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『素材産地のダブルブランド・「羽二重」HUBTAE』


   


     4月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM

「五か条のご誓文」は由利公正(越前藩士三岡八郎)によるものでしたが、
彼は富岡製糸場の殖産興業を動機づけただけではありません。
ところが、生糸が海外からの要望が無くなってきたときに、
福井で細江順子女史は、縦糸2本横糸1本で「羽二重」を産み出します。
この「羽二重」が落下傘=パラシュートとして、
最高の品質であったことが、米国でのナイロン発明のきっかけでした。
福井は絹織物=羽二重の一大産地として、後には人絹取引所となり、
人絹はポリエステル繊維・布素材産地でした。
しかし、織物産業は時代的経済的にも逼迫した状況に追い込まれました。
ところが、最近のポリエステル繊維は織物編物として、
高度な素材として次世代素材として大きな性能開発が出来てきました。
僕は「羽二重ブランド」とともに、
繊維や編物、その「布特性」を明確に七つの特性評価を
オノマトペでの七つの感性評価を学術的に決定してきました。
 ・はり
 ・ふくらみ
 ・こし
 ・ぬめり
 ・きしみ
 ・しゃみ
 ・しなやかさ
こうした言葉はすでに死語的になっていますが、
オノマトペ=擬音語表現を幼児にも布体験をしてもらうことで、
明確な感性表現をして、そのマーク化を行いました。
すなわち、「羽二重」と「布の7感性的特質」は
ダブルブランドとして、新たな「素材産地ブランド」として
福井=素材産地が商品アイテムの提案をしていく基盤にしました。
これからの地方地場産地は「素材から製品アイテム提案」の
出来る場、
これが素材産地の革新的役割になると考えています。

*「オノマトペ=感性評価軸が学術検証された」
*『幼児たちの布感覚=感性評価実験から最学習』
*『「織物・布の感性的評価軸=オノマトペ」産地福井から発信』
*『落下傘としても羽二重は最高品質だった』
*『日本の繊維産業、その先鞭をつけた人たちの偉業に続け』


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『素材産地からWブランドのアライアンスイニシアティブ』


   


     3月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

産業のスタートは繊維産業でした。
五か条のご誓文を書いた由利公正は国家の殖産興業を考えた最初の人物。
彼が橋下左内、横井小楠から学んだ結果は富岡製糸場に結実しますが、
すでに生糸は海外から認められなくなっていました。
結果、細井順子女史らの「縦糸2本横糸1本」の「羽二重」は
世界制覇をします。
羽二重でのパラシュートを陵駕するためがナイロンの発明であったのです。
「羽二重」は人絹から今では高密度ポリエステル産業に発展してきました。
繊維には長い間に繊維性能が七つありました。
 ・「しなやかさ」
 ・「ふくらみ」
 ・「はり」
 ・「こし」
 ・「ぬめり」
 ・「しゃり」
 ・「きしみ」。
この七つの感性評価が繊維・布の基軸になることはありませんでした。
私たちはこの七つの感性評価をオノマトペでの研究で、
明確に手本・見本にするマーク表現をしてきました。
僕自身が母方の実家周辺は
いわゆる「機織り屋さん」が幸盛を極めて来た時期、
僕の遊び場は小学校より大きな機屋工場でした。
ふるさと福井に、私は「ダブルブランド戦略」を準備しました。
まず、ふるさと福井は「素材産地」として「羽二重=HUBTAE」にて
メーカーでは、企業毎、商品アイテム毎をブランド化します。
そして、「素材」はさらに新素材から新たな製品化・商品化を産地から
高密度素材開発からの「記号商品」を発表していくことになるでしょう。
素材には確実な感性評価基軸のマークが、素材性能を表します。
すでに、新素材は新たな繊維としての試作を開始しています。
この新素材はやがては医療用として、細胞シートになる可能性があります。
いずれ衣食住の基本である繊維は
日本の新たな素材産業を創成するでしょう。
その大きなきっかけが、繊維の歴史から、
それはコンセプトではなくて
LINEとしての新産業のアライアンスイニシアティブを
かつて、由利公正が意図していた
日本の主産業になると僕は確信しています。


