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Posts Tagged ‘作家’


11月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 20th, 2012  Posted 2:03 AM

11月19日 甲申(先負)

デザイナー、アーティスト、作家にとって、
作品タイトルは、
表現意図を明快にし、
作品の存在、
あるいは観念やコンセプトをことばで、
それも一言で表示する制度になっている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン/a>


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「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」


   


     11月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

私が最も注目している現代アーティスト、
トマス・サラセーノの新作をインターネットNewsで知りました。
「クラウド・シティ」という題名=テーマは、
現代アートゆえの「問いかけ」、
それは批判であり、問題提起になっています。
ともかく、商業主義的な流行として喧伝されることには、
常に実態がともなわないことが明らかです。
これは特に情報社会になってからの顕著な悪弊だと私は思ってきました。
「嫌らしくて卑下して構わない」とすら私は直言しておきます。
「Cloud」、「Smart City」、「Smart Grid」、「Eco」、「Lohas」など、
うんざりです。
そして、情報系大企業にはこうした事業部があり、
広告もあり、
いかにも未来を招致している印象を企業イメージにしています。
しかし、小学生でも、そんなことに希望や期待など持っていません。
私などは実際に「デザイン実務」で、
そうした事業部のリーダーたちと接してきましたが、
「これだから日本の企業経営は失速している」と大確信しています。
企業研修などで講演をするとき、
現代アーティストの作品を事例に解説することがあります。
必ず問いかけます。
「この作品知っていますか?、作家を知っていますか?」、と。
ほとんど無知です。
もし、未来に向かって真に革新的なイノベーションをめざすならば、
現代アートの「問いかけ」、「批判」、「問題提起」に
敏感でいてほしいと思います。
そうとなれば、
選ばれしアーティストの展覧会は日本にやってくるでしょう。
また、そうした展覧会が日本オリジナルな企画展が生まれてくるはずです。
かって「マルチメディア」という
陳腐なテーマを語っていた企業が時代を招来したでしょうか。
否です。
私は、日本が現代で目覚めるためには、
アーティスト作品が日本展を目指してやってくるべきだと考えています。
まさに、
私は、現代アートと経済の活性化は直結した連鎖構造だと思っています。


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「題名(差別用語ゆえ)で語りきれない作品」


   


     7月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM

絵画にとって題名=タイトルは、作家の意図です。
けれども、当時は社会的制約の無かった言葉表現が、
時代と社会によって、題名の絶対的な変更を余儀なくされたら、
作家の狙い・意図・思想は欠損します。
この絵画は描かれた頃、このような人たちが存在していた証です。
四つほど欠損と切断の症例があるものと解釈されています。
 ・先天的な下肢欠損
 ・戦争負傷ゆえの切断
 ・後天的な病気での切断
 ・この絵が存在する場所性・風土病での切断
絵画登場の4人は、上記のそれぞれですが、
彼ら集団を当時は「●●●」(現地呼称)と呼び、
そのまま題名=意図にしていました。
後ろ姿の2人も明らかに障がい者です。
ピーテル・ブリューゲルは、
「●●●だからどうした」という理念があったようです。
●●●の日本語訳はすっかり差別用語です。
「足なえ達or足の不自由な人々」というタイトルになっています。
こうした芸術作品タイトルを差別用語は公認されるべきとの
私の見解と主張を持っています。
私自身が●●●と自称するのは構わないと思って、
講演などでも自称を意図していたところ、
差別用語消去団体から、徹底的な「差別」攻撃を受けました。
この団体との闘争は2年間かかりましたが、
私の主張を彼らは容認では無く、
それ以来、私には「攻撃停止」の旨まで伝えられました。
私が学んだことは、二つあります。
作家の創造性のタイトルは「意図すること」ゆえ、
「意図されている」ことは、
人間社会として容認するべきでしょう。
もう一つは、差別用語が人格否定では無い限り、
人類の資産として語りつぐべき言葉文化です。
これを人類から欠損させるべきではないと確信しています。


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「大好きな色鉛筆・最近のお気に入り」


   


     5月 5th, 2012  Posted 12:00 AM

「作家は万年筆だが、イラストレーターは色鉛筆」。
色鉛筆の方が毎日楽しそう。
浪人時代にそんな判断をしました。
母は、「ドクター(私の真のねらいはいづれ作家)が血を見て暮らすより、
絵の具を見て暮らす方があなたに向いている」。
結果、医学部受験(しましたが)から美大に転向して今日があります。
したがって、色鉛筆は必需品であり、大事な物です。
そしておそらくほとんどの色鉛筆は試してきたと思います。
常に、今最も気に入っているものは必ず持ち歩きます。
今は、この三つが最高にいいと評価しています。
最近は、幼児が使っても「折れない色鉛筆」が出てきました。
日本ならではの物です。
ただ、色合いや色相がそろっているのは、外国製になってしまいます。
100色や限定品などの高級品もありますが、
私はむしろ、「即スケッチに」となる色鉛筆が大事です。
そして、ボールペンとの相性を最も気にしています。

