kazuo kawasaki's official blog

『硯箱を整理しながら・・・』



     10月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

硯箱を整理しています。
硯石も私の収集物の重大な一つですが、
そろそろ、いくつかに分けて使おうかということです。
これは自宅用ですが、硯や硯箱、文鎮や和紙刀は
江戸時代から使われてきたものであり、
手入れはどこまで出来るかですが、和紙刀は象牙製です。
和紙刀の素材で象牙は、
ワシントン条約で今は象牙素材を使用不可能です。
この硯箱はほとんど手紙用ですが、巻紙で書面をいただく人は
今では数人になってしまいました。
和紙は、雁皮、楮は越前和紙を自分用に発注出来ることは幸運なことです。
最近、和紙は三つの産地、それも 1300 年前の産地が選ばれたことには、
福井県選出の参議院議員と文科省の担当者から経緯を聞きました。
私は全く理解していません。
三つの産地に限定されたユネスコ認定は何か変です。
そういう意味では文化関連をユネスコが認定することは間違っています。
この硯はじめ文房四宝という文化が失われて逝くと同時に、
なぜ、ユネスコが遺跡や文化、さらにはデザイン都市まで認定するのかは
もはや時代遅れだと言わざるをえません。
さて、もう一度、硯箱に話をもどせば、手紙を毛筆で書面を作ること、
これはとても重大なことですから、
私は伝統工芸産地にはうるさく、特に若手を教条的に説得しています。
私はこの硯箱を手本にして、あと三つを自分使用に作り出したいのです。
一つは祖父の遺品の硯、硯石、水差しです。
また、もう今では作者もいなくなってしまった鳳足石の硯石です。
これは福井県小浜市の若狭塗りを支えた硯石であり、
鳳足石とは水戸光圀が名付けた赤系と青系の二種があります。
もう一つは、出張用というか、最も小さな硯箱がありますが、
これに最適な硯石を探しています。
書は、まさにカリグラフィーです。
つまり、文字を美しく書く行為ゆえに、この文化を日常化すること。
この大切さを護りぬくことで、硯石、硯箱、和紙刀、毛筆、水差しは
日本の文化、その根幹だと思っています。
それだけに和紙文化の中心であるユネスコの文化認定権は、
何か変だと私は思っています。
そして、文筆での書面手紙が再興してくれることを
心から願っています。

10月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     10月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

10月21日 仏滅(己巳)

発想は、
デザイナーには、
スケッチで拡大が出来る。

私はスケッチには
技能と技法が必要、
だから、
スケッチ以前の
図形や図解を強く薦めている。

川崎和男の発想表現手法

10月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     10月 20th, 2015  Posted 12:00 AM

10月20日 仏滅(己巳)

デザイナーは、
常に、発想・表現・伝達が
その技術であり、技能であり、技法です。
ということは、
発想技術
発想技能
発想技法が
表現にも伝達にもあるということ。

