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Posts Tagged ‘解釈’


1月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 5th, 2020  Posted 12:00 AM

1月5日 仏滅(丁未)

もっと深読みをし、
デザイン手法としての暗示を
現代のデザイン手法へ
変換できるのではないか、
という解釈を試みたい。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』13 造形言語の修辞学的手法


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8月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 8th, 2019  Posted 12:00 AM

8月8日 友引(丁丑)

ことばとかたちは、
70年代から
次第に断絶し始めていったことになる。
今になると、その解釈はたやすく可能である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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『曼荼羅とCPUは3×3の思考形態が同一である』


   


     5月 22nd, 2019  Posted 12:00 AM

CPU=Central Prosessor Unitはコンピュータの思考回路です。
曼荼羅は、そのCPUの機能実装の図解だと解釈しています。
この写真は、左には金剛界曼荼羅、
右に思考し実行を図るための曼荼羅チャートです。
3×3の思考のチャートをリフィル化して手帳に入れています。
なぜ、CPUと密教界の曼荼羅を組み合わせているのか、
私にとっては常に思考を実現化する
論理化するテーマとしてあるのですが
今になっても不明でその解答は分かっていません。
私の作品「DNA MANDARA」という曼荼羅から
DNAの二重螺旋が浮かび上がる仏壇や
Mind Top (Apple社提案)など、
3×3の9体、仏像を「涅槃金剛界厨子」で、
その思考をかたちにしたこともあります。
おそらくMacアプリケーションでも初期からあります。
発想から思考へ、論理化して実行へと誘ってくれます。
それは、祈りから悟りへ、そして思考の浄化へと
自分自身を導く曼荼羅の世界観なのです。


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『鏡・・・私の造形要素となっている』


   


     1月 27th, 2019  Posted 12:00 AM

「鏡」は、造形要素として使う最初のきっかけでした。
インダストリアルグラフィックでのアイディアと、
さらに、チューナーグリル、
そしてメーターに誰も思わなかった鏡を造形要素とし
Aurex チューナーST210が完成しました。
ギャラリー間での「プラトンのオルゴール」展では、凹鏡球面内の球を
虚像として浮かび上がらせるプラトンのオルゴールや
立体を鏡を介して絵画を出現させる
モンドリアンのオルゴールでもそのアプローチを実践しました。
さらに金沢21世紀美術館では、各展示空間で鏡との
対話、拡張、対立、調和と造形要素としての
鏡への実践的デザインを続けました。
鏡については、美術評論家・宮川淳で賢明に学びました。
「鏡の裏には冥府への道が・・・」があることや、
左右対称ではない「対称性の破れ」、そのデザイン的解釈を
このチューナーで表現しました。
ともかく、営業からは「これが売れるのか?」と詰め寄られ、
すぐに、殴りたくなる私を止めたのはKチーフでした。
私をいつもかばってくれたKチーフには今も頭が上がりません。
若い頃は、デザインを通すためには
力ずくでと目上の人達にも食ってかかっては
「高校時代なら殴ってる」と腕まくりをしていました。
結果、腕力ではなく、あくまでもデザイン力で、
パワーアンプ、メインアンプなどには、
インダストリアルグラフィックと鏡・鏡面が使われる状況になりました。

*プラトン

*モンドリアン


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『φが伝承した「黄金比」はこんなに使われている』


   


     1月 10th, 2019  Posted 12:00 AM

小文字の「φ」が、1:1+√5/2の比は、近似値で1:1.6180339・・・です。
φは古代ギリシアの彫刻家フェイディアス=Pheidias、
パルテノン神殿の建設を監督した彼の発見だと伝承されています。
レオナルド・ダ・ヴィンチも、葛飾北斎も、龍安寺の石庭までも
使っていた「黄金比」です。
これが、美の法則になっていることはよく知られています。
また製図記号の「φ」、つまり直径も
同じギリシャ語アルファベット第21字が使われています。
私たちの身近には名刺から、クレジットカードやIDカードも黄金比、
そして、アップルマーク、ツイッター、日本航空等の
企業のマークにも使われています。
マークの基本形だけでなく、製品デザインの外形や実装の分割や、
ボタンや表示の配置と数多く使われています。
目に見えない美の基準線をデザイナーは常に意識しています。
私のアプリケーションでは、この黄金比の計算機*があります。
この計算機はとても便利で、また黄金比コンパス*を制作する図面も
フリーでダウンロードできるように提供しています。
美しさを考えるとき、他にも白銀比、青銅比などの貴金属比があります。
デザイナーならば、絶対に知り置くセンスの元です。
私の研究室では、デザイナーの作品を黄金比で
分解、解釈した研究をし発表したことがありますが
「黄金比」を旧帝大の機械工学の教授が知らなくて、
だから、エンジニアにデザイナーの提案が必要なのだと思いました。
「黄金比」は大事な美への道しるべだと私は信じています。

