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『水耕栽培・農業新技術を食べてみた!』


   


     4月 19th, 2014  Posted 12:00 AM

子どもの頃に、水栽培を理科で実験したことがあります。
球根を試したことが記憶の中にあります。
未来住宅を企画提案していたときには、システムキッチンよりは、
多分これからはキッチンシステムを考えるべきであり、
それはキッチンには、水耕栽培のシステムで、
緑野菜や根菜類を自家栽培するシステムがあるべきだと、
そのような未来図を描いていた経験があります。
しかしまだそのことは想像力の世界観であしかありませんでした。
ところが、知人から、本格的な水耕栽培を知り、
しかも、その現物=水耕栽培された緑野菜を送ってもらいました。
早速、サラダにして食べましたが新鮮であり美味しくて、
私は未来があると実感しました。
これからの海洋養殖をデザイン企画した経験からも、
「水耕栽培」には大きな未来があると実感しました。
そうなると、問題は、
デザイン対象としての「水耕栽培デザイン」が明確にあります。
いわゆる、液状だけで土壌を全く使わないシステムデザインです。
それは「水」とその量や温度などいくつかのテーマがあります。
すでに日本の農業技術として貿易プラント商材だそうです。
次世代のデザイナーには、こうなると「水耕栽培」デザインを
深く知識とデザイン解決による成果案を求めたいと思います。
大急ぎで、新技術としての水耕栽培をシステム空間化が必要です。
私は、三つの方向があるようだと推測しています。
どのような農産物を栽培していくか、ということの私的公的方向。
水耕栽培商品開発のデザインとその企業化デザイン。
もう一つは、?にしておきたいほど、私の発想が膨らみます。
ともかく、新農業技術とデザインの目標があることは確かです。


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『3D-Printer・3D-Printing展示、講演、そしてテレビ取材』


   


     4月 18th, 2014  Posted 12:00 AM

昨年7月に阪大では、3D-Printerがこれからの産業革新という
東京流ブームを一撃すべく、シンポジウムを開催しました。
その再興をインテックス大阪にて、大きな展示会に、
私の研究室からの展示と講演をしました。
韓国からのTV取材も、研究室展示ブースで受けました。
「3D-Printer戦略・3D-Printing戦術」についての講演は、
100名申し込みを超えて多くの人に、私は「モノづくり」を
この米国からのブームを一刀両断して語ることができたはずです。
展示会場にある3D-Printerが米国流の産業革新には、
決してならないことも確認できました。
私の「モノづくり」論は、結局、
3D-Printer機器そのものが国内からは生まれていません。
そして、3D-Printingは技術開発であることを証明し、
戦略・戦術・制作から製品と商品、さらには企画・計画を
企業内活動する「モノづくり」から情報化までを伝えました。
聴衆は想像以上に熱心でメモを取る人がとても多かったようです。
韓国からは大手TV局から報道陣が取材をしており、
私には以前から取材申し込みがありました。
国内ではかつてNHKは米国の流行そのままの報道をしましたが、
これは大間違いを国内に流布した元凶だと私は断定しています。
3D-Printerが決して産業革新するわけではありません。
私はこの大衆化しようという根本は、光造形システムや、
今後、日本が創出していくのは、欧米とは全く違うことを、
やがて発表していくことになると思います。
すでに私の研究室が産業革新していく実例を発表していきます。
光造形でも私が開発を目指してきたのは、人工臓器でした。
これからの3D-Printingでもやはり究極は医療関係も、
とても大きなテーマになっていくと思っています。

「『MAKERS』の正しい受け止め方」
「TV番組の役割は終わっていることを再確認!」
「光造形から3Dプリンター時代に来ただろうか」
「日本の倫理性が3Dプリンターの根本を変える!」
「光造形から3Dプリンターへの系譜は人工人体へ繫がるか」
「3Dプリンターの誤解が未来性を語っている」


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『マエストロ・敬愛される指揮者のツールに潜むこと』


   


