kazuo kawasaki's official blog

『「新聞紙」というメディアが消える日が近づいている』


   


     6月 9th, 2014  Posted 12:00 AM

この写真は現代彫刻です。
まさに固められた新聞紙束ですが、報道の死の表現でしょうか。
私自身、新聞紙購読を止めてもう数年になります。
情報としての報道、NewsなどはPC・iPad・iPhoneで充分です。
新聞紙上の論説などにはもうほとんど興味がありません。
元来、新聞の効能は、偏向したイデオロギーであり、
下手すれば「羽織ゴロ」的な情報であれば私は無視してきました。
情報化時代は、
information・acknowledgement・consciousness・intelligenceで
時代と社会が人間の常識・知識・認識を取り囲んでいます。
そのための情報が、記事となって伝達されるメディア自体が
技術によって大きく変貌してきているということです。
そのメディアの一つである新聞紙は、新聞という形式のメディアは
消えて行くのかもしれません。
確実に、私の環境にはこのメディアは不要になっています。
新聞紙に限らず、商業出版の雑誌も消えつつありますが、
私は、特に、紙を形式としたメディア全てが無くなることには
大きな寂しさも感じます。無念ながら残したい雑誌でも消えます。
「情報の形式」を技術と時代が決定づけていくことは、
我々の基底的な要望なのかもしれません。
よって、その発行企業である新聞社という企業そのものの効能が
あらためて社会的な位置づけ変更を求められているのでしょう。
その企業系列にあるTV企業も同様に大変革されるでしょう。
しかし、新聞紙やTV番組が時代的な検証によって、
私たちが必然と考えるモノ=メディアは残って欲しいのです。
けれども、商業主義のこれも時代検証の結果、
消滅が見え始めているメディアも出てきました。
私は、デジタル化される情報の新たなメディア予想論を
デザインからも見いだしていきたいと考えています。

「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」
「記号はNetworkとServerと私たちのimageに存在する」
「情報化への入り口は記号論or記号学だった」
「日本語・『情報』はなぜ曖昧になってしまったのか?」


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『進化していないクーラーとその工事・現場知らずの製品』


   


     6月 8th, 2014  Posted 12:00 AM

自宅をリニュアル工事=これで実態を把握しました。
クーラーを新製品取り付けになりましたが、私が立ち会いました。
最大の理由は、工事店が最も良いとの評価でしたが、
取り付け位置を大間違い、ゆえ詳細を知る私が見届けました。
工事店の現場の人は大変なことだったでしょう。
かって、Gマーク審査委員長時代に、応募クーラー全てを選ばず、
大問題になったことがありました。やり直しが必要でした。
それは建築関係審査委員たちからも「これは製品ではない」と。
私自身、製品を分解して、全企業全製品が不完全と判断しました。
それからやや進歩?していたのかもしれませんが、
結局、今回工事を見て全く駄目と評価しました。
現在のGマークは選別制度が審査委員自体が無知的をみかけます。
審査委員に選ばれたことを驚喜する作品無しの審査員が増え、
製品知識が大不足審査ゆえ海外への賞応募が増加している有様です。
Gマーク制度の批判は一応控えますが制度の腐敗が進んでいます。
さて、クーラー製品の技術もデザインも設計は遅れています。
現場で再度取り付けのための作業を残し、水平垂直も出せません。
日本の造船と日本の文具を審査した私の本分として見逃せず、
すべての作業を見届け、指示せざるをえなくなりました。
この実態は、マンション業者も、ましてクーラー製品会社も、
社長は知らないでしょうが、「やり直しは必然」のはずです。
クーラーは相変わらず室外機デザインは未熟であり、
単に競合企業同士の「装飾デザイン」はデザインにあらずです。
取り付けの誤魔化しや、子細な取り付け位置間違いなど、
立ち会ったのが私ですから、業者さんは大変だと自覚しながらも、
私は、クーラー全企業、その全社長に提言します。
この製品は「日本のモノづくり」にはなっていません。
所詮、中国での大量生産での儲け主義がはびこっています。
ユーザーは「サイレントユーザー」になっているのでしょうが、
私は厳しく非難しておきます。
当然、取り付け位置間違いはやり直してもらうつもりです。
だれかユーザーが明確に発言提言をしなければならない日本です。
いづれ、日本のGマーク制度は大批判しなければなりません!

