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Posts Tagged ‘ペン’


『現代に蘇った描くペン』


   


     6月 26th, 2015  Posted 12:00 AM

すでに自分が使っているペンが登場すると、
私は正直、個人的に迷いが出ます。
このペンは、ピニンファリーナといえば、
カーデザインでは、歴とした有名スタジオです。
したがって、このペンの登場を知るとすぐに私は
海外の通販で入手して使っていましたから、
このブログでも取り上げたことがあると思います。
審査員として、さらに審査委員長としては、
自分が使っているという主観性は、デザイン審査の経験からも、
私にはすぐに客観的な見方が生まれます。
一つは、審査員たちの評価をじっくりと聞くことで、
自分の主観性は抹消されます。
もう一つは審査委員の審査基準あるいは知識とセンスを再確認できます。
そして私がびっくりしたのはこの商品化には、
明らかに日本のモノづくりが基盤にあったことでした。
このペンは、紙質を相当に選びますが、
描くという行為は、欠くこと=紙質の表面を削り取って、
描くことは画くこと、書くことにつながっています。
しかも、ペン立てのスタイルでありながら、
ペン立て部位は、ペン入れになっている機能化が仕組まれています。
このペンは、いわゆる石筆=スタイラスと同様に、
欧州で発見された金属ペンだということです。
この商品が発表されたときには、
すでに金属そのもののペンはいくつか登場しましたが、
これが最高に熟考されていたスタイリングデザインが完成していました。
まさに今年度、デザイン=スタイリングという装飾性を現代ゆえに、
ペン立てとペンケースを解答としてしまった商品だと断言できるでしょう。
これが優秀賞になっていることで、
デザインはひとまず装飾的な機能性だけではなくて、
金属ペンとしての問題解決になっていることを確認してください。


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『やわらかい美しさのあるノート』


   


     6月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

文具の基本は、ノートとペン。
人間のやや大げさに言えば、知的活動の根本ツールは、
ノートとペンに集約されます。
おそらくノートといえば、小学生の頃から大人になっても
知的活動を支える大事なモノです。
しかもこれほど安価であっても、
毎年その進化は目を離すことができません。
今年もいくつかのノミネートされたノート類を触って見て、
私はデザインの要である問題解決を成し遂げて、
なおかつ性能性・効能性・機能性を美しくまとめた商品として、
大手ノートメーカーなればこその解答商品は、
「やわらかいリング」で、
これまでの金属製リングの不満点を全て解決した、
このノートをデザイン部門賞にしました。
審査委員全員が納得できた美しいノートでした。
柔らかいD型リングが、
これまで当たり前だと思っていた金属丸形リングの欠点=問題点を解決し、
提示してもらえたことこそ、デザイン成果に他なりません。
デザイン部門なのか、機能部門なのかといえば、
この商品は当然、
品質やノート性能、存在感では、機能性はマスターしています。
それ以上にこのノートの佇まいには美しさが柔らかく存在しています。
おそらく、
このノートからの進展的な未来がイメージ出来ると判断可能だと、
私は思っています。
そして、このノートの柔らかな美しさに、
どのような鉛筆が、どのようなペンがふさわしいかということこそ、
ユーザーのセンスを決定させると考えます。
つまり、デザイン部門に求められている問題解決には、
この解答商品が、次世代のノート進化、
その想像性を拡大してくれるモノで無ければなりません。
そういう意味では、断トツの商品だったと思います。


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『手帖が息づいている付箋という回答商品』


   


     6月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

ここ数年付箋の進化は激しく、
そしてアイディア競争には驚かされます。
何と言っても、
日本人でなければこれだけの種類の付箋はあり得ません。
今年もノミネートされてきた付箋は選別も難しいほどでしたが、
ここまでの進化というのは、ペンと同サイズでありながら、
その分量の莫大さに驚かされます。
私がハッと驚いたのは、これは明らかに手帖でした。
手帖というのは長さが延々と長い巻物形式のメモ帳です。
しかもそれが付箋という形式になっていることです。
私自身、ともかく付箋は様々に使ってきましたが、
テープ形式などはすぐに倦いてしまい、
それは性格によるものです、
が、正直、付箋は厭きればすぐに捨て去ることにしています。
結局、
単なる付箋という話題に対する応答商品でしか無いということです。
そこで肝心なことは厭きられない性能とその存在感がとても重要です。
そういう意味では、
これは明らかに機能商品としての使い勝手があります。
ともかく、ペンケースに忍ばせておいても、
ペンのごとくの存在があります。
付箋はまだまだ話題商品からは解放されていないと
断言してもいいでしょう。
そうした話題商品の中で、付箋はどう使うべきかという、
その課題に答えた回答商品になっていると思っています。
したがって、機能部門賞として選んでいます。
ということは、
さらに付箋という問題解決の解答商品になるならば、
私はそれはデザインされたモノとして
付箋のあり方にたどり着いたと思っています。
それでも機能商品として、
今年最高のモノであったと思っています。