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「絵画に惚れることの重大さ」


   


     5月 4th, 2012  Posted 12:00 AM

絵画にはいつも目配りをしています。
それは美大で学んだこともありますが、
「絵が大好き」という天性の嗜好性があるからでしょう。
心臓疾患で長期入院162日間入院をしたことがあります。
ちょうどその時に、
以前から美術雑誌で見かけ心を奪われていた画家がいました。
彼の初めての日本展開催を知り、
妹にカタログ購入を頼みました。
その後、フランスで彼の画集を随分探し回りました。
しかし見つかりませんでした。
ところがそれは書棚の一番上に大量に並んでいました。
まさかそれほどの人気画家とは思ってもいなかったのです。
モンパルナス付近の美術書専門街でも、
そこの書店主は「家族全員が大好きだ」と告げられました。
フランスでは本当にポピュラーでした。
ともかく、大好きな画家はいっぱいいますが、
彼はその中でも一番です。
パソコンなどのデスクトップ画面は、
必ず彼の絵にしています。
あるとき、
グラフィックデザイナーから画家に転身した友人から、
「誰の絵が好きか」と尋ねられて彼の名を上げたら、
「買えばいいじゃないか」って、簡単に言われました。
「彼の名をあげるなんて最高にいいよ」と評されました。
私は「色彩論」を教えるときには、
彼の絵画での私なり解釈の色彩調和論を講義します。
この「サッカー」などを見ても明らかに、
具象性と抽象性、さらにマチエールもミックスメディア性など、
現代絵画を革新しています。
現代絵画と現代音楽は相通じるところがあります。
「絵画」と「音楽」は美学の対象分野であり、
私にとっては、デザインをするときの背景、
特に造形と色彩選びの基盤・下敷きであることは間違いありません。
そして、彼のこの絵が代表するように
世界の画壇に大きな影響を与えるものとしてスターになりました。
これからさらに一般的にも有名性を獲得することを約束されました。
ところが個展準備の制作中、個展直前に自死しています。
どういうわけか、私は自死を選んだ画家が好きなようです。
フランスに行くと必ず彼の画集を探し求めています。
彼の作品で欲しい物が数点あります。
彼の名は「ニコラ・ド・スタール」です。
「絵画」を眺めるということと自然風景を見ること、
すなわち「鑑賞」するということの重大さを心眼にしていくことは、
きもちの振幅にα波を与えるようなものです。
このα波がいのちを活性化するのです。
このα波を絵画に込める苦難が作家を冥府に誘い込むのでしょうか。
デザインも絵画同様「鑑賞」してもらうことを願っています。

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「改めて陶磁器を問う」


   


     4月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

陶磁器と言っても、最近はその意味が不明です。
陶器とは、土を粘土とし焼成したモノであり、
磁器とは、石を粘土としたモノですが、
現代ではまとめて陶磁器と言っています。
よって、いわゆる作家モノというのが、
いかにも芸術的な価値観で評価されていますが、
私はもっと明確に、生活容器としての価値性を
ユーザー自身が知識として持つべきことと思っています。
まして、「手づくり感」についても、曖昧で手芸的な感覚になっていて、
それがあたかも大きな価値観になっていることを
正して行きたいと思っています。
轆轤での手業が下手になり、
陶磁器としてのバランスも下手になり、
日常的な容器機能が無いにもかかわらず、
そのような陶磁器が氾濫し始めています。
デパートの陶磁器売り場そのものが、
陶磁器流通を破壊し始めている現実を批判していく必要がありそうです。

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「貿易立国最初の輸出品・九谷焼き」


   


