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Posts Tagged ‘数式’


『資本主義からの逃走』
    「気楽・緊張の『会話』が、最も簡潔さを引き出す」


   


     12月 22nd, 2010  Posted 12:00 AM

デザイン手法は会話
デザイン手法に「会話」が手がかり。
40年デザインに関わってきた経験です。
この経験値から、デザイン手法とデザイン造形を伝えます。
まず、「私」がデザインしたいモノを見つけます。
そしてひたすらそのモノの造形にだけこだわります。ことば・図・スケッチ・図式・数式です。
私はそうした独り言をそのデザイン対象のモノに語りかけています。
そうして、そのモノをどうして自分=一人称が、二人称となる「あなた」を見つけて、
そのモノを語ります。
無口さ・饒舌さ
ただし、この語り方・語り口は、二通りしかありません。

 ・無口・一切言葉無く、「あなた」に差し出すだけの時もあれば、
 ・饒舌・もう自分の持っている語彙の限りを尽くして喋ります。

この会話、あるいはモノにだけの対話は、気楽なこともあれば、緊張極まりないときもあります。
そして、この一人称と二人称のinclusiveに、
三人称である誰かに、そのモノの造形を伝えるときになって、
その造形されたモノの「かたち」が語り出すかもしれないことが、
実は、「コンセプト」と「言い切ってしまう一言」だと確信しています。
不要なコンセプト
「言い切ってしまう一言」は、可能なかぎり簡潔であってほしいのです。
この簡潔さが「美しいかたち」の母体です。
なぜなら、気楽な相手であろうが、緊張する相手であろうが、
たった一言で、その「かたち」がきれいでさらに美しいと言い切れるなら、
二人称=2nd personも三人称=3rd personも、
説得と納得というコミュニケーションが可能になると確信するからです。
つまり、この簡潔さである一言さえ不要なら、
デザインにコンセプトすら不要だと考えています。
無論、デザイナーになっていくトレーニングのために、
コンセプト=ことばからデザインをしていく手続きを教えることは不可欠ですが、
いづれ、そのようなコンセプトなどは全く不要だと宣言しておきます。
語彙を持つ才能
そして、語彙=ボキャブラリーには記号も図式も数式も必要だということです。
無口な語彙性と饒舌な語彙性に、気楽な自分と緊張する自分という一人称だけが、
モノの造形・かたちを創り出すことができるのです。
ただし、この一人称になりきれる存在を才能と呼んでおきます。
つまり、「かたち」を創れる一人称は限られているのです。


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『資本主義からの逃走』
 *「造形思考も数理思考も、『手』に集約します」*


   


     1月 17th, 2010  Posted 1:00 AM

手と空
いつもスケッチと数式を描き書いています。
「手」に造形・数理の思考が採集・集中・集約します。
「手」が動き出すまでには、
「手」はほとんど運動神経が支配している所ですから、
頭脳は「空」=emptinessになっています。
だから、思考が蠢いているとは感じられません。
ところが訓練した「手」には「思考脳」が発生します。
これが不思議なことですが、私は確信しています。
デザイナーの修練・資質・才能・意志・存在感、
それらを統合化しなければ、
この不思議さを身体化できません。
これはほとんどスポーツや楽器演奏とも同一だと
私は想ってきました。
手の訓練
美大生時代は、徹底的に「手」の訓練をしました。
泣くほど訓練をしてきたと思います。
デザイナーである現在も「手」をひたすら精進です。
今、教育者として「手」=デッサンを重視しています。
もう、「手」で一本のラインを見ただけで、
学生や若いデザイナーの「力」=能力が見えます。
私自身のデッサン・スケッチには健康状態も出ます。
もう一つは「手」は女性のごとく「手入れ」必死です。
ハンドクリーム
手の洗い方からハンドクリームについても、
相当に試行錯誤してきました。
特にハンドクリームについては一家言持ってます。
「手」が、
実は「脳科学」が集約しているとさえ思っています。
「思考」は「試行運動」で「手先」から表現されます。
私は、思考が行き詰まるといつもじーっと、
自分の「手」を見つめることにしています。
ちなみに、ハンドクリーム評論家にもなりたいです。


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『資本主義からの逃走』
  「Bit資本主義の数式論「デザイン数理学」へ・2」


   


     1月 9th, 2010  Posted 9:00 AM

e-Management

AtomからBitへというのは、
パーソナルコンピュータが日常化した結果です。
そして、次のようなマネージメントの言葉、
その手法は戦略論になっていきました。
100109emanagement

すべてに「冠詞」=「e-」によって、
コンピューターをビジネスツール化したことです。
e-=electoronicsであり、
それはデジタル化という意味性を包含していました。

exponent

この「冠詞=e-」を私は、exponentという概念、
数理的な概念として理解していくことが正しいと
判断評価しています。
exponentは、数学術語では「指数」といいます。
そして、
数理論的には代表的には三つの思考算式があります。
私はこれらの思考をデザイン思考として援用する、
ということをめざしています。
「デザイン数理学」を、
大学人として提案するのが夢です。
それは、明らかに、Atom産業がBit産業として、
新たな経済イデオロギーへと向かうという予感が
あるからです。


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『資本主義からの逃走』
  「Atom資本主義が終わって、Bit資本主義の数式・1」


   


     1月 8th, 2010  Posted 8:00 AM

Bit Capitalism Equation

Bit資本は、パソコンの出現時にスタートしました。
けれども、Atom社会が資本主義というイデオロギーと、
ともに終わっていったという意識は、
全世界が認識することができなかったのだと思います。
私自身,デザイナーとしてパソコンをデザインツールとし、
しかも、
研究対象から趣味対象としながら気づきませんでした。
光造形システムで、「トポロジー空間論」や、
3次元CADから4次元CAD=「遺伝子操作のデザイン」へ、
さらに、その医療=命と向き合うデザインまでを
「デザイン対象」にしてきました。
ところが私の脳内の一方では、
再びマルクスの「資本論」・「経済学批判」にもどりつつも、
「数式」に書き換えるということにまでは気づかないという、
まったく別次元でした。
しかし、やはり、
このAtomからBitへの時代転換を「数式」にしてみます。
「数式」などというのはブログではさらに「重い」でしょう。
ひとまず、
「アルゴリズム」、いや、「数式的記号」に表現してみます。
そうすると、



とてつもない「不思議さ・?」と「そうだったのか・!」が
結びついたのです。
それをこれから記録していくことにしたいと思っています。

exponent

exponent=「e」の世界観
そして

imaginary

imaginary number=「i」の世界観が、
ぴったりと、Bitの世界の冠詞になっていたのです。
この数式あるいはアルゴリズムの進化を見極めれば、
「資本主義から逃走」して、
新天地に入ることが可能だとわかりました。


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