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「随分改善された車椅子対応までのエピソード」


   


     7月 30th, 2012  Posted 12:00 AM

車椅子になって、新幹線での乗り降りには、
私には相当の闘いがありました。
東京から新幹線に乗ろうとしたとき、
かつては1時間前に駅に行かなければなりませんでした。
東京駅では業務用エレベーターで、
東京駅地下道・妙な臭いの空間を通るのです。
そこで、ある衆議院議員の秘書の方と
国土交通省に陳情に行ったことがあり大喧嘩をしました。
新幹線に限らず、
「駅長室」ここに駅長さんがいるわけではありませんが、
それこそ、抗議を随分やったものです。
国土交通省での私の戦闘論理は簡潔に仕組みました。
「海外から車椅子旅行者が、業務用エレベーターに乗せられ、
そして地下道、その臭いを知ったなら、日本のイメージががた落ち」。
当時の扇大臣が視察をされて驚愕されて改善計画が始まりました。
それから3年後に現在のエレベーターが設置されました。
米国のアムトラックでの車椅子対応と車両設計の合理性を
体験していたことが私の背景でした。
最近は、写真のようなホームから車両までのスロープが用意されています。
駅員の皆さんも大変に親切になりました。
それでも時に大駅ほどとんでも無い事態に遭遇します。
詳細は書かないでおきます。
しかし、私は、
このようなスロープでは限界がやがてくると想像しています。
飛行機での車椅子対応は、航空各社で多少差異がありますが、
最近では、必ず、車椅子の人に2~3組出逢います。
おそらく、これからはもっと、
車椅子使用者の列車利用が増えることは間違いありません。
おそらく、5組の乗降があったなら、
列車の停車時間内では対応が困難になるはずです。
車椅子対応の車両も北陸線「サンダーバード」では一組しかありません。
グリーン車内には車椅子巾がなければ乗降不可能です。
つまり、列車の車両デザインそのものを根本から変えるべきです。
ホームと列車間の隙間をスロープで解決している限界があり、
車両のトイレ洗面はもっと基本的ユニバーサルデザインが必要です。
こうしたデザイン設計できる
列車車両の次世代デザイナーに期待することです。


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「どちらの『杖』を選ぶべきか、医学のシンボル」


   


     7月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

先般、「ヘルメスの杖」を紹介しました。
そうしたところ、FBのFriendsのお一人から、
ヘルメスのシンボル性について、ご指摘を受けました。
私も選択には大変に迷った経緯があります。
ギリシア神話に戻れば、
二人の人物が登場します。
ヘルメスであるべきか、アスクレピオスであるべきか、
ということに行き着きます。
アスクレピオスはまさしく医学のシンボルということになります。
それは、ルーベンスが描いた絵には、
アスクレピオスが一匹の蛇を携えています。
したがって、医学を専門的な医療行為ととらえると、
必ず、一本の杖には一匹の蛇が描かれます。
ギリシア神話にさかのぼれば、
「アスクレピオスの杖」が
医学をシンボルにしているということになります。
ところが、アメリカ陸軍が医学を医療として、
その目指すところをさらに拡大したときには、
「一本の杖には、二匹の蛇と羽です」。
これは鳩の羽で医療はたとえ軍事であっても、
究極は平和を表すということで、「ヘルメスの杖」になります。
そうした指摘があったときから、
ギリシア神話での二人の役割を再確認しています。
この二本の杖=シンボルについては、
やはり相当な議論がありました。
たとえば、ヘルメスには商売や泥棒という話もあります。
しかし、ヘルメスは錬金術師ゆえ水銀を医療にも使用したとか、
交通通信まで彼の役割まで広範囲ということのシンボルになっています。
しかし本来、医学はアスクレピオスに限定されるということになります。
その代表が、国連マークと救急救命士マークには、
「アスクレピオスの杖」になっています。
私は、通信から医療や安全性までを考慮し、
「ヘルメスの杖」を選びました。
ちなみに、日本の防衛医大のシンボルは「ヘルメスの杖」です。
私は、あらためてギリシア神話などからのシンボルの引用や借用には、
本当に慎重でありたいと思っています。


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「最小リモコン=徹底的な黄金比の適用と実装設計」


   


     2月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

液晶TVやその周辺機器のリモコン=リモートコマンダーは、
複雑怪奇なモノが氾濫しています。
私は、リモコンは画面上に
オン・スクリーン表示のインターフェイスがあれば、
四つのボタンSWで操作可能だと考えています。
EIZOブランドで国内初のHD(High Definition)モニター、
PCと地デジTV・FORIS.HD用のリモコンです。
マウス機能と背面には音量・チャンネルセレクト、
その他最小限機能ボタンだけのリモコン。
正円マウスは成功しないというタブーに臨みました。
発売直後は商品批評でメチャメチャに叩かれました。
それはマウスだということと実機使用無しの批評でした。
無論、視覚情報で全てのデザイン機能性が伝わることが大前提ですが、
これはリモコンの特殊解でした。
特殊解商品が売れるためには、確かな広報広告が必要です。
この造形デザインにおいては、
黄金比・黄金分割の教科書になるほどの寸法決定をしています。
造形設計で最初に意図したわけでなく、
感覚的な設計をつきつめて実装設計との合理的な合致性を求めれば、
当然の結果となる筐体デザインの造形が決定されていくのです。
したがって、プラスチック成型においても、
実装性=回路基板や電池収納などには
徹底したオリジナリティを仕組む結果になりました。
現在、国内の液晶TVメーカーの衰退は著しく、
国際的競争力低下ゆえの減益報道がありますが、
基本は、徹底した「設計思想とその実務としての具現化」に
オリジナリティが欠落しているのです。
私自身、TV大好き人間ですから、
自宅の視聴覚システムは徹底的に最高を求めています。
その限りにおいては、リモコンに象徴されるがごとく、
国内外のメーカー、すべての商品には大不満です。
造形デザインは必ず徹底したサイズ決定と実装設計が必然だと考えます。