     4月 17th, 2014  Posted 12:00 AM

指揮者・コンダクターは、イタリア語・スペイン語では、
尊敬される芸術の専門家として「マエストロ」といわれています。
音楽、特に、オーケストラでの指揮者のパフォーマンスは、
舞踊のごとく好き嫌いがありますが、
最近は、ビデオでも観賞できるようになって、ことさら一段と
とても興味深く面白くなってきています。
指揮者のパフォーマンスには、演奏される音楽内容には、
指揮者独特の自然体の演技性までがありますが、
これを峻別、分別できるのはクラッシックでは重要だと思います。
私は、出発がオーディオ機器のデザインであり、
それは美大の卒業制作も、オーディオシステムでした。
入社したのは東芝で当時、総研の音響研究所で特訓を受けました。
それまではほとんど、ポップスやジャズだったのが、
厳しい特訓でクラシック試聴をほとんど受けたと思っています。
今では、その特訓のおかげで、それなりのオーディオシステムに
自宅の室内が今なお改変をし続けていると思っています。
そして、いわゆる指揮棒も、時代進化してきているのを、
その素材選別に最も注目しています。
私自身は、気に入った木質とタクト部位がプラスチックを
好んで持っています。
たまには、講義の時、黒板ではこれが極めて使いやすいのです。
ワイフには、時折、新しい指揮棒を説明しますが、
収集出来ないのが残念です。
だから、指揮者がどんなタクトを使っているかは気になります。
願わくば、演奏会のパンフレットやCDでも実際は、絶対に、
指揮棒と指揮者の写真は必須だと思い続けています。
マエストロは、音楽の演奏にあたっては、
音楽性とそのパフォーマンスで、確実な音像という音質までを
創出するべきだと思っています。

「ビデオアート・現代音楽・オーディオの統合化をめざす」
「多次元な音響空間はプロクセミクス」


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『「写す」練習を精進しなければいけないのだ』


   


     4月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

私は、美大時代にそれなりにカメラを独学しました。
自分の作品撮影をするためにはとても重要なことでした。
東芝時代は、プロ撮影に立ち会ってプロの先生へ質問をしました。
フリーになってからは、ある時、デザイン系誌の編集長から、
「そろそろ君もF氏に撮影をしてもらいなさい」と、
有名カメラマンF氏を紹介してもらい、
以後、肝心な写真撮影をお願いし、その際も色々教わりました。
私なりに決めていたことは、
決してカメラ機器の収集は絶対にしないでおこうと思ってました。
それは多分、私の収集癖では格好の機器だと知っていました。
だから、カメラ選択には相当に調べあげて購入していますが、
気づくと、それなりのカメラが収集はしていませんが、有ります。
絶対にこのカメラなら大丈夫と思って、
デジタルカメラになってからは、私は収集はしていませんが、
集まってしまったようです。何しろ進化しています。
ところが、
この二つのカメラは撮影テクニックを再勉強の要ありです。
ライカは本当に難しいと思っています。
これで「瞬間的一枚」が撮れるとはとても思えません。
一応、レンズは揃えましたが、確実な一枚を撮れるかは不明です。
また、いわゆるポラロイド写真も、機器の進化で、
プロ撮などを見るとここまでこの機種を使いこなせるでしょうか、
そんな不安に襲われます。
ともかく、部屋の一隅に置いて、なんとか撮影力量を上げたい。
ただ、こうして三脚に取り付けておきだけで、
なんとかなると思っている自分がいます。
どうしても精進して撮影の腕を上げたい機種が私を見ています。

「カメラ修行は今なお・・・」


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『ロボットはメタテクノロジー存在実現ゆえの安全と安心』


   


