kazuo kawasaki's official blog

『選挙の再検討・民主主義の限界が来ているのだろうか?』


   


     3月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

大阪市の市民になって8年目になります。
大阪市への期待は裏切られていると明言しなければなりません。
大阪市のイメージは、全国的にも悪評がすべて第一位なのです。
ひったくり事件や、振込詐欺被害など悪評が一杯の街です。
選挙には真面目に、たった一票の重みを真剣に考える私でした。
しかし、大阪市長選挙には参画を敢えてしませんでした。
4人にひとりが投票したから、「正当な民主主義」?
そうでしょうか?
大きな大疑問です!
選挙で選び直された市長の政治理念=民主主義だというなら、
大阪市の市政は崩壊してしまったと私は私的公的にそう思います。
一人の市長の「大阪都市構想」には、
しみじみと了解できることも相当に多いのですが、
施政者の人格性を大きく疑いたくなります。
報道番組の評判をすべて理解することも私は絶対にしませんが、
市長という施政者の理念表現を、「選挙」でしか決められない、
だとするなら、「選挙」そのものがもはや大間違いでしょう。
少なからず、今回の大阪市長選には「傲慢さ」しか見えません。
4人のうちの3人は、すべてがどうでもいいか、
あるいはNO!だというのがこの選挙の結果だと私は思います。
現実今は「都市構想の前に」、南海トラフ=天災への準備が優先。
民主主義の基本だから「選挙」でいい、って事が正解でしょうか?
もう一度、私の意見は「都市構想」はあるべきでしょう。
しかしその施政者の能力判定が今回の「選挙」手法だったのです。
私にとって、私の一票を主張することを辞めました。
「選挙」という手法はこの一人の横暴さで壊れたと思っています。
そういう意味では民主主義と選挙を再考させてくれた市長です。

「投票後、御堂筋の光の中へそして選挙過程から」
「公私の形象概念・再認識するための手法が選挙」
「大阪は革新都市になりうるだろうか」
「『多様性』と決定原則=多数決の剥離」


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『写真・カメラの進化とともに個人情報の増大』


   


     3月 24th, 2014  Posted 12:00 AM

    銀塩フィルムが消滅するという1970年の予告から、
    フィルムからメモリーカード、そして、ポラロイド瞬間焼き増し、
    これは写真とカメラを相当に進化させてきました。
    私の側に、カメラが本格的にやってきたのは、
    美大時代に相当に自学しました。
    そのこともあってカメラ収集には自分なりの境界も設定しました。
    おそらく、自分のカメラへの物欲はどこかで抑えないと、
    モノの収集と、写真撮影の技能アップは遊離してしまうだろう、
    真剣に考え抜いたことがあります。
    特に、デジタルカメラになってからは新製品が発表される毎に、
    その性能を追い求めてしまうのは癖になっていました。
    今、私にとって、最高に難しいのはライカM8です。
    正直このM8は発表とともに入手しバージョンアップしてきました。
    しかし、これでの撮影は本当に困難です。
    M8周辺のレンズもそれなりに具えていますが、撮影困難です。
    そして、国産のチェキも進化してきました。
    メモづくりには至極簡単です。
    私はデジタルカメラの進化で、みんなが写真撮影には慣れました。
    これは21世紀個人情報の視覚化では大変な事態が進行しています。
    しかもケータイでの撮影までが日常化して、
    格段に個人情報撮影と蓄積を増加しています。
    今、私たちが明らかにすべきことは、写真という情報形式、
    この個人的、社会的、公共的なあり方を整理すべきでしょう。
    私はあえて、デジタルカメラやチェキのTipsを学び直しています。
    なんとしても、難しいカメラを使いこなしたい。
    簡単な撮影だけに、その奥深さを知り尽くしたい。
    私は、このブログも単純に撮影しています。
    それは、シャッターを押す、という行為で自分の視覚を、
    しっかりと確認することも大事な生きがいだと思うからです。

    「トイカメラってかなりスゴイことになってます」
    「カメラ修行は今なお・・・」


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『携帯する「スケッチ帖」とボールペン』


   


