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Posts Tagged ‘目的’


『電動車イスの効能的制度設計からの性能・機能デザイン』


   


     4月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

車イス生活を余儀なくされて、僕は車イスをデザインしました。
結果、その車イスはMoMAはじめ美術館やデザインセンターに
永久収蔵され、自分が最も必要とする自助具を自分でデザインし、
しかも車イスデザインのあり方を二つ決定しました。
一つは、走行性能と身体保持性能の両立です。
もう一つは性能決定による必要重量の機能化です。
しかし、すでに僕の障害では「電動車イス」が必要な事態になっています。
最近の車イスの技術進化は様々な性能・機能のモノが登場していますが、
僕には車イスデザイン設計での大間違いを発見しています。
健常者が「腰」で運転しても無意味です。
さらに、重量は20kgが限度です。重量設計を間違えれば、
性能は勿論、効能=社会的存在の意義がありません。
現在の僕の電動車イスは、ワイフによってカーボンファイバー風と
シートをやり直しています。が、まだ不満足です。
そして何よりも電動車イスは社会的な制度上の問題が山積しています。
僕の経験では、飛行機搭載の問題がありますが、
これは米国では1990年「障害をもつアメリカ人法」=
(Americans with Disabilities Act of 1990 ADA):
包括的障害者差別禁止法という
効能的制度が不整備という問題があるからです。
したがって、コンシリエンスデザインによって、
この対象である「看医工学」の実務形態設計と
制度設計があるということで、一つの代表目的にしています。

*『最近はリチウム急速充電の電動車椅子に乗っている』
*『これは最適ではない・誤った車椅子対応車輌デザイン』
*『チュッパチャプス武器論・戦術結果は「効能」成果#3』
*『あらためて自転車を!、車倚子の私から』
*『車イスデザインのための文脈づくりに気づく』


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『カメラの増大=視点が社会制度に組まれていく恐怖』


   


     4月 7th, 2016  Posted 12:00 AM

iPhoneはじめスマホになって以来、
カメラは生活に最接近したモノになってしまいました。
カメラは記録機器でありますが、その撮影されたコトが
表現される場は、このブログもそうですが、SNSと結びつき、
Twitter、Facebookどころか、今では写真中心のInstagramにまで
様々な表現それは自己表現風、自己表現的な写真本来の目的が拡大です。
僕はなるべくカメラを自分の収集目的や趣味にはしないと決めていますが、
気がついたら、なんと、なるべく高性能で使い勝手を
自分流に判断をするとともに、海外製まで手に入れています。
現代、カメラは自分のもう一つのeye-pointどころか、
表現道具として、この技術進化は空恐ろしい状況になっています。
自宅や研究室にもカメラはいつでもいわゆる「監視の目」です。
これは大きな問題提起を投げかけています。
実際、最近の防犯はカメラが目となっていて、
犯人逮捕も防犯カメラのデータに頼っていることが増加しています。
スマホを持参していることで、人は、自分の目だけではなく、
記録媒体として、写真どころかビデオやムービーにまでが
あたかも社会性の善悪判断、その要因になってきています。
それこそ、表現はジャーナリズム化=日々の記録となり、
そのジャーナリスティックな判断をある意味では放棄しているのです。
それは、表現者のカメラという道具、プロのジャーナリズムの道具が、
一般化することで、社会判断を鈍化させていることになります。
人間は「消失点」を持っています。
しかし、カメラの消失点は制御可能です。
さらに、人間の視覚は最も遠景=星を見つける光年、
その距離感把握能力があり、
現代のカメラ=もう一つの視点・eye-pointがある意味を
十二分に検討する必要があると判断しています。

*『視覚空間は存在しないことを認識する必要がある』
*「岸辺のアルバム=家族平和とは安泰」
*『彼は映画の社会的メッセージを知り尽くしている』
*『デジタルカメラはなるべく買い換えない』
*『負のサイクルを即刻停止させるデザイン』


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『非常事態宣言の街=パリにて、決意!』


   


