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『カンブリア宮殿にて、デザイン職能をもう一度』


   


     1月 7th, 2014  Posted 12:00 AM

4年ぶりにTV番組に出演しました。
正直に「よくまた日本復活にデザインを」という想いでした。
TV番組の趣旨にデザインを選んでもらったことが一番嬉しいことでした。
バブル以後、いや、私がデザイナーに成って以来、
どれほど「デザインは問題解決の実務」だと主張し続けてきました。
が、現代の経営者で「デザイン意義」を知らない人物、
つまり、美学性の無い経営者たちによって、
この国は大切なもの、大事なことを失ってきてしまったと思っています。
そのことで経営者たちとぶつかることで、
私自身の活動までが疎外されてきました。
私はこのことを「必死」で言い残す覚悟でいます。
万一、その発言で封じ込められることがあればあるほど、
美学無き経営者の「生き様」は惨めなものになるでしょう。
その一端をこの番組で表現できなかったかもしれません。
その意味も語り残す必要がありそうです。
デザインの効用と効果をできる限り伝えたいと考えています。
1月9日に放映されます。

【カンブリア宮殿】
・放送予定日:2014年1月9日(木)よる10:00 – 10:54
・放送局:テレビ東京系にて放送
・詳細はこちら>>


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『ロボットという玩具?・ロボットはおもちゃか?』


   


     1月 6th, 2014  Posted 12:00 AM

年末年始は、ロボット学者とロボットベンチャーとの
忘年会と新年会で今年はスタートをしました。
昨年末、いわゆる「玩具」である「オウム返しするおもちゃ」を
私は見つけて、それなりにワイフとこのおもちゃに対して、
二人で言い合いをしていました。
私自身、ロボットに関わってきて、
「ロボットデザイン基礎学」をいくつかの大学カリキュラムを
書き上げて提示もしてきました。
私のロボティクスには、AIBOをGマークにするかどうかで、
哲学者・中村雄二郎先生からの教えが基本になっています。
わが国は世界的にもロボット先進国と言っていいでしょう。
しかし、ロボティクス学には私は三つの間違いがありました。
それが明白になったのは、人災であった3.11原電事故があります。
● 膨大な研究費でのロボットは原電事故に全く未対応
● ヒューマノイドとメカノイドでのロボット研究に分離
● デザイン介入に大きな過ちが入り込んでいた
これが私の見解でした。
幸いに、メカノイド系とヒューマノイド系は、
現在はアンドロイド系とナノマイクロ系に分離しながら、
私も大学人にて「ロボットデザイン基礎学」を蓄積してきました。
その結果は、「身体論」と「形態論」、
さらには、「モノの体系」で指摘されたロボット言論があります。
そして、今では「玩具としての具体」は、
「おもちゃゆえの安心的な存在」に至って商品化されてます。
この二つが私はその象徴的な「モノ・ロボット風存在」です。
一方は単なる景品であり、一方は「リピート」存在です。
さて、問題は結局、玩具から兵器までが、
果たしてあの「不気味の谷」での論理と、
これから人工物としての人間あるいは人間社会との関係性です。
だから、環境デザイン=ロボティクスデザインであることを
わが国は根本からの再構成が必然だと確信しています。


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『2014年正月三が日は休筆いたします』


   


     1月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM


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『ブログご笑読ありがとうございました。』


   


     12月 28th, 2013  Posted 12:32 AM

今年は、毎日連載することを時々休筆させてもらいました。
来年にはこのブログも8年目になります。
65歳になりますから、書き残したいことはまだまだあります。
しかし、休筆が続くと最近は読者数が減ってきています。
私には、特にデザイン・デザイナーとして、
書き残すこと、その内容に対しては自分の厳密さが増えています。
読者数が減っても、私は自分の思考と創造を明確にするには、
このブログは重大です。
あらためて、65歳の自分を「ことば」にしておくつもりです。
よろしくお願いします。


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『デザイン都市でのデザイン会議報告』


   


     12月 27th, 2013  Posted 12:00 AM

フランスのデザインに関して、
私は1997年「フランスにおける日本年」では、
「経済と文化」にデザインの効用を過激に述べました。
そして2006年にワークショップや講義を行い、
すでに彼らは「アルツハイマーとデザイン」の関係にまで、
デザイン=問題解決という認識は、デザイン都市の整備と活動、
まさに順調に進行していたと思います。
そして、今回、私がキーノートスピーチでは、
PKD=Peace-keeping DesignをMarch 11.2011でのデザイン立場まで
私は述べることになりました。
阪大から同行してくれた若い医師2名も、
「デザインの会議ってかっこいい」と言わしめるほどの、
センスある会議であり、その会場はデザインセンターとして、
人口18万人の街はユネスコデザイン都市になっているほどでした。
私は、デザイン=問題解決には次の三つがあることと、
海外からのプレゼンテーターが「aging society」という定義には
aged society=高齢社会とaging society=高齢化社会の分別と
その区別がすでに先進国家では明確化されるべきと発言しました。
March 11.2011という先進国家である日本は、
大天災と大人災、原爆経験と原発事故経験でのことを伝えました。
先進国家ゆえに、自然と人間との調和はありえずに、
環境保全がそのままエネルギー問題と直結していること、
国際的貢献としてのPKDの必要性をアピールしました。
このPKDについては、国内ではほとんどテーマになりませんが、
海外では、米国のクリントンイニシアティブ運動から、
すでに2年前には、先行したデザインによる国際貢献を求める、
中国ですら取り上げられています。
私は、国内でのアピールを控えすぎていると感じています。
この会議でのキーノートスピーチと質問で、
私は私自身のデザイン活動の決め方をフランスで示唆されました。


