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Posts Tagged ‘敗戦’


「これからの命五年は保障された年でした。」


   


     12月 31st, 2011  Posted 12:00 AM

2010年9月末に私は東芝の原子力研究所を訪ねました。
「あと20年、貿易立国・日本は大丈夫」、
原子力技術の進展ぶりに驚愕しました。
「はやぶさ」と「南極観測船・しらせ」に、
わが国の高密度技術あってこそ、
私なりのデザインは寄り添えられるという確信でした。
3.11 PM2:46 M9.0 東日本大震災
大地震・大津波・フクシマ原電事故は、
わが国を「ゼロ」にしてしまいました。
3月からほぼ半年は、瓦礫と破壊された東北景観に涙しました。
そして、1000年に一度を、すでに残されたわが生涯に、
真正面から「祈望と企望」にして対象化しました。
ところが体内のICDが電池切れ、またもや入院手術。
けれども、中国と韓国では、
「国際貢献のデザイン」を講演するチャンスをいただきました。
キーボード・スポーツ眼鏡フレーム・血圧計を世に出しました。
講演も「3.11以後のデザイン」を次世代に語りました。
東芝にもどって、
「復興計画●●●PROJECT」に取り組んだ年となりました。
来年、この提案が受け入れられるかどうかです。
提案はたとえ東芝で出来なくとも後世に残す覚悟でいます。
それは、自分へのある種の決着です。
デザイナーとしての生涯の証です。
身体は、新たなICDでまた五年の心臓制御は保障されました。
日本のデザイン界は低迷しデザイン行政は為体です。
それは日本の政権交代の大失敗と連関しています。
正直、心なき中傷も受けますがそんなものは、
命がけを体験してきた私に届くわけがありません。
私は、地道に懸命さで、
そして最も過激で敵をつくろうが生命の限りを使い果たす覚悟です。
祖父や父の世代がやっと敗戦からつくり直した日本を、
もう一度、私はデザイナーとして大学人として、
私の微力を捧げます。

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「東日本大震災のNHKジャーナリスト講演から」


   


     12月 24th, 2011  Posted 12:00 AM

震災直後のNHK取材は3D撮影であり、
監督されたNHKメディアテクノロジーの智片通博氏に
阪大で特別講演をしてもらいました。
依頼後時間が経ちましたが、
かえって「風化しそうな」記憶を再確認できました。
私自身は震災直後から東芝で
「復興計画デザイン」に関与してきました。
ほぼ10ヶ月かけて「全計画」を書き上げ、
来年早々、東芝トッププレゼンします。
デザイナーとして40年の実務経験からの発想です。
講演では、取材編集はあの日の参議院予算委員会から始まります。
時間経過にそったNHKの天災時対応の詳細や、
そうした放送台本が放送直前の修正まで見ることができました。
私はメモを相当に取りました。
講演を見聞し、幾つか私の心に残り書きとどめたことです。
●震災の歴史的記念は
これは残すべきかは被災された方の気持ちが大事で記念館など不要。
●市町村合併によって町名に何ら東北地方性が失われていた。
●1000年に一度の天災でこそ
「役立たない技術」などはまったく人類に不要。
●NHKは日本人全員の生命と財産を守るマスコミとして
相当の日常的準備訓練があったこと。
●「みちのく」を復旧し復興することが政治で可能だろうか。
●マスコミとしてのNHKに対して、
ミニコミの必要性がもとめられますが、そのあり方。
●箱根を境界として、
日本が二分されてしまった現状から国力再建の可能性。
私は、あらためて国難の中にたたずんでしまっている
自分を客観視しました。
講義後、講座担当教授としてこのような話でまとめました。
1860年、日米修好通商条約提携に向け、
勝海舟・福沢諭吉が乗った咸臨丸が出航。
1854年から1859年は「安政時代」、社会不安に天災続き、
特に大阪も安政南海地震で大津波、
結果、難波(津波災害から)、梅田(埋め田)という地名が生まれるほど。
NHKでも若い取材者は、精神的ショックが相当だと聞きました。
現実、大学生にもボランティアに行きつつも、
そのやりきれなさで自殺者が出ています。
私たち日本人にとって、この震災・津波・原電事故は、
日本を「壊滅」させました。
それ以上にタイでの洪水は、産業的海外基盤を失っている状況です。
祖父や父世代が、日本を敗戦ながらも「楽園国家」にしてくれました。
その楽園環境に麻痺していたのかもしれませんが、
現実、まだまだ復旧さえ進まないわが国は
本当に「絆」をもって再興すべきだと再決意しました。

