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Posts Tagged ‘アリストテレス’


7月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 11th, 2023  Posted 12:00 AM

7月11日 仏滅(庚午)

機能性、または機能主義は、
ソクラテス、プラトン、アリストテレスから
論じられ、西洋では特に建築の世界での
論議がデザインに波及している。

日本では「用と美」で語られる挟間に
機能主義があった。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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4月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 6th, 2023  Posted 12:00 AM

4月6日 大安(甲午)

機能性、または機能主義は、
ソクラテス、プラトン、アリストテレスから
論じられ、西洋では特に建築の世界での
論議がデザインに波及している。

日本では「用と美」で語られる挟間に
機能主義があった。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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7月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 7th, 2022  Posted 12:00 AM

7月7日 友引(辛酉)

機能性、または機能主義は、
ソクラテス、プラトン、アリストテレスから
論じられ、西洋では特に建築の世界での
論議がデザインに波及している。

日本では「用と美」で語られる挟間に
機能主義があった。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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10月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 3rd, 2021  Posted 12:00 AM

10月3日 仏滅(甲申)

『力学としてのデザイン』

アリストテレス、
易経、
ヘルメス思想、
アートマン理論、
ダビンチ、
オイラーから
ニュートンまで、
これまでの歴史で
変化=運動を
力学として認識し、
その上で、
力学的な解釈、
あるいは
隠喩としての力学に
デザインを
添わせていくならば、
デザイン力とは
何かが浮かび上がる。

artificial heart:川崎和男展


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6月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 15th, 2019  Posted 12:00 AM

6月15日 大安(癸未)

機能性、または機能主義は、
ソクラテス、プラトン、アリストテレスから
論じられ、西洋では特に建築の世界での
論議がデザインに波及している。

日本では「用と美」で語られる挟間に
機能主義があった。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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4月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 3rd, 2014  Posted 12:50 PM

4月3日 甲辰(赤口)

機能性、または機能主義は、
ソクラテス、プラトン、アリストテレスから
論じられ、西洋では特に建築の世界での
論議がデザインに波及している。

日本では「用と美」で語られる挟間に
機能主義があった。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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4月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 6th, 2012  Posted 11:30 PM

4月6日 丁酉(赤口)

機能性、または機能主義は、
ソクラテス、プラトン、アリストテレスから
論じられ、西洋では特に建築の世界での
論議がデザインに波及している。

日本では「用と美」で語られる挟間に
機能主義があった。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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『資本主義からの逃走』
「 Media Integration・形式のデザインは内容を一新・10」


   


     5月 2nd, 2010  Posted 12:01 AM

形式
私は特に「形式」に焦点をあててMedia Integrationを考えてきました。
「形式」ということは、
それこそアリストテレスからカントにまでもどって、ということになります。
しかし、私はデザイナーとして、
とりあえずは、
「形式のかたち」、あるいは「かたちの形式」として考えます。
しかも、この二通りをMediaの統一統合性に、
日常的なデザイン活動の下敷きにしています。
この下敷きの上の紙にスケッチを描いてると想像してください。
「形式のかたち」も「かたちの形式」も、
いづれも、かたちを別称していくことにします。
私はとりあえず、次の呼び方を与えておきます。

●形式
●形相
●形体
●形態
●形骸
●形容

です。
それは、具体的な製品それぞれにこれらの言葉を与えていくと、
私には観えてくることがあるのです。

かたちは「内容」=容はかたち
それは、総称する「かたち」には、
こうした言葉に回帰することが「内容」になっていることです。
デザインという営為は、
まさしく、この回帰した内容を外観化しているのでしょう。
式=識・相=総・体=対・態=替・骸=概・容=様なりです。
言葉あそびだと一括されそうですが、
もし、感覚的に一瞥で外観を捉えたときの印象は、
この位相に当てはまっているでしょう。
まさしく、
Media=Tool・Media?Toolのかたちが統合化されるのは、
「かたち」が「内容」をすでに決定しているのではないかと思うからです。
最近作であるCOOL LEAFは、
形式の古典的な解釈・アリストテレスである、
質料=materiaと形式=formaに回帰した、
「キーボード」という形式と内容をIntegrationさせたモノでした。


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『資本主義からの逃走』
「ケータイの人称会話からのオントロジー」


   


     3月 17th, 2010  Posted 2:02 AM

Aristotle
最も会いたい人にプラトンとアリストテレスがいます。
二人とも膨大な言葉に「思考」を載せて残してもらった、
それが私の会いたい人という理由です。
プラトンは、「プラトンのオルゴール」という本と、
作品・展覧会インスタレーションが、
金沢21世紀現代美術館に、永久収蔵されました。
しかし、アリストテレスはまだまだ、私には未知です。
たとえば「メタ論」ということに限っても、
それは膨大も膨大な思考です。
無論、「形而上学」は多分生涯大きな連峰のようなものです。
会話の人称
さて、ケータイは発信・受信で「会話」のツールであり、
メディアであることは明白です。
ケータイでの「会話」には、一人称=私は交互に、
その交互さは二人称が入れ替わるということです。
だから、その「会話」には、一人称と二人称が交差します。
ところが、その二人の会話に、
「ところでさぁ、あいつのことなんだけど・・・」というのは、
三人称が入ってくるわけです。
「会話」が膨らんでくる、と言ってもいいでしょう。
その会話内容には、次のことが起こっているのです。
Inclusive & Exclusive
包括的な話題=InclusiveなContentsがケータイ会話で、
コミュニケーションされている状況です。
では、そのケータイ会話を取り囲んでいるのは、
除外的な話題=Exclusiveなことです。
一人称・二人称・三人称を包括していない除外性、
あるいは、そうした会話に独占されていない状況があります。
私は、このInclusive性とExclusive性の間、
その介在的な存在を「ケータイ」というモノとするなら、
「存在」そのモノを「メタ=本質性と事実性」には、
明らかに「人称会話」のモノという「存在論」が浮かんできます。
私は、ケータイを「会話」=「人称」=「存在」で、
その思考学域に「オントロジー」を配置してみたいのです。
その中核存在=ケータイの存在論から、
ケータイデザインを発想するということはまだ試されていません。


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