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『ロボットはメタテクノロジー存在実現ゆえの安全と安心』


   


     4月 15th, 2014  Posted 12:00 AM

私は「ロボットデザイン基礎学」というのを提案しています。
恩師の紹介でいくつかの大学にも
シラバスの構成その基本理念として提示しました。
ロボットのデザインに関与したのは、
阪大フロンティア研究機構の特任教授として2006年からでした。
現在、ロボットデザインには「安全と安心」を、
身体論・形態論から、あらためてまとめ直しています。
その時に基本とする書籍はこの二冊が基本と決めています。
「モノの体系」と「心の社会」です。
「モノの体系」は英文原書と読み比べるべきものだと思っています。
特に、安全と安心はこの技術成果オブジェクトとしての形態論、
これを身体論で書き換えることだと思ってきました。
つまり、身体論にとっては、スポーツする身体の安全性訓練です。
たとえば、柔道では受け身の練習が必須です。
スポーツは何事においても、安全な身体訓練が必要です。
それは徹底的な安全な身体づくりです。
いかなる危険な状態でも、受け身のごとく身体が防御可能なこと。
これはトレーニングが必要です。
そうしたことと心の問題は、日本では「道」という思想が、
たとえば、剣道、柔道、さらには野球道というように、
思想で、安全を培ってこそ、安心を確保できるという思想です。
私はロボットの形態はそのままロボット機器の体と同値なのです。
ロボットは、まさに、未来的な技術を思想で取り囲んで、
まず、「安全」である機器として存在し、
その存在性そのものが「安心」を何の抵抗なく受け入れられる、
そんな存在として、人間社会との関係を創りあげていくべきです。
「ロボットデザイン基礎学」にとって、
この二冊の書籍は定本だと考えています。

『ロボットという玩具?・ロボットはおもちゃか?』
「ロボットが『心』を持っている?かどうか、ということ」
「心を持つロボット表現として、『泣き出す表情』」


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