     4月 15th, 2014  Posted 12:00 AM

私は「ロボットデザイン基礎学」というのを提案しています。
恩師の紹介でいくつかの大学にも
シラバスの構成その基本理念として提示しました。
ロボットのデザインに関与したのは、
阪大フロンティア研究機構の特任教授として2006年からでした。
現在、ロボットデザインには「安全と安心」を、
身体論・形態論から、あらためてまとめ直しています。
その時に基本とする書籍はこの二冊が基本と決めています。
「モノの体系」と「心の社会」です。
「モノの体系」は英文原書と読み比べるべきものだと思っています。
特に、安全と安心はこの技術成果オブジェクトとしての形態論、
これを身体論で書き換えることだと思ってきました。
つまり、身体論にとっては、スポーツする身体の安全性訓練です。
たとえば、柔道では受け身の練習が必須です。
スポーツは何事においても、安全な身体訓練が必要です。
それは徹底的な安全な身体づくりです。
いかなる危険な状態でも、受け身のごとく身体が防御可能なこと。
これはトレーニングが必要です。
そうしたことと心の問題は、日本では「道」という思想が、
たとえば、剣道、柔道、さらには野球道というように、
思想で、安全を培ってこそ、安心を確保できるという思想です。
私はロボットの形態はそのままロボット機器の体と同値なのです。
ロボットは、まさに、未来的な技術を思想で取り囲んで、
まず、「安全」である機器として存在し、
その存在性そのものが「安心」を何の抵抗なく受け入れられる、
そんな存在として、人間社会との関係を創りあげていくべきです。
「ロボットデザイン基礎学」にとって、
この二冊の書籍は定本だと考えています。

『ロボットという玩具?・ロボットはおもちゃか?』
「ロボットが『心』を持っている?かどうか、ということ」
「心を持つロボット表現として、『泣き出す表情』」


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『光造形から3D-Printingまでをプレゼン』


   


     4月 14th, 2014  Posted 12:16 AM

私が歯車を見て、大ショックを受けたので大学人になりました。
名古屋市立大学芸術工学部新設時に「光造形システム」は、
1996年に万全の装置で、それを使って「クラインボトル」を作成。
最初は1998年NewYorkソーホーの「SPY」でプレゼンテーション。
欧州からは王室の方々や、ジャズプレーヤーなど多彩な人に、
クラインボトルを紹介したところ、
今度は、フィラデルフィア大学での講演でそれが「人工心臓」へ、
トポロジーの光造形での実例が空間論につながりました。
元来、光造形は日本の発明でしたが、特許戦略の大間違いで、
今では、米国主導の3D-Printerが、あたかも未来産業と
大騒動されていますが、欧米ともに大した進化をしていません。
3D-Printingによって、クラインボトルも造形が可能ですが、
わが国の3D-Printer開発と3D-Printing=造形技術には、
全く新しいプリンター開発と、素材革命を熟考し成果開発中です。
私の最大の目論見は、欧米の3D-Printing技術は、
ほとんど進化していない!と決定的に断言しておきます。
にもかかわらず、わが国で喧騒の3D-Printerブームは、
単純にプリンター販売とその応用はたかだかフィギュアづくり程度。
こうなると、3D-Printingという技術開発は不可能です。
それは光造形の時代にも実証されています。
結局、光造形=ステレオリソグラフィを知らずして、
3D-Printingへの未来志向はありえないと思っています。
fablab・RepRap,著作MAKERSでの大間違いを流行化した日本、
私は、この米国追随から完全な離脱をこれから拡大していきます。
今、最も進化した3D-Printer以上の国産化を狙います。
その基本は素材進化を3D-Printingにしようということです。

写真左:クラインボトル=光造形
写真右:3D-Printingによるクラインボトル
写真中央:「SPY」マッチ


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『キャラクターのデザイン=かわいいデザインの再定義』


   