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「日本システムが壊れた理由のひとつ」


   


     8月 22nd, 2011  Posted 12:00 AM

敗戦後懸命だった日本。
それからの日本システム。
それは日常性が確約されていた、
今となってはパラダイス国家でした。
大震災と原発事故はこのパラダイスを破壊しました。
しかし、それ以前、政権交代を希求に至ったのは、
すでに崩壊していたと思います。
格差社会とか「勝ち組・負け組」とかという言葉が象徴でした。
日本システムは中産階級がほとんど日本流システムの中核。
それは企業の家族的な情緒性と完全雇用体制の完備でした。
現在は正社員と派遣社員という企業構造が、
企業中心の日本システムを失いました。
しかも、正社員より派遣社員の方が企業機能を果たしています。
雇用体制での差別社会、リストラと呼ばれる「解雇」、
これは日本システムの根幹=骨抜きにしています。
無論、この方向に追い詰められた原因は少なくとも、
五つあるでしょう。
◆ 政治能力・政治的リーダーがいないこと。
◆ 国際的経済破綻の連続とその政治対応無策性。
◆ 企業法人税はじめ税制度の無策性。
◆ 未来不安が次世代の精神性を低能力化。
◆ 教育システムー小学から大学までの教育者能力不足。
理由はまだまだありますが、無策性と能力不足が、
あらゆる局面、あらゆるコミュニティ、
そして高密度情報社会での情報格差が覆い被っています。
たとえば、コールセンターなども外注であったり、
サービス性だのCRM、ISOだの、さらにはブランド化だの
この喧騒性の中で、肝心のことが見失われています。
私は 47歳で大学人になりました。
すでに16年になります。大学環境と世間との隔離を見ています。
新設される公立大学の学長候補になったこともあります。
そして辞退したこともあります。
すべからく、日本システムの崩壊が見えていたからです。
一方では、現役のデザイナーですが、
それゆえに、企業と大学の断絶性や、
法人化大学から公益法人までがまったく「革新性」皆無を
毎日体験しています。
ある予測には2300年には「日本人」という人類は滅亡、
これは「少子化」や今回の日本列島・放射能汚染からも
かなり想像可能になってきています。
だとするなら、東日本の復興ではなくて、
日本列島全体の復興という名の「新生日本システム」化です。
無策性と能力不足への対策は、想像性と創造性、
懸命さと賢明さ、精神性・日本人としての意識改革、
これらを各個人意識とそれを先導するリーダーが不可欠です。


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『資本主義からの逃走』
    「日本人の『人権』勘違い」


   