     3月 23rd, 2014  Posted 12:00 AM

私は「手帳」と「手帖」を明確に区分してきました。
単純にテチョウとは呼んでほしくないのです。
なぜなら書くこと描くことに日本の伝統は詳細に決めてきました。
私にとって描くことは、ほとんど息をしているに等しい行為です。
私がこの手帖を見つけたのは、
たまたま、このブランドメーカーから、
そのメーカーの商品にスケッチを描いて展覧会参加をうけました。
まさか、このテチョウメーカーに、「ジャパニーズシリーズ」と、
名付けられたテチョウがあるとは思ってもいませんでした。
それから使い始めて、この便利さがすっかり気に入ってしまい、
とうとうこのシリーズを探しましたが、
輸入して、しかも名入りにするところを一社見つけました。
「ジャパニーズシリーズ」と名付けている知識に、
日本には、「手帳」と「手帖」があると知っていたのでしょうか。
いわば、蛇腹タイプと呼ばれていますが、
これこそまさに、和紙文化から生まれた巻紙そのままに、
「手帖」と成し遂げた、素晴らしい文化を表しています。
「手帳」には一頁毎の「書き付けること」に限界があります。
しかし、「手帖」となれば、相当に大きさには自由度があります。
私は勧めたいと思っています。
スケッチを描くなら「手帖」であるべきだということです。
とりあえず、ボールペンスケッチを主としている私は、
「ダ・ヴィンチ」というボールペンがふさわしく思いました。
私の先祖・江戸時代に描かれた図面は発想がふくらめばそのまま、
図面用紙は貼り付けられて大きくなっていました。
発想の限界は、「手帳」であってはならないのです。
「手帖」には発想を制限する紙幅に大きな自由度があることです。
私は、日本文化が生み出した「手帖」は
「手帳」を超えた性能性・効能性が機能性を明確にしています。

「手帳・これらのリフィールとペンには進化がありました」
「ボールペンスケッチのためのモレスキン」

http://www.moleskine.com/documents/10192/11200/detour_tokyo.pdf


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『日常の万年筆を変えられないが見えてくるモノとコト』


   


     3月 22nd, 2014  Posted 12:00 AM

今年の万年筆その工業性と工芸性が低迷していると判断してます。
したがって、私の日常性、持ち歩く万年筆とペアの筆記具は、
この三種類に決まってきていることに気づきました。
とりあえず、65歳になった私の持ちものとして記録しておきます。
工芸性と品質性は、それぞれのブランド=企業理念表現に、
見事に適応しています。
なにしろ、私のセンス判断は文字と筆記具には評価軸があります。
最大の理由は、「字はその人を表す」ことを盲信してきたこと、
さらにプロのデザイナーとして特に、万年筆には想いがあります。
たとえば、国際政治のサミットでは、
その会議対応の万年筆が選ばれることになっています。
それは、国際的な調印をシンボル化する「筆跡」支援の道具です。
この道具・万年筆には会議主催国家のセンスがあるのでしょう。
私は万年筆が「表現のツール」であったことを歴史が立証です。
よく雑誌には、著名人とその人好みの万年筆が紹介されます。
私はこれを見る度に、紹介されたいわば文化人の意識を見ます。
いくつかの判断や評価は書き残しませんが、
海外では、日本の著名人の万年筆選びの貧弱さが書かれます。
それゆえか、日本の万年筆メーカーのブランド性はありません。
海外向けの特殊ブランドを国内で使用している人を知りません。
さて、なぜ、私は万年筆を取り上げているかというと、
それには「文字」との関係性のモノ・筆記具がそのまま、
日本人の知的活動能力の評価軸だと思うわけです。
腕時計、鞄、靴などが行動能力の評価軸になるのと等しいのです。
私自身、万年筆のコレクションとその内容は趣味ですが、
それをこえて、デザイナーとして、アナログ性・デジタル性、
そして、時代性としての自己ファッション性と連鎖しています。

「ブルーを持ち歩くというファッションとデザイン効果」


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『モノは貧しくなっているのかもしれない』


   