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『デジタル筆記具の認められるそれなりの進化』


   


     5月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

デジタルペンについては発明販売されてきたモノは、
私はおそらくその全てを試用してきたと思ってきています。
デジタルメモの進化は、すでにApple社1社の独壇場ですが、
アジアのある1社は果敢に闘っていますが、
なかなか私にはまだまだ納得はできません。
これは日本製ですが、ようやくここまでの進化を認めて、
私自身も使っています。
ただし、紙とボールペンそして通信性の性能性のみです。
それでも私は着実な進化だと思って喜んでいます。
デジタルペンの技術進化は、現在、二つの方向になっています。
デジタルペンはともかくボールペンを主体にして、
デジタルペンそのモノにCCDを搭載して、ノートとの関係性と
ペンよりもそのノートパッドに通信性をiPadでのアプリと統合、
この二通りですが、いづれもノートとペンとiPadが必要です。
これはやはり、人間はiPadとペン=スタイラスとの関係からは
まったく解放されていないからだと思っています。
紙墨相発ということばがありますが、人類は紙と身体、
その文房具としての墨とのインターラクション性にはすっかり、
馴れ親しんでしまったからに違いありません。
私自身、スタイラスとiPad画面と身体性=手の感覚は、
ほぼこの一年、トレーニングをして、スケッチと書道感覚を
身体化させたと思っています。
それでも、やはり、このデジタル文房具はようやく快楽です。
しかし、このシステムはやがては2~3年はあるのでしょうか?
多分、このボールペンにこそ、もっとボールペンそのモノの
歴史ある伝統性を革新する何かが欠落していると考えます。
それでも、少なからず、このシステムは、
私がふさわしいミーティングには使っています。


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『持ち歩いてるペンたちが語っている文房四宝』


   


     5月 18th, 2015  Posted 12:18 AM

おそらく、私が持ち歩いているペン、
ボールペン・万年筆・スタイラス、これらが最も進化のシンボル。
私自身、文房四宝=ぶんぼうしほうや文房四友という言葉も、
すでに忘れられていますが、硯・墨・紙・筆は、
友のごとく知性のための道具でありそれこそ知的生産の術でした。
この二つのボールペンにここまで進化してきたスタイラスは、
常に私とともにあります。しかも万年筆やボールペンについては
デザイナーとしても最大限の知見を持っていたいと考えてきました。
すでに、
かつての筆には墨も硯も無く、紙はデジタル紙=Padです。
私にとっての文房四宝は自分の頭脳的な能力を表現する道具ですが、
人はこの進化に多分自分の生涯を委ねて生きてきていることです。
だから、私は無意識なままのペン一つには、
とても耐えられない性分ですから、それこそファッションとしての
ペンからそれこそ現代のパソコン、スマホにまで私は気がかりです。
かつてある企業トップと食事をしていたときに、
そのトップの部下が取り出したボールペンを見て、
腕時計を見せなさい、靴を見せなさいという現場に立ち会いました。
そして、ケータイを変える、腕時計を変える、靴を変えると、
そんな命令場面を見ました。
またある企業トップは私の持ち物をチェックされたこともあります。
なぜ、中国の古典には文房四宝の中でも、硯と紙については
徹底した古典が今も現存しています。
焚書坑儒=政権がその権力を保全するために書籍を焼いて無くした
そんな時代をもこうした古典だけは政権とは無関係に残りました。
結局、知性を表現する道具論はいつの時代も重要だということです。
しかし、この文房四宝などどうでもいいという知的職能家は
すべからく私の喧嘩相手だということは間違いありません。
現代の文房四宝には、まったく新たなデジタルが入っています。


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『描くこと=その神髄を決定づけているペンと紙』


   


