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Posts Tagged ‘JBL’


「わが家PCオーディオのセンターは、まず音像」


   


     6月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM

プリアンプは、LINN KLIMAX KONTOROL SEが中心。
そして、パワーアンプはモノラルAMPZILLA2台で、
JBL4343を「音像」再現で動かしています。
そして、B&O BeoSound5、リッピング音楽ソースは、
プリアンプ下のハードディスクにあります。
しかし、音質を向上させるために、
最近は、iPod classic -160Gにようやく現在は5台、
Appleロスレス・エンコーダで、
ようやく持っているCDを半分まで貯蔵しました。
まさに、音源を貯蔵したという感覚です。
したがって、音楽ソースは、
PC音源とインターネットラジオになりました。
ともかくこのプリアンプ・パワーアンプはJBL4343ですが、
すでに30余年になります。
JBL4343は、私のこれまでを見つめてくれてきた愛機です。
これまで4回入院、すなわち、リペアしています。
そろそろこのスピーカーを引退させてあげようかと思っています。
何度もそう想いましたが、
やはり手放せません。
すでに、スピーカー技術も進化していますが、
死ぬまでこのスピーカーと付き合おうと思っている次第です。


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「青色・好きな色選んだら出逢った音色」


   


     4月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

どういうわけか、「青色」を選びます。
デザイナーになって以来好きな色は持たないという決心を守ってきました。
デザイナーはすべての色に公平であるべきであり、
すべての色が素晴らしいことを伝えるのがデザイナーの役割だからです。
したがって、自分の持ち物もこれまでは様々でしたが、
50代になってからは持ち物はなるべくすべからく「青」に拘ってきました。
だから、青色のモノを見ると、よく衝動買いをしてしまいます。
しかし、決して衝動買いしないモノがあります。
それはオーディオ関連のモノです。
それは自分がオーディオに関してはプロだと思っていますから、
特にオーディオは決して衝動買いはしません。
ところが先般、
ライフスタイル提案のショップでヘッドホンを見つけました。
単に「青色」の発色が美しいと直感したからでした。
まして、オーディオにはその性能に関しては「絶対」を求めます。
オーディオの「絶対」というのは、
私のデザインに対する「絶対」に近い私なりの評価軸の正当性です。
だから、オーディオ性能で求めたわけではありませんでしたし、
ブランド「URBANEARS」も知りませんでした。
ほとんど期待無く、iPodにつないでみて、私はびっくりしました。
私の聴覚では、ほとんど合格の音色でした。
シュアやゼンハイザー、JBL、BOSSをもしのぐ、
素晴らしい音色を持っていました。
あらためて、商品性としてのパッケ?ジや取説を読み直し、
このようなブランドが北欧から生まれてきていたことを知りました。
このブログに私が記述するというのはそれなりに自信を持って紹介したいと思ったからです。
いわゆるオーディオ専門誌ですら、
この製品性能から機能性を評価はしていません。
ならば、私のそれもプロとして、
オーディオとデザインから評価を記述しておきます。
私の「青色追求」にはこれから衝動買いが始まる予感があります。

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「音からデザイン役割を語る基礎として」


   


     2月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

通称「ロクハン」と呼ばれるスピーカーユニットがあります。
口径16cmのフルレンジ=音響再生領域が満遍なく
フラットなスピーカーユニットのことです。
人間が聞こえる可聴領域があります。
可視光線の領域のようなものですが、
最低音f0が40Hzあたりから高音域20kHzまでがあれば十分なわけです。
そしてこの領域の音圧がすべてフラットな音の再生が重要と言われてます。
しかしマニアックには、このフラットさに、
それぞれの音楽領域、ジャズとクラッシックを再生するとなれば、
フラットではなく、ある再生音響領域にだけピーク値や谷を求めます。
それがスピーカーメーカーの特色になります。
ジャズならJBLで、
クラッシックならタンノイという迷信があります。
私は迷信だと思っていますしそれはアナログ時代のことです。
今はデジタル再生ですからこの考え方はもう時代遅れです。
そして、フルレンジそれも「ロクハン」ともなれば、
卒業研究と卒業制作ではコーラルのロクハンからスタートした私が、
東芝時代にこのロクハンをデザインで追いかけていました。
つまり、フルレンジではf0=80Hzですら再生は難しいのですが、
基音の倍音ということで、耳はあたかも低音を再現してくれるのです。
ハーモニクスな状態で身体を包んでくれる心地よさです。
私は、基音が適えば=基礎が全うなら、
すべてをフル稼働=フル機能化実現につながると考えています。
それは自分がロクハンというフルレンジスピーカー、
そのもののデザインを素材選定から構造化してきた経験があるからです。
日本は1970年代から80年代に蓄積してきた音響設計経験を失いました。
この経験則をさらに積み上げてきた欧米は、
今、映像と音響の新たな世界観を商品化しています。
その製造生産技術を中国も積み上げてきました。
それでも、日本ならではのある素材運用技術はまだ残っています。
基音と倍音の関係でのフル稼働機能性に最適な素材設計技術です。
この技術復権もデザイン主導すればという想いが私にはあります。
「ロクハン」という小っちゃなスピーカーユニットだからこそ、
その凝縮技術の応用に日本技術の復権が可能です。
それを主導する役割がデザインだと確信しています。

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『資本主義からの逃走』
   「多次元な音響空間はプロクセミクス」


   


     10月 13th, 2010  Posted 12:31 AM

オーディオシステムの空間
いつも禁断症状のように、
自宅のオーディオシステムを一新したくなります。
今、真剣に考えているのはCDを整理して、
もうCDでの再生はやめたいと思っています。
LPレコードも、5000枚程度持っていましたが、今は50枚だけにしました。
カートリッジも、整理しましたが、
それでも時々やっぱりあれは持っておくべきだったと思うのです。
そして、このブログでもJBLやアンプジラへのアクセスは必ずあります。
自宅は、JBLやB&OとLINNで構成しています。
基本は、「音像」と「音場」づくりにこだわりつつも、まだ今の自宅は不全です。
「音像」は名古屋時代の方がましだったかもしれません。
5.1chでの映像と音場は、これ以上はきっと許してもらえないから一応納得しています。
Media IntegrationからMedia Allianceへと、このところ講演テーマにしています。
だから、音楽ジャンルも変更してきているようです。
かってはオーディオ専門誌に連載を持ちましたが、
その雑誌の商業主義=広告クライアント批評(非難ではありません)がバッサリ無断で削除、
当然、私は辞めました。
さて、私は幸いにもオーディオ機器のデザインやそのシステムからデザインに入れました。
「音像」・「音場」は多次元空間
「音像」と「音場」は、明確に多次元空間への入り口です。
音や音楽を聴く場=音響空間、さらに、音や音楽との生理性=身体空間は、
プロクセミクス=proxemicsという距離という物理的な次元と同時に、
身体認識という多次元な空間だと考えてきました。
簡単には、人間同士であったり、人間と物・もの・モノとの距離認識です。
私が、重要だと思っているのは、
このことを直感的に決定してくれた人物を数人上げることができます。
そうして重要なことは、そうした人たちが、
音楽家、数学者、画家であってそれらを混在させることができました。
しかし、これは融合=学際化にはいたらなかったことをまとめ直したいと思っていることです。


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