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『大阪で再度「メタボリズム」的論理が必要だが・・・』


   


     11月 30th, 2018  Posted 12:00 AM

1970年から55年後2度目の大阪万博が決まりました。
これによって2025年には関西を元気するというプロジェクト。
写真はちょうど大阪万博開催中だった
1970年5月15日号デザインジャーナル紙面です。
かって、日本には「メタボリズム」が、ありました。
メタボリズム、いわゆる生物用語の新陳代謝を意味する都市論です。
私には、ある建築家の「不動産=土地よりも動産が
これからの新陳代謝になっていく」が響きました。
今後の未来に対して、先頃「宇宙軍」が自衛隊で新設されましたが、
動産・新陳代謝・海から宇宙までが未来の対象になっていることが
私は大事だと思います。
アポロ11号と大阪万博の「月の石」と宇宙への羨望、開発競争が進み、
戦後復興の日本からの海洋、空中都市への壮大な計画が起こりました。
災害復興からの日本は、世界のエネルギーと物質問題から情報空間の未来、
そして宇宙への探査から研究開発、産業化や移住と提案は繋がっています。
さて、私は大阪の万博には行っていませんでした。
なにしろ、「太陽の塔」が、なんとも美大生の私には
受け入れ難かったとしかいえません。
今や「太陽の塔」をユネスコ遺産にとか言っていますが、
夜に、さらにライトアップされた姿が苦手だと感じています。
しかし大阪万博での未来の姿が子ども達に影響を与えたように、
未来の夢を描き出すことは「デザインの力」です。
ともあれ、「メタポリズム」はさらに建築家、デザイナーともども、
新しいそれこそ大阪の万博には必要でしょう。
私は、単に黙っていたいと思っています。


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『ペリカン社の万年筆とそのインクについて取材から』


   


     10月 18th, 2017  Posted 12:00 AM

昨日はもう20年前にあるデザイン誌、
今もありますが、現在の編集長は彼女の存在、
その実質性や貢献性を知らないのではと私は想像しています。
その編集長だった人が、現在の大手出版社で私を紹介。
私は万年筆、それもドイツのペリカン社記事での取材を受けました。
以前、このブログでドイツにあるモンブランとペリカンを紹介しましたが、
改めてペリカン社の万年筆をこれを機にクリーニング。
それは2日がかりで先ずは水洗いして
万年筆タンクとペン先を調整することができました。
これは私が収集している万年筆がワイフに全て分かってしまうこと、
案の上、「なぜ、こんなに!呆れる」、仕方ありません。
ともかく、ドイツでは代表的な万年筆メーカーですが、
モンブランとの書き味を確認していくうちに、
こんなにも収集してしまった結果です。
取材では、通常は使うかもしれないそんなシーン毎のペンと、
最高級ペンと私が認めているペンを見せました。
これもと思ったのは、万年筆で商品化されている黒・ブラック仕上げ。
これらは気がついたらペンケースは、
ほとんどがペリカン社だったのです。
私が知っていることでは、作家の人は万年筆は結局、
ペリカンに戻るほど、ペン先の柔らかさは日本人には合っているようです。
そして、先般は終活と思ってインクを相当に廃棄しましたが、
ペリカンのインクは7瓶もありました。
それは万年筆インクの色彩は、すべからく私が最も気にいっていたから、
全く廃棄しなかったのだとこの取材で気がつきました。
それこそ、たとえば、青系=ブルー色は古代から難しかったのです。
青色は、海と山と空の色で色彩が区別出来るのです。
ウルトラマリンは海の色、スカイブルーは空の色です。
それこそ山・鉱物の色であるラピスラブリは素敵な色で、
江戸時代に加賀藩がもてなしの色にしたほどの色です。
だから青色LED がどれほど優れていたかを再確認できるのです。
正直、私は万年筆はほとんど黒色に拘っていて、これは万年筆インクを
決定的に確かめるには最適だとある理由するあるのです。
それでも、色彩的に気に入っているのはペリカンでした。
そして残念ながら、国内に万年筆メーカーはとても優れていますが、
海外メーカーほどの商品価値がありません。
そしてスマイソン社に特注したノートには、好きな詩を書いています。

* 『万年筆のミュージックタイプとインクで筆跡品格が可能』
* 『イコン=アイコンが明解なモンブランとペリカン』
* 『ペンホルダーある組み合わせの筆記具は自分表現』
* 『最高級品=最高価格であるべき万年筆の登場の意義』
* 『インク、インク瓶を初めて整理しました』