『これはデザインの大きな問題である!』
「*貿易国策の一つがGマーク賞制度、その審査委員資格*」


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『3Dプリンターブームは「軽薄な流行」にすぎない!』


   


     6月 7th, 2014  Posted 12:00 AM

光造形システムを真にやりたいと思ったから大学人になりました。
名古屋市立大学芸術工学部の新設とともに、
私の研究室には、当時最高ランクのステレオリソグラフィが入り、
それから、3D-CADはほとんど使ってきました。
本来日本の発明が公的な認可がとれずにすっかり米国主導でした。
そして、今や、3Dプリンターが「流行」です。
しかし、その内容はほとんど見えていないことは事実です。
現にプリンターメーカーは手をこまねいてこのブームを見ています。
それは企業もしかり、行政もしかり、その親元の省庁に至っては、
質問をうけるたびに私は(・・・またきっと日本は負ける・・・)、
流行現象のガイドブックもあきれ果てる内容が膨大です。
今、海外製の新しい3Dプリンターは輸入が出来ません。
理由は簡単です。日本人の能力がこれを運用すれば、
3Dプリンターは「日本の産業」にしてしまうと疑っているのです。
当然です。今度は国外にこの技術と展開=3D-Printingを絶対に
彼らには私の理想は委ねないつもりでします。
大学人になってすぐ、新設のある大学院大学に行きました。
そこには皇太子殿下も見学された最新の光造形研究室がありました。
ころがっていたのは、ゴジラ=フィギュアです。「これに未来が?」
同行してもらった工学博士専門バリバリの教授が私に言いました。
「川崎、まさか光造形でフィギュアづくりはするなよ」と。
「光造形がフィギュア程度で終わるなら未来は無い」と叫びました。
なるほど、その後、光造形でフィギュア(=今ならiPhoneケース)、
私自身も3D-Printingでケースとブレスレットを創ってもらいました。
しかし、iPhoneケースの限界、その最高がはっきりしました。
3Dで、真のモノづくりをいよいよ私はこの仲間づくりを開始します。
具体的な展開とはこういうモノだ!そろそろ披露していきます。
3D-Printingをベースに、この産業化は日本が主導しましょう。
このグループへの参画を募集しますから私に連絡をください。
展開の具体化を見れば、これは日本だから「出来る」と
必ずわかってもらえると考えています。

『光造形から3D-Printingまでをプレゼン』
「3D-PRINTING阪大イベントで間に合わせてもらいました」


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『本日も審査だが、日本の船舶デザインをデザイン対象に』


   


     6月 6th, 2014  Posted 12:00 AM

この審査委員になり、しかも「関西海事教育アライアンス」で、
「海洋デザイン論」もすでに担当してから、
海事工学・港湾・船舶・造船などにも慣れてきました。
海洋国家である日本の海事産業から漁業・海洋開発・海事流通など、
日本人としての自覚はさらに明快になってきています。
日本の海事関連が今や産業としては困難な立場にあります。
だから、Car of the Yearはとても有名になってきていますが、
Ship of the Yearが存在していることを知ってもらいたいのです。
悲しいかな、遠洋漁業は国際ルールで、
これまで日本が培ってきた技法は全て使えなくなってきています。
オリンピックで日本選手がメダリストになると、
その競技ルールを変えて、日本人をメダリストにしない、
そんなことを海事産業で今年も強く感じました。
さらに、どれだけ世界の海には「海賊」が多くて、
その対戦技術が認められていないばっかりに、泣き寝入りか、
あるいは放棄せざるを得ないかなど、
審査会での審査プレゼンで聞くことができます。
今年度のグランプリは、いづれ発表されるでしょうが、
日本人のモノづくりは、そのような逆境をバネにして、
新たな造船を試みています。
私は、なんとかデザインの対象に造船をと望んできていますが、
この審査会でも「厳しい人」に見られているようです。
国際ルールに閉じ込められてしまう海事関連産業の革新性を
ともかく私は見つけ出したいと思っています。
いづれグランプリ造船や各分野の部門賞造船に注目して下さい。
いずれにせよ、海洋国家はもう一度、海洋関連産業には、
私は大きな夢がまだまだあると確信しています。
つまらないモノづくりには、やはりデザイナーの本音は守ります。 