     11月 17th, 2015  Posted 12:00 AM

パリには三つの目的を持ってやってきました。
三つとは、ちょっと内緒ですが、それよりも大変な事態発生でした。
到着翌日の夕方は「森田恭通氏」の個展オープニングに出て、
現地時間11月13日には、英国駐在の教え子が会いに来てくれました。
彼は、帰英前にその個展を見て英仏間特急電車ユーロスターに乗車。
その時に、パリ6カ所で「同時多発テロ」が起こりました。
ホテルでFBには「無事ですか?」、「大丈夫ですか?」
・・・ん、何?・・・・
TVをつけると、非常事態宣言、パリでの多発テロリズムが発生、
「武器があるから闘うよ+絵文字」とか親友に返答していたら、
「冗談言っている場合じゃない、帰国できるのか?」って怒られました。
ともかく、CNNとBBC(何がWord New?)を見て事態を確認。
ところが・・・NHKは何も伝えてこない!・・・?
現地のTV報道とは格段の違いがある・・・なぜだ?
部屋にあるTV2台を使って、報道を見比べてみるが、
嘘だろう、CNNもBBCも視点が違うのです。
CNNもBBCもeye-point=視座からテロを見ている。
しかし、現地TVはview-pointである被害都市で実態を見つめている。
だから視線=まなざしは動揺し全く視野と視界が異なっているのです。
これがあの3.11も二つの視点違いで情報流布されていたなら、
私は身震いが起こりました。
ジャーナリズムはもう全世界が盲点だらけの報道になっているのです。
哀悼の表現は、PRAY FOR PARISと花とキャンドル、
ライトアップされているフランスのトリコロール色。
これは明らかに全世界の「悲しみ共有の表現」ですが、
現地TVではテロリスト容疑者逮捕、
その荒々しい警官たちの「怒り」は拳銃とマシンガンが暴力的に使用。
もし、日本だったら、これほど荒々しい事は絶対に不可能だと確信します。
非常事態ながら元阪大インターンのフランスの子も駆けつけてくれました。
ともかく、翌々日に新聞を買い、目を通しました。
タイトルはなんとか読めても文章はわかりませんが、
これだけのテロはまさにACT OF WARです。
銃撃戦を報道で見ていたワイフは、怖い、怖い、このホテル襲われない?
帰国の飛行機に自爆テロリスト乗ってこない?
・・・・・・私はひたすら、
8世紀の銃で今なお宗教対立は許せないと思うだけなのです。
1994年にPKFもPKOも銃で平和は大間違いゆえPKDを提唱していました。
「このデザイン活動を急ぐんだ」と自分に言い聞かせるだけです。
一流のエンジニア、一流のテクノロジストにこのショックを
デザイン開発に変えないといけないというメールをしました。
パリでの銃撃戦は映画を超えての恐怖を与えています。
戦争の形式を大変更する、これがイノベーションであり、
IoTをIoMeTに変えるために私はパリにきているのでしょう。
「IoMeT as PKD」は帰国次第、早々に取りかかるつもりです。

* PKD=Peace-Keeping Design


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『今秋より『KK塾』を開催します』


   


     10月 12th, 2015  Posted 12:00 AM

この秋より「KK塾」を東京で開催することになりました。
大阪大学大学院医学系研究科にて
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」を開設し、
招聘教授の講演と私との対談でスタートします。
基本的には寄附講座ゆえに寄附企業関係を主体に
「コンシリエンスデザイン」と「看医工学」の目標と目的を説明し、
現在のデザイン思考やインクルーシブデザインなどの熟慮不足を紹介。
さらに、文科系+理科系に学術系+芸術系で、
次世代デザインへ展開します。
デザインがモノからコトへなど、結局、また大誤解を受けています。
しかもエンブレム問題でのデザインやアートディレクターの役割、
さらには、盗作問題も絡んできています。
問題解決・価値創出・未来創造がデザイン解答である、
ということさえ伝わっていません。
「デザイン思考」も大きな偏りがあって、問題解決の実務手法には
とてもいきついていないことが大きな気がかりになっています。
これまでのデザイン系大学では、
デザイン技能もPCやインターネットであり、
アナログ性とデジタル性も明確にはなっていないようです。
私自身も、阪大を一旦は退官して、特に、気候変動と感染症対策を
象徴的な3.11東日本大震災復興からも、
「危機管理デザイン工学」を目指してきましたが、
危機管理=リスクマネージメントでは、デザイン実務は無理と判断。
危険には起こってしまったクライシスと起こる可能性のリスクがあります。
その実務的な解決は、
危機=危険な機会とした危機解決には、
これからのデザインとしての実務=研究と開発をめざすために、
文理融合+学際化=コンシリエンスデザインこそ焦点化可能です。
これを「KK塾」として、まず、講座関係者から、
やがてデザイン界まで一般化し、
その研究・開発から実務実現事例を出していくつもりです。
これまでの「KK塾」は大阪でしたが、
東京で徐々に拡大化をしていきます。
講演者は、
大阪大学でも実務として「社会成果」を実現している教授、招聘教授を。
私はデザイナーとして、+デザインこそ、
次世代の真のデザインとして、
これまでのデザイン系大学の方向性を明確に変更させる覚悟です。