川崎和男の発想表現手法

『次世代デザインの「KK塾」スタートです』



     10月 20th, 2015  Posted 12:00 AM

阪大の医学系研究科に移籍してから、
文理融合や医工連携では限界があることを開発実務毎に
大きく感じてきました。
特に、「危機管理工学とデザイン」の関係には大疑問があり
それこそ3.11復興事態が危機管理工学中心主義は間違いです。
そこで、「危機解決実務としてのコンシリエンスデザイン」を
私は提唱するとともに、この後期から医学系研究科にて講義を開始。
と同時に「KK塾」を学術界や産業界での第一人者の専門家を
私の評価基準で
選びに選んでこの講座の講演者になっていただきました。
デザインは未だにデコレーションと同義ですし、しかも、
エンブレム問題や盗作問題でますますデザインの理解は下降しました。
私は、マネージメントやマーケティングが
デザインと同次元で扱われていることをズーッと批判してきました。
本来のマネージメントは短絡的な管理ではありません。
マーケティングはいつも儲け話が先行しています。
学術+芸術の統合=コンシリエンスと断言しても、
統合の概念がこれも問題解決=デザインを曖昧にします。
統合を
 ●「規模的統合」
 ●「ネットワーク的統合」
 ●「機能的統合」
 ●「文化的統合」
という四つの明確な方向性と統合力の大きさで、
問題解決=デザインを明確にしていく講座を開設します。
コンシリエンスデザインであるだけに、
私は講演者それぞれが第一人者である実例を大事に、
その根底思想や手続き、妨害事項、それでも成果評価を
語ってもらうつもりです。
講演者は全てが文理融合した頭脳と行動力で社会的かつ国際的な
実績者たちばかりです。
今、デザイナーの発想方法は「デザイン思考」として語られています。
しかしデザイナーにはセンスが求められていますから、
この講座では、まず、私たちが現代世相から未来創出の
問題点そのものを明白にすることから始めてもらうつもりです。
人類にとっての最大な問題は、「生き延びること」につきます。
しかし、私たち日本人は3.11で、天災と人災でもう一度、
自分たちの生活様式に対し、再熟考を要求されています。
私は敗戦を体験し、先進国家だけに未来をデザイン設計する立場なのです。
もはや、これまでのデザイン系大学では近接不可能な
次世代デザイン=コンシリエンスデザインがこの塾で社会化します。
この講座では、コンシリエンスデザインを
私は看医工学に向けてより正確な質問と対談を講演者とやってみます。

* Website-HP

10月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     10月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

10月19日 先負(戊辰)

発想はスケッチに定着させる。
しかし、
このスケッチ定着には
デザイン技能が訓練されなければ
ならない。

その技能は、
正しく、発想技法と結びついている。

川崎和男の発想表現手法

『落下傘としても羽二重は最高品質だった』



     10月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

2012年からふるさと福井の繊維産業の一新化に関わっています。
ともかく、歴史から福井の繊維を語り直そうと考えています。
それは「羽二重」が絹織物の名品となって
日本からの貿易輸出品だったこと。
ゆえに羽二重から人絹取引所まで生まれ、
今はポリエステル繊維が中心になっていますが、
羽二重が最高に優れていたのは、
これが落下傘=パラシュート素材でした。
富岡製糸場は由利公正が西洋の絹糸を学ばせた最初の工場でしたが、
生糸では欧州とは競合が出来ないことから、
縦糸2本に横糸1本で羽二重こそ、最高の絹織物でした。
そして、日本には落下傘部隊が誕生し、
それは左上がその部隊のマークだったらしいのです。
羽二重でのパラシュートは、最高のモノであったらしく、
そのパラシュート生産の産地が第二次大戦時には、
米国から大変な空襲を受けて、福井は焼け野原でした。
当時、米国兵たちもパラシュートは持ち帰って、
ウェディングドレスにしたものらしく、
羽二重織物を超えるために、ナイロンが出来たとさえ言われています。
由利公正と言えば
五箇条の御誓文・東京府知事ですが、
それは橋下左内と横井小楠の殖産興業の興し方から学んだことでした。
絹織物は羽二重が世界を制し
日本の輸出品筆頭は九谷焼磁器を凌ぐばかりか
落下傘部隊創設も、
パラシュートとしても最高であったことは知られていません。
生糸産業、羽二重産業、それは人絹織物とまでなり、
人絹取引所は、
その文化までが福井にはあったようでした。
私自身が子どもの頃は親戚の織物工場は学校より大きいものでした。
ところが、最近では羽二重は、お土産物の羽二重餅が知られていて
羽二重が最高の絹織物ゆえに落下傘までが進歩していましたが、
このようなことはすっかり忘れられています。
かつて、福井大学では繊維工学が隆盛していましたが、
繊維工学科はもはや信州大学にしかありません。
私は、生糸→羽二重→人絹→ポリエステルを
さらに進化させた高機能ポリエステルでの新たな商品アイテムづくりが
私にとって、パラシュートを陵駕する、
トランスポテーションや防災、医療、全く新たな産業を
生み出してくれるものと思って
デザイン戦略=問題解決戦略を織物産地に、
その象徴が、羽二重での落下傘=パラシュートだと
私は考えています。