「Ship of the Yearの審査員になって知ったこと」
「関西海事教育アライアンス・6年目の演習課題プレゼン」
「関西海事教育アライアンス・6年目」


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『Macの進化と自分の進化は使い分けるべきでしょう』


   


     6月 5th, 2014  Posted 12:00 AM

iOS7はジョブス氏の置き土産だったと思っています。
私はこれが画面表示技術の進歩が裏付けであり、
それこそカリグラフィーに表れていたことを言ってきました。
MacOS Xも進化してきましたが、
この二つのOSには棲み分けはもともとありません。
iPhoneとiPad、そうしてMacbookそれぞれの使い勝手でした。が、
私の期待はiOS8で進化したかも知れませんが革新は起こらずです。
折角、米国から最新状況を届けてもらえる方々には、
この評価と判断の基盤は知りつくされているのでしょうか?
無論、マイクロソフトには無関心であればあるほど、実際は、
iOSとMacOS Xがなぜこれら二つのOSが必然であったのかは
分かっていると私は判断しています。
基本は、XcodeでのJohn the Ripperを読み解く能力を
果たしてどれほど進化させているかが私は問題だと思っています。
根本は遠隔操作とその回線、パスワードファイル管理です。
私は次世代デザイナーによって不可欠なこととして、
Mac上でのプログラミング能力養成を言い続けてきました。
しかし、プログラミング能力はデザイン能力にはなりません。
これだけは強調しておきます。
なぜなら、このことを勘違いしている輩をやたら見かけるのです。
プログラマーはデザイナーには決して成り得ません。
デザイナーがプログラマーを基盤にしたところで、そんな輩には
決して、コンピュータの中に美を創出することは不可能です。
私が主張していることは、デザイナー能力にプログラミング能力、
この教育養成が必要だということです。
したがって、iOS8と新たなMacOS Xから革新的なディバイスと、
ネットワーク、特にパスワードファイルが生まれることです。
それが果たしてApple社からかどうかはまだ未明なことでした。
まず、MacユーザーもiPadユーザーもKeynoteを使うことです。
それをiOS8が支えてくれることを私は評価しています。
なぜなら、それが遠隔操作の表示インターフェイスでは、
この想像力がこれからもMaxと自分を分別していくでしょう。

『1984年からMacintoshとの付き合いが私の重大経験』
『Programmingが整ってきたのはMacの世界になったから』


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『「空港ゲート」に象徴されている持ち物検査』


   


     6月 4th, 2014  Posted 12:00 AM

まず、私はこの空港ゲートは通過不可能です。
それを証明するカードも持参していますが、
国内では使用したことがありません。
そして、特に国内の空港ゲート通過後の身体検査は適当です。
持ち物検査は確かに小学生の頃経験したことがありますが、
何の思い出もありません。しかし、空港ゲートでは、
嫌な思い出や、冗談を言いすぎて別室検査も受けました。
とても厳しくしかも嫌らしいほどだったのは、ワシントンでした。
ワシントンでは在日大使館参事が同行していたことなのか、
あるいは、日本人だったからなのか、
すでに過激な喧嘩寸前にまで私は激昂したことまであります。
ともかく、この持ち物検査をしなければならないほど、
国際関係では地球人全てが「性悪説」人間だということです。
最も「性善説」人間として国外に存在することは無謀過ぎます。
ともかく、このゲートは全く進化していないことは確実です。
私がこのゲートを通過してはいけないのは、
ICD(体内植え込み型除細動器)をしているからです。
しかも車倚子で、最近はリチウム電池電動車ですから、
空港ゲートに象徴されている持ち物検査は耐えきれない厳重さに、
私はいくつかのいたづらをついつい思いついてしまいます。
いけないことですが、この「性悪説」オンリー現代への
呪い返しなのかも知れません。
デザイナーとして、いつも思うのは、なんとか「性善説」という
そのようなゲート装置デザインと持ち物検査制度を望みます。
電動車椅子がこれから増加するでしょう。
体内への人工物埋め込みも増えてきますから、
このゲートそのものが一新されるデザインは不可欠です。
そして何よりも「性善説」地球人に人類は成長すべきですが、
これはほとんど不可能だと思っています。