     12月 11th, 2010  Posted 12:00 AM

基本的人権
「基本的人権」、これが日本での呼称です。
「基本権」、「人権」、ともに日本で
これらが認識されて法的整備になっていったのは
第二次世界大戦後でした。
英国でのマグナカルタ以来、
特にキリスト教による自然権という考え方が最大の影響を与えた結果でした。
けれども、何世紀にもわたって、人間の必然的権利は議論を重ねられてきました。
わが国は、敗戦という結果がこの憲章を改めて社会的な慣習化に加えました。
したがって、「基本権」・「人権」という言葉まで創出しなければなりませんでした。
結果、日本国憲法第3章の第10条から13条にまとめられました。
私はこの第3章のタイトルに「人権」のコンセプトが包含されていると判断しています。
それは「国民の権利及び義務」です。
つまり、「人権」を主張することと保護されることの幅が収まっているとものと判断します。
「人権」という新しい言葉は、タイトル通り「権利と義務」のあり方だと私は思います。
ところが、敗戦のトラウマのまま、日本人は、「人権」をはき違えているようです。
敗戦トラウマとしての人権勘違い
個人的=私の権利だけを主張し、義務を棚上げにしていたり、
集団的=公の権利を権力と勘違いをし、義務は放棄ということです。
日本人は被害者の権利よりも加害者の権利を重要視しがちです。
加害者には義務をつくして後、権利の保全があるべきことが、
時に「人権弁護士」というのは、権利の主張のみを繰り返しています。
これは敗戦のトラウマだと私は思わざるをえません。
敗れし者には、義務は課せられますが、権利を認めない風潮に囚われています。
このトラウマをひきずっているのです。
「人権」とは、元来、「義務」を尽くしてのみ、
「権利」が社会権として成立することを忘れてしまっているようです。
「義務」を尽くさすずして「権利」はありえないことをもう一度確認するべきだと考える次第です。
日本人が「平和ぼけ」と自身が気づきながらも、
自虐性に沈殿しているのは、義務果たさずして、権利=「人権」はありえないのです。
この大きな勘違いを早く是正すべきだと私は思っています。


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『資本主義からの逃走』
 「ビジネスモデルにデザインを組み入れた意義」


   


     3月 8th, 2010  Posted 12:01 AM

結果判断
日本の産業構造が国際的立場を危うくしています。
その原因は、すべてに立ち返れば、
「日本人」という意識が、敗戦というトラウマから、
まったく解放されないままだったことに始まります。
むしろ、私は「結果」を評価するべきと考えています。
現在、日本という国家構造と国民の民意と意識、
こうした背景によって明らかに経済的基盤への不安は、
ほぼ失望から絶望にすら至ろうとしています。
「政権交代」への民意期待があえなく失望に変質、
これを私は「結果」と判断しているのです。
したがって、この「結果」を「考察・熟考」するには、
私がデザイナーであることを、
社会化していくことだと考えるわけです。
それはデザイン実務で、
その実例を提示提案することでした。
一つは、「ビジネスモデル」というある意味の理想が、
まったく歪みと曲解が正当化されているという結果です。
「収益構造」は、「利益独占構造」となり、
企業存在性を証明する「アイデンティティ」は、
「社会還元」でしたが、
それは崩壊していることを看過していることです。
綺麗事
デザインを組み入れるには、
「美学性+倫理性」=綺麗事です。
現況に対する綺麗事という無謀さは、
笑いとばされることでしょう。
綺麗事をどこまで訴え続けられるか、ということが、
デザイン・デザイナーの本質を社会化させる道理であり、
なおかつ、デザイナーの綺麗事という二重性です。
私の持ち出した「ビジネスデザインモデル」には、
「収益構造と社会還元」も二重構造になっています。
二重構造


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『資本主義からの逃走』
 
*「資本主義の終焉は、
  ブログ形式の中に隠喩となっている」*


   


     12月 23rd, 2009  Posted 10:00 AM

2009年、歳末になろうとしています。
私にとって、この一年は、
教育・講演・研究・開発・提言すべてを
デザインで包み込んだ活動でした。
もっともちょうど60歳・還暦で生命はつながっていす。
ブログ本論のタイトルは、「華甲我之発言也」です。

華甲発言

「華甲」とは還暦・60歳を意味する
古代よりのレトリックとして美しい言葉です。
デザインの世界に入って、
ほとんど休日休暇は持たないデザイン連続でした。
ただし、時に、「死に際」に至ることや、
「死」の予感が私の生体を追い込むことはしばしばです。
そして、その「死線」から帰還すると、
必ず、私にはなぜか大きなテーマが振り降りてきます。
●「なぜ、このスケッチを描くのだろう」
●「なぜ、今こそ、どう非難されても発言しよう」と
なります。