10月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     10月 17th, 2015  Posted 12:00 AM

10月17日 先負(壬戌)

私はデザインの基本は発想、
その発想は「スケッチ」にある。
物を見る・観ることだと
これまでのデザイナー経験では
確実に断言出来る。

川崎和男の発想表現手法

『IoTは、再度アナログとデジタルの融合が基本』



     10月 17th, 2015  Posted 12:00 AM

美大時代には、音場設計はフランスから知り、
バイノーラル録音はドイツから知りました。が、その当時、
日本のオーディオ誌は全くこうしたことは無知でした。
自宅は、音場空間と音像空間を使い分けています。
今なお、このことについてオーディオ誌は認識不足。
そして、改めてオーディオの音像空間にはLPプレーヤーを持ち込みました。
音像空間は、LINNとAmpzillaとJBL4343にLuxmanを追加し、
B&Oと整流器(このメーカーはもう国内では無くなりました)が
音像空間を成し遂げてくれています。
しかし、ワイフはモノが多すぎていて、
「オーディオってこうなの?」と聞かれます。
それでも、32CHのミキサーも、イコライザーAMPも、
8ch/4ch/2chのオープンリールもありませんが、
音像空間の部屋が欲しいとすら思っています。
音像空間とは、ステレオで音を再生したなら、
確実に中央に音像が浮かびます。
今、音場空間はB&Oをメインテナンスしています。
また、音場空間はそれこそTVや映像空間では7.1chまでが可能です。
最も私は5.1chをつくりあげていますが、
これにLED照明の制御を可能にします。
これこそ、今、日本の映像業界・インターネット・WiFi、そして照明業界が
海外に引き離されている現実です。
この映像化をデジタルサイネージと言っていることが元凶であり、
それは根本のオーディオ知識が1970年代から1985年代に失ったからです。
私はデジタルサイネージをデジタルアッサンブラージュとして、
確実にするためには、まず、音像を一旦はデジタルから、アナログ、
それはまずLPプレーヤーにすることとして、デジタル・アナログ、
その相互性であり、音像空間からのデジタルアッサンブラージュとして
自宅玄関を最先端の実験場にしています。
もう一つが、4K-TVの7.1chと5.1chも自宅実験に加えています。
この音像空間への認識は、世界中の建築界も追いついてきていません。
ともかく、
アナログオーディオから社会人デザイナーを美大時代からめざし、
LP、つまりアナログの経験をデジタルでさらにIoT は、
私にとってはデジタルアッサンブラージュであり、
それこそ、その重大な一つである音場コンポーネット世界観づくりでした。

