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『PCメガネはドライ・アイ対策でなければいけない』


   


     10月 9th, 2013  Posted 12:00 AM

パソコンのモニターが液晶になってから、
PCメガネと呼ばれるアイテムが眼鏡商品に登場しました。
ただし、スリープライスと言われる安価なメガネ量販店提示です。
確かに、可視光線のブルー波長は、自然光の青視物質波長よりも、
モニターでの再現色は相対感度的にやや高めです。
しかし、青視の相対感度を押さえることが、眼球生理に対して、
決定的に「防止対策」というのは誇張があると断言しておきます。
むしろ、モニターを凝視することで、目の表面が乾燥します。
いわゆるドライアイと呼ばれる生理現象です。
ドライアイというのは眼球乾燥症ということで、
次の三つのリスクを持っていることへの対策が必要です。
● 涙液水槽の異常:涙液分泌減少
● 涙液油槽の異常:眼瞼炎への可能性
● ムチン層の異常:これは様々な眼病の元になりやすい
こうした眼球への疾病を考える時、その大きな要因になることが、
モニター凝視時間が長くなり、「まばたき」しなくなる傾向です。
そこで、最初は、まばたき=瞬目減少をさせないことを考え、
液晶レンズで、一瞬にして曇らせることは、「まばたき」を起因。
この方式に着目しました。
そこで、ともかく瞬きを強制的にということを10秒間に0.1秒、
0.2秒と全透過三通りを簡単にという
メガネをデザイン設計しました。
私は、青視波長がモニターでは高いことよりも、
むしろ、瞬目減少になってしまうモニター使用感を変えること、
これが本来のPCメガネだという結論にいたっています。
人間は、目の前が一瞬曇るだけで「まばたき」をします。
そうすると、眼球の乾燥を相当に防止することが可能です。
これは第2段目ですが、さらに改良を加えていきます。
年1回の日本のメガネショー=IOFT(東京有明ビックサイト)にて、
私自身が、この原理を解説します。


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『私の護り神は恩師から授かった加賀の『出世頭』』


   


     10月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

フリーランスになって以来、いつも相談をし指導を受けました。
大学人になるとき、学長候補になったとき、大学転籍のとき、
「やっとその気になったか、君の使命だよ」と言われてきました。
その美大時代の恩師はもう居ません。
命日には、先生の奥様と手紙や電話で話をします。
「加賀の出世頭」です。
学位を取得したときに先生に知らせると、これが届きました。
先生が逝かれてしまってからは、
ともかく、この「出世頭」に話しかけることにしています。
「先生、これからこれをやってみます」、とか、
もう迷いに迷っているときには、
先生が存命中、電話をして、時には泣いてしまうこともありました。
60歳還暦になって、
「先生、まだ少し大学でやっていきます」と言ったとき、
「定年までは大学で好きなことをやりなさい」と言われました。
これが、金沢で先生との最後の会話でした。
ある日、奥様から電話いただきました。
「行きました(逝きました)から、伝えますね」と。
「えっ、こちらに来られるですか?」
「いえ、あちらに逝きましたことを伝えますよ、遺言ですから」
「では、すぐに金沢に行きます」
「必要はありませんよ。もう初七日が終わったのです」
「・・・・・では、誰も知らないのでしょうか?」
「はい、あなたに伝えることで構わないとの遺言です」。
それから、まず、私は大学の同期に伝え、後輩に伝え、
彼らから大学にも伝わりました。
いかにも先生らしい、この世からあの世への姿勢と態度でした。
このところ、この「出世頭」に語りかけています。
先生、解答が欲しいのです。
日本は国難なので、最期の仕事に精進しますが、どうすれば?、
生まれ変わったら、また、この先生に学びたいと思っています。


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『地球環境の変動と株価変動でみる企業意識』


   