「除細動器埋め込み入れ替えより生還」
『そろそろ電動車椅子デザインの時期=一人称デザイン』


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『「左手の論理」は左右利きを誘発する才能だと思う』


   


     6月 3rd, 2014  Posted 12:00 AM

左利きは生まれながらにして決まっていたらしい。
私が生まれると何でも左を使うということで、
左利きを矯正するために祖母は、
私の左手を着物と一緒に結わえていたと聞いていました。
ところが、私は直ぐにそれを懸命にほどいてしまったと聞きます。
幼稚園(どういうわけか私は幼稚園も転園?)時代は、
「周りがみんな左利き」と言い回っていたらしいのです。
その頃から、私は左右利きになり始めた記憶があります。
それは絵を描いて着色していくときに右手で塗ると早い!のです。
次には、英語を黒板に書くときに、
ハッと気づいたのは、英文は左手が便利で、漢字は右手でした。
美大では、自分の手を描く練習をさせられましたが、
なんと、これは私が教授になった最初の大学、
名古屋市立大学芸術工学部の最初の実技試験問題に成りました。
第一期生入学の倍率は40倍だったので、その実技採点では、
素晴らしい作品がありましたが、その数作は不合格でした。
印象に残っているのは、指紋のパターンで描かれた表現でした。
彼もしくは彼女に、私は才能を感じましたが不合格。
理由は、学科試験の点数倍率が高くて実技試験は付け足しでした。
学科と実技で、デザイナーの才能を分別することは不可能です。
それ以来、私は自分が左利きから左右利きになってきたことを
とても強く意識するようになり、仕事知識のために、
結局徹底的に知るようになったのは、手の筋肉と腱の構造でした。
なぜ、左利き?、理由は明快でした。
左手の腱には生まれついた強靭さがありました。
これがなぜ先天的なのかは不明ですが、反対に、右手で筆記、
特に漢字を書くことが右手の腱を鍛えたように感じています。
私にとって、両手の腱こそ、手の器用度を決定している能力、
すなわち、手にこそ才能が息づいていると確信しているほどです。

「私の教授室にはドラフターは2台」


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『隣国から必ず取り戻すべき「拉致被害者」の人々』


   


     6月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM

日本が正当な民主主義法治国家であるとするなら、
国民はその生命と財産は国家によって護らなければなりません。
しかし、私たちの同胞は、隣国の独裁国家によって、
「拉致」されたまま、救出することすら出来ません。
日本にとって最大で一番の問題だと私は考えています。
「隣人を愛せよ」とは隣人を愛することの不可能さへの戒厳です。
現政権にとって、様々な政策の最大目標への取り組みが
新たな進展を遂げようとしています。
ところが、この国家的なあり方を喪失している独裁政治の企み、
国民を独裁制で縛り付け、私たちには不可解過ぎる「拉致」へ
本当に「解放」をしてくれるのでしょうか。
拉致被害者の両親たちの方々もすでに高齢であり、
拉致された親子関係を壊された方々もいっぱいおられます。
私は単なる市井の人間にすぎず、この「拉致問題」には、
何もすることができません。
その無念さを書き留めなければなりませんが、同胞の生命が、
独裁国家の政治的な策略で失われることはあってはなりません。
拉致被害者をなんとしても解放と帰国を祈念しています。
拉致被害者を取り戻すためにこそ、国家・国民として、
この独裁国家へは、正当な防衛対策が昂じられるべきです。
もし私の親族であったとするなら、どれほどの苦しみでしょうか。
一日も早く、ではありません。
即刻、彼らを解放し、拉致かもしれない膨大な不明者を
なんとしても取り戻すべきです。
「隣国を愛せよ」とは、隣国の荒唐無稽さを仕方無く、
彼らの生命のために、堪忍せざるをえないということでしょうか。
拉致されたかも知れない人たちの膨大さに無念さは拡大します。

