kazuo kawasaki's official blog

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『レタリングで基本ロゴタイプ・Kazuo Kawasaki® 』


   


     1月 20th, 2019  Posted 12:00 AM

「Kazuo Kawasaki」。
フリーになって、ともかくこれからが、デザイナーとして
「名前を出す」と言うことで作成したロゴタイプです。
天地60mmで、ある書体(不明)を参考にして、
ケント紙上(ホワイティングが可能)で作成をはじめました。
私の作品・企画書・計画書に記載されるこのロゴは、
全てのレタリングの調整を終えるまでに3ヶ月くらいかけて
当時、赤坂の事務所でつくっていたことを思い出します。
最もzの書体が気になり、そのうちの2ヶ月をzの書体を調整しました。
しかし、このロゴタイプは最初は企画書だけに使用していました。
ふるさとの福井に帰ってから、越前打刃物にデザインを導入し、
「タケフナイフビレッジ」のブランディングを手掛け、
デザイナーとしての自分の名前は、表に出さないと私は決めていました。
また話題になってからも、私の写真は掲載しないとも決めていました。
作品よりも、「身障者がやっている」というイメージが、
先行することを恐れてたからです。
まだまだ公然と偏見や差別がある時代でした。
これを出来る限り、作品から抹消したかったのです。
28歳で車イスになり、まもなく70歳です。
そろそろ、思い切ってこのレタリング=ロゴタイプで、
デザインを使用していいのかと思っています。
ちなみに、名前をブランドとして商標登録するには条件を
満たす必要がありますが、
「Kazuo Kawasaki」は商標登録されています。
最近では、企業の製品で自分を売り出すデザイナーが、
多いことこそ、「デザイン本来」を忘れています。


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『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』


   


     8月 13th, 2015  Posted 12:00 AM

「コンシリエンスデザイン」を定義化してから、
どうしても、私自身が説得不足を感じていたことがありました。
それは「統合」についての整理された論理が必要でした。
学術と芸術の統合というコンシリエンスの基底論理でした。
まだ30代の頃、CIブーム時にはCI=「企業イメージの統一」論へ
CIデザイン論の再構築という論文をデザイン専門誌に書きました。
「統一」から「統合」をW.S.ランデッカーの考察から学んだことが
私はとても気になり、その論文をバックナンバーから探しました。
しかしどうしても見つからずに、この専門誌発行元に問い合わせ、
それが見つかってきて、あらためて私はとても驚きました。
なんとそれはMacintosh 512KでMacDrawでの図解で描かれていました。
そして「企業イメージの統一」CI論を企業の戦略的効果の消滅として、
「社会は、いつの時代の変動もその局面を強調して、
将来への予測とその準備を強要するものである。」という書き出しは
今も健在であり、常套化したデザイン手法=企業イメージの統一から
いち早く逃れるべきである、ということを指摘していました。
企業イメージの統一=CI論はケインズの経済学を引きずっていました。
そのための統一から統合を、私は今なお主張し続けていることです。
W.S.ランデッカーは、「統合」を以下の四つで整理していました。
 ● 機能的統合
 ● 伝達網的統合
 ● 規模的統合
 ● 文化的統合 でした。
私はやっと思いだしてとても大きなヒントになる予感です。
この四つでアイデンティティ=存在性の再考が可能という予感。
それこそ今、話題騒然としている、オリンピックエンブレム問題も、
エンブレムデザインでは、東京オリンピックのイメージ訴求は
決して統一は困難であり、今なお著作権でベルギーが訴訟しようが、
東京は商標登録しているからという対決姿勢だけの不毛さは、
「イメージの統一」に寄りかかっているからに他なりません。
重大な事は、オリンピック・パラリンピックともに、
イメージの統合のために、そのエンブレムが、
機能的・伝達網的・規模的・文化的な四つの統合性があっただろうか、
この質問を投げかければ、
文化的統合はすでに壊れているということです。
それは、文化的統合とは、無知と差別を解消することですが、
エンブレムは、オリンピックとパラリンピックには、
差異性、いや差別性をデザインしたということです。
もっと、厳密に言うとケインズの経済学が亡霊だと気づかない、
そんな21世紀がまだまだ続いているということです。
ここまで気づかない能力だと思いますが書いておきます。

*CI=C.I.=コーポレート・アイデンティフィケーション


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「日本陶磁器の伝統革新」


   


     11月 26th, 2011  Posted 12:00 AM

六古窯というのがあります。ご存知でしょうか?
日本で陶磁器が始まった六つの産地です。
しかし、この六つの産地で生き延びたのは、
すべからく茶道と結びついた所だけです。
したがって日本各地には陶磁器の産地が散在しています。
というより、陶磁器は陶芸の作家が居ればそれなりの産地になっています。
伝統工芸をデザイン対象にしたのは私自身が故郷にUターンしてからです。
陶磁器のデザインもやりたかったのですが、
なかなか産地に巡り会いませんでした。
福井の産地では私の論理が猛攻撃されました。
陶磁器は子供の頃に九谷焼に取り囲まれていましたからとても好きです。
しかし、より詳しくなったのは西洋や中国の青磁白磁を知ってからです。
とりわけティーカップやコーヒーカップには寸法決定の法則があります。
少なからず美大時代には陶芸を傍観していました。
そして後に知ったのは、岐阜県の美濃焼産地です。
ここには鼠美濃などを復元するまでの
日本全国の焼き物データが集積している製陶学の中心地だと思っています。
それでも、ティーカップやコーヒーカップの
伝統的かつ正確なモジュールは日本ではほとんど遵守されていません。
さらに釉薬や焼成方法などは
ほとんど進歩していないと私は断言しておきます。
有田焼は元来、九谷焼の母産地です。古九谷というのは有田焼風です。
しかし、ARITAという名称は中国に世界的に商標登録までされています。
そこでこの有田産地へのデザイン導入の最初は
ステッキの華飾として商品化しました。
当然、現在のステッキはリハビリ用品から抜け出ていません。
人間工学的な設計も十分にしてあります。
これはいづれ詳細を報告したいと思っています。
そして現在、コーヒーカップ、ティーカップの
デザイン設計、特に、新たな釉薬、絵付けの革新を狙っています。
理由は簡単です。景徳鎮で始まったchinaは、
まったく進化していないというのが私の結論です。
そして、
日本の陶磁器も伝統から抜けだそうとしていないことです。
いわば、伝統にだけ寄りかかってきただけだと判断します。
ふるさと福井は六古窯のひとつですが、
確かに作家モノはありますが、評価出来がたく、
かって福井に居たとき、若さもあって総批判した結果、
産地はもう私を絶対に呼ばないとまで言われました。
若い作家、人間国宝、文化勲章受章者も、
陶芸の世界には華々しさがありますが、
正直、私にはたとえ文化勲章受章者の作品であっても、
全く評価出来ないモノがあります。
それは、陶磁器という伝統と革新を美学として、
私が見つめる価値観が下敷きにあるからです。
だから、私は私が陶磁器をデザインするなら、
自分の美学を明確にすることだけは護ろうと言い聞かせています。

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