     10月 7th, 2013  Posted 12:00 AM

新人デザイナーの頃、インプリンティングされたことは、
デザイナーの生涯に大きな興味と専門家知識を磨きます。
素材テクスチャが磨かれました。
ブラジリアン・ローズウッドという木目の工業化でした。
印刷会社の職人さんから自然物の木目を感覚でデザインすること、
この誤りを強く指摘されましたから、
その後の自然物素材の工業化では常に実物検証に徹してきました。
これは、私自身の知識と感覚を合一化する有効なプロ意識を育成。
したがって、例えば、皮革製品については「見立て」が可能です。
この10年にわたって地球環境の悪化は自然物皮革を破壊しました。
特に顕著な実例はクロコダイル皮革の大変化です。
自然物のクロコダイル皮革テクスチュアが狂ってきました。
まして、その工業化=型押しという技法では大間違いが横行、
にもかかわらず、その市価設定まで間違ってきています。
したがって、自然物、いわゆる本物までの見立て誤りも増加です。
たとえば、高級ブランド腕時計のベルトまでを見抜けます。
高級時計特にスイス製については言及すべきことがあります。
ともかく、これは一方が本物で正確なノートカバーです。
そして、もう一方は工業製品としてのブリーフケースです。
この工業製品、型押しでのクロコダイル製品は、
デザイナーまたは企画者がクロコダイルテクスチャに対して、
知性と感性を失っていることを断定することができます。
これは、自然物のテクスチャだけの話ではありません。
日本の企業意識、大企業病とベンチャー企業オーナー意識までが、
すこぶる破壊されているということにも繫がっています。
その評価を確認する方法は景気と連動しています。
すなわち、景気指標の「株価変動」が表していることです。


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『日本の低迷は企業経営前の知識不足』


   


     10月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

敗戦後、奇跡の復活と言われてきた日本企業は、
世界経済の中核どころか先導的な「企業経営」が認められました。
しかし、経済は景気と連動して、結局は二つの選択を強いました。
その一つが安定した大企業主義が産業界の牽引役です。
しかし、
経済動向、すなわち経営鬱病としての「不景気感」は停滞して、
企業制度は、生涯雇用のはずが派遣社員雇用で大企業病を発生。
それならと、いわゆるベンチャー企業は「情報化」社会で起業。
ところが、そのベンチャー企業自身が経営経験不足。
翻って、中小企業・地場産業・地域産業には「情報」経営力無し。
ベンチャー企業が1000社あっても30年後には2.8社です。
このサイクルの中で日本の産業全体が低迷している有様です。
新たな世界制度破綻は9.11で明確になってきました。
そうして、今度は3.11、日本の天災と人災は方向を喪失です。
不景気は、世界全体を経営基盤から突き落としています。
盟友である松岡正剛氏は、
「日本という方法」、「方法という日本」を提示してくれました。
しかし、水墨画技法に「経営配置」が画法にあるからだけでは、
全ての経営者は佇まざるをえないでしょう。
先般、米国で日本という方法と方法という日本で、
地道に「経営活動」をする人物に会いました。
なんのことはない、松岡正剛氏の薫陶で成長してきた人物は、
米国で活動をする中で、明らかに、「方法」と「日本」を
配置、すなわち「経営配置」を私に告げてくれました。
たった一言です。
「日本は負けるわけにはいかない、大企業は駄目になるけれど、
もっと、不甲斐ないベンチャー企業の整理です」と。
私は、今月23日、松岡正剛氏と対談講演でこの決着をと、
真剣に考えています。
欧米にも、まして、中韓、アジア諸国の先導にこそ、
「日本という方法」と「方法という日本」を伝えるつもりです。


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『要の役割がなければ事態は深刻で進化せず』


   


     10月 5th, 2013  Posted 12:00 AM

ボーイング社の787型ジャンボが事故連続でした。
私は、この道の専門家ではありませんから、
まったく正当な原因追及を書くことはできません。
しかし、二つのことを言及することはできます。
まず、中国での部品生産は絶対にしないこと、です。
これは今後の航空機や生産性はますます低下するでしょう。
そして、ボーイング社航空機がこれまでに、
機体そのものに事故が無かったどころかすごい発明がありました。
それは、一人の人物がいたからです。
彼が統括していたときには決して起こらなかったことが頻発です。
たとえば、主翼には、彼の名前が付けられた主翼先端の
あるスパイラルがありました。
それは天才的な最適解でした。
ところが、最近は、主翼先端が上げられて立ち上がっています。
揚力と抗力でのスパイラル解消の形態設計でした。
無論、747-8は、787のコンセプトが生きていましたから、
私には流石に彼のディレクターぶりに惚れ惚れしました。
たとえば、政府専用機=Air Force Oneと呼ばれる航空機、
その主翼は、「安全性」のためか彼のスパイラルは使われません。
787が、事故連続故に航空機設計は進化をストップさせています。
これは、一人のディレクターがいないと、進化はできません。
つまり、人間には能力差は相当にあるということです。
明らかなのは、映画や舞台の主役が異なれば結果は違います。
同じことがどんなプロジェクトでも役割分担が決め手です。
誰がやるのか、それはアナタでしょ、みたいなことです。
現代日本は、派遣社員という賃金集約で、
投資効果を大きく曲げてしまったのではと私は思います。
有能なディレクターが必要であり、その「役割」は偉大です。


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『欧米を追いかけてはならない・3D-Printer開発』


   