     3月 21st, 2014  Posted 12:00 AM

毎年、私は万年筆のカタログで、モノの豊かさを確かめます。
確かに、私たちの世界はデジタルな機器や装置で、
特に「文字」つまり表現を表す世界世界観は格段に進化しました。
人間の日常的なモノの世界も、もの凄く拡張しています。
世の中のモノそのものの多種多様さは驚くばかりです。
しかし、私は「万年筆」というモノを極度に大好きですから、
この世界はつぶさに見、また、自分の欲望=欲しいと熱望します。
無論、昨年、あるメーカーは一つの革命・発明をしました。
けれども、この2年ほどで、いわゆる工業性と工芸性、
これらの表現力は格段に後退していると判断しています。
万年筆の値段で言えば、最高級は2800万円程度のモノは、
もうほとんど不可能になってきたようです。
確かに、筆記具自体は、鉛筆も進化していますし、もはや鉛筆、
この存在はすっかりシャープペンシルになりました。
文字の表現においては万年筆への工芸度の技能と技術は
年毎に、手造りという技能は激減しているのです。
私はたかが万年筆の工業性と工芸性に世界の豊かさを見ています。
では万年筆に変わってデジタルペンやスタイラスがありますが、
絢爛豪華ともし呼ぶとするなら、そのような表現性はありません。
だから、たかだか万年筆だけを見て来ても、世界は貧しいのです。
それでも、ブランド性だとか高級感だとか、時代の普遍性などは、
もう一度、モノの「豊かさ」で評価すべきことなのです。
なぜなら、鉛筆・スタイラスペン・ボールペン、そして万年筆は、
人間にとって、「何が重大なことでしょうか?」、この質問は、
とりもなおさず、そのモノ=万年筆と使い手の関係性です。
つまり、貧しい人間になってはいけないのです。
真に豊かな人間とは、この筆記具の一つである万年筆一本でも、
それが「豊かなファッション性」なのです。
これすら見えていない人間はその「生」までも貧しいと思います。

『ペン・ボールペン、そしてスタイラス、この進化を追う』
「机上の一本はスケッチ用万年筆」
「今年革新だった万年筆を再度確認」


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『残してくれたことば=書籍表紙のアイコンが似合った男』


   


     3月 20th, 2014  Posted 12:04 AM

今日、藤巻氏はこの世から、あの世へ「死者の書」によれば、
49日の旅路に向かうでしょう。
彼の自宅で本当に彼の正装で眠る姿で、現実=彼の死を自覚しました。
私の前では、二つの表情がありました。
出逢えば、人なつっこい笑顔、ところが、私が真面目な話をし出すと、
まさに直立不動かと思うほど、それもエネルギッシュな姿でした。
54年間、おおよそ30年間に彼は著作を残して逝きました。
彼が自宅で横たわる枕元にも数冊の諸作がありました。
あらためて彼の著作を見直してみると、ほとんどの著作には、
イガグリ頭で、笑顔がそのまま表紙のアイコンになっています。
まさに「商売人」と言っても、彼の「商売のエッセンス」にどれだけ多くの
ファン=読者を持ったことでしょうか。
マーケッティング=商売そのものを彼は活き活き元気に語れた男です。
これが彼の体験と未来への想いのホンの一部だったと思います。
出来るならば、もう一度、彼のことばに沈み込んでみたいと思います。
商売まっしぐらの中に、ファッションを根幹にして、
デザインへ真正面に取り組もうと私に質問をぶつけていました。
そのとき、彼がハッとしたときには、至極真面目な表情になります。
私は、そんな彼を見たくて、相当にお説教もしたものでした。
納得したときには、もうこぼれるような笑顔は、
元気そのもののまさに表紙のアイコンでした。
彼の死に出逢ったとき、「藤巻、これはないだろう!」、
私は最初にそう呼ばざるをえませんでした。
見せたかった「繊維の本質・感性評価」のために、
昨夜は、ふるさと福井で繊維の記号開発メンバーに言いました。
かつての織物職人は、真っ暗闇の倉庫の中で、
繊維の中に両手を入れれば、
それが、どんな反物であったかがすぐに分かっていました。
この基準化と標準化を私は成し遂げるつもりです。
それが、笑顔の藤巻氏への私なりの役割だと思っているからです。