日本のかたち

このブログで、とうとう「資本主義と民主主義」への
私の持ち続けてきた「歴史観、それも敗戦という軸」に、
知識を整理して、いわば暴論となろうが、
この思索は、私のデザイン手法での「日本のかたち」、
その試作だと思ってください。
●それは壊れかかっていたり、
●すでに壊れたり、失ってしまった「日本のかたち」を
デザインし直すこと。新たなデザインを生み出すこと。
この二つを差し出そうということです。
だから、このブログは、一度こうして掲載した後も、
さらに「校正」を何度もしているのです。
おそらく、ほとんどの読者の方々は一度読んで、
●「まぁ、そういう見方もあるか」とか
●「過激だな、何をそこまでも」とか、でしょう。

私は、ブログという形式がすべからく「日記風」の
感想報告文体であることを残念に思っている立場です。
残念であり、無念であり、
文体に載せる言葉の貧しさに、「不景気さ」=鬱を
見抜いてしまいます。

「不景気という不気味さ」

なぜなら、
私は確実にコンピューターのエバンジェリストでした。
だから、特にパソコンとネットワーク、インターネット、
それらの進化はつぶさに実体験し、そのシステム創りや
デザインに関わってきましたから、
ブログの形式が日記風・感想文風ということに陥っている
その「不景気」さは「不気味」さでもあるのです。
だから、この「不気味さ」を選んでいる社会は、
「不景気」だから、ブログという新たな表現形式にも
●「不景気」という「不気味さ」にすら気づかないほど、
●「不景気」、すなわち「bitな鬱病」だから、
「死線」が見えるわけがありません。

鬱病に死線は見えない

その「死線」とは、
「資本主義の終焉という死」の境界線です。


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義の偽善さと善良さの対決」


   


     12月 3rd, 2009  Posted 8:00 AM

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経済の偽善さは「資本主義」を纏っています。
そして、見事に展開していくのです。
「ドバイ・ショック」が今度は襲いかかってきました。
日本人は、国内は「性悪説」の国家となりつつも、
国際的には「性善説」、
それを演じて生き延びるつもりなのでしょうか。
これは、見事に、「資本主義+民主主義」の
まことしやかに「敗戦」をひきずっているからです。
逃れる策略=designが不可欠です。

さて、「ドバイ」は、黄金の国家というイメージ戦略が、
成功していました。
しかし、あの国は「貿易商品の廃棄場」だったのです。
もし、あの国に貿易商品が流れついたら、
それは、もう、「廃棄品」という烙印を押されたということです。
そのことに詳しい経営者が、
なんとわが国には少ないことだったでしょうか!

サブプライム・ローンは、貧しい労働者をだましましたのです。
そこで、リーマンショック!です。
ドバイ・ショックは、富める有資産家への詐欺でであり、
彼らの動向はまったく不明ですが、
あらたな恐慌の形式と質が変容したのです。
このハリケーンがトルネードのごとく
襲いかかってきている日本では、
「デフレ・スパイラル」に善良な市民は巻き込まれています。

「偽善」と「善良」を分別するには、
「民主主義」を見直すことでしょう。
その基盤が、「資本主義」に乗っかっていることに、
もう一度、目を向けない限り、
わが国のこのささやかな資源無き領土で、
私たちは息絶えることになります。

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私のまなざしはいつも、
デザイン」という理想主義で、
「偽善」と「善良」を分別することにしています。


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『資本主義からの逃走』
  「神の国は、アジアを開放したということ。」


   


