kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘エレクトロニクス’


12月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 16th, 2021  Posted 12:00 AM

12月16日 大安(戊戌)

『安心としてのデザイン』

進化する
エレクトロニクスなどの
技術と人間、
技術と環境での
摩擦の解消は、
安全で安心できるモノを
完成させることである。
ならない。

artificial heart:川崎和男展


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「HMDのこれまでの進化をさらに深化させる!」


   


     8月 10th, 2013  Posted 12:00 AM

本日、ちょうどHead Mounted Displayの革新を進めています。
画像はかつてあるベンチャーで、
目先に60インチがモニタリング実働させる機種まで進みました。
商品化が頓挫し、片眼ともどもグーグルにまでプレゼンでした。
私がついていくべきだと思ったのは、
そのプレゼン内容を聞いた瞬間に技術が盗用されたと思いました。
結果、今、グーグルグラスが話題になっていますが、
現状の形態を見れば、どれほど内容不足かを私は知っています。
おそらく商品化は遅れるはずであり、
あのままでは製造物責任が相当に残っています。
これは何もやっかみで言っているわけではありません。
私自身がHMD開発で苦労してきたことが、
一つも解決されていません。
顔面上には44度高温になることは厳禁です。
しかし、現状のLSIを使えば、
高温になることは現状の技術限界があります。
このブログでもやわらかくエレクトロニクス高温化と、
その対策での冷却化対策は、
人工心臓をやっていて最大の問題ですから熟知しています。
さらに、メガネフレーム設計においては、
「瞳孔距離設定」の問題です。
つまり、見つめる眼球の焦点距離と鼻パッド関係があります。
この当時の製品から、今ではOSソフトウエアと、
ジェスチャー・インターフェイス関係まで進化しています。
やがて、私の想像の世界がくるでしょう。
しかし、メガネ=目の差し金が江戸文化に未来図があります。
江戸時代の人たちも、やがてメガネをかければ、
旅に出た如く、富士山や伊勢神宮が見える日がくると、
黄表紙本に描いていました。
まったく、日本人が思い描いた想像の世界は、
江戸時代からあったわけです。
ということで、私は、HMDが現在どこまで進んでいるか、
とても見せたい限りですが、必ず日本が進化を深化させるという、
そんな気分で一杯です。
絶対にモノづくりでは、わが国が勝つことです。
勝負しなければ、この小さな国は貧しい国になってしまいます。
それは絶対に避けなければなりません。


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「たかがリモンコンではありえない」


   


     8月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

プロダクトデザインの本質を一言で断言すれば、
「使い勝手と美しい存在性」につきます。
そして、このリモコンが明示している人間と生活への提示は、
企業の社会的存在性を最大限に表示しています。
つまり、この企業が人間としての尊厳確認を自己確認しています。
これらはB&O社のリモコンです。
自宅のオーディオシステムはこのすべてで管理ができます。
すでに廃盤商品になっている20年前のモノ(右端)もまだ使えますが、
これはその当時に、
「いづれ家庭内のTVから照明から電話すべて」を
コントロール可能としていました。
しかし、時代尚早だったために
そのようなシステムまで開発は進化できませんでした。
こうしたB&O商品は、
当時から確実に未来のデザインを誘発させる美学的思想と
ライフスタイルを示唆していました。
しかし、B&Oという企業は現代に至って、
そこまでの経営手法そのものを革新的に出来ませんでした。
明らかに経営者能力が
デザイナーの夢を支えられなかった証明と言っていいでしょう。
翻って、エレクトロニクス関係、情報系、
エネルギー系などへの「デザイン提案」を、
実現するのは「企業経営者の義務」だと明言しておきます。
つまり、デザイナーの夢は「絵に描いた餅」と揶揄されます。
それも経営者という種族が
「たかがデザイン」としか思っていないのが真実です。
私はこうした経営者を喧嘩相手に40余年生き抜いてきました。
こうした経営者が社会的リーダーだというのは大間違いです。
それはほとんど無責任で真善美の人間としての生き様の基軸を、
ひとまずは「仮想の経営者にすぎないこと」にも無自覚で、
とても哀れな存在だと指摘しておきます。
まして、そんな経営者が全世界的に増殖していますから、
これは地球規模的大問題です。
デザイナーは、その専門的職能の真意忠実に、
正道をめざして自分の生涯を
そのような経営者から離脱させるべきでしょう。
「たかがリモコン」ですら、
その存在意義に、世界観のあるべき方向が見えています。
比して、現代の全てのリモコンの醜悪さが、
そのリモコンを社会化した企業、
その企業経営者の何物かの
「あってはならない罪悪性」までを象徴していると考えます。


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