     10月 4th, 2013  Posted 12:00 AM

私は何度か、3D-Printerと3D-Printingの使い分けや、
FabLab、RepRap、そしてMAKERSのブームなどに惑わされること、
このことの危険性について記載してきましたが、
日本のブームは、安っぽい商業主義と、
知性と情報欠落した連中によって、日本の独自性などに、
ここまで無頓着になっていることに呆れます。
すでに、米国は日本の技術力を畏れています。
私が、このブログで3D-Printingに触れたら、
それも、在米の日本人から文句がきました。
米国のMAKERSが大間違いをやっているのですから指摘しただけ。
はっきりとそろそろ明言したほうが良さそうです。
光造形もインクジェット技術も、日本のオリジナルです。
だから、陶磁器・刃物・織物から、遺伝子・医療までを
デザイナーがまず、3D-Printer開発するべきです。
ところが、インクジェット機器メーカー企業そのものが、
MAKERS程度に戸惑わされいるのです。
デザイナーは「3D-Printingはパンドラの箱!」とか・・・?。
言わせていただきます。こういう発言や講演者は大バカです。
デスクトップで立体が創れる時代は確実に来るでしょう。
しかし、米国が特許解禁での3D-Printer機器では無理です。
日本独自の機器開発は工業デザイナーが主導するべきです。
そんなことで、大阪大学で3人の教授(私も)が講演しました。
3人ともに、MAKERSではないことを力説しました。
まして、これで「金型」とか言い出している大企業や、
宣伝で3D-Printing使用しているなんて大嘘です。
本当に、「日本の正解」でこの世界を革新するのですが、
呆れかえるほどブームに沈殿している輩がいることを断言します。


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『ふだん・忘れた頃に、まさか・想定外はありえない』


   


     10月 3rd, 2013  Posted 12:00 AM

「March 11.2011」を体験してしまいました。
だから、私は最期の仕事をデザイナーとして、
ふだん・万一の危機=CRISISに対してと、
まさか・想定出来る=RISKに対して、デザイン解決を求めます。
東日本震災の天災と人災で本当に私たちは学んだのでしょうか。
南海トラフは間違い無く起こるでしょう。
私たちは忘れた頃にを思い出す必要があります。
そうして、今度こそ、想定外はありえないのです。
四国、黒潮町には2分間34mの津波が予想されているのです。
幼児、児童、生徒、介護者は2分間で50m高台に逃げられません。
この想定を「忘れてはならない」のです。
私は、デザイン手法で「空中都市建設」を考えています。
黒潮町に限らず、この日本列島全体を空中都市にしたいのです。
東京オリンピック・パラリンピックまでの7年間、
ふだんを危機にまさかを考えて、即行動が私の一番のテーマです。
私はデザイナーの知恵を一杯集めたいと思っています。
この祖国、日本列島を土=つちに、土地=とちを空中に、
そして町・街=まちを創ることをやり遂げなければいけません。
まさか、忘れた頃に、少なからず想定されている所から、
デザイナーが入り込んでいくべきだとずーっと考えてきました。
膨大な同胞を失いました。
彼らのまさかを絶対忘れてはいけないのです。
となれば、ふだんをもっと強化しなければいけません。
私のデザイナー・大学人最期に、CRISISとRISKへのデザイン設計。
3.11以後から、私は「までい Project」と呼んできました。
東北弁での「までい」とは、真剣に、真面目に、
絶対に想定外などを残してはいけないのです。
デザイナーみんなの力を借りたいと考えています。


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『お米は合鴨米か、コシヒカリ』


   


     10月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM

コシヒカリ、元来は福井県産の努力の賜でした。
新潟特産は大きな間違いです。
だから、私は、福井県産コシヒカリと、
石川県で、元スタッフが丹精込めてつくってくれた合鴨新米です。
当時、私はスタジオすべて、Macintosh XLをサーバーにして、
全スタッフがMacintosh 512Kをデザインツールにしていました。
Macintosh XLというのは、LisaのスタイルのMac版でした。
そして、社内LanはMouse Exchangeが中心環境でした。
この管理は私がしていましたから、
スタッフの通信はすべて読むことが可能でした。
しかし、それはほとんど無視していましたが、
あるとき、二人のまったく意味不明なやり取りを見ました。
それでも、それは二人の合図程度と思っていましたが、
結局、二人は結婚してしまいました。
紆余曲折いろいろありました。
なにしろ、相手がデザイナーともなると結婚なんぞという考えは、
相手の親御さんには致し方なく、
私が説得することもありました。
彼らは夫婦と成って、デザインを教える立場ですが、
折角ある稲作りを彼は覚えてくれました。
そして、この季節になると、毎年の出来映えを教えてくれます。
そうした話を聞く度に、日本人にとってどれほど、
「お米の大切さ」を知らされます。
そして、残念なことは、田植えから始まり実りの秋まで、
米作り労働対価はまったく現代経営とはかけ離れていることです。
特に、コシヒカリ、合鴨米の労働対価はつりあっていません。
日本人にとって、米作りは、新たな労働評価経済軸が必至です。
そして、日本の米作りはすでに高度な文化づくりゆえに、
新しい経済主義によって、米づくりと国づくりは一致している、
その思想づくりをやるべきと考えます。