     2月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

デザイナーになって、最高だったことはスケッチを描くことでした。
それこそ、美大時代から絵のための道具には、
最も神経を使ってきたかもしれません。
今、巡りあったペンは、流石というべきか、
ピニンファリーナのデザインというだけあって抜群の持ち味でした。
おそらく、世界中のペンは人一倍触り、また収集にも必死でした。
「弘法は筆を選ばず」ということの真意に私は近づいている、
この想いを一番にしてきたと思っています。
このペンは、あのダヴィンチ時代に存在していたという、
まさしく鉄ペン=スタイラスそのものです。
したがって、そのノートの紙質も最高であるべきだと思っています。
だから、このペンとノートを超えるモノは存在していないはずです。
そうなれば、どんな絵、スケッチを描いているのかが問題です。
スケッチは2006年に金沢21世紀美術館で初めて展示しました。
私はデザインが終われば、簡単に捨ててしまっていましたから、
金沢での個展時には、えらく叱られましたから、
それ以来は、なるべく残しておこうと考えています。
一度、オークションでも2枚=高価で売れました。
そのこともあって、スケッチはボールペンですが、
このボールペンでは、自分なりにはなんと言っても最高を求めます。
したがって、なぜ、こんなデザインを平気で出来るのかという
そのようなペンも見てきました。
案の上、海外の万年筆やボールペンの批評家たちには、なんとも
情けなくけなされているのですが、デザイナー自身は気づいていません。
最近は、Padでのスケッチを正直に楽々にマスターしました。
そのためにスタイラスそのモノも自作から選別をしてきました。
ところが、このペンに出会ってから、どんなペンであろうが、
スケッチ能力と書道力が一致していることに達しました。
すなわち、「弘法は筆を選ばす」ではなくて、
筆次第で、スケッチも書も、「表現の極致に向かう自分」、
このことに気づいてきたということです。

久々にこのブログが書けました。
このブログを休むと、心配をかけてしまいます。
風邪をこじらせ、しかも体調も崩していましたが元気です。
また、修行のごとくこのブログに連日向かいます。


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『iPad Airのスタイラスをまだ追いかけ、今の結論』


   


     1月 16th, 2015  Posted 12:00 AM

ASUSの18インチPADでのスケッチに取り組んでいても、
やはり、大きさ的にはiPad Airでのスケッチは、
ほとんどアプリケーションの使い分けや表現技法に馴れ親しみました。
そうして、各種のスタイラスは、アプリケーションの進化で、
現在は、この5種が描くテーマ毎に最適になってきました。
ある意味では、静電利用のスタイラスよりも、
使い慣れたスタイラスに結局もどって使っているわけです。
アプリケーションも結局はSketchBook Proを使い続けているのです。
使い勝手は三つあると思っています。
だからiPadでの描画は、
 
● ペンの選び方とそのきめ細かな設定を知り尽くすこと
● レイヤーの組み方を徹底してマスターすること
● 移動や対称性、複製に精通すること

この三つをマスターすれば、それこそデザインスケッチだけでなく、
イラストレーションから水彩、油彩までが表現可能だということです。
私はレンダリングを仕上げることはもう億劫になっていますから、
イメージスケッチを描ければ、それでもう充分です。
ブログ読者からもスケッチが見たいと言われていますが、
いづれ発表していくかもしれませんが、
それは意匠登録後か商品化されるまでは見せることができません。
クライアントとの契約もあり、公表となれば契約上、相互に、
了解を取らなければなりません。
例えば、メガネフレームなどや、車デザインでも左右対称などは
デジタルスケッチ技法は、とてもiPadが優れて便利です。
ただし、これはあくまでもツールですから、
スケッチブックで、紙とボールペンの技術は、
今年は毎日トレーニングをしたい、それは野球選手のごとく、
素振りを欠かせないことで、技能力100%を持ち続けることです。


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『ようやくPad上でのスケッチができる』


   


     1月 9th, 2015  Posted 12:00 AM

iPadが登場して、SkechBook Proでスケッチ、レンダリングが可能。
しかし、iPad上ではスケッチ画像には制限がありました。
それでも私は、スタイラスペンを自作から始めて、
気づけば、徹底的に書く・描くためにスタイラスはこれまた
正直、今存在しているほとんどを経験してきた気がします。
私には新しい筆記具にすぎませんが描き心地はまだまだと思います。
そして、ASUSから18インチのPadは大きな画面で絵が描けます。
18インチなのでA3サイズ大程度が可能になりました。
なんとしても、これまでのマーカーテクニックを
私は職能的に、また教育としても、マスターしたいと思っています。
おそらく次世代デザイナーはこのデジタルスケッチ技能は不可欠、
そんな時代になるでしょうが、
まずはペンと紙が基本になるでしょう。
今日はNHK国際が、私のスケッチ風景も取材したいということで、
それなら、すべてデジタルスケッチをそろそろ撮ってもらおうかと
昨晩スタイラスを全部確認しました。
iPadで手慣れてきた最近のスタイラスではなんとも調子が出ずに、
結局、最も手慣れたスタイラスに決まってしまいました。
メガネフレームのデザインスケッチには最適です。
それは左右対称がとても容易だからです。
もはやデジタルスケッチは、鉛筆からマーカーまでを
たった一本のスタイラスで可能ですが、私はどうしても2本です。
iPad上での描き感覚や描き心地は、
18インチ画面上とは全く異なることがわかりました。
今日の取材は、タケフナイフビレッジ第二世代向けのナイフが対象。
ラフレンダへのスケッチテクニックは見せられるかも知れません。
そして、この18インチを持ち運ぶケースはまだ市販されていません。
だから、ワイフに手造りで作成してもらっています。
そろそろクライアント前でも、スケッチのプレゼンができるでしょう。

