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Posts Tagged ‘明快’


『資本主義からの逃走』
 「*準から外れ始めた日本のデザイン解*」


   


     3月 13th, 2010  Posted 1:20 AM

最適解
一般解と特殊解がデザイン応答・回答・解答にはあります。
デザイン解というのは、一般解であれ特殊解であれ、
「最適解」を求めなければ、それはデザイン解ではありません。
私もすでに40年もデザインと向き合ってきて、
常に、それこそ1日たりとも「デザイン」が体中にあります。
血液にデザインが入っているという感覚に襲われます。

水面に風が吹けば、波立ちます。
その波立ちが大きく揺れているのがまったく穏やかになる、
それを「準」と言うそうです。
基準・水準・標準
基準・水準・標準がその準の状態を定義しています。
そこで、私は「準解」という言葉を自作して、
「最適解」はこの「準解」、
三つのどれなのかと再考することにしています。
「最適解」は、基準解・水準界・標準解になっているだろうか、
自分に突きつけるのです。
● 基準解というのは、もうこれで基準=basisは成果だろうか。
● 水準解は、たとえ特殊解でもaverage /levelは保っているだろうか。
● 標準界は、とりわけ一般解では、これがstandardだろうか。
特殊解なら、必ず標準解として一般解へと展開してくれるだろうか。
こうしたことを考えぬいています。
ところが、最近の日本のデザインには「最適解」がありません。
デザイン解が「かわいい」とか「きれい」とかだけに、
寄りかかっていたり、単なるパロディやギャグは、
ガジェットだからそれでいい、なんていうことが目立っています。
これを「デザインの多様性」だということは大間違いです。
だから、日本のデザイン、その質が低下してきたのです。
経験を積んできたデザイナーとして、
警告をしておかなければなりません。
デザインの本質=最適解
デザインの本質=問題解決の解答=最適解は、
本当に「難問中の難問」を解いていく作業であり、手続きです。
頭脳、頭の中に汗をいっぱいかくほどの作業です。
だから、川崎和男のデザインは好きになれないとも言われます。
それは、形態の好き嫌いはあるでしょう。
好き・嫌いでの判断は第一段階であり、
自分の価値観に、最適解を判断力を欠如している疾病があるのです。
多分、数理的判断が大欠落していると最近は診断しています。
最適解には、「清潔」・「簡素」・「簡潔」・「明快」・「快適」が
ふさわしいと思っています。
かわいくても不潔であり、
きれいでも不明感があり、
かっこよくても、「不快感」があるデザインが増えています。 


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『資本主義からの逃走』
  「製品コンセプト・一人称では三つが基本」


   


     2月 28th, 2010  Posted 1:10 AM

清・潔・簡・明
私は東芝のインハウスデザイナーから出発しました。
その時の「想い」は今なお崩していません。
身体的には、車イスになり、心臓障害をいだきながらも、
それでも、私は「デザイン領域の拡大」が目標です。
製品コンセプトは、常に三つで十分だとさえ思います。
それは、自分自身=一人称から決定すれば、
● 清々しいこと=清
● 潔い=潔
● 明快=明確な簡潔さ=簡素

以上が、私自身の精神性や、そんな存在感で生きたい、
ということにつながるからです。
だから私の製品デザインには、
その一人称がそのまま反映し反射し吸収されたモノに
結実してくれればいいと考えてきました。
しかし、
清々しく生きる、というのはとてもむずかしいことです。
潔いというのは、きっぱりさとさっぱりさです。
簡素で明快であるというのが、清潔さを必ず与えます。
私が「喧嘩道」と呼ぶのは、
この三つを成し遂げるためには、
自分へのこの三つの問いかけです。
自分に喧嘩を仕掛けることです。
私の「製品デザイン」は無論、「好き・嫌い」で
受け取られています。
時には、川崎和男のデザインは嫌いだ、と、
幾たびも言われていました。
それでも私が、「私のデザイン=一人称で語りつくす」、
この姿勢や態度が気にいらないのは、
「嫌い」というあなた=一応、二人称のあなた自身へ、
問いかけます、とうより喧嘩を売ります。
聞かせて下さい。
● あなたは、清々しい人ですか?
● あなたは、潔いですか?
● あなたは、明快・簡潔・明確・簡素ですか?
という「喧嘩」を売りたくなります。


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『資本主義からの逃走』
 「*Business Design Modelのコンセプト訴求*」


   


     2月 27th, 2010  Posted 1:00 AM

私は「ビジネスモデル」の歪みを指摘しています。
その歪みを是正するために三つの条件を前述しました。
製品コンセプト
そこで、三つの条件から
「製品コンセプト」の強力な訴求性について記します。
「製品」と「商品」は、まるで違いますが、
経営者でこの違いを明確にできる人は少ないというのが、
デザイナーとしての経験です。
にもかかわらず、「製品」も「商品」も、
「金融」にまとめた現代経済は大きな失策だと断言します。
つまり、彼らの「したたかさ」が、
自分たち金融主体の存在否定に連続してしまったのです。
収益構造のモデル化は、今後ますます自分たちが、
その中で苦しむことになります。
「不況」=depression=「鬱病」医学術語です。
「金融」の「鬱病」治療は、直線的に結論づけると、
それは「デザイン」の手法と思想しかありません。
「コンセプト」という言葉自体、
あるいはこの言葉の意味も不明確なままの「経営本」は、
私にはあきれかえるほど多く次々と出版されて、
またベストセラーの低能さを追い求めるサラリーマンの
悲しさ=まさに搾取されている実態を見ています。
ゆえに、一端、ベンチャー企業ともてはやされても、
多くの倒産を見てきました。
その倒産に至らない方法論は「経営論」ではありません。
「デザイン論」です!
まず、「商品」のベースとなる「製品」、
そのコンセプトには明快な(明確さではなく)主張です。
私はデザイン実務の結果の実例で、
「製品コンセプト」の訴求性を見せたいと思っています。


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