*黄金比の計算機

*黄金比コンパス


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『デザインでデザイナーが美しさをどう創るか』


   


     10月 11th, 2017  Posted 12:00 AM

デザイナーにとって、私は最も難しい質問は「美しい」ってどういうこと?
この質問に一言で、体系的に、経験的に、学術的になど、
応答・回答・解答出来るかは本当に難しいと思います。
そして「美しさ」は美学という学術的な領域がその答を出しています。
それは音楽と美術が中核だったことは間違いありません。
私自身、「美しいってどういうこと?」という質問は、
福井伝統工芸産地、越前和紙に創ったオータキペーパーランドからでした。
思わず身構えましたしどう答えるべきか随分と逡巡した思い出があります。
私はまず、先天的に答えることができますが、
これをあたかも美学的に体系までは困難です。
そして後天的には、知識と経験で知見化することが可能です。
まず、美しいというのは景観での気分や気持ちよさでの一言です。
本当に気持ちいいほど空が青いとか、
夕焼けが綺麗という単純な景色感覚への評価です。
空・海・山の景観や景色が挙げられます。
これが先天的での景観評価が素直さでの感覚=センスだと思っています。
かって名古屋大学での講義で、自分が美しいものを上げてレポートを、
こんなカリキュラムを数年やったことがあります。
工学部相手でした。そうしたらなんと三分の一の学生が数学の美しさを
徹底的に分解してきたレポートには感動しました。
私はデザイナーとして、体系的には、二つあります。
その一つはパウル・クレーの「造形思考」でした。
もう一つはカントの代表作である「純粋理性批判」での
真善美と感性・悟性・理性での美の解釈です。
東芝時代はモーツアルトのピアノ協奏曲のスコアとその旋律再生音。
このマッチング性に美しさがありました。
登山懸命だった大学時代は山岳と空・夜空が私の美しさの根源でした。
今は自宅から望める夕方の夕闇の変化を眺めて、
自分デザインの美しさを綺麗さからも求め直します。
美術的や音楽的を離れた時には、デザインでの美しさは、
今ではかなりの制約が乗りかかってきています。
たとえば、PL法違反などは、現代的には当然であり、
重量なども、万一、落ちてきたら危険は美しさを語る以前の問題です。
デザインでの美しさは追い求める義務がデザイナーには不可分です。

* 『家具デザインの「家具」定義を変えるべきだ』
* 「伝統は熟知必然・実例としての和紙か和風紙か」
* 「若手芸術家の紹介から学ぶ『範・感性』の確認」
* 『ポケットブックになる「造形思考」が出版』
* 『月明かりの前の沈まない大阪、それは日本』


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『コラボという乗っ取り?、流行は「病」である』


   