     3月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

明治維新後、日本のアイデンティティ明示は、
岡倉天心の国家プロジェクトで、狩野芳崖の「悲母観音像」でした。
西欧諸国が驚愕したこの絵画一点を証明したのは、
1873年ウィーン万国博での「九谷焼き」商品でした。
日本が貿易立国となっていく最初の商品が九谷焼きになりました。
私はこの最初の貿易品が九谷焼きだったのなら、
長い間どのような陶磁器であったのかと思い続けてきました。
改めて逆輸入された当時の輸出品そのものを九谷産地で見つけ出しました。
今では私の大切なコレクションになっています。
これは現在の九谷焼きをはるかにしのいでいるとともに、
日本の現代の陶磁器技術を超えていると評価できます。
まず陶磁器とは思えない、
まるで「ガラスのようなセラミックス」であり軽いことは究極です。
さらに、装飾=これをデザインとは私は呼びませんが、
デコレーション=装飾・加飾技法もずばぬけています。
だから、加賀の伝統は今も健在だとは言い切れないと思っています。
最近、全国の陶磁器から漆器に至るまで、
デコレーション=加飾の描写技法デッサン能力の低下を私は憂いています。
ずばり、
伝統工芸産地での自然写生デッサン力は下手くそになり果てています。
そのようなデッサン力で「人間国宝」の作家が数多くいます。
これは日本だけでなく海外の有名ブランドでも起こっている傾向です。
それこそ、何の花か、鳥らしいが何の鳥、葉っぱなどの描き分けは
完全に間違っているモノが多いのです。
自然観察力とデッサン能力は世界的にも力量低下しています。
世界の自然景観で失っている動植物が多いのかもしれません。
私は、最近は陶磁器を徹底的に収集をしています。
デザイン資料は「使わないと」本当の機能・性能が不明ですから、
いざ購入ともなれば、
自分がコレクションするのだから吟味に吟味します。
陶磁器はCHAINAと呼ばれてきましたが、
漆製品=JAPANでは無くて現在はLUCQER WAREと呼ばれます。
したがって、陶磁器産業はセラミックス産業として、
まず、陶石や陶土を伝統工芸陶磁器現地産から解放されるべきです。
さらに、写実的なデコレーション、
これを私は絶対にデザインとは呼びませんが、
デッサン描写力を強化すべきです。
となれば製陶技術を
さらに高度な技術開発をベースにしたデザイン導入が必要です。
結局、陶磁器はあまりにも伝統工芸への大きな誤解、
産地存続の継承にだけ踏みとどまり、
全く「革新」をしてこなかったと判断しています。
なぜ、明治維新後、日本の国際化・貿易立国としての輸出品が
九谷のセラミックスだったのかその詳細を見直せば一目瞭然です。
この技術はもはや九谷に残ってはいないのではないでしょうか。

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「指編みを思い出しながら」


   


     2月 25th, 2012  Posted 12:00 AM

明日26日、63歳になります。
よくぞ生きながらえてきたものと思っています。
先日、銀座の手芸店で買ってきた毛糸を玉にしました。
ともかく店頭でひたすら「手触り感覚」が良い物を選び購入しました。
そうしたら、名前あるこうした毛糸の作家ものでした。
だから、とても高価だったらしくてワイフに、
「また最高の物を選んで」って、言われてしまいました。
先般もある有名ブランドの時計ベルトが変わってしまっている、
と気づき店長さんに聞きました。
そうしたら調べていただき、変わっているということでした。
「感覚」を大事にして生きてきたことに安堵しています。
さて、「指編み」は母から習っていたので、
マフラー程度なら編めます。
そんな気持ちで、この毛糸玉を持ち歩こうかと考えています。
ともかく、時間に追いかけられている気がしてなりません。
自分の仕事ペースは60年も生きてくると、ほとんど推測がつきます。
が、やはり45歳からはそのペースは確実にダウンしています。
ICDは二台目を入れたので、5年は保障されていますが、
やはり心臓で期外収縮が起こると不安です。
金沢で同窓会に出席します。
工業デザイン専攻だけということが、
結局大事になって「産業美術学科」全体になりました。
恩師の先生方に会えるのが楽しみです。
ただ、同級生が検査入院とか、癌の疑いとかで、
もう生ある時間に限界が見え始めています。
だからこそ、毛糸玉に触れていたいと思っています。

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「日本陶磁器の伝統革新」


   