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『エレベーターという発明と社会倫理』


   


     12月 26th, 2013  Posted 12:00 AM

人類の発明として、人間が高い場所に登るには、
「階段」で、足の裏と視覚で場所の高度感を感じて移動するモノと、
一挙に高さを移動してしまう「エレベーター」があります。
しかし、この中間はまだ無いことに留意する必要があります。
そして、エレベーターの存在は、私のような障害者には大変便利です。
私自身、車椅子必要者にとっては、
「エレベーター」のおかげでどれほど行動が楽になったことでしょうか。
建築は勿論、飛行機から新幹線などの乗降ではいっぱい体験してきました。
特に、新幹線では、まだエレベーターが無かった頃は、
東京駅では終戦映画で観る、「地下道」が利用されていました。
今も「地下道」は、駅の運営では大事な場所になっています。
しかし、海外から車椅子の人があの「地下道」では、
その臭いや雑然とした戦前からの印象は余りに酷いものです。
私の役目と思って、国土交通省に乗り込んで実情を訴えました。
当時の扇大臣が視察をして驚愕をされたと聞きます。
すぐに「エレベーター設置」が決定しましたが、
完成したのはその3年後でした。
最近は、あのエレベーターは、障害者やベビーカー優先です。
ところが、若者達が平然と乗り込んでいます。
しかも、この日本では通常の風景になっています。
大間違いです。
海外では、必ず、障害者や妊婦さん、ベビーカーが優先です。
だから、私は怒って若者に警告をします。
「私は日本人だが、万一、海外の人だったら恥ずかしい」と。
みんなが黙り込みます。
私は、このエレベーターのデザインそのモノを変えないと、
わが国の社会倫理は護られないと思っています。
現代は、決して「他人との軋轢を避ける人間だらけです」。
あたかも性善説の顔をした性悪説に汚れきった若者が増えています。
これを許すべきではない、「おいコラおじさん」が必要です。
性悪な人間があたかも性善な顔立ちの人間は、
制裁をする必要があると私は判断しています。


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『中国の月面着陸ロケットの思惑・範原発を!』


   


     12月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

嫦娥3号というロケットが月面着陸を成し遂げました。
1976年以来、人類が月にまた大きな夢を果たしてくれました。
しかし、このロケットは、
中国の何か得たい知れない思惑があるのでは、
私にはどうも素直にこのニュースを受け取れません。
「嫦娥」とは、中国の月の伝説、「仙女」という意味らしいのです。
宇宙開発を成し遂げたなら、その宇宙の資源は、
地球上の全人類の共同資産という協定があったはずです。
ところが、今回の月面着陸には、月にある資源、
特に私には、「ヘリウム3」と「レゴリス」という物質、
こうした資源の独り占めが目論まれている気がしてなりません。
さらに残念なことは、
この中国の野望をジャーナリスティックな報道が、
わが国では全く軽視されてきたことです。
おおよそ100万トンのヘリウム3が月面に埋蔵されていること。
中国はやがて、
この資源のサンプルリターン計画があるのではと思います。
「ヘリウム3」25万トンで欧米の消費電力は4万年分に相当する、
そんな単純計算もなされています。
「反原発」に私は大賛成です。
その理由は、今回U239とU240という自然界にはあってはならない、
元素がプルトニウムから出た限りは見切りをつけるべきです。
だとするなら、
私は「範原発」で国際的にも、広島・長崎・福島の経験で、
もっと新たな原子力技術開発とエンジニア育成をするべきです。
日本では、「北朝鮮の粛清」・「都知事への辞任要求」、
さらには「社長銃撃」と
「ソチ五輪へのフィギュアスケート代表選考」が報道されて、
まったく「ヘリウム3」という月面埋蔵資源の報道が無いことです。
私たちは、「反原発」への感情論から、
もっと賢い「範原発」の大きな資源として、「ヘリウム3」を熟知し、
中国の月面着陸から今後始まるであろう計画を知るべきでしょう。


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『「iPad Air」で講演が可能になりました!』


   