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『自宅玄関のデジタルサイネージとデジタル照明実験』


   


     8月 30th, 2015  Posted 12:00 AM

私は自宅玄関をリニュアルしました。それはデザイン実験でした。
システムは、すでにニプロ研究所のショールームで実現したことを
さらに、デジタルLED照明を玄関の人感センサーと時間対応まで
業務用ではなく、家庭用で可能な手法にしました。
最も家庭用が出来るまでは、まだ時間が必要だと認識しました。
それは、国内照明メーカーはもちろんのこと、
これまで映像機器開発をしてきた私にとっても
デジタルサイネージ化は不可能だと判断をしてきました。
実際、デジタルサイネージはまったく国内展開の成功例は皆無です。
結局、新たな映像開発はまだ明らかにできませんが、ある企業に
新規開発事業部門によって、実際のコンサルタントと開発中です。
デジタルサイネージは、私の作品や自宅からの遠景、そして海外、
時間対応などをiPhoneにアプリ開発でLED照明と組み合わせました。
これは偶然にもショールーム展開でのアイディアが果たせたことと
運良く照明学会全国大会の特別講演の依頼を受けたことでした。
そこで、なんとしてもこれからの照明とデジタルサイネージを
自宅で実験実施することができました。
デジタル照明ではWiFiとIR=赤外線通信、人感センサーを使いました。
玄関天井はLED照明と鏡面、55インチモニター縦使いでした。
現実にはLCD液晶モニターはまだまだ大画面ほど技術開発が必要です。
そして石材タイルや玄関扉もカーボンファイバー照射面も再確認しました。
石材の選択は、実はもう一つの目的がありました。
それは音響システムでの壁面としての整合性をいくつか考え、
これまでの試聴経験から自宅の音響空間づくりを条件にしました。
正直、
私はデザインよりもオーディオ、さらにビジュアル化が面白いので、
この教育をしたいとすら思っているほどです。
玄関のリニュアル化については、
これからのコンテンツ開発やアプリ開発のヒントが生まれました。
そして一昨日の講演会から帰ると翌朝には家電大手企業の
照明関連工場での封鎖と人員整理ニュースが入りました。
私の自宅玄関には、明らかにこれからのデジタル照明アイディア、
それこそ造形言語と形態言語がヒントになっていると思います。

*左=デジタルサイネージ 鏡面内映像モニター
*右=全面・鏡面
*玄関天井=ステンレス鏡面周囲にリボンタイプLED


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『「企画書」づくりが私の休暇の積み重ね』


   


     8月 18th, 2014  Posted 12:00 AM

「企画書」はデザイナーになってどれほど書いたでしょうか。
バブルの時には、一枚書いてとても高額だったことは今では夢です。
ただし、「企画」と「計画」の違いはほとんど一般化していません。
特に、政府も行政、企業にいたっては無能の有様です。
それは「企画」にしろ「計画」にしろ、いづれも戦略用語ですから、
「戦略」=企画、「戦術」=計画であることも知識です。
企画とは、領土拡大において、どこまで領土を支配する予定書、
計画とは、元来は経画=領土線を縦に引くことです。
したがって、企画とは戦略同様に目標と目的が示されますが、
計画とは、その目標と目的を具体的に空間設定、時間設定を
人間が行うべき行動指針が示されなければなりません。
まずもって、政策策定書・政府内閣から行政の「企画・計画」書で、
私に提示されると、ついつい次の質問をしてしまいます。
これは企画ですか?計画ですか?
目標しか書いていないのですが、目的は何ですか?
企画なのに、どうして具体的な方針が書かれているのですか?
計画というのに、どうして目的だけで行動工程が無いのですか?
となれば、とても嫌な存在になるのでしょう。
こうした批判のためにどれほど仕事を失ってきたことでしょうか。
今や、このようなことはどうでもいいのです。
私は真っ正直に、地道に、目標と目的を見極めた企画を提示し、
その遂行のための行動・実務方針と時間管理の計画を差し出します。
万が一、この企画・計画が実現できない場合は、
この実現を成すべきリーダーが無能である証になるはずです。
なぜなら、時代は「情報時代」であり、「見える化」が当然です。
したがって、私はデザイナーとして、書けるだけ書き残し、
後世にその判断と評価を残すことが可能になっています。
私は、デザインという「絵に描いた餅」作業こそ、
「絵に描かれた餅」だからこそ「食べられる時代」になりました。
だから、「企画書」?を書き残します。