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『デザインでデザイナーが美しさをどう創るか』


   


     10月 11th, 2017  Posted 12:00 AM

デザイナーにとって、私は最も難しい質問は「美しい」ってどういうこと?
この質問に一言で、体系的に、経験的に、学術的になど、
応答・回答・解答出来るかは本当に難しいと思います。
そして「美しさ」は美学という学術的な領域がその答を出しています。
それは音楽と美術が中核だったことは間違いありません。
私自身、「美しいってどういうこと?」という質問は、
福井伝統工芸産地、越前和紙に創ったオータキペーパーランドからでした。
思わず身構えましたしどう答えるべきか随分と逡巡した思い出があります。
私はまず、先天的に答えることができますが、
これをあたかも美学的に体系までは困難です。
そして後天的には、知識と経験で知見化することが可能です。
まず、美しいというのは景観での気分や気持ちよさでの一言です。
本当に気持ちいいほど空が青いとか、
夕焼けが綺麗という単純な景色感覚への評価です。
空・海・山の景観や景色が挙げられます。
これが先天的での景観評価が素直さでの感覚=センスだと思っています。
かって名古屋大学での講義で、自分が美しいものを上げてレポートを、
こんなカリキュラムを数年やったことがあります。
工学部相手でした。そうしたらなんと三分の一の学生が数学の美しさを
徹底的に分解してきたレポートには感動しました。
私はデザイナーとして、体系的には、二つあります。
その一つはパウル・クレーの「造形思考」でした。
もう一つはカントの代表作である「純粋理性批判」での
真善美と感性・悟性・理性での美の解釈です。
東芝時代はモーツアルトのピアノ協奏曲のスコアとその旋律再生音。
このマッチング性に美しさがありました。
登山懸命だった大学時代は山岳と空・夜空が私の美しさの根源でした。
今は自宅から望める夕方の夕闇の変化を眺めて、
自分デザインの美しさを綺麗さからも求め直します。
美術的や音楽的を離れた時には、デザインでの美しさは、
今ではかなりの制約が乗りかかってきています。
たとえば、PL法違反などは、現代的には当然であり、
重量なども、万一、落ちてきたら危険は美しさを語る以前の問題です。
デザインでの美しさは追い求める義務がデザイナーには不可分です。

* 『家具デザインの「家具」定義を変えるべきだ』
* 「伝統は熟知必然・実例としての和紙か和風紙か」
* 「若手芸術家の紹介から学ぶ『範・感性』の確認」
* 『ポケットブックになる「造形思考」が出版』
* 『月明かりの前の沈まない大阪、それは日本』


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『芽生えることと確認すること、ライバルとジェラシー』


   


     9月 26th, 2016  Posted 12:00 AM

点と点、この2点があれば線になります。
これを直喩して視線=眼差しを考えてきました。
eyepointとviewpointにまなざしが出来るという具合です。
ところが、空と海に水平線があるというこの写真作品は、
空に点、海に点、だとするなら・・・違います?
水平線は地球の輪郭線ですが、
視野あるいは視界には直線の水平線があります。
この線は、全く不滅、歴史的にも何も変わらずに人間の視界では不動です。
現代美術というジャンルだということですが、
「現代美術とは何か」という作品ではないのです。
「この水平線が現代美術」という見事な解答になっています。
自分が美大時代にそうなんだと納得した宮川淳の評論で理解したことです。
だから、「デザインとは何か?」ではなくて、
「これがデザイン」というのに、最もふさわしい作品なのです。
ライバルに立ち向かっても、決してジェラシーという心は全否定、
「これがデザイン」というのをめざして活動をしてきました。
無論、ジェラシーがふつふつとある瞬間には、
何度も何度も自分も最悩まされて来たことは正直ありました。
先日、美大時代の同級生と、確かに喧嘩はしてきたけれど、
あれはライバルだったから、これからもライバルだけど、
ジェラシーなどは全く持たなかったよなぁと確認し合ったのです。
水平線を切り取って見せてくれた、
「これがアートなんだ」と思い起こしました。
「何がデザインか」をまだ追い求めます。

