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Posts Tagged ‘美しい’


6月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 8th, 2013  Posted 12:39 PM

6月8日 乙巳(先負)

輪郭線的には、
「美」「美しさ」「美しい」という言葉には
それぞれの領域がある気がしてならない。

言い直してみれば、
「デザイン美」
「デザインの美しさ」
「美しいデザイン」
ということになる。

総合的な領域には
デザイン美がふさわしい。

『デザインの極道論』うつくしい


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6月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 7th, 2013  Posted 12:39 PM

6月7日 甲辰(友引)

輪郭線的には、
「美」「美しさ」「美しい」という言葉には
それぞれの領域がある気がしてならない。

言い直してみれば、
「デザイン美」
「デザインの美しさ」
「美しいデザイン」
ということになる。

総合的な領域には
デザイン美がふさわしい。

『デザインの極道論』うつくしい


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6月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 6th, 2013  Posted 12:38 PM

6月6日 癸卯(先勝)

この「美しい」ということの意味、
あるいは定義についてはアポリア、
つまり解答不可能という状況だ。

それは、私が何者であるのか、
私の命とは何なのかと同様に、
私に覆い被さっている。

『デザインの極道論』うつくしい


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「たかがリモンコンではありえない」


   


     8月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

プロダクトデザインの本質を一言で断言すれば、
「使い勝手と美しい存在性」につきます。
そして、このリモコンが明示している人間と生活への提示は、
企業の社会的存在性を最大限に表示しています。
つまり、この企業が人間としての尊厳確認を自己確認しています。
これらはB&O社のリモコンです。
自宅のオーディオシステムはこのすべてで管理ができます。
すでに廃盤商品になっている20年前のモノ(右端)もまだ使えますが、
これはその当時に、
「いづれ家庭内のTVから照明から電話すべて」を
コントロール可能としていました。
しかし、時代尚早だったために
そのようなシステムまで開発は進化できませんでした。
こうしたB&O商品は、
当時から確実に未来のデザインを誘発させる美学的思想と
ライフスタイルを示唆していました。
しかし、B&Oという企業は現代に至って、
そこまでの経営手法そのものを革新的に出来ませんでした。
明らかに経営者能力が
デザイナーの夢を支えられなかった証明と言っていいでしょう。
翻って、エレクトロニクス関係、情報系、
エネルギー系などへの「デザイン提案」を、
実現するのは「企業経営者の義務」だと明言しておきます。
つまり、デザイナーの夢は「絵に描いた餅」と揶揄されます。
それも経営者という種族が
「たかがデザイン」としか思っていないのが真実です。
私はこうした経営者を喧嘩相手に40余年生き抜いてきました。
こうした経営者が社会的リーダーだというのは大間違いです。
それはほとんど無責任で真善美の人間としての生き様の基軸を、
ひとまずは「仮想の経営者にすぎないこと」にも無自覚で、
とても哀れな存在だと指摘しておきます。
まして、そんな経営者が全世界的に増殖していますから、
これは地球規模的大問題です。
デザイナーは、その専門的職能の真意忠実に、
正道をめざして自分の生涯を
そのような経営者から離脱させるべきでしょう。
「たかがリモコン」ですら、
その存在意義に、世界観のあるべき方向が見えています。
比して、現代の全てのリモコンの醜悪さが、
そのリモコンを社会化した企業、
その企業経営者の何物かの
「あってはならない罪悪性」までを象徴していると考えます。


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「『危機管理デザイン賞』を創設しました」


   