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『画像映像機器の技術要素の変遷とともに羽織ゴロがいる』


   


     3月 19th, 2014  Posted 12:00 AM

20世紀を前に、CRT・ブラウン管から、プラズマそして液晶が、
画像映像の技術要素でした。
私は子供の頃テレビが自宅に来て、気づけば、
ディスプレーからモニター機器のデザイン、その最先端技術を
プロとして追いかけ商品化してきました。
徹底的にプラズマ批判をやり、そのことで私自身が、
それこそメーカーはじめ掲示板非難をどれほど受けたでしょうか。
しかし、私の批判は案の上見事に的中していました。
プラズマ批判に対して私を誹謗した連中は匿名性に隠れた発言を
どれほど繰り返していたことでしょうか。
私は、こうしたモニター出現こそ、情報をプライバシー、
それも匿名性の中でこそ発信出来るという浅はかさを発見。
今や、液晶画面はモニターからパッド、ケータイ、カメラまで、
私たちは画像映像情報を、あたかも情報化民主主義のごとく、
大きな勘違いをし始めているようです。
その代表例にはテレビマスコミの勘違いが世情をねじ曲げ、
情報民主主義に民主主義そのものまで歪曲化させているのです。
やがて画像映像情報は、ウェラブルPCやHMD(=スカウター)上でも
液晶技術の進化を引き込んでいくでしょう。
願わくば、情報民主主義がまずはマスコミ=羽織ゴロからの
様々な逸脱を機器デザインから外していく必要があるようです。
羽織ゴロとは新聞が登場した時に報道の偽情報化記者の事です。
私は技術要素としてプラズマを全否定したごとく、
とりあえずは液晶ディバイスの進化とその表現実務でのデザインを
もう一度、正当な情報化民主主義に適用させたいと考えています。
その一つをあげておきます。
ネットワーク・インターネットで商業主義(金儲け)でのみ、
情報化の進展を語り始めている新たな羽織ゴロの存在があります。

「プラズマTV商品問題に例示される未然技術」
「ブルー青色へのヒューマン・ファクター問題」


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『藤巻幸大氏という「男」、その存在とデザイン』


   


     3月 18th, 2014  Posted 12:00 AM

藤巻幸大といえば世間では「カリスマバイヤー」として著名です。
彼に声をかけられたのは、私の眼鏡フレームデザインからでした。
もう一般化した「DESIGN TOKYO」の仕掛けとデザインコンペも
その審査をしてもらっていました。
そして、彼をTV画面・国会中継で目にしてから、
直接、「議員になってしまいました」と聞いて大変驚愕でした。
あれほど、損得無く一心不乱に政治に取り組んだ人物を
私は間近でみた「男」だと確信しています。
正直、デザインと政治は本来は深い関係であるべきですが、
私は政界も学界もデザイン界も、ともかく人が集団化した「界」、
そうした「界」にはできる限り距離をおくべきと思っています。
なぜなら私の理想あるいは野心は必ずその裏切りがあるからです。
もう裏切られることからは白楽天の想いがいっぱいです。
しかし、藤巻という人物は全く異なっていましたから、
私自身彼の厳密さと繊細さが政界ではと一抹の不安がありました。
時折、入院するほど身体は弱かったようでした。
彼の所属政党を不信せざるをえなかったことを、
彼は「変わる、変える!」と言って、「結いの党」になりましたが、
その新党のイベントから姿が見えなくなりとても不安でした。
とうとう手紙を病院へということになりましたが早世しました。
54歳です。2050年ー私は居ないけれどという話をしました。
彼にはそこを超える理念の国士であったはずでした。
日本の政治に「デザイン」は、思いがけなくも、
野党でありながらも、国政に持ち込める唯一の存在でした。
明日、いや本日彼に会って来ます。
彼を失ったことは日本の「ファッション・デザイン・ブランド」、
この大切な制度設計の基盤固めの重大人物を失いました。
彼の49日の冥途への旅路の安全を祈るばかりです。