「企画は必ず具現化すること」


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『「百貨店の終焉」が始まっていると見ている』


   


     1月 28th, 2014  Posted 12:00 AM

私が社会人としてスタートしたのは銀座でした。
有楽町の阪急ビル7階の東京芝浦電気の意匠部からでした。
だから、銀座7丁目に東芝のショールームデザインも担当でした。
それだけに銀座の変容ぶりは見逃すことができません。
当時の銀座ではほとんど入ったことのない百貨店・松坂屋。
その松坂屋は名古屋時代にその歴史を追いかけたことがあります。
デパートメントストアが欧州でスタート以前に、
呉服屋松坂屋は存在していました。
エレベーターガールやお子様ランチも松坂屋だったと思います。
一度は、Forever21か何かになってワイフと入った程度ですが、
今、2017年開業予定ながらまだ明確な目標の無い建築中が存在。
私は、日本の百貨店がスーパーマーケット、大型店舗、さらには
チェーンストアからコンビニという店舗形式は、
おそらくショッピングがクラウド化とともに、
購買形式の大変革で、現在、大阪に乱立するデパート・大型店舗は
間違い無く、倒産するか購買販売形式の大変動になるでしょう。
ベンチャー企業、飲食店が10年継続不可能なように、
街の景観とともに、この中途半端な建築中かもしれない姿すら
大変革していくものと考えています。
銀座が東京、日本の消費文化の見本だと考えると、
まだ目標も目的も不透明なビル解体と店舗ビルの建築には、
この建設中らしき景観には「何かが欠落していく」情景を見ます。
今やクラウドのネットワークに入り込んでショッピングすることは
大阪が相当に遅れて大店舗がそろいながら、
百貨店販売の失敗事例が、この建設中らしき包装店舗に、
私は、街・シンボルである銀座の一画はとても奇妙な風景です。
つまり、情景には人間がいますが、
風景には想像外の日食・月食・天災がつつまれているのです。


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『「KK塾」大野ゆう子教授からスタートしました! 』


   


     10月 26th, 2013  Posted 12:00 AM

デザインディレクターとして、これまでの経験と知識から、
私は私塾をスタートしました。私自身が主宰していきますが、
私とペアでの講師は最も選び抜いています。
現代最も「デザイン」が主導すべき中心テーマは四つです。
この塾そのもののデザインには目標と目的が時代を先導します。
そのキックオフには、医療看護学では「この人」を選びました。
やはり、想像以上の講演をしていただきました。
本当は上海での講演を延ばしていただいてもやってもらいました。
私がこの塾での中心である「危機管理デザイン工学」発想を、
真っ直ぐに受け止めていただいて、医療・看護・工学は、
科学性と倫理性への決断性をいっぱいいただきました。
聴講してもらったある人のノートには、そのメモには、
お母さんの手当からお医者さん、体位交換からロボティックス等。
私は先生と医療看護で拘ってきた「二人称の医療と看護」を、
改めてデザイン+看工融合での新しいアイディアが浮かびました。
大学病院での医療と看護の体制には、
どこかで身内意識=二人称=あなたへの依怙贔屓を避けます。
しかし、私と先生は、その二人称を最大に大事にしてこそ、
第三者、三人称の彼ら彼女らへの医療看護が可能ということを
言い続けてきました。
私はこの塾の今後に、PFI・AAC・DDSへの展開に進めます。
PFI?・AAC?・DDS?、これらは聴講する人にだけ伝えます。
理由は、先導する船頭さんはほんの僅かでいいからです。
KK塾の夢、理想、希望は大野先生とも仲間である生田先生です。
と思っていたら、TV「日本のミカタ」東大特集で、
まさに、生田研の活動が取材放映されていました。
生田幸士先生が大野先生の話を受け継いで語ったもらう予定です。