     8月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM

2023.8.1・昨日、日本は世界に向けて本賞を設けました。
わが国は、伝統的、四季的、自然環境と日常生活を
堅固に結びつけてきた美しい花綵の国ですが、
一方では、自然災害、台風、地震、雷に晒されてもきました。
ところが、最近では地球温暖化などで、
気候状況は、竜巻、大豪雨、落雷など
とんでもない危機状況に入っています。
3.11は当然ながら、今後の南海トラフや火山爆発も予知されています。
まず、自然環境での危機回避があり、
人災は、学校のいじめ問題から原子力発電、放射能はもちろんのこと、
テロから企業へのスパム攻撃まで複雑化と多様化と回避困難が拡大です。
よって、本賞を設けることで、危機管理産業から危機管理制度設計まで、
モノのデザインとコトのデザインを顕彰してその活性化を目指します。
本賞のシンボルマークには、「ヘルメスの杖」を引用しました。
アスクレピオスの杖やヒギエイアの杯も検討しました。
つまり、この賞には、
人類が歴史的な命の守護をどういうシンボルに象徴してきたか
ということに焦点を絞りました。
「生きる」こと、「生き延びること」、
危うい事や「まさか」、「いざ」という危険性=命の防御、
その象徴を求めました。
したがって、このブログでも、
ヘルメスやアスクレピオスなどについてメモ記述をしてきました。
それは、私の思考メモでした。
「ヘルメスの杖」への異論が存在していることも十二分承知し、
しかも、「ヘルメス学」という知的歴史性をテキストにした結果の、
マークとロゴタイプの統合シンボルです。
この賞シンボルは、本賞創設とともに、
危機管理産業・モノデザインと危機管理制度設計・コトデザイン、
その展開・アプリケーションを完備させました。
ここで紹介していくつもりです。
無論、本賞受賞によって、あらゆる「想定外」=「まさか」を回避し、
「いのち」を本賞選定基準からもう一度、
見つめ直すモデルケースを普遍化していきます。


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「スイス政府防災マニュアルは憲法の具体解説」


   


     7月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

永世中立国家を維持しているスイスは私には謎国家です。
永世中立によって「平和」のために、
全国民皆兵制、全ての住宅にシェルター設置は義務です。
スイスの防災マニュアルを読みました。
文字だけではなくグラフィックデザインとして、
本当に素晴らしく美しい本になっています。
まず、祖国ということ、
国の自由・国民の自由を定義しています。
これこそ「愛国」の基本でしょう。
あらゆる災害・戦時体制・原爆から死刑にまで、
国民がどう平和で安全に、
「いざ」という場合がとても懇切丁寧に、
おしゃれなイラストとともに編集されています。
国家転覆への情報対処・情報戦を
国民の認識方法まで述べられています。
「平和憲法」の文言にだけ頼っているわが国との違いを
あらためて、見直す必要があると思いました。
これは、憲法の具体的な行動規範です。
国民が平和で安全を確保する基準とは、憲法で制定していますが、
その具体的行動を「日常生活」でどう認識し、
しかも国民皆兵制ゆえに、成人は女性も武器訓練があります。
特に、私は、国家転覆の情報コントロールと死刑の記述は、
これなら国民全員が納得できると思いました。
スイスには死刑はありませんが、
国家維持を破壊する者や国家転覆者には、
絶対死刑というのは、説得制があります。
日本は、天災が一段と厳しい環境下にあります。
政党の嘘だらけの「マニフェスト」など不要です。
だれでもが分かりやすい、憲法を読むのではなくて、
具体的に、自分・家族・コミュニティ、そして国家が、
平和と安全を維持していく具体的な行動規範こそ、
安心国家の安泰性を確約するものと考えます。


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「ロケットとミサイルはグッドデザインの問題」


   


     4月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

ロケットもミサイルも形態はほとんど同じです。
どう見ても「カッコいい」存在です。
しかし、北朝鮮の「ミサイル」は見事に失敗してくれました。
大迷惑な国家が存在しています。
なんとしても同胞の拉致問題が先送りされ続けています。
これも現代日本が抱えている最大問題です。
さて、ミサイルとロケットの違いは、
一言で言えば、推進力ある存在がロケット(エンジン)であり、
衛星や爆弾を飛翔誘導させる存在がミサイルです。
だから、ミサイルがロケットを積んでいることもあれば、
単に誘導させるだけならロケットではないということでしょうか。
1970年代に、ミサイルはその「かたち」からして、
美しくて機能性があるから「グッドデザイン」という概念を満たしている。
となれば、武器であるモノはすべからくグッドデザインであり、
デザインの本質との照合性が武器には最適合することになります。
グッドデザインは兵器デザインに適合してしまうという議論です。
当時から、この議論は棚上げされてきた大問題だったと思っています。
私が一応デザイン学者という立場を
最重要視すればこの問題に対峙しますが、
学者と言うより実務家デザイナーなので、
この問題は放り出してあることを正直に告白しておきます。
ロケットは、
自身の質量を失いながら推進力というエネルギーを使う存在ですが、
ミサイルは、誘導するモノがデザイン対象に照らし合えば、
もし爆弾という武器、衛星という兵器ならば、
決してグッドデザインではありません。
しかし、もし、誘導飛翔させるモノが文化性あれば、
その搭載しているミサイルは
グッドデザインとして評価できるということになります。
この関係は、原子力と放射能の関係に重畳しています。
原子力が原爆になること=兵器・武器であり、
放射能、つまり放射線が
人体の健康保健になっていれば善としての存在です。
民衆を飢えさせる独裁国家のミサイルは、
たとえ掲載されているモノ=誘導飛翔させられる
文化的衛星であっても、
それはグッドデザインであるはずがありません。
それにもまして、
誘導飛翔する機能性が不完全な設計であったわけですから、
元来、グッドデザインになる要因=factorは無かったということです。
ミサイルも原子力も、「矛盾」という大問題を人類に投げかけています。
私たちは、ミサイルや原子力を創り出してしまった以上、
この最適解をグッドデザイン評価に求めることも
一つの解決方法だと私は思っています。