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『落下傘としても羽二重は最高品質だった』


   


     10月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

2012年からふるさと福井の繊維産業の一新化に関わっています。
ともかく、歴史から福井の繊維を語り直そうと考えています。
それは「羽二重」が絹織物の名品となって
日本からの貿易輸出品だったこと。
ゆえに羽二重から人絹取引所まで生まれ、
今はポリエステル繊維が中心になっていますが、
羽二重が最高に優れていたのは、
これが落下傘=パラシュート素材でした。
富岡製糸場は由利公正が西洋の絹糸を学ばせた最初の工場でしたが、
生糸では欧州とは競合が出来ないことから、
縦糸2本に横糸1本で羽二重こそ、最高の絹織物でした。
そして、日本には落下傘部隊が誕生し、
それは左上がその部隊のマークだったらしいのです。
羽二重でのパラシュートは、最高のモノであったらしく、
そのパラシュート生産の産地が第二次大戦時には、
米国から大変な空襲を受けて、福井は焼け野原でした。
当時、米国兵たちもパラシュートは持ち帰って、
ウェディングドレスにしたものらしく、
羽二重織物を超えるために、ナイロンが出来たとさえ言われています。
由利公正と言えば
五箇条の御誓文・東京府知事ですが、
それは橋下左内と横井小楠の殖産興業の興し方から学んだことでした。
絹織物は羽二重が世界を制し
日本の輸出品筆頭は九谷焼磁器を凌ぐばかりか
落下傘部隊創設も、
パラシュートとしても最高であったことは知られていません。
生糸産業、羽二重産業、それは人絹織物とまでなり、
人絹取引所は、
その文化までが福井にはあったようでした。
私自身が子どもの頃は親戚の織物工場は学校より大きいものでした。
ところが、最近では羽二重は、お土産物の羽二重餅が知られていて
羽二重が最高の絹織物ゆえに落下傘までが進歩していましたが、
このようなことはすっかり忘れられています。
かつて、福井大学では繊維工学が隆盛していましたが、
繊維工学科はもはや信州大学にしかありません。
私は、生糸→羽二重→人絹→ポリエステルを
さらに進化させた高機能ポリエステルでの新たな商品アイテムづくりが
私にとって、パラシュートを陵駕する、
トランスポテーションや防災、医療、全く新たな産業を
生み出してくれるものと思って
デザイン戦略=問題解決戦略を織物産地に、
その象徴が、羽二重での落下傘=パラシュートだと
私は考えています。


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『新素材ブランドの確立をめざす・「羽二重 HUBTAE」から』


   


     9月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

日本の産業構造には革新が絶対に必要だと考えてきました。
その第一段として絹織物を福井県織物工業組合青年部会を
預かって2年KK塾で製品・商品を超えて新素材を開発してきました。
私自身、ふるさとの織物工業とは密接な関係がありました。
もはや、商品ブランドを訴求するだけでは、
今後わが国の産業構造は変えることはできません。
日本最初の輸出品が九谷焼でした。
富岡製糸場を創立背景には由利公正の「五箇条のご誓文」がありました。
彼は、橋本左内らの殖産興業で学び取り、生糸輸出ではない、
新たな「羽二重」=経糸2本緯糸1本の絹織りモノを国際化しました。
私は「羽二重」を改めて見詰め直してきました。
その結果を、養蚕産業から生糸・人絹、そしてポリエステルを
追い求めてきて、先人の残してくれた「羽二重」を後世に残す、
そのデザインプランを練り上げ、まずは「新素材」ブランドの確立。
先行きが見えないと言われる中で、これからのポリエステル産業に
デザイン導入を図ってきました。
取材を受けた多くの質問に、「繊維だから洋装ファッション」という
このイメージを打破したと思っています。
歴史に学んだ袱紗こそ、これからのハンカチの新しい商品にと、
これを発表会参画の方々にプレゼントしました。
そして、寝具はすべて変更します。
新たなマクラや寝具マットも変えます。
吸音材も変えます。
さらに、車体デザインも新たな繊維でスタイリングも変えます。
繊維産業を身体の洋装品から脱却させる予定です。
これまでのテキスタイルデザインを根本から変革します。
それは商品ブランドや地域ブランドを云々することではありません。
繊維関係の取材で記者の皆さんに驚いていただいたと思っています。
まさか、繊維が、その素材開発でここまで変えると大風呂敷でした。
しかし、この風呂敷は畳んで持ち帰れる大きさです。
手ぬぐいのデザインといって、その柄のデザインはデコレーション、
風呂敷のデザインも大きな間違いだと確信しています。
繊維産業を新素材産業として「革新デザイン」を発表しました。