     9月 27th, 2017  Posted 12:00 AM

メガネのデザインに取り組んでこれも30年を超えました。
そしてメガネは極めて流行品であることから、
メガネデザインはファッショントレンドに大きな影響を受けています。
しかし、私のメガネデザインは常にメガネ装着での問題解決や新素材、
そして眼球保護との関係を医学的な解剖からも見てきました。
多くのブランドがほとんどファッショントレンドに流されています。
だから、私には気になるブランドはたった一つだけです。
このブランドが何を提出してくるかだけに注視してきました。
先般、話題多くのファッションブランドのお店を見て回りました。
それこそ私のかつての教え子のお店をじっくりと見て、
本当にここまでよくやりきってきていると感心しました。
そしてとても気になったことは、
こうしたファッショントレンドでの流行は何か一つを掴み取ると、
それがあたかも素晴らしいモノづくりという印象で
流行という病に冒されているようです。
どこのブランドでもこういうのが流行していますと語っています。
「何とかデザイナーとのコラボです」とか、
「何とか産地とのコラボです」がやたらと流行っています。
私は一言、切り返しました。
「そのコラボっていうのは、乗っ取りでしょ」って、
ワイフに叱られました。店員さんが怒っていてそんなこと言っては駄目。
コラボです=乗っ取りです、
だから、デザインというのが何も進化をしていないのです。
デザイナーとして40年以上、このモノづくりをじっくりと見ながら、
まだこんなことも解決していないなんて、と思うことがしばしばです。
スプーンとフォークも随分とその商品性を見てきましたが、
このアイテムにも多少のトレンド性はあるようですが、
私が最も大事にしている簡素・簡潔・清潔は何も解決されていません。
世界中でたった唯一のメーカー、そのデザイナーだけが解決しています。
そこには流行は無いのです。なぜなら、流行という学術的な解釈は、
実際は病気であり、時代が引き込んでしまう病なのです。
ようやく、私デザインで
このファッショントレンドをスプーンとフォークで問題解決を図ります。

* 「メガネフレームはまず自助具でありき」
* 『「ブランド」論を語る無知なコンサルタント信ずるなかれ』
* 『製品から商品へのデザイン投資のサインカーブ』
* 『美しいモノ、バウハウスでのデザイン・チェスセット』
* 『赤・この色がブランドを決定づけている』


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『アッサンブラージュの進化を原点・コラージュから』


   


     8月 13th, 2016  Posted 12:00 AM

芸術家=アーティストとデザイナーは、
違っていますか?、この質問を自分はよく受けます。
端的に答えることができます。これは回答です。
アーティストは「主観的」に表現をします。
デザイナーは「客観的」に表現をするのです。
主観性でモノ表現と客観性でのモノ表現は、
表現された内容=形態言語がどれほど客観的に解釈されても
造形言語そのものの意図が、自分中心なのか=主観と
自分以外のことも考慮する=客観に大きな違いがあると思っています。
しかし、アーティストの主観が表現意志・意図に込めたことは、
必ず歴史・現実、そして未来を呼び込もうとしているコトが明らかです。
美大時代に、いわゆる現代美術が全く理解できなかった自分に
「アンフォルメル以後」という宮川淳の著作は人生をすっかり変えてくれた
芸術・美術・デザイン・建築への思考方法の大転換でした。
さて、この三点の作品は、いわゆる美術でのコラージュが次の段階へと
芸術表現形式や形態言語化されたときに再問された手法に関わっています。
ピカソが残したキュビズムでのコラージュは、
ジャスパージョーンズによって、新聞紙を何枚も何枚も重ねた上に、
「フラッグ」と名付けられた国家が新聞報道の上に成立しているという
国家観を表すというコラージュを超えて「アッサンブラージュ」になりました。
この芸術手法はさらに昇華された表現にロバートローゼンバーグが進化。
それは「モノグラム」という題名に結実しました。
まず、ペーパーが積み重なりしかも立体化、しかも産業用のペイントで
アッサンブラージュそのものが、芸術表現的な進化を見せるのです。
これは明確に芸術、その表現が現実を批判し批評して、
次世代への疑問形をちりばめてくれたと解釈することができます。
コラージュという手法すら時代を驚愕させたことを起因として
アッサンブラージュは立体にも向かってその主観性を
次の人間社会に社会構造の疑問を差し出したと考えることができました。

* 「表現としての美術とは?、教えられた宮川淳」
* 『経緯が敬意に、形態言語から自分の造形言語化を』
* 「アーティスト、デザイナーにだけ降りてくること」
* 『アートからの革新=フォンタナの作品から』
* 「この画家をもっと知らせたい」


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『最高級品=最高価格であるべき万年筆の登場の意義』


   


