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Posts Tagged ‘デザイン’


『日沈む景観であっても景気はデザインが主導する』


   


     6月 13th, 2016  Posted 12:00 AM

大阪城は現在、大阪谷町に残っています。
秀吉は日いずることと日沈むことの両方見ていたのだと思います。
大阪には夕陽丘と名前があるごとく、
日沈む美しさ、その「景観」の歴史性があります。
自分自身すでに大阪に住んで10年です。
そして自宅からは日沈む「景観」を毎日見詰めているのです。
遠方には瀬戸大橋や大阪湾までが見えるときもあります。
この10年大阪の景気は低迷を連続し、しかも大阪は犯罪が最多。
この10年大阪そして関西の景気は、少なからず行政力低下が、
「景気」刺激無能と、断言できると考えることが可能です。
理由は、産業の基盤である「金型づくり」は、
国内では25%のシェアを持っています。
ちなみに、関東62% 東海1% 中京12%で、技術力は中京です。
このことは自分が大阪にデザインの焦点を合わせてきた見通しでした。
大阪そして関西が例えば兵庫県の地場産業は他県を圧倒しています。
それなのに「なぜ、景気がこの低迷?」という理由を
昨日、この関西軸でデザイナーたちと対話をして、
関西のみならず日本全体での産業とデザインの関係を再整理しました。
無論、関西地方だけではなく、
日本全体のデザインと景気への期待観が終わっています。
しかし、自分が天職としてきた特に工業デザインにおいて、
決定的にある経営者から学ばされたことは、
「川崎さん、要求されるデザイン対価がこれだけなら、
デザイン料を2倍にすれば、デザイン効果は2倍になるね」、
この提案に震え上がった経験があります。
無論、この企業に不況の時代は皆無であり、業績はずば抜けています。
最近、デザイナーの若手は中国での仕事に惹かれているのは当然です。
若手から私にも中国依頼の仕事への参加を伝えてもらいます。
このことには「デザイン=策略」としている策略的な一党支配が明確です。
比して若手デザイナーの仕事を先人デザイナーが奪うことに平然たること、
さらに、盗作平然たることは絶対に許してはいけないのです。
「景気」を根本で変動させるデザインの再成立をめざします。

*『シュンペンターと象形文字を同次元に考える』
*『高層は50階以上がいいようだ』
*『景観への精神状況がそのままファッションに連鎖している』
*『悪夢は醒めたのだろうか・・・・・』
*『日本の低迷は企業経営前の知識不足』


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『壊れてはならないから鄙美人にレジリエンスデザインを』


   


     6月 12th, 2016  Posted 12:00 AM

日本が壊れているから我々も壊れている、
このことを知らないままにしようとしているのでしょうか?
私たちは、3.11で思い知ったはずだったのですが、
報道されないと、どこかで忘れようとしているのです。
かつて若い頃に、自分はある企業に対して、
元同僚で同期の人物を口説いて、その企業のデザイン部門長にしました。
私がパリに飛び立つその日に、彼は突然亡くなってしまいました。
パリで私はあるデザイン賞の授賞最終候補になっていました。
しかし、その受賞式の華やかさの中で、完全に自分を失っていました。
帰国したら、すぐに空港から彼の実家に行かなければならない、
そんな気持ちで一杯でした。
そして、受賞出来なかったときの(悔しさがあふれました)感覚と
同様の気持ちに、3.11でも、今の熊本地震でも、包まれています。
「倒壊してしまった人たち」と「倒壊せずになんとか無事だった人たち」、
この対立があると、現地から情報が入りました。
「負けるな!・泣くな!・楽しもう!」、
このコピーは、現地では絶対に使えません、ということです。
この我々の勝手さになんとここまでも壊れてしまっていると知りました。
しかし、レジリエンスデザインチームに39大学が、
なんとか、まだまだ壊れそうなこの日本列島に、
レジリエンスデザインで最も困難なデザインでの問題解決を
熊本に向けたいと考えているのです。
それは、最も怖れていた自殺者を出してしまったことからも、
レジリエンスデザインの最も重大な使命を果たさなければなりません。
デザインだから可能なことに向かいたいと考えます。
デザインで「最悪な状態」は何としても解決するのです。
自殺防止はレジリエンスデザインの目標の最大使命です。
壊れない自分自身を全員が支え合わなければなりません。
壊れていく生涯ゆえ、この列島の花棌の国の鄙美人で生きることです。
そこで、せめて今このビジュアルデザインを差し出し、
死という平等な、幸不幸を生涯に取り入れ直すことです。
「負けるな!・泣くな!・生きるんだ!」を持ち合うことを提案します。