* 「アーティスト、デザイナーにだけ降りてくること」
* 『鏡映は冥府に降りていることゆえに「何がデザイン?」』
* 「表現としての美術とは?、教えられた宮川淳」
* 「AppropriationーDesignに紛れ込んできている危険性・1」
* 「男の嫉妬を消去せよ」


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『動物実験の詳細:深紫外線の消毒機器デザインで』


   


     8月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

大腸菌は基本的には無害ですが、雑菌(こういう名前はありえない)です。
しかし、最近はO157などは大変な病原菌になっています。
大腸菌が河川や海などの環境汚染の指標菌になっていることからも
検査の指標菌であり、
一般的にはこの菌への影響力は基本的な菌存在の有無です。
まず、深紫外線での菌繁殖性を完全に食い止めることを指標にしました。
それから創傷直径8mmφをラット36匹を4つのグループに分けて、
 ● 創傷のまま:コントロール
 ● 検査用消毒薬を塗布
 ● 深紫外線 UVC256nm
 ● 深紫外線と消毒薬を同時塗布
これは動物実験の阪大専門の検査機関によるものを学び指導を受けました。
実に心配だったことは、毎日朝夕に結果を知らせてもらう2週間でした。
いきなり、4日目には深紫外線がすでに治癒が始まったとの知らせでした。
研究室では大きな期待が膨らみました。
フォトニクスセンターの回答は「えっ、デザイナーが」でした。
デザインはとても軽く見なされていると自分には怒りがありました。
デザインの実務は問題解決であり、阪大には腸チフスを発見した先人、
福井県同郷の学者・藤野恒三郎氏がいました。
彼は阪大の微生物研究所初代所長であり適塾での使用品コレクターでした。
彼は橋本左内を受け継いだ阪大の名誉教授でした。
ふるさと福井にも知られていませんが彼の著作は近代外科史の代表作です。
自分はデザイナーながら、この動物実験結果で、
深紫外線の表面だけの殺菌効果の推移を見詰め直していました。
結果、2週間後に全てのラット、その創傷は完全治癒しました。
しかし、具体的には、深紫外線と消毒薬の同時塗布、
ほどんど同様な治癒が深紫外線でした。
消毒薬とスタンダードである自然放置が明らかになりました。
ただし、これは表面とその表皮の顕微鏡写真で明白になり、
デザインからの論文は提出学会選びになっています。
同様にデザインは日本デザイン保護協会届けによって、
知財権:工業意匠権を確保したのです。

* 『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』
* 「安易な包丁デザインは絶対しない」
* 『倫理観の原点、その詳細の要点を語り継ぐ』
* 「『医の知の未来』適塾175年・緒方洪庵没後150年=大阪大学」
* 「大阪大学の歴史の一つに、藤野恒三郎の存在」
* 「ふるさと偉人の「ち」の系譜を再興したい」


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『枕革新をねらう羽二重からの新素材デザイン』


   


     5月 22nd, 2016  Posted 12:00 AM

キリンは立って眠っています。子どものキリンは座って寝ていますが、
それでも首は時々揺れているのをTV画面で見たことがあります。
おそらく人間に限らずに大木や小岩を首下にしているのでしょう。
私にとっても寝るときの首下を支えている枕には
相当の歴史があり、しかも最近では、材質、大きさ、柔らかさなど、
日本では蕎麦殻とか枕の中身までが問われ、しかも生死の象徴になります。
万一、
漁民が海で逝ったらその死体無き時は使用されていた枕で葬送されます。
しかしデザイナーとしての私はズーッと枕のデザインを対象にしてきました。
断言すれば、現在のどのような枕も不的確です。
なぜならば、ようやく「羽二重ブランド」の開発とともに、
新素材を見い出してきて、枕どころか敷布団も掛け布団も
新規デザインが可能になると思っています。
新素材で今まだ開発中ですが、これだけのアイディアを追いかけても
ほとんどのデザイナーは追いかけることが絶対に出来ないだろうと思います。
あらためて新素材の開発を絹織物、その最高峰であった「羽二重」です。
絹織物も生糸の生産は明治維新を支えた産業でしたが、
世界から、生糸=当時、富岡製糸場は廃止案にまで落とされますが、
細井順子女史による縦糸2本横糸1本の「羽二重」が登場します。
その布としての最高品から、新素材開発に至り、
基本的な製品開発、商品アイテムにはやはり、
最高品格の枕を実現するつもりです。