「政界に初めてデザインを持ち込んでくれた男・藤巻議員」


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『政界に初めてデザインを持ち込んでくれた男・藤巻議員』


   


     3月 17th, 2014  Posted 12:00 AM

藤巻幸夫(幸大)氏が54で逝ってしまったのです。
早すぎます。
人生はかくまでも様々過ぎる試練を与えてくれるのです。
悔やまれてなりません。
昨年末から秘書の方、娘さん、許嫁の方、
そして彼を現実に見守っていた主治医の女医さん。
いい病院にいるから、しばしの休息後、この春からは・・・、と。
先般、上京中も常時、気がかりであり、そろそろ退院後の活動だ!
彼は繊細な神経ゆえにあの世界は厳しかったのかもしれません。
政治界に入らざるをえなかったけれどもっとアバウトでもいい、
私は入院した彼に、そんな手紙を送りました。
まさかです。
娘さんから電話を受け、もう言葉が無くなってしまいました。
彼が、初めて私を彼の政治パーティに呼んでくれました。
彼には稲田国務大臣に会ってもらい、結局この食事が最期でした。
あの日の後に彼は入院したのです。
「ファッション・デザイン・ブランド」これらデザインの核心を
日本の政界に初めてもち込んでくれた人物です。
だからそのバックアップは、と蓄積をし、この4月から!・・・
今となっては思い出でになりましたが、
「最近よく国会で発言してるね?」「政治家になったんです」。
「君の政党、好きじゃ無い」「間もなく変わりますから」。
「政界にデザインの真意を!」「もっと詳しく・・・」。
藤巻さん、準備して蓄えてきたよ。
クールジャパンも、3.11以後のことも、あのプロジェクトも、

「川崎さん、もっと東京に出てきてよ」・・・
彼のパーティで、初めて彼は私に語ってくれたことでした。
無念です。

『「デザイン」=本来は政策に直結すべきだ!』


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『画像と映像の機器をデザインしてきて・・・』


   


     3月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

私の家にテレビが来たのは小学校4年生の頃だったと思います。
テレビが来る日は、学校から懸命に走って帰った経験があります。
ブラウン管(=CRT)には、まず私はテレビから接してきました。
デザイナーのプロとして、コンピュータモニター設計に関わり、
CRTの最期まで私のモニターは全世界に10年間存在しました。
CRTから液晶ディバイスの技術進化=リゾルーション、
画像映像の繊細画面に至る経過を見てきました。
これは、テレビにしろコンピュータモニターにしろ、
人類が、紙や映画スクリーンに加えて、多くの映像情報を
日常的に膨大情報化の歴史を技術と生活にデザインを試みました。
モニターは1995年から関わり20世紀最後にCRTは消滅しました。
それから液晶ディバイスに関わってきています。
これには人類が画像と映像を手に入れる技術を具体的機器にする、
多くのインタラクションをさらに拡大していくことになりました。
それは「プライバシー」の概念をさらに子細にしていきました。
端的には、他人から観られない状態から、
自分が自由に情報を画像映像として発信していく自由性そのものが
堅固に保全されるということにまで至りました。
すなわち、画像映像の情報を、テレビよりパソコンなればこそ、
素人でも、技能なくても、自由に拡大=拡散させる権利までを
公認と民主化させてしまったということです。
つまり、CRTでは無理だったことが液晶ディバイスなら、
もっともっと拡散し、あたかも自由性が保障されている大錯覚まで
人類は無法化させていると言っても過言ではありません。
結局テレビ放送からSNSで個人でも発信民主主義があるようです。
私はこの無法的な自由放散性をデザインで再度修繕すべきとさえ、
考えるようになってきています。
それはCRT最期の最高技術の機器をデザインできた幸運ゆえに、
この発言をしていけるのだと自負しています。

「プライバシーという人権の荒唐無稽さ」
「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」


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