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Posts Tagged ‘否定’


2月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 18th, 2011  Posted 12:30 PM

2月18日 仏滅(甲辰)

肯定もできなければ
否定もできない。
折衷ではいい加減すぎる。
だからいつでも懐疑し、
不可知だといって背を背ける。

情報が高密度になればなるほど、
プライバシーを守るという
名目だけが一人歩きして
「自分の中に籠る」ことに
なってしまう。

それは「人権」とは呼べない。

否定しなくてはいけない。

『デザイナーは喧嘩師であれ』四区分別


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2月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 17th, 2011  Posted 11:24 PM

2月17日 先負(癸卯)

「四区分別」という
道元の哲学である。

日本人は、
「肯定」
「否定」
「折衷」
「懐疑、不可知」
という四区を
自然に分別する力を
失ってしまったのだ。

『デザイナーは喧嘩師であれ』四区分別


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2月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 9th, 2011  Posted 10:00 AM

2月9日 先勝(乙未)

何を肯定し、
何をしっかりと否定し、
さらに、
どうすれば肯定でもなく
否定でもない折衷を
することができるのか。

その上で述懐し、
不可知なことに立ち向かう
勇気が必要なのだ。

『デザイナーは喧嘩師であれ』四区分別


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9月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 6th, 2010  Posted 7:33 PM

9月6日 仏滅(己未)

大衆化を否定するのではない。

大衆化=品位の低下
という図式が拡大してしまったことである。

『デザインは言語道断』趣致


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6月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 26th, 2010  Posted 11:41 PM

6月26日 先勝(丁未)

デザイナーにとってスケッチとは、
イマジネーションの世界観を
あたかも存在しているかのような
本物に近づける作業である。

「こんなものが存在してほしい」
という思いは、
存在してはならないモノ(否定)を
もう一度否定し、本物にするということだ。

『デザインは言語道断』本物


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『資本主義からの逃走』
 「資本主義の欠陥は、
  資本論の指摘では無くなった」


   


     1月 5th, 2010  Posted 9:00 AM

不満と信頼

150年前の著作を「もう一度」などと言うのは、
はなはだ「時代を読んでいない」と私は思っています。
再度、「資本論」への不満と信頼もあります。
ただし、信頼というのは、1850年当時の発想と論理です。
読み違いをまったくしなかった私の理由は簡潔です。
まず、副題が「経済学批判」であったこと。
この副題は、「批判」です。
「批判」をして、「提案」は何もありません。
デザインの実践者として、デザイン批判は受けますが、
それなら・・・という「提案」はほとんどありません。
そして、マルクスもエンゲルスも、
この書は、「共産主義を構築していく理論書ではない」ことを
完全に否定しています。
ここに私の信頼があります。
さて、150年前の指摘が、現代に当てはまるわけなど、
どこにも、もう見受けられません。

循環

そして、決定的には、彼らが指し示した「循環論」が、
「貨幣」・「生産」・「商品」の循環論です。
私はデザイナーとしては、
「生産」と「商品」に深く関与していますが、
「貨幣」の形式の大きな変貌について前述してきました。
私は「循環」からの視点が無いことが不満です。
「貨幣」は、クレジットカードやプラスチックマネーとなり、
「生産」に、労働による身分格差での剥奪論も底をつき、
「商品」には、意味論=デザインという全体価値があることを
彼らには、予言も予知も予測もありませんでした。
だからこそ、私は、不満と信頼のバランスで、
あらためて、この記述の下敷きにしています。

意味論の創出


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11月15日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 15th, 2009  Posted 8:56 AM

11月15日 先勝(甲子)

もし、反科学的、あるいは技術無視の態度で
モノづくりをしようものなら、
それらはすべて超科学、
理解不可能な現代美術、
あるいは現代における荒唐無稽さとして
否定されてしまうのがほとんどである。

『プラトンのオルゴール』イストワールのプロローグ


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