*『日本人の根本的な倫理観、その原点を見つめ直す』
*『素材産地のダブルブランド・「羽二重」HUBTAE』
*『布と衣と織りと・・・』
*『日本の繊維産業、その先鞭をつけた人たちの偉業に続け』
*『「はぶたえ=羽二重」の目立たなかった布の美しさ』


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『風当たりを我ながら強くする! 当然である。』


   


     7月 14th, 2015  Posted 12:00 AM

昨日は大阪に来てから初めて強い風が吹き付けました。
天候異変は、台風の進行方法を変え、
さらに連続する台風が、進行方向を予断させていません。
私は事典・辞典・辞書の類いが子供の頃から大好きです。
そして私が最も大気に入りが「風の事典」でした。
この事典は大変な作業で私は初版本を持っています。
最も学んだことは、日本には風は三つしかないという結論でした。
とても簡潔な結論に私は鳥肌がたったことを覚えています。
日本の風は、山からの風と海からの風であり、
この二つの風には名前が各地方ごとにありますが、
とても似通っています。
そしてもう一つの風が瀬戸内海からの風です。
私は大阪の風は、瀬戸内海からの風だろうかといつも思います。
北陸に育った私は日本海の風と日本列島山脈からの風はすぐに分かります。
むしろ東京にいるときには太平洋からの風はなんとなくわかっていました。
「風が吹くから木の葉がゆれる」
「木の葉がゆれるから風が吹いている」
この二つの表現を解説せよ、という大学入試問題が
「隠喩性」で出題されてたことがありました。
私は、「風」というテーマでデザイン課題を出したこともあります。
それはどれもデザインにおける比喩論的な手法につながり、
レトリックへのデザイン論だと考えます。
だから、風をメタファーにすれば、
人間関係や社会の景気論などはまさに風です。
だから、教え子や後輩から相談を受けると、
「私はそんなこと、一時の風のようなものだから」
「受け止めること無く、その風に吹かれて平然と」、
と、簡単に伝えますが、
翻って、私はたとえどのような風であれ、防風対策をします。
防風どころか、暴風対策をしてしまいます。
詰まり、風当たりが強くなってこそ、
生きがいだと感じる性質で生まれてきたのだと自覚しています。
正しいデザインのためには、
風当たりが強くても、メタファーでは語れない
「悪用」・「盗用」のデザイン・デザイナーを告発するつもりだ!

*風の事典


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『あくまでも「素材」から考える』


   


     11月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

私のデザイン、デザイン思考は「素材」に最も焦点をあてています。
その根本は、やはり、オーディオから私のデザインが始まり、
徹底して現場で学んで来たことが大きな体験になっています。
これは、最近見つけた葉巻入れですが、カーボンファイバーです。
素材はその強度性と軽量性ともう一つが製造性生産性が問題です。
これまで、素材技術で拘ってきたのは、金属では多用な合金でした。
しかし、合金とその表面処理が問題になったのは、
人間と合金、特に環境ホルモン性の懸念さが指摘されたことです。
これは、合金ゆえに人類に安全だとは言えないことが
科学的に立証されたことで、私のデザインしたモノでも
諦めざるをえなくなったことや、たとえば、ベリリウム合金を
エンジニアと結託してでも開発を拒んだことがあります。
それは、ベリリウム合金だからこそ商品性が讃えられましたが、
それは廃棄されれば毒物になることが分かった時点で開発を停止。
たとえば、この素材に拘って私だけが反対したために、
市場的な成功がもてはやされて、私が非難の対象になりました。
それでも自分の意志を貫きました。結果こういう素材は消えました。
オーディオ製品は素材がデザイン開発の決定になることがあります。
チタニウム・マグネシウム・ボロンなどはまだまだ開発余地があり、
これらの開発を技術進化とそのデザイン応用で追いかけています。
その一つにカーボンファイバーがありましたが、
私はまだまだこうした器的なモノ以外、
繊維状のモノの進歩加減をよく見ていく必要があると思っています。
炭素系は、人類にとってはまだまだ開発すべきことが多く、
そうした意味でもカーボンファイバーには将来がありそうです。
けれども、それこそ、蓄電地の素材を考えると、
これらはすべてイオン化傾向という科学的な検証が必要になります。
それこそ、具体的には、織物としての繊維性や、
製造生産性での発想の転換がデザインに求められていることです。
おそらく、原子力への応用と蓄電地の関係が今後は、
素材革命に関与すると判断しています。
なぜなら、素材=MaterialのMとは、MotherでありMarineという
UMI・UMU=海・産む・母に繫がっていることです。