『iPadのスタイラスペンは徹底的に精査しています』
『iPad Airに今、最適なスタイラスはここまで絞った』


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『「カリグラフィ」のペンとインクとインク壺』


   


     10月 22nd, 2013  Posted 12:00 AM

「カリグラフィ」は美しい文字を書くこと。
書くというのは、欠くという原意からきています。
それは、パピルス(織物)からペーパーになって、
その表面を引っ掻いて、マイナスの行為であるから、
まさに、文字を「作る」作業です。
私は「カリグラフィ」と「書」を対等なものとしてしていますが、
そうなると、「書」は和紙に墨を染みこませますから、プラス。
つまり、染みこませて「造る」作業だと思っています。
もっと厳密に言えば、カリグラフィは創作であり書は創造です。
私が、「カリグラフィ」に選び抜いているペンは、
すべてイタリア製ですが、それに匹敵するインクは「青騎士」。
このインク自体が特殊ですが、色あいは私にとっては、
これ以上の色はありえないぐらいに思っています。
ただし、このカリグラフィのインク壺はとても似合っていますが、
私自身は、デコレーションされていてスタイリングとしては、
機能性が欠落しています。
だから私が選び抜いているインク、特に日本製は優れていますが、
そのうちに紹介したいと思っています。
美大時代にレタリングのインクは指定されていた意味が、
プロになって、やっぱりそうだったのかと思います。
自分が「書く」という行為は、自分の知識で欠落していること、
「欠けている」ことを埋め合わせるがごとく、「書く」のです。
そうして、「カリグラフィ」はデザインとして創作にあたり、
「書」は創造ゆえに、それらを「文字」が知識を用紙に、
染みこませている行為だということがわかります。
それゆえに、「文字」と「知識」はその人の人格表現ですから、
「文字」の品格が求められているということは明らかです。
それだけに、文字のためのペン・インク・インク壺には、
絶対に人格ともどもに周到な意味があると思っています。


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『ペン・ボールペン、そしてスタイラス、この進化を追う』


   


     10月 20th, 2013  Posted 1:12 AM

海外のデザイナーたちの多くは、このボールペンが最適とか。
そして、私にとってのいわゆるインクつけペンはこれ。
しかも、このぺんは人類の文具歴史そのままですが、
際だった特長は、万年筆では絶対にむずかしい書き心地です。
なんといっても、何種かのペン先を替えれば、
このペンで「カリグラフィ」が描けます。
しかし、海外でも「カリグラフィ」までマスターしているのは、
私はほとんどいないと思いますが、
日本人で優れて「カリグラフィ」の上手い人も少数です。
「カリグラフィ」といえば、あの故ジョッブスは、
大学で一番学んだのは、この「カリグラフィ」だったと聞きます。
したがって、彼の置き土産となった新たな書体が、
これからの書体では最も品格があるのではと私は判断しています。
そのうちに私自身の「カリグラフィ」を見せたいと思っています。
なにしろこの「カリグラフィ」とは、
美しい文字を書くこと・描くことを調和させています。
それは私の評価では書道の「草書体」に匹敵すると思っています。
最近大阪では有名な石碑書体が余りにも酷くて驚きました。
私は、政治家の能力には絶対的に「書」の美しさが必要です。
なぜならば、私はこれからの文具ではスタイラスの進化、
これがデジタル時代の大きなシンボルだと考えるからです。
特に、デザイナーにとっては、鉛筆からボールペンはもとより、
この「カリグラフィ」までを表現できるペンそのままの
「書き心地・描き心地」が絶対に必須だと考えるからです。
今、おそらく静電容量も電池で付加しますが、
このスタイラスの弱さも明らかにわかります。
三つ指摘すれば、
● バランスが「カリグラフィ」ペンほど考えられていません。
● 導電ゴムでは書き心地に品格が不足です。
● そして、このスタイラスの長さ・大きさを求めます。
しかし、現在は、このスタイラスが一番進化しているでしょう。


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