*『海抜4mの日本列島で大丈夫だろうか』
*『大雨・洪水・山崩れ・・・自然とは調和できない』
*『山は崩れてはならない=つちのかたちデザインが要る』
*『瓦礫と化した自動車が問題ではない』
*『「土地の記憶」は鳥居の位置その変遷にある』


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6月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

6月11日 大安(甲子)

モノは、
まず、性能という技術、
効能という社会での存在、
この二つの統合融合である
機能が問われます。
これが叶って「デザイン」です。

川崎和男の発想表現手法


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『「機能」と「デザイン」=日本文具大賞の審査基準』


   


     6月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

「日本文具大賞」は25回目になるそうです。
自分がこの審査委員長になってから受賞作品は「必ず」大ヒットします。
そのこともあってか、毎年応募点数が増え続けています。
この時期は前後して「Ship of the Year」の審査もあります。
船舶業界は例年に無く大不況であり、日本の造船や漁業界は国際法変更で
日本苛めが相次いでいます。
この審査は各社のプレゼですが、
審査委員の厳しい検証には応募企業は答えるのが大変だと思います。
変わって、文具関係の審査は日常性があるのですが、
今回は応募点数が多くてその中での受賞作対象はwebsiteでも検証しました。
さて、この審査には
「機能部門」と「デザイン部門」をあえて分けています。
審査委員長として明確に分けておきます。
「機能部門」というのは、
デザインといえば機能ということではありません。
モノとしての性能、その進化性を見て、
社会的に存在する効能が備わっているかがまず選別対象です。
では「デザイン部門」はというのは無論、
機能性=性能+効能の基準をこえ、
さらに「美学的な解決」までということを見ます。
残念ながら
デコレーション=装飾がデザインという思い込み企業が多いこと、
これはデザインに対する誤解がまだ残っているということです。
したがって、それなら「デザイン」は統合的とすみ分けますが、
機能部門はデザインの統合性でも性能と効能の技術進化を見ています。
したがって、企業は両部門に応募されることが多いのも事実です。
この審査は7/6に「国際 文具・紙製品展」にて
グランプリと受賞作が発表です。
今年も必ず、受賞作は「流石に日本のモノづくり」として、
極めて日常的な手元でのふれあいが確認できるでしょう。
そして、この審査での「デザイン」「機能」を
改めて検証していただきたいと思っています。

*『売れるより売る文具大賞グランプリ』
*『日本文具大賞審査=受賞すれば、必ずヒットする!』
*『ISOTでの勘違いを発見』
*『2012『日本文具大賞グランプリ』は書くことの再確認』
*『わが国の展博・コンベンションデザインは遅れている』


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『レジリエンスデザインは真正面で自殺と向き合う』


   