     12月 20th, 2013  Posted 12:00 AM

フランスでのキーノートスピーチで、iPad AirとiPad mini、
これで講演映像をと考えましたが、ちょっと不安でした。
しかし国内でiPadで講演映像と画像、音響を使いながら、
iPad miniでコントロールをしながら講演をしました。
スタッフも不安ゆえに、MacBook Airを準備しつつも、
思い切ってやってみました。出来ました。
これは、私自身の一つの決断でした。
それは、もうノートPCでのプレゼンをやめることであり、
ノートPCから解放される時期がきたと言い聞かせるためでした。
観客の人には知らせませんでしたが、
私はiOS7でのプレゼンが確実にできるという自信になりました。
まだ、音響を自分で変えるとか、
PCなら慣れきっているというわけにはいきませんでしたが、
プレゼンスタイルを変更できることを確認できました。
結局は、会場全体までをPadでも可能にするノウハウやチップス、
こうしたことの自分のやり方を見つける発見になりました。
私自身はPowerPointから離れることをいつも言ってきました。
特に、私は音楽と映像を多重に組み合わせてますから、
絶対に特殊なプレゼンを開発してきたと思っています。
それこそ、PowerPoint白黒時代を知っているだけに、
あのジョッブス氏自身が、「カリグラフィー 」から学び取り、
今、彼が置き土産にしてしまったレタリングの詳細までを
本当に理解している人はほとんどいないとさえ思っています。
iPad Airなら、多分、iPhoneでコントロールも可能です。
そして、このプレゼンの映像・画像を本当に美しくするには、
まだまだプロジェクターやスクリーンも変える必要があります。
やがては、三次元で空中に浮かぶ映像と画像、
そして美しい音響が欲しいと思っています。
このところ毎日多忙ですが、
自宅のシアター関係をまた新たにしました。


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『「デザイン」=本来は政策に直結すべきだ!』


   


     12月 19th, 2013  Posted 12:18 AM

デザインを美術科目から社会科目にというのは、
まず、米国ミシガン州で始まり、
教育政策として取り上げたのは英国でした。
小学生が幼稚園児のユニフォームデザインを考えるという教育。
かつてアートとデザインの違いを簡潔に、私はこう述べました。
アートは主観的表現であり、デザインは客観的表現であること。
今、デザイナーと自称しているほとんどはデコレーター。
インテリアデザイナーとインテリアデコレーターは明確に、
彼らの専門知識が異なり、教育方法も別個です。
わが国の「環境デザイン」は公園や建築系ですがこれは大間違い。
韓国では「環境デザインでこそロボティクス環境がテーマ」。
だから政策的には「デザイン」がどれほど国際的に、
私たちの日本は遊離し始めているのです。
今、国策である「COOL JAPAN」にこそ、デザインはもっともっと、
「包括的=Inclusive Design」でなければいけいないのです。
私が40余年デザイナーを職能にしてきた最大の目標、
それは「問題解決の実務表現」の職能家であること、
そんな話を稲田国務大臣・越尾秘書官・藤巻参議院議員に
決定的な話がスムーズに伝えることができたと思っています。
知性無き左翼系の国策全て非難主義などまったく無意味です。
3.11で学んだ真の事を、独裁政治で拉致被害者を取り戻せない事を、
すべからくが、「デザイン実務」で解決を図ることの大事さを
私は語り尽くしたいと思っています。
デザイン無き工学的手続きがどれほど無意味かも徹底的に、
論理背景と表現実務で「実現の時期」が来ているのです。
未来・夢・理想に向かってこそ、私たちの生涯が、
死に向かって生をうけているからこそ、
生きている現実に覆いかかっている問題にその解決、
つまり理想と夢と未来を創っているのです。
私たち日本には「わび・さび」に至る「美」があることを、
彼らとの昼食後は、二つのマスコミにも伝えて帰阪しました。


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『Saint-Étienne・ユネスコ認定デザイン都市で』


   


     12月 17th, 2013  Posted 12:00 AM

この小さな街は人口が18万人にすぎません。
しかしサッカーチームにはあの松井選手がいたほど最強チームで、
スポンサーも市が支援するという街です。
AppleStoreがあり、ZARA、 H&M、までがありました。
市電はかっこよくて、随分写真を撮りました。
最も、渡仏直前に降雪があって極寒でした。
空港はパリからリヨンに飛び、車で入りました。
フランス革命時には鉄砲の街=鉄鋼産業から、医療産業へ。
2006年にこの街のエコール・デ・ボザール・サンティエンヌ校で、
ワークショップをしたときに、デザインセンターが出来るという
そんな場所を見せられましたが、デザインセンターも、
現代美術館もあるデザイン文化都市になっていました。
Health & Design for All」のキーノートスピーカーで招聘。
彼らからはPKD=Peace-Keeping Designを中心テーマにでした。
勿論、3.11の現状も紹介してきました。
阪大からはドクターが2名も参加してもらいました。
現地のドクター二人(小児科と呼吸器科)と夕食では、
彼らはデザインと医学の関係がすっかり理解していました。
このイベント後、クリスマスムードのパリに寄りましたが、
観光都市をはるかにしのぐ美しさがありました。
リタイアしたら、フランスのいわゆる田園都市の方に
私は住みたいと思わせてくれる街でした。
私のふるさと福井は25万人の街ですが、私は思いました。
デザイン都市にしていく大きな優位性は、
すでにフランスは格段に進化をしています。
「フランスにおける日本年」でトゥールーズで、私は、
「経済と文化でのデザイン」を懸命に話をしたことがあります。
1997年だったと思いますが、
あれからフランスは18万人の小さな街が、
「デザイン都市」として新産業と文化都市を創りあげていました。


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