのデザイン』


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『書く事のモノは最初から進化を続けている』


   


     12月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

先般、ブログなどを今も書いている人間は駄目とかいう文章があり、
私はこの人に喧嘩を売りました。
書くことは欠くことの原意に繋がり、書くことで欠落していることを
筆者は原知性を埋め込む修行だから大事だと反論をしました。
私にとって最も指先が鍛え抜かれてきたことは、書く・描く事です。
したがって、デザイナーになってこの40余年は、
ステッドラーの鉛筆、その書き心地では、タッチから用紙はじめ、
鉛筆はほとんど試してきたと自負しています。
だから、シャープペンシルには全く心惹かれてはいませんでした。
ところが、日本人はすごいと思っています。
しかも私自身、日本文具大賞の審査委員長もしていますから、
できる限りの文具、筆記具を詳細にプロの視点で試してきました。
そして、とうとう「折れないシャープペンシル」(下)の登場に、
私は大感動しています。
そして、欧州の中世時代、それこそレオナルド・ダ・ヴィンチも
使っていたと言われているメタルチップペンシル(中央)は、
鉛筆の源流とも言われ、ピニンファリーナでリ・デザインされたモノ
これはまだ発注中で手に入っていませんが、タッチは優れています。
結局私はようやく鉛筆からこのシャープペンシルが気に入りました。
それは、このシャープペンシルであれば、用紙・紙の品質までが
私の身体感覚と同次元になる感覚がやっと一致してきたと思います。
たとえば、一枚の用紙の上で、ペンシルを走らせれば、
私は高速性で、極細最小の線描画が、削り直すことなく折れない芯で
相当に描き込みが可能になってきたことです。
無論、メタルチップペンシルは中世以来、この描画が可能であり、
折れないシャープペンシルまで一つのサイクルに戻ったようです。
すでに指先の感覚を私はiPad描画まで連続させたいのです。
なぜなら、選び抜いた紙に書くため、描くための身体感覚は、
これまでの経験をiPad上にもスムーズに移行させたいのです。
それこそ、書く事・描く事は、私の創造性の欠落・欠く事を
埋め尽くす作業に他ならないからです。

「プロとして元気の素は鉛筆への作法」
『あくまでも「素材」は木質で確かめる』
「iPad Stylusを使うと分かること」


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『書き忘れていた手紙に取り組むという癒やし』


   


     11月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM

私は手紙を書くことが大好きです。
しかし、ついつい書き留めていることが多くなりましたが、
いっぱい書きました。
高校時代の同級生、日本でも高名で大好きな陶芸家の先生、
デザイン評論家の先生、有名な建築家の先生はじめ、
同輩である伝統工芸の打刃物作家
それれぞれに書き終わることができました。
手紙を書くことでは、亡父には本当に感謝しています。
それは小さい頃から、毛筆と万年筆はとても訓練されたことです。
ともかく美しい文字を書くことでは、たびたび叱られましたが、
正直、私が自慢自負できる特技の一つだと思っています。
万年筆もどれで書こうかと迷うほどコレクションがあります。
便せんも選び抜いた用紙を使っています。
それだけに自分は「文字」「筆記能力」には強く拘っています。
だから、本当ならなるべく電子メールは辞めたいと思うほどです。
手紙用の印鑑にも拘っています。
まだ書かなければいけない人たちがいますが、
今回もこのブログに「手紙書き」の心地よさにつつまれたので、
写真を撮り、こうしてブログにもしておきました。
その大きな理由は、「手紙」というメディアに自分を残すことは、
あらためて自分にとって重要なことだと再確信したのです。
万年筆と用紙と、それぞれの相手への「ことば」を
まったくの「自分流」にすることができることです。
この感覚はとても大事だと思うのです。
父が生きていた頃は、海外に飛ぶときには、必ず、私は、
乗った飛行機の便せんをもらって、父に手紙を書きました。
それはおまじないでした。
万一、海外にいても父には何事も無いようにという願いでした。
そして、帰国すると、父は手紙文字の批評をくれました。
そんなことを想いつつ手紙を書くことで充分に癒やされました。


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