     6月 10th, 2016  Posted 12:00 AM

正直、油断をしていました。
デザインが最も対抗するべきは「死」への態度でした。
したがって、Resilience designとは、
人間が、ストレス・プレッシャーに対抗するための
「強靱な精神力」をデザインすることでした。
勿論、あの3.11天災人災においても自殺に追い込まれた人がいたこと、
その反省から、レジリエンスデザインの必要性を掲げてきました。
まさか、熊本地震において、
まだまだいつ終止符となるかもわからない地震は連続しているのです。
わが国の報道も、もう落ち着いたかのように熊本関連のニュースは無く、
それだけに気が抜けてしまっていたのかも知れません。
現場である崇城大学、九州大学からは、行政が極めて大変であり、
ようやく写真記録も、という報告はありましたし、
報道されないともはや我々は忘れがちになってしまいます。
「自殺者が出た」というニュースで、
とても混乱しました。
デザインが自殺と面と向かったとき、
何ができるのだろうと必死で考えている
そんなアイディアをまとめています。
国際的なコンサルタントにもヒントを求めました。
「恋愛感情を持つこと」、
「何事かに熱中して生きている実感」を維持していることがその答でした。
人は、自分で自分の命を絶ってはならないのです。
その最大の理由は、命は自分のものではないからです。
直接的には父母に与えられた命ですから、
自分でそれを断絶することは辞めるべきです。
「葉隠」の、
「死ぬ事と見つけたり」の意味をもう一度振り返るべきです。
プレッシャーやストレスに押しつぶされようとも、
それを突き返す強靱なる自己を持ち続けるには、
デザインとして生き延びる力を守り抜ける
自克心の育成、激励が必要なのです。
「レジリエンスデザインチーム」は、
なんといっても「自殺」と真正面で対決することを再確認しています。
その早急なデザインアイディアを実務実践するつもりです。
「負けるな!」「泣くな!」「生きるんだ!」というこのフレーズから
Resilience Designを展開していきます。

*『病院という制度の中の患者心理・私の場合』
*『大雨・洪水・山崩れ・・・自然とは調和できない』
*『瓦礫と化した自動車が問題ではない』
*『コンシリエンスデザイン仮説をレジリエンスデザインから』
*『危機解決学としてのコンシリエンスデザイン』


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『アップサイクリングの真のリサイクルとは!』


   


     6月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

「アップサイクル」が一つの話題になりつつあります。
大阪大学の私の研究室にも、社学連携課経由で、
ある行政と企画企業から依頼が持ち込まれました。
幾たびかの打ち合わせ後、この企画はデザイン職能団体に、
企画・運営・ワークショップ・コンペの開催などを一任しました。
ワークショップはデザイン学生などを巻き込んで開催され、
その報告書などを読みました。しかしどうも違和感が残っていました。
論理的な内容を時系列的に再確認をしました。
まず、「アップサイクリング」という新たな産業形式の創案は正当でした。
しかし、根本的な過ちを発見しました。
この発見をリサイクルに照合して実際のデザイン実務との結びつきを、
あらためて検討し始めています。
まず、大きな過ちはリサイクルがサスティナブル思想であるという、
経済理念の間違いがありました。
従来のサスティナブル(持続可能)は
欧州の酸性雨対策を起源としています。
よって、リサイクルとは本当は無関係です。
このことにより、
工業生産しかも大量生産時で発生した素材廃棄物を再利用することで、
大量生産されたモノ以下の製造物に落ち着いてしまいます。
アップサイクリング(up cycling)ならば、リサイクルされた生産物は、
リサイクルされる前以上の性能性・効能性によって
新たな機能性を獲得する必要があります。
この発想が根本的に欠落しているという、
新規デザイン実務上では最も希求されている
現実生産を知ることができました。
ただ単に廃棄される素材=端材を利用する
製造システムでは無いという、この再確認が必要です。
そのサンプルとなるプロジェクトを開始します。

*『サービスの勘違い・地球に『優しい』?』
*『石畳の街、その文明と文化』
*『カーボン素材の3D-Printing開発をめざすことは・・・』
*『陽子加速器での核変換デザインによる復興』
*『デザイン史の講義を語るにはロシア・アヴァンギャルドから』


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6月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

6月9日 先負(壬戌)

Simple is Best が
デザインの骨子ではない。
むしろ
Less is Moreが
デザインの簡潔性、
そして単純さを
全て表現している。

川崎和男の発想表現手法


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6月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

6月8日 友引(辛酉)

Simple is Bestという
この表現や、
デザインというと
機能性、
これはデザインへの
大きな勘違いがある。

川崎和男の発想表現手法


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『マンガ表現での瞳表現、そのインターラクション』


   