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6月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 15th, 2010  Posted 5:30 PM

6月15日 友引(丙申)

私の場合、デザイナーとして
まずは所有し使用してみなければ
納得がいかない。

そうすることが、
自分だったらこんなデザインにしたいという
アイデアの蓄積になる。

『デザインは言語道断』得手


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『資本主義からの逃走』
「物質と情報は、クロス化して同値的となる」


   


     5月 27th, 2010  Posted 1:42 AM

モノ・コト
単純に、「物質=モノ・情報=コト」と、一言にまとめておきます。
そうすると、モノとコトとの関係=構造化は、
価値的には同等だと考えることが可能になってきました。
例示するならば、
実物であるモノ・例えば、自動車や時計を考えてみましょう。
現物である自動車=リアリティ・モノは、
写真という仮想現物=バーチャル・コトは、
当然、現物と写真そのモノの価値は全く異なります。
しかし、現物が効果ならしめるコトと、
写真となっているコト=情報は、
現物のモノ仮想ですから、
「所有し、使用すれば」、価値性は同等です。
また、「モノとコトとの構造を認識」すれば、それも価値としては同等です。
したがって、デザインの役割も、
モノづくり+コトづくりの社会化が職能と20世紀後半から言われてきました。
結局、私はこのブログで何度も何度も、様々な視点から思考し考察し、
デザインするモノとデザインするコトが、
メディアでありツールでもありうるということに行き着くわけです。

● モノの効果→物質のメディア化
そこで、モノの効果としてのコトは物質のメディア化となり、
● コトの表現→情報のツール化
コトの表現としてのモノは情報のツール化になるというわけです。

メディアクロス・ツールクロス
現代は、メディア・ツールが混在し、
なおかつ補完し合うことが私たちの「日常性の環境」になっているということです。
デザインするモノが、メディアとなって、
デザインするコトが、ツールとなっていく、
このことが理解できない経営者はリーダーにはならないでしょう。
今、成功している経営者の経営手腕、
その経営姿勢や企業の商品・店舗などの表現形式と内容は、
確実に、
モノ=物質=商品と
コト=情報=広告や広報などには、
見事な「メディア・クロス・ツール」と
「ツール・クロス・メディア」という手法が実践されています。
現代、物質・情報・エネルギーというこの三大世界観に起こっているこのクロス性は、
資本主義経済社会を変更させていると考えます。


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『資本主義からの逃走』
 「iPadがまた拡大させる!?・批判or批評or非難、
               iMacの私の経験から」


   


     2月 5th, 2010  Posted 2:37 AM

iPadだ!
未来、 見えているか?

iPadのNewsは様々な批評や期待で一杯です。
Apple社、ジョッブス氏の活発さに惹かれます。
そこには、いつも私たちは未来を見るわけです。
現代、こうしたNewsが、
多大な問題いっぱいの世界をやや救ってくれています。
それは閉塞感満ちあふれる日常での救いでしょう。
かつて、私はiMacを100人評価する雑誌で、
唯一、「ゴミだ!」って発言して、
ほとんど日本中から袋だたきに遭いました。
さらに、Gマークでも金賞候補からはずす主役でした。
問題点は、三つありました。
一つは、すでにあのモックアップは見ていましたから、
がっくりしたのです。
環境ホルモンと流行
ところが、
理由はそれが、ポリカーボネート製でした。
これが二つ目の理由でした。
ビスフェノールAという環境ホルモンの問題です。
今では、ポリカのリサイクルシステムもできましたが、
当時はビスフェノールAだ!って叫んだのは私だけ。
さらに、これがカラーで透明だったので、
おそらく日本の様々な文具から何にでも、
「流行現象」が蔓延してビスフェノールAに無頓着、
というのを、一人でも食い止めたいと思ったからです。
まあ、脅迫メールは届くは、
ポリカ業界からも散々な目に遭いました。
この時にも、私は自分を「職能家・デザイナー」を、
絶対に押し通そうと言い聞かせて、耐えました。
結局、「流行」は去り、ポリカのビスフェノールAは、
WHOから、「懸念ある素材」となり、
産業界はリサイクルシステム無しには、
素材使用は自粛されました。
「川崎は理詰め」と言われますが、
理性と感性には、順位があります。
「理をつめなければ、けっして感性優位は排撃すべき」
というのが、私のデザイナーとしての信念です。

私は、iPadには、二つが無かったと思っています。

●「新素材・made in Japanを知らなかったこと」
●「清潔感をコンセプトにする」

ということです。これは「批評」です。
それでも、iPadが、「iPod」がデカイだけ、
というのは、非難であり、未来が見えていません。
これは駄目でしょう。
私は、私の批評ポイントをはずせば、
やはり、「やられた!」といわざるをえません。
そして、必ず、私の二つの批評が合体するモノを
最も希望しています。


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1月23日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     1月 23rd, 2010  Posted 7:13 PM

1月23日 友引(癸酉)

デザイナー、モノのつくり手としては、
モノを使いこなすための責任を、
所有したい、使用したいという欲望のある
市民側にも持ってもらいたい。

『プラトンのオルゴール』
デザイン・対・民主主義


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