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『新ブランドのイニシャル商品「大袱紗」の歴史に思う』


   


     8月 10th, 2014  Posted 12:00 AM

絹織物の歴史は奈良時代から養蚕=繭から生糸の智恵が進化します。
明治期には生糸の輸出では、限界がきますが、
由利公正は、橋本左内と横井小楠から学んだ殖産製造制度から、
欧州視察で絹織物の実際を見聞して、織物職人3名を派遣します。
彼らは、富岡製糸場を指導し、西陣織りを再興して、
その技術に、経糸を二本に緯糸一本で「羽二重」という光絹技術が
やがて人絹となって、現代のポリエステル産業につながっていきます。
明治期が始まる大きな要素は、適塾・ペリー来航・安政の大獄、
ここから、咸臨丸の渡航1860から、1870年代にようやく、
わが国の文明開化の中軸は織物産業が輸出経済となったことです。
私は1800年代の歴史は徹底的に暗記するほど、
この頃の産業全体を関係づけてきたと思っています。が、
いつも、幕藩体制の維新が決して無血革命ではなく、
安政年間のあまりにも悲惨なこと、安政の大獄と安政の大地震が
現代への歴史起点だったと何度も確認しています。
小説では坂本龍馬や福澤諭吉に焦点があてられていて、それこそが、
あたかも歴史の体裁になっていますがこの大誤解に対抗しています。
わが最大の敬愛者・橋本左内は26歳で斬首され、龍馬も暗殺、
横井小楠も大誤解のなかで暗殺されてしまうのです。
生きのびたことが歴史に燦然と輝いてしまいます。
由利公正(藩士・三岡三郎)は五箇条のご誓文=船中八策原本と
銀座がレンガづくりの都市計画になりますが、
やはり、私には、日本が明治期を迎えて、文明開化の華やかさには、
一方で、大獄と大飢饉があり、斬首と暗殺の歴史哀情に悲嘆します。
特に橋本左内は16歳で「啓発録」を書き26歳までのたった10年間に、
凝縮された思想と行動に限り無い敬意を抱いています。
新ブランドの最初「O-FUKUSA」は彼へのオマージュです。

「蚕・繭・絹・・・観察が『技』を決める」
「『SILK』Projectが示唆している重大さ」
「芸術という技法が引用したことから」
「憧憬の人物、その実筆書状を探す」
「会えずとも、誤解されようが・・・私は語り継ぎます。」


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『「羽二重」ブランドの発表を決定する!』


   