     6月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

日本の漫画はすでにマンガ=「manga」となって、
表現物の大きな文化性を国際化しています。
遺伝子に漫画印象が組み込まれているかどうかは
未だ定かではありませんし、
遺伝子を調整細胞として制御しているかどうかの研究もまだ最中です。
マンガを読むというライフ・ログとしての記録化と遺伝子関係は疑問です。
少なからず、ロボットを漫画で読んできた我々には、
確実なライフ・ログに組み込まれていることは間違いないと思っています。
たとえば、ロボットは日本の子どもたちは怖がりませんが、
欧米では、
子どもたちはロボットの存在に恐れをもっています。
またこの印象度を利用した「ゆるキャラ」はブームとなっていますが、
デザインが貢献しているのは「くまモン」のみと言い切ることが可能です。
なぜなら「くまモン」には明確なデザイン成果があります。
あとの「ゆるキャラ」となると、商業主義的な悲惨さがあふれています。
こうしたマンガやゆるキャラには、明確な分類ができます。
それは「顔表情での目」その表現にあります。
二つに分類されています。
黒い点だけと、白い中に瞳の黒点、この二つについては
阪大、私の研究室で黒い点に絞った研究が修士論文でまとめられました。
黒い点というだけの顔の中の配置だけで喜怒哀楽が表現されて、
黒い点の瞳感覚で充分に感情表現が可能だという結論を得ています。
むしろ、白い中の黒点瞳表現は、感情表現の限界を示し、
かつ、マンガでの顔表現では経年変化をすることが明らかです。
つまり、黒点瞳での顔表現は、生き物の顔表現を統合しているという
その結論は、
今後のロボティックスのインターラクションに繋がっていくでしょう。

*『キティちゃんにて確認できる「安全と安心」』
*『心を持つロボット表現として、「泣き出す表情」』
*『漫画・アニメーションにみる日本独自のロボット観』
*『VFXのロボットが柔らかくなっているのは進化?』
*『ロボットが『心』を持っている?かどうか、ということ』


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『Silienceの原意・・・デザインが何になるかという意義』


   


     6月 7th, 2016  Posted 12:00 AM

次世代デザインを提示していくのは、現在デザイナーの使命です。
しかし、現実には、デザイン系大学のほとんどの教員は、
自分のデザイン経験だけを教示しています。
それはデザインの根本に大きな間違いがあるのです。
「デザインとは何か?」を自分の経験だけで、しかも成功体験があれば、
それこそ「何がデザインになるか?」ということには
接近できないからです。
「コンシリエンスデザイン」を提案しています。
その原語はすでに死語化していますが、
探り出したsilienceについて、ここに書きとどめることから
改めて思考の深度に近づいてみます。
silienceとは、
人間には日常、その思考に深さがあることには気づかないことがあります。
たとえば、気づかされることもなく、褒められることも無いけれども、
時には感心せざるをえない熟考された確実で正当な考え方があるものです。
それは、通りすがりなのに饒舌に語られている批判とか、
大道芸でありながらも感心せざるをえない名も無き芸人の大技、
あるいは無名だけれどもすぐれた芸術的な才能に
はっとするようなことです。
これはまったく匿名的で、誰かに賞賛を浴びるものではないにしても、
いわゆる市井に潜んでいる知恵・知識として
見過ごすことができないのです。
silienceということばに近いほど、
沈黙の中に閉じ込められているということです。
こうした、決して光り輝きを自らが発するわけではない、
日常的、匿名的、無名性の中でも、知恵の集合体をあえて掘り出して、
なおかつ、こうしたことを「結合させる」ことは、
konvinationと言ったシュンペンターに繋がっています。
これが新結合=innovationであったことに極めて近い発想論理です。
silienceが結合することは、
隠れた知恵・知識がconsilienceだということです。
デザインが匿名性=アノニマスで支持されたことを再復活させることです。

*『シュンペンターと象形文字を同次元に考える』
*『「KK塾」キックオフはテクノロジスト・濱口秀司氏』
*『技術革新以前の問題解決=デザインがある!』
*『ベンチャー企業を再考する!・カンブリア宮殿特番に出て』
*『リアル・アノニマス・デザイン=労作だと思う』


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