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「このサインペンその物が美しい」


   


     2月 27th, 2012  Posted 12:00 AM

デザイナーという職能になったことで、
「美しい」モノを常に人生に配置することができました。
とても幸運な生涯だと思っています。
この「ぺんてるのサインペン」とともにプロになってきたと思います。
このサインペンに出会ったのは東芝時代からです。
当時は、これほど色はそろっていなかったと思います。
黒一本で、0.6mm・0.3mm ・0.1mmを引くことが命題でした。
ロットリングや烏口を使わずして、
スケッチから図面までの使い勝手があります。
あらためてこのサインペン自体が「美しいモノ」です。
おそらく死ぬまで私の日常生活の傍らに在ると思います。
私は筆記具収集家だとも自負していますから、
万年筆から筆、スタイラスペンまでともかく見つめてきましたが、
このサインペンは格別に「美しい」と思っています。
今では、どれだけペン先チップを傷めずに
線が描きわけられるかが重要です。
本当に、デザイナーであるから
このサインペンが道具になっていることに感動し直しています。

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「出来ないかもしれないけれど・・・」


   


     1月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

週末は京都に出かけることが多くなりました。
自宅から45分ほどで京都に入ることができます。
そして、車椅子の私には結構バリアが少なくて移動が楽です。
なんといっても、映画を観るには京都が最適です。
東京はまったく駄目です。
映画館が不親切であったり、車椅子席が最悪な所が多くて
ついつい喧嘩腰になりそうな嫌な映画館が多過ぎます。
大阪は映画館がなんとなく不潔っぽく清掃が行き届いていません。
金沢も親切で席もいいです。
が、なんといっても京都は
車椅子席が一番良い場所にあり、スタッフみなさん親切です。
だから映画をよく観るようになりました。
映画についてはコンテンツ産業として
日本は間違っていることが多いように思ってます。
いづれ書くことになるでしょう。
さて、この正月はビーズ工作に熱中したこともあって、
周囲からもブレスレット欲しいと言われてしまったので、
それなら、部品もオリジナルをデザインし自作して
プレゼントしようと思いついてしまいました。
それで、「よし、京都行くぞ」てな具合で、
夜に出かけて、深夜は真剣に一冊だけ熟読メモづくり、
翌日は、映画を2本観て、
それからビーズ屋ですべからく観察しビーズを買いためてきました。
ビーズ、きらきらしていてとても綺麗です。
綺麗なことって、
見ていても純粋というよりは単純にうれしくなります。
そう言えば、最近の商品デザインや企業が美しいとはとても思えず、
ただ、安価なモノづくりは
世の中に「ゴミをばらまいている」と腹立たしくなります。
ともかく、ビーズはきらきらしていてそれだけで十分綺麗です。
買いためましたが、出来るかどうかわかりませんが、
ブレスレットを作ってみようと小さな決心をしています。

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9月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 23rd, 2011  Posted 9:30 AM

9月23日 辛巳(先負)

個人の主観性の本質は、
人それぞれの感性と
その人なりの精神性である。

それを制限したり、
廃絶する権利は誰にもあるはずがない。
まして、感激や感動を妨げてはならない。
それを認められる志が感謝である。

『デザインの極道論』うつくしい


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