「拉致問題解決が先決、現代問題解決は不可能を表徴」
「同胞を救出せよ=わが国の最大的政治問題である」


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『画面の「峡額縁」スタイルでみるデザイン技術の進化を』


   


     6月 1st, 2014  Posted 12:00 AM

次世代デザイナーへの助言です。
TV画面、モニター画面、それぞれには額縁があります。
デザイナーにとって、画面額縁を無くしたい、と拘った経験、
これは画面設計に関わってきた担当デザイナーや技術者にとっては
一つの大きな目標だったことがあります。
私がモニター設計に関わり出した頃、
まず、ある液晶供給企業が、とりあえず、左右は同寸、
けれども上下、上は狭く、下が広い時期がありました。
その頃は、どうしてもこのスタイルに私は納得できず、
それなら、上下左右を同寸にしていた時期がありました。
やがて、モニター画面の額縁が12mm程度になって、
世界で初めて「峡額縁」モニターデザインをしました。
上下左右をすべて同寸の額縁にしたところ、
あるメーカーは、供給メーカーそのまま左右と上下寸法違いを
商品化しましたが、すぐに市場から消えていきました。
まだ、19インチ時代でした。
それが最近4Kテレビ時代になって、「峡額縁」TVが出現しました。
私は、この進化は素晴らしいと評価しています。
最も、TV画面の峡額縁は韓国で提案されましたが、
それは液晶提供メーカーが韓国製になってきたことが原因です。
そして、担当デザイナーたちが、
どうせTVは額縁のデザインだと聞くと腹立たしくなります。
なぜなら、「峡額縁」の進化ゆえに可能になってきたデザイン、
そのあり方を放棄しているようにしか見えません。
日本の額縁デザインで視覚情報を縁取るべきです。
それこそ、画面は情報の表示形式です。それゆえに、
情報の額縁に拘っているようでは、画面情報には、
写し、映されることで、視覚化情報は「移され、撮されて」、
見る・観る・視る・診る・看る・覧るという、これだけの
視覚情報が「縁取られる」ことを重視すべきだと思います。

『画像と映像の機器をデザインしてきて・・・』
『TV画面=画像と映像の現代的なまとまり』


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『電気には「質」がありそれは正弦波測定で確かめられます』


   


     5月 31st, 2014  Posted 12:00 AM

学生達に講義をすれば、
みんな真剣に再生エネルギー問題や原子力発電方式を熟考します。
これからの新しいリーダー達には大きなテーマですが、彼らは、
「電気=交流100V・50Hz/60Hz」はすべて同一だと思っています。
50Hzと60Hzに、すでに「電気の質」があることには無知です。
「飲める水と飲まない水がある」、もう一人の教授の言葉でした。
とても良い表現だと思います。
オーディオマニアなら、単に家庭内に引き込まれる交流電源を、
私は、自宅の電源を正当な基準正弦波にし直しています。
出力電圧波形を1秒間に51200回/50Hz・61440回/60Hzという
常時、再生音基準に正当な正弦波にする装置を使っています。
当然、この電源コードもメディカルコード(医療機器専用)です。
つまり、供給されてくる電流は歪んでいます。
それこそ、電柱にあるトランスを「自分用」にして、
せめて家庭内の電流と電圧は正弦波を常に一定にすることです。
オーディオマニアならば、再生音をパワーアンプだけでも、
常時一定にしてほしいのですが、そのことに熟知するには、
私はともかくオーディオマニアになってもらわないと不明です。
自宅にもどって、この装置がその後進化しているかどうかを
あらためて調べてみました。
そうしてとても驚いたのはこの装置メーカーが倒産していました。
それは日本人がいかに正弦波で、出力電流を一定化することを
忘れてしまっているかということです。
本来ならば、各電力会社は交流分配の家庭内装置には、
正当な出力装置までを設置することこそ私は義務だと思っています。
それすら出来ない電力会社は、発電・変電・送電・蓄電、
それぞれを分業起業化する時代になってきていることを
企業倫理として自覚すべきだと私は強力強引に主張しておきます。

「アンプジラ・パワーアンプ(電質)の音響聴覚」
「わが家PCオーディオのセンターは、まず音像」


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