     4月 14th, 2014  Posted 12:00 AM

現代日本には「ゆるキャラ」が流行になっています。
この「ゆるキャラ」が、地方から職能や業界のあたかもマーク?
しかもこれらがデザインされていると一概に言われることには、
大きな懸念とデザイン本質の意味の取り違えを断言しておきます。
特に「ゆるキャラ」がデザイン、ではなくてデコレーション!、
そのものが全く美しさを喪っているモノは全否定しておきます。
ともかく、キャラクターと呼ばれるシンボルには、
その根幹に「かわいさ」が必要です。
したがって、とても認めがいたい「ゆるキャラ」をかわいい!とか
そう絶叫までしている人には、美的感性力が大欠落しています。
日本人には、漫画の歴然たる歴史があります。
この漫画に登場するキャラクターは、そのまま時代、ヒーローの
まさに「スター」だと言っていいでしょう。
米国のディズニーが提示してきたイメージは、
テーマパークという強大なレジャーランドになっていますが、
日本のキャラクターは、時代の技術とその存在性を、
「かわいい=kawaii」ということまで、一つの経済性を構築。
そしてこの経済成果は、形容詞の名辞デザインを創出しています。
私は、この感性段階を論理化メモしておきます。
それは、「かわいい」・「うつくしい」は形容詞ですが、
「きれい」は形容動詞です。
女性が「きれいになりたい」その決着は、
「美しい女」あるいは「かわいい女」につながっているでしょう。
したがって、キャラクターデザインの決着点には、必ず、
その「存在」が、まず、かわいいこと、そして美しいこと。
この二つが同居していない、たとえ「ゆるキャラ」には、
かわいさどころか、美しさなどあるわけがありません。

「アイドル・キャラクターのメタ・アンビエントへのコンテクスト」
「キティちゃんにて確認できる『安全と安心』
「問題解決なのに「応答」商品の氾濫」


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『世界は貧しくなっている・・・と思う』


   


     4月 12th, 2014  Posted 12:19 AM

自宅のオーディオシステムをまたやり直していて、
とても驚いたのは、私の最上級のプリアンプLINNが一台ありますが
このアンプのリモコンは、今では古い機種の方が、
はるかに豊で製品品質が優れています。
確かに、現代の製品リモコンは合理的で単純で、使い勝手は、
国産のモノには最低なデザインが多い中と競べればいい方です。
しかし、最高級プリアンプとの存在性、たたずまい性をみれば、
絶対に製品の品質性や熟考されたデザイン表現性があります。
私はデザインを、製品記号論的には、
デザイン意図の表現を「造形言語」と呼び、
デザインすること、とし、
デザイン表現された内容を「形態言語」と定義しています。
「造形言語」=designing languageと、
「形態言語」=designed language、この二つの名辞によって、
デザイン形態=デザイン記号を記号論的な解釈をしてきました。
designing languageとdesigned languageは博士号論文へと
指導をしてきましたから、今後の国際的なデザイン思考論理に
普及していきたいと考えています。
このリモコンの造形意欲を競べてみても、最高級製品の
モノ品格は、現代にいたって、大変貧しくなっていると思います。
結局、コストダウン主義は、豊なモノづくりを消しているのです。
貧しいモノづくりは、本来のデザイン本質を喪失させます。
現代の「安価なこと」には、安易な価値設定があります。
適当なる「商品の差別化」ということは使い手を差別しています。
経営主義ゆえの「差別化手法」そのものが革新されるべきです。
品質を造形言語として安易な価値設定ゆえに、品質ダウンが、
国際的に横行していることを、デザイナーとして危惧しています。
私は安易で安価なモノづくりは、豊かさを喪うと確信します。
だから、私のオーディオ環境ではリモコンですら、
「豊かな存在性」を最も大事にしたいと考えています。

「コントローラーのデザインはまったく進化していない」
「ブランドを語る前に、ブランドマーケッティングの大欠点
「デザインは記号論的な『造形言語と形態言語』での論理化」


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『現代のあたかも魔女狩りこそ全否定されなければいけない!』


   