 


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「実演販売を見るのは大好きだから、道草文化が必要だ」


   


     10月 1st, 2013  Posted 12:00 AM

子どもの頃は「道草」が大好きでした。
特に、下駄屋さん、魚屋さん、鍛冶屋さん、米屋さんの店頭で、
おじさんやおばさんが「もう、帰ったら」と言われるまで、
それらの仕事ぶりを見るのはあきないものでした。
先日、大阪駅に帰阪して、ワイフが買い物をしているときに、
お店の人に了解をいただいて、「御座そうろう」(今川焼)、
その焼き上がるまでをじっくりと楽しむことができました。
小豆はやっぱり「半殺し」=粒あんに限ります。
あの旅人を「全殺しにしますか?それとも半殺し」という話を、
私はワイフにこれでまた何度も話をしました。
全殺しとはこしあんと呼ばれますが、私は苦手です。
まして、この写真のしろあんは邪道でしょう、と思います。
粒あんを買ってもらいましたが列になっていて
十二分にそれまで楽しみました。
私は、最近、学童の集団登校はとても悪い慣習だと思いますが、
その集団登校の列に無判断な車が飛び込む事故を見ると、
とても哀しい時代を感じます。
しかも、その加害者への余りにあまい罰則が出ると、
その加害者をとても許せません。
私自身も、酔っ払い運転で、私が2度目で、
私が交通被災1 週間後に加害者は逃げました。
3度目の事故で彼が逮捕されたのはそれから2年後でした。
交通事故裁判に出て裁判長から私の気持ちを聞かれました。
その回答で、私は退室命令を受けてしまいましたが、
私は今でも、その時の気分を思い出すときに、
被害者私は「なぜ?」という気持ちがもどります。
わが国は、加害者にはとても甘くて、被害者には納得できない、
そんなルールがまかり通っています。
学童時代の道草で、どれだけ職人の本職技に見とれたでしょう。
販売実演を見る楽しみと、もっと安全な町を思い出します。
しかし、付け加えるとするなら、
日本全体は世間の社会学者が喧騒するほど、加害者は激減、
安全性は確保されているがその質とルールが大問題なのです。


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「六古窯・越前焼ー若い才能が復元から再興を始めだした」


   


     9月 30th, 2013  Posted 12:00 AM

六古窯というのは、縄文・弥生時代の土器から陶器文明、
日本にかつて存在した代表産地です。越前焼がその一つでした。
秀吉が朝鮮征伐で陶工を九州に連れ帰ってから、
日本の陶磁器は進化したと言われてきましたが、
私は最近、強い疑いをもってきました。
それは、欧州も日本も中国も、陶磁器は何も進歩していません。
若い頃、越前焼を故・加藤唐九郎の膨大な陶磁器辞典で知り、
越前焼でそのことを訴求し過ぎて、出入り禁止になりました。
ところが、最近、地元新聞社記者の方とその話をしました。
そうしたら、「司辻 健司」氏という若手陶芸家の作品を
記者の方からいただきました。
長年に渡る「青粘土」による平安時代の技法復興の作品です。
六古窯は消滅したと言われる方もおられますが、
私は、ほとんど陶磁器は進化してこなかったと断言できるのは、
この六古窯にこそ、日本人のオリジナルな技法があるのです。
若い作家が追い求め、それを支える研究会が出てきました。
私は、ここに21世紀からの新たな陶磁器文明を、
デザインが主導出来ると考えています。
これまで、土産物的な陶磁器は全く不要です。
デザインには、新素材開発、たとえば、私は有田焼で、
プラチナ釉薬」を開発しました。
だからこそ、欧米に対して陶磁器の再文明創出をねらいます。
今、この越前焼を手にすると、とめどない幸運さを感じます。
誰も思いついていない、日本だから出来る陶磁器文明開始です。
私は、この技法を文明と呼んでいます。
なぜなら、織り=織物=寒さを防止、焼=器=飢えを防止、
これが文明だからです。
デザイナーは、それこそ、縄文・弥生、そして平安にも、
文明の原点があり、それを文化相発する職能だと確信するのです。


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