     8月 7th, 2016  Posted 12:00 AM

「弘法筆を選ばず」という有名な言葉が残っています。
素直には、弘法という達筆者は筆という道具などはどれでも構わない、
という、拘りなどには屈していないという意味です。
「拘る」ということなどは、両刃の剣だという解釈が成立しています。
しかし、自分は「拘る」ということではなくて、「こだわる」ことには、
大きな意義を見いだしています。
その最大のことは人か物か自然かということへの哲学性かも知れません。
とりわけデザイナー、デザインというモノと対峙して生きる人間にとっては、
「こだわり」=「木垂れ」からの原意ある伝統的なモノづくり観は不変です。
自分自身も筆記具その集大成である万年筆はコレクションの対象。
国内の万年筆メーカーのモノは世界的にも素晴らしいのですが、
どうしても海外の万年筆ブランドに「価格で負けています。」
文具大賞の審査委員長もさせられていますから、ことさらに日本の文具は、
世界で最高のモノにしてがほしいという日本人としての拘りがあります。
そう思っていたら、日本で最高、それは最高価格であるということ、
この単純ないわば公式ですが、見事な提案がありました。
自分にとってはようやく日本の万年筆の存在をアピールしてきた勇気でした。
如何せん、こうした万年筆にとっても、高額製品としてはどうしても
日本の伝統、蒔絵あるいは真珠という加飾性が必要です。
確かに海外の有名ブランドも漆芸や蒔絵、螺鈿、真珠などは見事で、
商品価値を向上させる装飾性に優れています。
しかし、とりあえず万年筆で、誰しもが「エッ!」っと驚く、
それほどの万年筆が日本にあるということです。
かつて、洞爺湖サミットでは伝統工芸を使った万年筆が採用されましたが、
万年筆コレクターから見ればその伝統工芸そのものが駄目なのに、
「なぜ?」と、モノそのものが最悪だと言うことになります。
今回のこの商品化は、しかもわがふるさとの文具屋さんの提案でした。

@ Kadobun

* 『ずばり、自分ぴったしのモノ世界のモノマガだ』
* 『勘違いディフォルメ写生は伝統では無い』
* 「パーカー『5th』という筆記具の進化」
* 『「機能」と「デザイン」=日本文具大賞の審査基準』
* 『クリスマスプレゼントは万年筆を語れる少女から』


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『「●●とは何か?」、質問形式とその答えは能無しである』


   


     7月 2nd, 2016  Posted 12:00 AM

踏みつけたくなるタイトルがあります。
それは「●●●●●●とは何か?」、という文章タイトルです。
たとえば、「デザインとは何か?」とか、「建築とは何か?」という、
とりわけ自分のプロ意識、職能意識にとっての
いわば質問形式のタイトルです。
そしてこれまでも科学的な知識を述べてきた書籍、講演、
あるいは運動などで、このような質問形式のタイトルが出てくると、
まずセンスの無さ=無能なる自分修練の浅薄さを感じます。
なぜなら「●●とは何か?」を全否定した芸術評論家の衝撃な思考のあり方、
あるいは、とりわけ「現代芸術のあり方」理念の
初期認識論を読んでいないからです。
「現代芸術」ほどその解釈や思考はとても困難なはずですから、
いわゆるハウツー本などで
この問いかけから始まる書籍は捨て去って構いません。
ところがハウツー本でもないのに、
この質問方式は能無しの典型だと断言できます。
これには二つ論理性で理由がつけることが可能です。
一つは、情報化時代直前に、この質問形式では、
これからの知的思考方法は時代遅れになるということ。
そのためには「■■■■が●●になる。」ということで、
「●●とは何か?」では無い論理組み立てが要るという発想があったのです。
もう一つは、「●●とは何か?」という質問での答えには、
三つの答の分類が出来るのです。それは、質問が
話題:Topicsであれば応答:Replyであり、
課題:Questionであれば回答:Answerであり、
問題:Problemであれば解答:Solutionになるということです。
したがって、「●●とは何か?」という質問での答が
応答、回答、解答のいずれかであったとして、
単なる応答や回答であるなら、その論理性は崩れています。
新たで明確な論理的な答であるなら解答でなければ意味はありません。
この写真の書籍での第一章からの質問形成では応答にすぎません。
よって、こうした書籍内容は能無しと判断しておきます。

*『鏡映は冥府に降りていることゆえに「何がデザイン?」』
*『表現としての美術とは?、教えられた宮川淳』
*『ベクトル論理では「何がデザインか」となる』
*『デザインは機能美ではありえない』
*『記号論・文庫版になった定本だから再熟考対象だ』


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