     11月 24th, 2009  Posted 8:00 AM

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「明号作戦」というのが終戦間際に決行されました。
第二次世界大戦で戦後わが国は誹謗中傷を受けています。
それこそ、敗戦となった報復は
日本国内の左翼系、マスコミの一部ですら、
平然と「戦死者」への鎮魂も無く罵詈雑言です。
「靖国問題」・「教科書問題」・「慰安婦問題」、そして、
でっちあげられた「南京大虐殺」にまで及びます。
私は、こうした問題に、より知的・冷徹・平衡感覚的に、
実情を遡及すべきことが、
基本的な「愛国心」の基礎ではないかと考えてきました。

しかし、
「愛国心」・「部落差別」・「新興宗教」・「国歌」などを
戦後はすっかり、「タブー」としてきた教育には、
本来の教育思想への大きな裏切りを私は認めざるをえません。
「日華事変」と「大東亜戦争」との差異性を語った講義すら、
私は一部から「忠告」まで受けたのです。
「思想教育など行うべきではない」と。

この歴史観が私的に語られることを「思想教育」という大学人、
私はそうした連中を日本人とは思わないことにしています。
そういう大学人をいづれ論理的にも、制度的にも、
日本人学者であることの資格は剥奪すべきだと思います。

「明号」作戦は、
インドシナを欧州各国からの独立を支援しました。
そこにあった「基盤思想」は、
アジア小国それぞれの解放と独立でした。
あの敗戦間際での日本軍が果たした功績は、
決して公認もされず無視であり歴史史実は皆無です。
それどころか、明号作戦を指揮した人々は、
戦犯として絞首刑された日本軍の幹部将校たちでした。
彼らは靖国に帰国しているのです。
彼らの「アジア小国の開放」功績は、
日本の歴史には明晰に書き残し、
語り継ぐべきだと私は主張しておきます。

なぜなら、欧米宗教で押しつけられた「資本主義」、
日本人自らも「資本主義」を選んだ賢明さを、
私は、間違いでは決してなかったと確信しています。
しかし、そろそろ、
あの「明号作戦」の根底の理想主義を読み返すべき、
そんな時代に入っていると思っています。
アジアの小国、その真なる独立はまだ虚構かもしれません。


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『資本主義からの逃走』
  「神の国・・・その堪忍・4」


   


     11月 20th, 2009  Posted 6:00 AM

敗戦し、焦土と化したわが国こそ、
「娑婆」(シャバ)を
実体験させられたのではいでしょうか。
それは報復に「堪忍」(カンニン・タンニン)してきた
敗戦国家の日本人でした。
私は、この「娑婆」=「堪忍」が、
同義語であることを知っています。
ゆえに、「間違った戦争だった」とか、
「戦争で亡くなった方々への鎮魂」を込めた多様な意見に、
心底から、「神の国の住人」意識は、
統合し統一していく重大さを、
あらためて問いかけ直していくのが、
今世紀の「神の国」だと考えています。

「娑婆」とは、サンスクリット語(サハー)であり、
この世はあらゆる悪事や苦しみに耐え抜いていく世界、
ということこそ「堪忍」(能忍・雑会)だからです。
神の国」が敗戦で「堪忍」させられたところに、
持ち込まれた「自由・平等・愛」なる浅薄さなどを
「民主主義」などということで、
「堪忍」を忘却させているにすぎないのです。
どれだけの報復・復讐を受けさせられたことでしょうか。
それなのに、私自身も、戦勝国のあの明るさや、
「自由・平等・愛に憧憬」してきたことは事実です。
しかしながら私はこの状況から覚醒することができまた。
それは、デザイナーとして米国で受けた人種偏見でした。
人種偏見に潜む白人社会の報復性でした。

私は、あらためて主張します。
敗戦という経験こそ、
神の国」という「娑婆」を知らされました。
その「娑婆」での「堪忍」さ=仏道根本を、
「神の国の住人」として、
私たちは人格化する時期が、今、訪れています。
それは、「世界」が「娑婆」であり、
「堪忍」を日本が世界へ知らしめる
使命観を持っているということです。


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