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Posts Tagged ‘個性’


06月01日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 1st, 2018  Posted 12:00 AM

06月01日 先負(甲子)

僕の母親は、
ほかの多くの親と比べると
少し変わっていた。

今思えば、
子供の個性を大事にしてくれていた
とわかるのだが、
当時は自分の 「 わがまま 」を
とことん聞いてくれる最も都合よく、
そして頼もしい存在だった。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


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07月04日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 4th, 2017  Posted 12:00 AM

07月04日 先負(壬辰)

個性というのは、
見識ある想像力と創造力。
そして
想像力にも
創造力にも
「美意識」は天性である。

川崎和男の発想表現手法


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07月03日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM

07月03日 友引(辛卯)

限定された「個性」とは、
自分が自己解釈はありえず、
他、周囲の人達が
いわゆる「公認」すること、
これが決定的な判断である。

川崎和男の発想表現手法


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07月02日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM

07月02日 先勝(庚寅)

私の経験では、
知識の暗記力と
荒唐無稽な想像力の一致は、
見識力ある創造力には
なることがあるが、
限定された個性である。

川崎和男の発想表現手法


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03月03日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM

03月03日 先勝(己丑)

意識にイマージュ、
意識にイメージ、
イメージは感性と個性に
先天的にあるものだ。

川崎和男の発想表現手法


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02月02日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM

02月02日 赤口(庚申)

デザインは創造力が基本である。
その創造力に至るには、
想像力が必要だが。

想像力は
個性と感性に裏付けられた
天性の資質が必要だ。

川崎和男の発想表現手法


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02月01日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 1st, 2017  Posted 12:00 AM

02月01日 大安(己未)

個性と感性が
想像力と関係がある。
ここから、
想像力が創造力と相関なら、
個性と感性は
創造力を裏付ける。

川崎和男の発想表現手法


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『目の前に未来・将来は無く背負っているのです』


   


     1月 31st, 2017  Posted 12:00 AM

「Back to the Future」というSF映画を観た直後に、
これは映画の題名というよりは、ホメロスの叙事詩に登場していると、
この話は小説家・堀田善衛氏の指摘で、
ホメロスの叙事詩である「オデッセイ」を知りました。
それは日本書紀・古事記にも登場する、いわば国づくりというか、
国・国家という存在が世界共通にあるということから、
私はホメロス・オデッセイを追いかけていたら、
ずばり、「Back to the Future」そのものの書籍にぶちあたりました。
そして、未来は決して目の前に広がっているのではなくて、
背中に未来を背負っていることは米国のそれもSF映画の根底でした。
古来、日本では人は生まれて死んでいくまでに「背負い水」があること。
人は一生に飲む水を宿命として携えて生まれてくることだと知りました。
私自身28歳で車椅子、リハビリテーションの病院では40歳までが一生、
このことを担当医から言われたのですが、そんなことを聞かされたら
人は絶対に投げやりになるものです。
それは40歳までの背負い水を持っているということです。
ところが40歳寿命など忘れていた時に、
私は毎日デザイン賞をいただきました。
したがって、私が未来・将来は自分が背負ってきたことからしか創れない、
このことを強く意識し始めてきました。
しかし、背負っていることは経験や歴史だけではありません。
ここがBack to the Futureをホメロスはどのように未来を招待するのかを
経験・歴史を超えて非常識さあふれる想像力の受容力かと気づきました。
そこでの大問題は想像力そのものも実は背負っていて、
この想像力こそ、個性・感性であり、宿命的に背負わされているのです。
人はすべからく想像力を持っているということは大間違いでした。
この事実をホメロスは読みとっていたのかもしれません。
ところが、商業主義に汚されていくと、
それこそオデッセイも日本書紀、古事記も語っていた未来・将来に
デザインは寄り添うことができなくなるのです。
是非とも、特にデザイナーは「Back to the Future」を定本にするべきです。
ただしすべからく、キリスト教義であることに
私は多少違和感があることは確かです。
日本人にはもっと自然をも背負い込む想像力があるからです。

* 『十日恵比寿の種銭を大国主命からもらう』
* 『少子化は雑誌の世界をすでに破壊していた』
* 「際限は背中に、目の前に未来など無く」
* 『「創育」と「想育」の中心はやはり恐竜の存在だ』
* 『銀河系の帝国主義、そのアーキタイプは未だ戦争か』


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01月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 31st, 2017  Posted 12:00 AM

01月31日 仏滅(戊午)

個性は想像力の運動力
感性は想像力の大きさ

想像力で個性が決まる
想像力で感性の有無がわかる。

よって、
想像力の無い人間は
犯罪者になるものだ。

川崎和男の発想表現手法


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『黒板を集団の発想道具としての未来ボードデザインへ』


   


     9月 29th, 2016  Posted 12:00 AM

「黒板アート」本当に凄いと思います。
「黒板」というのは自分らが高校時代ごろから「グリーン色」になったようです。
福井大学で非常勤講師になったとき、新品のチョークを受け取り、
なんだか緊張(普段緊張しないが)して、非常勤なれど伝えるべき事を伝え、
学生に建築家への意欲を持ってほしいと思いました。
数人の個性が建築に向かい、若手建築家も生まれました。
ところが、ホワイトボードがすっかりビジネス場面で用いられ、
さらに大学でもとなったとき車イスでもOKな
特別仕様を造ったぐらいでした。(中央)
なんといっても、いわゆる黒板とチョークは、
カリグラフィーを書くときはとってもしっくりします。
NHKの「ようこそ先輩」では、黒板にしっかりとカリグラフィーで、
デザイナーって流石だろう(うぬぼれにすぎず)と、
名前をいわゆる英文字ゴシック体アルファベットで描いてみせました。
今ではホワイトボードで書道が可能な筆や顔料墨ボトルセットが生まれ、
審査委員会では大絶賛し「日本文具大賞」で優秀賞の表彰をしたほどです。
今、明確に「未来の黒板」が見えています。
すでにデザインモデルは出来上がっています。
絶対にこの時代になると思っています。
黒板、ホワイトボード、未来の黒板、このコンテクストは、
大きな皆で考え合う大切な集団的な発想道具だと思っています。
Back to the Futureの真の意味があるのです。
背中に未来を背負っているのです。

* 『石ころとスタイラス』
* 『黒板メーカー・馬印が実現してくれた「価値」』
* 『商品のシリーズ化』は大きさの性能が全体機能である
* 『毛筆も万年筆も細軸だから可能になる運筆がある』
* 『Macの進化と自分の進化は使い分けるべきでしょう』


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