     4月 11th, 2014  Posted 12:00 AM

魔女でも冷徹贔屓する力は常に用意していたいという想いから、
たとえ魔女であっても許されないことを一方的に記述します。
情報社会が無残な刑罰を野放図にしている構造は、
権威を多大な権力と錯覚した組織の支配力、
無知蒙昧さを隠匿しているマスコミの商業主義的発信力、
そして、匿名をいいことに刑罰を風潮化しようという集団です。
この三つの暴力には、何ら、罰則がありません。
組織は、組織温存を護り抜くには個人を痛めつけて平気です。
マスコミのマイクやカメラが正義を語れる武器なのでしょうか。
個々人が匿名であるから、組織とマスコミを存分に利用します。
たった一人が、組織とマスコミに説明責任を問いただされる姿が、
現代のあたかもいやまさに魔女狩りになってしまったのでしょう。
権威も権力も分別出来ない組織が個人全否定はありえません。
本来ならその組織に所属した個人こそ何としても守護すべきです。
マイクを問いただす武器だと知らない記者がマスコミ人です。
カメラを向ければ真偽をつかみ取れるというマスコミは大勘違い。
この三つの力を正当に使うとするなら、
それは同胞(拉致被害者)を護り抜く決意が基本だと思います。
平然と我を顧みない人を沢山見てしまいました。
「魔女狩り」は中世時代に終焉するどころか、
もっと悲惨で残酷な個人への刑罰風潮には警戒が要必要です。
個人の願いや希望を、全否定する権力は誰にあるのでしょうか。
未熟さを個人評価で罵る大人だとするなら、
自分の年齢ゆえの経験や実績そのものこそ尊敬は出来ません。
組織、マスコミ、匿名集団の刑罰主義こそ、
現代制度で構築されるべきかも知れないのです。
組織もマスコミも、再度是正できるはずだと信じますが、
最も匿名性に隠れて、
情報化で刑罰を与えることこそ、厳罰すべき肝心なことです。

『画像映像機器の技術要素の変遷とともに羽織ゴロがいる』
「匿名も実名も仮想ならば・・・」


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『100年企業のなかで30年も関われたデザイン対象幸運』


   


     4月 10th, 2014  Posted 12:00 AM

私がメガネフレームをデザイン対象に出来たことは幸運でした。
車椅子生活になったことを知った母校の教授から、
あるメガネフレームメーカーを紹介されました。
しかし、それまではオーディオ領域しか出来なかった私は、
当時29歳で、とりあえず、1年時間をいただきましたが、
結局は、ふるさとに帰って31歳ごろ、
紹介されたメーカーでデザインを始めました。
そのメーカーで、メガネフレームに関わらずにある人から、
オプトニクス関連の教科書や製造を教わりました。
そのメーカーから、増永眼鏡にクライアントが変わりました。
それから、また再びメガネフレームについて、現会長から、
徹底的に鍛えられて、再度、イロハからを教わりました。
私の性格ゆえ、どれだけ喧嘩してきたかわかりませんが、
商品化チャンスをいただきドイツで授賞することも出来ました。
2000年にシルモ・ドールでグランプリを頂くコトも出来ました。
増永眼鏡こそ、メガネ産業を創成した最初の企業であり、
1905年創業から100周年を迎えて2005年、
青山に最初のパイロットストアを開店。
そのこともあって、日本橋三越のシンボル・ライオン像設置、
これが今年100年を記念して、私のコーナーも出来ました。
私自身、来年でメガネフレームデザインは30周年になります。
私のメガネフレームには、レンズからも解放が大目標です。
「目の前の空気の屈折率が自由に変えられること」があります。
それは、液晶レンズ技術の導入進化や私がスカウターと呼ぶ、
ウェラブルPCで、景観の中に情報処理も同画面で出来ることです。
いずれにせよ、私にとっては、見つめる映像機器、
そして、ファッション性とメディカル性が同居する機器として、
おそらく未来提案も含めて、私のデザイン活動提案に、
ライフワークとしても貫きたいと願っているデザイン分野です。
最近は、もうデザイン競争相手はたった?社しかありません。
「アンチテンション」のメガネは私の発明的デザインでした。
これを乗り越えることがテーマです。

『本当のモノは信じられることにつながる』
『PCメガネはドライ・アイ対策でなければいけない』
「『アンチテンション』は、今ではメガネスタイルの基本だ」
「HMD・『単眼タイプスカウター』を米国でプレゼンは失敗だ」
「HMDのこれまでの進化をさらに深化させる!」
「HMD1994年から取り組んで・・・絶対に勝つ!」


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