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「デザイン講座は制度設計と形態設計での問題解決」


   


     8月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

『March 11. 2011』東日本大震災が立ちはだかったままです。
前政権の政府力量の皆無さをなんとしても解決するべきだと、
私は大学を去るにあたって、最も大きなストレスでした。
ところが、退官後も阪大に残りました。
あらためて、デザイナーと大学人を残った人生の役割にしました。
名古屋市立大学で大学人になってからも、
プロのデザイナーとして作品を商品化して、
産業経済の実務家としても、それ相応の仕事と使命を自覚。
それこそ父から言われ続けてきた「行学」を続けてきたはずです。
あらためて、「行学」についてまとめると、
「行為と学業、修行と学問」を十二分に果たしてこそ、
己の生きがいと働きがいを生き様にするということです。
まして、自分の生涯で、やっと祖父や父たち世代が、
敗戦から、理想的な国家はすでに全滅瀕死の状態だと思います。
私は、デザインをまさに策略であり、問題解決の手法、
このように考えてきましたから、8年前に阪大に転籍後には、
学問領域を四つにわけて、さらに中心の実務学を配置しました。
しかし、一人でこの四つの領域を成し遂げることは不可能です。
ただし、絶対に書き残すことは、
もはやデザインを専門学校や美術系、あるいは工学系では、
とても問題解決の先導であり主導である実務手法は不可能です。
定年退任してから、私はこれまで以上に多忙になってきました。
理由は、四つの「塾」をデザイン講座先導と主導、
これらの「行学」の根本にしました。
その実務手法の目標と目的を具体的なモノとコトにしました。
何をデザインで解決した形態設計の行学だろうか。
何をデザインで解決した制度設計の行学だろうか。
私にはこの実務手法を残された時間に配置しました。
活動はこの秋、10月から活動を開始する覚悟です。
今は「国難」の時です。
それは大震災と大津波で「地球環境」を思い知ったのです。
原発事故も何ら解決していません。
けれども、先進国家のわが国だから出来るのです。
「行学」を果たす者には、最も最適解を出していくのは、
「デザイン」だから可能だと信じています。


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「3Dプリンターでクラインボトルが出来た!」


   


     5月 21st, 2013  Posted 12:00 AM

私がこのところ連続してここで記載してきたこと、
それは3Dプリンターの未来への真偽でした。
昨日、3Dプリンターでクラインボトル、
それも鎖状につながったモノが、ある「技」で送付。
FBに記載したら、目的は?とか、
出来たからそれがどうした?、という質問がありました。
私は面倒だから、
それが分からないなら、デザイナーなど辞めれば、
教えることも辞めればと、ほとんど呆れました。
そのような質問は、デザイナーでも教員でも時代遅れ。
私が、このところ米国ブームの3Dプリンターを、
日本の「技」こそ、必ず乗り越えることを主張していました。
だから、モノづくりに関わっていれば、
「型」と「版」で19世紀から生産が縛られていたこれまでから、
本当の「革新」ができると考えてきました。
現に、光造形も日本の発明でありその技術進化が、
「ナノテクノロジーと生体医工学の進歩」になったこと、
こうしたことがこれからの日本の技術だと思っています。
したがって、ブームの真偽性を確かめるならば、
 ● 光造形のデメリットが3Dプリンターのメリット?
 ● 3Dプリンターのデメリットが光造形のメリット?
こうしたことがありうるのだろうかと、
わが国で3Dプリンターの「技」ある人物たちにお願いしたのです。
相当にデータのバグやら、どのように造形していくかは、
トポロジーの空間内の形態化でなければなりません。
もし、これが可能になれば、
私たちの工場は、自宅のテーブルの上になるでしょう。
それは、現代文明の革命になります。
革命=イノベーションを提案した人物は誰だったでしょうか?
彼は、イノベーションの効果後まで予測していました。
まさに、現代はその緊縛性の中に世界と日常性があるのです。
しかし、廉価な3Dプリンターに「技」が加われば、
ここまで完成させることができます。
あとは、精度や素材の問題であり、データの需要供給だけです。
そして「何を創るのかでしょう」。
「誰ができるのでしょう」、
「さらに進化は?」ということです。
今や、3Dプリンターで銃器がつくれるという問題などは、
銃器の概念とその構造や効能性という社会観に問題です。
私は、この実験によって、
日本でこそ、この「技」で革新のリードができると思っています。


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