「現在使用のバッテリーパック・・・携帯電力を再考」
「製品要素としての新素材開発で性能性を高度化する」


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『「土地の記憶」は鳥居の位置その変遷にある』


   


     1月 24th, 2014  Posted 12:00 AM

私は「ち」という言葉に日本思想の理念の一つがあると考えます。
土(つち)・土地(とち)・街(まち)の上に、
かたち・きもち・いのちが存在していると言ってきました。
このつち・とち・まちの思想こそ、
日本列島の国土計画になると考えてきました。
3.11で学んだことは、津波という天災の力でした。
津波は海から襲ってくることも怖いですが、引き潮の力、
それは6から60倍の力があります。
だから、防潮堤を高々と建設することはとても愚弄なことです。
あるデザイン系大学の学長とそんな論議をして教えられました。
海浜ラインの変遷、津波の経験、さらに地震津波への知恵は、
「土地の記憶」のアナログな調査にほかならないということです。
最近の天災後の土地調査はGPSでのデジタル調査では、
とても核心をついた計画にはつながらないということです。
今、私が畏れている南海トラフでの想定可能な津波、
襲いかかる時間と津波の高さです。
瞬間であり、とてもその津波では助からないということです。
したがって、その場所=土地の記憶をその所にある鳥居の位置、
これが歴史的な変遷を探り、実際にその土地で確認すること。
私は引き潮力への対策とその地盤土壌改革を成し遂げることです。
この計画を早急に成し遂げなければなりません。
私の元に、ひょんなことから想像外のアイディアが来ます。
だから、私はこれをなんといっても次の天災対策にすることです。
3.11、いやあの阪神大震災はすでに19年も経ちました。
そして報道されない震度1や震度2は毎日頻発しているのです。
東京オリンピック・パラリンピックまでの6年間、
この間に私たちは想定内の実現デザインを急ぐべきでしょう。


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「やっぱりだった、あの飛行機だった!」


   


     6月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

ニュースキャスターで著名な人と盲目の人が遭難しました。
彼らはプロ級の腕前を持ちながらも、
さすがに、台風から温帯低気圧の凄まじさには負けました。
ヨットが破壊され、遭難での救済を求めたのです。
岩国(厚木かも)基地から海難救助が飛び立ったそうです。
私なりにはきっとあの飛行機が行ったのではと思っていました。
案の上、その機種は知る人ぞ知る名機でした。
「US-2」という水上飛行機でした。
しかし、波高3~4mに着水し、ゴムボートで救助して、
再び、水面が荒れ狂う海から飛び立つのは、
機種もさることながら、大変な飛行術と救難術があったからです。
救助されたニュースキャスターが、泣き声での事情説明。
「11名がたった2名救援のため」という説明は涙声でした。
命が助かるということは、彼らの冒険旅行以上に、
わが国には、素晴らしい飛行機と絶え間ない訓練があったことを
私たちに知らしめてくれました。
彼らの行動の是非はいろいろと個人的な所感が重なるでしょう。
けれども、私には、「やっぱり、あの名機だった!」ということ。
ちょうど、「Ship of the Year」審査会後に、
元船長からの海難救助がどれほど困難かを聞かされていただけに、
私は、その機種と海上自衛隊の存在を確認できました。
そして、航空機にはわが国の飛行機製造技術が、
見事にもしっかりと継承されていることに感動しました。
「US-2」に引き継がれてきたのは、
確かに大東亜戦争(太平洋戦争・GHQに書き直された)でしたが、
航空機の製造技術は遺伝子的に残っていたのです。
これだけの技術がありながらも、
わが国ではジャンボジェットは造れません。
かつて、政府からフランスに出張させられたときに、
トゥールーズでは、日本人のエンジニアが一杯いました。
ドイツ人のデザイナーが言ってました。
「ジャンボジェットが創れるのは我々と日本人だけだ」と。
救難された二人が言っていました。
「すばらしい国家の民だった」と。
わが国には、あの戦争から生まれたかも知れない技術であっても、
おそらく、これからの世界にとって肝要なモノづくりの民です。
そうして、日夜、訓練してくれている人たちもいる国民なのです。


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