     11月 26th, 2011  Posted 12:00 AM

六古窯というのがあります。ご存知でしょうか?
日本で陶磁器が始まった六つの産地です。
しかし、この六つの産地で生き延びたのは、
すべからく茶道と結びついた所だけです。
したがって日本各地には陶磁器の産地が散在しています。
というより、陶磁器は陶芸の作家が居ればそれなりの産地になっています。
伝統工芸をデザイン対象にしたのは私自身が故郷にUターンしてからです。
陶磁器のデザインもやりたかったのですが、
なかなか産地に巡り会いませんでした。
福井の産地では私の論理が猛攻撃されました。
陶磁器は子供の頃に九谷焼に取り囲まれていましたからとても好きです。
しかし、より詳しくなったのは西洋や中国の青磁白磁を知ってからです。
とりわけティーカップやコーヒーカップには寸法決定の法則があります。
少なからず美大時代には陶芸を傍観していました。
そして後に知ったのは、岐阜県の美濃焼産地です。
ここには鼠美濃などを復元するまでの
日本全国の焼き物データが集積している製陶学の中心地だと思っています。
それでも、ティーカップやコーヒーカップの
伝統的かつ正確なモジュールは日本ではほとんど遵守されていません。
さらに釉薬や焼成方法などは
ほとんど進歩していないと私は断言しておきます。
有田焼は元来、九谷焼の母産地です。古九谷というのは有田焼風です。
しかし、ARITAという名称は中国に世界的に商標登録までされています。
そこでこの有田産地へのデザイン導入の最初は
ステッキの華飾として商品化しました。
当然、現在のステッキはリハビリ用品から抜け出ていません。
人間工学的な設計も十分にしてあります。
これはいづれ詳細を報告したいと思っています。
そして現在、コーヒーカップ、ティーカップの
デザイン設計、特に、新たな釉薬、絵付けの革新を狙っています。
理由は簡単です。景徳鎮で始まったchinaは、
まったく進化していないというのが私の結論です。
そして、
日本の陶磁器も伝統から抜けだそうとしていないことです。
いわば、伝統にだけ寄りかかってきただけだと判断します。
ふるさと福井は六古窯のひとつですが、
確かに作家モノはありますが、評価出来がたく、
かって福井に居たとき、若さもあって総批判した結果、
産地はもう私を絶対に呼ばないとまで言われました。
若い作家、人間国宝、文化勲章受章者も、
陶芸の世界には華々しさがありますが、
正直、私にはたとえ文化勲章受章者の作品であっても、
全く評価出来ないモノがあります。
それは、陶磁器という伝統と革新を美学として、
私が見つめる価値観が下敷きにあるからです。
だから、私は私が陶磁器をデザインするなら、
自分の美学を明確にすることだけは護ろうと言い聞かせています。

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「モノづくり・作家と作品」


   


     7月 17th, 2011  Posted 12:00 AM

モノづくり。
私は人工的な物をモノと呼び、
このモノづくりをする人を作家、
モノづくりされたモノを作品としておきます。
ともかく作家・作品ともに広義な意味で使用します。
したがってモノづくりへのデザイン作家がデザイナーです。
作品は当然、デザインされたモノという狭義な範疇に封鎖。
そこでデザイナーという作家=人、
その人となりは、作品の個性をその人となりの個性として、
自ずと作品に反映されているというと、それには、
そのまま反映されることもあればまったく反照されていること、
それは人間だからまったく千差万別であるだろうと思います。
これは、音楽と照らし合わせると、
作曲家・作品・演奏者が「音楽作品」に対する表現とその効果、
この三者三様が表れるかどうかということと同様でしょう。
たとえば、私が倉俣史朗という作家とは、
私は一度の面識と一回の電話応対しかありませんでした。
したがって、倉俣論ではその人となりは、
彼の元スタッフの人たちの感想を聞きかじっただけにすぎません。
よって、20周忌ということもあってか、
すぐに時代は形骸化納得のイベントを希求します。
彼の人となりを彼との関係のあった人たちが語り合うのは、
彼への畏敬の思い出と憧憬に過ぎず、
作品評価そのものにはなりえず、
必ずしも彼の作品を語ることとは大変な隔たりがあります。
この隔たりに気づかない作品評論は、
「作品の周辺的な雑音的な世間話」であって、
歴史的な美学的評論成果には決してならないでしょう。
むしろ、音楽と比較するのは美学的な検証手法と同等であり、
特に、作曲家・作品・指揮者、そして聴衆への影響として、
デザインも、デザインされたモノ=作品とデザイン効果=影響、
この図式に当てはまるものと考えます。
作家=デザイナー、作品=デザイン、効果=デザイン本質、
この三者的な立体構造の中では、決してすべてが連動しつつも、
「必ず時代的な破綻が起こっている」ということです。
少し、一般的な認識困難な例証をすれば、
キューリー夫妻が放射線は原子を遷移させしかも崩壊する現象、
この発見は放射線を人工物に適用可能としたことに重なります。
作家の個性を無個性としてとらえ、
作品の存在性に個性を見つけず、
さらに、作家と作品の隔たりを近傍性から切断してこそ、
初めてデザインの本質が浮かびあがること、
これが科学的デザイン手法だと私は確信しています。
つまり、デザインは応用芸術から離脱して、
科学性を纏った学際的デザインをやっと手に入れうるデザイン、
そのデザイン時代の先鞭者として倉俣史朗という存在を認め、
しかもデザイナー存在のテキスト=形見にできるのだと考えています。

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