     7月 30th, 2014  Posted 12:00 AM

私は福井県織物組合の青年部会と新ブランドを考えてきました。
28年前にも取り組みましたが、上部からは公認されずに、
私自身は悔しい思いをしてきました。
ところが、当時の提案をある企業は実現して話題になっています。
デザイナーとしてこの天職にありながら、
どれほど悔しいことを何度もしてきたでしょうか。
だからそうしたことが、私にとっての対人関係の決定要素です。
「自分の職能・能力に素直に実践実働をすること」。
そして「その実現出来たことに感謝すること」が最も大事です。
今回、福井県が繊維産地として、私自身が幼少の頃からの想いと、
プロのデザイナーとして、「絹」からポリエステル繊維、
さらには新素材までをターゲットに新ブランドは「羽二重」に決定。
これは幕末の殖産興業に関わった先達へのオマージュです。
今や「羽二重」=HUBTAEと呼ぶことさえ忘れられているでしょう。
かって、福井は第二次大戦で爆撃を受け街は消滅しました。
理由はパラシュート・当時は絹製の産地であったからです。
このパラシュートを再現して見てみたいと真剣に思っています。
この青年部会でも「絹織物」企業は僅かであり、ほとんどが、
ポリエステルが中心になっていますが、私には新素材イメージがあり
新ブランド発表後は新素材開発を促していきたいと狙っています。
絹は蚕から布を織機で紡いで織り出していく人類の智恵であり、
その結果としての絹には「しなやかさ」が最上の自然産物です。
そして、人工化して人絹はポリエステルという布として最高のモノ、
問題点は、肌の呼吸とはまだ不一致なことです。
私がデザイナーとして取り組み、繊維の若手プロたちがその実現を、
この背景には、織物の歴史を追いかけ、布にある感性評価は、
未だに決定されていないがゆえに、学術的な決定を試みました。
感性評価は提案であり、これこそ日本だから出来ることを見せます。
その結果としての目的に、新製品開発の事例を発表するつもりです。
「織ることから創る」産地に繊維・布=羽二重があること、
この証明と世界への発信を試みるつもりです。
私たちは確約たる織物づくりで世界でトップの布を情報化します。

「『はぶたえ=羽二重』の目立たなかった布の美しさ」


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「『はぶたえ=羽二重』の目立たなかった布の美しさ」


   


     9月 13th, 2013  Posted 12:00 AM

絹織物で着物の裏地として優雅な存在が羽二重です。
今では、この呼び方は布・織物よりも羽二重餅として知られ、
お土産お餅の名称扱いですが、
私のふるさと福井が織物産地として、
かつては人絹取引所までありました。
絹織物で着物の裏地は、人絹=人工的に絹のような繊維、
人工絹糸であり発明者の名前の略号としてスフとも呼ばれました。
最初は、レーヨンから出発した人工繊維モノでした。
そこから、今日の人工繊維は大変に工夫をしながら、
産業の基盤になっていったモノですが、
産業の高度化は織物そのものが時代遅れです。
人絹に対して正絹という自然の絹糸・蚕の糸は、
蚕の糸吐きの観察から、7回に1回、蚕身体の震えから、
人工撚糸されたこれを見破ったスフはイタリアであり、
日本製スカーフが輸出品から敗退した時期もあったほどです。
絹撚糸の経糸を二重にして、緯糸一本は、
今見直されていますが、現状では緯糸を機織り機械で、
シャトルと呼ばれるモノがありましたが、
これは木工技術の製造技術でした。
30年前に、タケフナイフビレッジ=越前打刃物の再興に取り組み、
その時には、シャトル製造工場で刃物のパッケージを製造して、
その精度は、パッケージの端面がまさにナイフで、
そのパッケージの角で指先を切るほどの精度を求めたものでした。
しかし、今ではシャトル自体の製造工場が無くなり、
シャトルで正絹を織る企業は、作り置きをしていると言います。
また、福井に残っているシャトルは、
すべて収集してほしいと伝えています。
福井の裏地人絹産業と正絹産業を共に復活させられると思います。
私は、ともかく「羽二重」=はぶたえを国際化を目指します。
たとえば、晒をデパートで発見する売り場はほとんどありません。
しかし、人絹の進化、正絹での蚕の遺伝子操作自体まで、
私はデザイン対象化ができそうです。
そのとき、「布」の膚触り、手触りは尺度スタンダードが可能。
この可能性をビジュアル化とオーディオ化ができるでしょう。


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