『アナログプレーヤーをAurexSY-λ88で試用』



     10月 15th, 2015  Posted 12:00 AM

「Beogram9000」を持ち出してきてしまいました。
LPレコードプレーヤーもそろそろ断捨離の時期です。が、
私のオーディオコレクションから、
とうとうLPレコード再生をなんとしても私のシステムへと組み込みました。
「Beogram9000」のMMCカートリッジはもはや手に入りません。
最も、e-Bayなどでは中古品はありますが、
まだ、私のB&Oのカートリッジは、手入れがされていて大丈夫です。
ところが、このシステムにはフォノイコライザーが必要です。
そこで、気づいたのはAurexSY-λ88をプリアンプにして、
このプリアンプで、ともかくAmpzilla2000に直結しました。
AurexSY-88も試しましたし、AurexSY-λ88は万一、
部品用にというコレクションもありますし修理所も見つけています。
果たして、このシステムで稼働するのかどうかです。
フォノイコライザーならば、若かりし頃にこっそりと開発していて、
上司から隠し事で開発をしているだろうと言われたAurexのSZ-1000は、
コンデンサーカートリッジ用ですが、
電源オフ状態で、スルー回路が使えます。
正直、記憶は大分と消えていますが、私にはAmpzilla以前の
Godzilla記憶が鮮明にあります。
当時は、国内にたった2台しか
東芝が出張で買い求めていたのがあるにも関わらず、
国内のオーディオ雑誌に載っていて
Aurexエンジニア達は、これで当時の評論家に優劣を明確にしました。
私への指令は、SZ-1000は必ずGodzilla直結というものでした。
つまり、フォノイコライザーをプリアンプとしたなら、
PowerAMPはこれしかありえないという判断でした。
その結果がSY-77の開発につながり、SY-88の企画書を書きました。
SY-88が生まれたときに私は交通被災で入院していました。
当時、東芝のAurexはここまで開発をしていて儲かるわけがない、
そんな声が出始めていましたが、
そこにさらにもっと進化しSY-λ88でした。
私にとって、パワーアンプはアンプジラしかないのです。
幸い、大阪でのシステムは、Ampzilla2000です。
JBL4343にこれを2台というのは無謀でしたが、
200Wで自宅の音像システムは十分です。
この音像空間の中央で、例えばボーカリストは歌ってくれるのです。
ともかく、Beogram9000をAurexSY-λ88でのMCは、
見事な歌唱力、音響力を確認しました。
LPレコードプレーヤーを
自宅のオーディオシステムに入れることは決めました。
さて、これからが問題になります。
LPレコード再生はアナログの世界ですが、
すでに私の他のシステムはデジタルです。
この解答を自宅システムに取り入れることにしています。
当然、音像を確認する椅子はリートフェルトのデザインです。

『安全と安心・防災と防犯は学際化デザインになる』



     10月 13th, 2015  Posted 12:00 AM

気候変動と感染症の増大は天災を我々に与えます。
決して自然とは調和など不可能ですから、
天災はすぐに人災になります。
危機は管理ではなくて危機解決を即、実行しなければなりません。
安全と安心・防災と防犯によって私たちの生活は強固に守られるべきです。
私はデザインを理工学・医工学・文理学・政経学に冠して、
設計学・計画学・編集学・情報学で取り囲んできました。
そしてその根幹には「学際化」=コンシリエンスを与えました。
安全と安心は、価値学・信頼学によって解決が可能です。
防災と防犯は、健康学・防衛学が解決を近接させるでしょう。
デザイナーの資質にはどうしても学術性と芸術性が必要です。
これまでのデザインではどこか文科系のような印象でしたが、
私は理科系が必須だと考えています。
それを端的に集約しているのは、人間学の根本です。
確かに人間学部とか人間学科がありますが、
よくよく人間学を問い詰めてみるとそれは保健学に焦点化できました。
その保健学と防衛学を計画学で医工学と政経学の均衡上に配置しています。
防衛学は70年間戦争をしてこなかった敗戦国だけに、
こうした学術+芸術=学際に位置させることは日本では異質ですが、
戦争というよりテロ社会は
防災と防犯にデザインでの問題解決が不可欠です。
一方で価値学と信頼学がデザインに関与することで、
安全と安心が人間社会に確約されることになることは間違いありません。
私は長年、デザインは学術+芸術・文科系+理科系の学際化が、
物事・事物の「学際的デザイン」がデザイナーには求められていることを
ことばとかたちの相対論で40余年語ってきたと思っています。
コンシリエンスデザインによる学際性を看医工学に集中させました。
それは明らかにデザイン医工学が人間学としての保健学を基盤にして、
具体的には、「完全無菌」=アレルギー・アトピー・感染症を無菌化し、
人間が無菌になればなるほど弱体化することは間違いありません。
よって、その防御を「抗体保健」=免疫学へのデザインアプローチを
私は次世代デザイン=コンシリエンスデザインと看医工学で具体化します。
「KK塾」ではこの次世代デザインを方向付ける講師陣を選びぬきました。
この講座には招聘教授は現在2名を配置しています。