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『モノは貧しくなっているのかもしれない』


   


     3月 21st, 2014  Posted 12:00 AM

毎年、私は万年筆のカタログで、モノの豊かさを確かめます。
確かに、私たちの世界はデジタルな機器や装置で、
特に「文字」つまり表現を表す世界世界観は格段に進化しました。
人間の日常的なモノの世界も、もの凄く拡張しています。
世の中のモノそのものの多種多様さは驚くばかりです。
しかし、私は「万年筆」というモノを極度に大好きですから、
この世界はつぶさに見、また、自分の欲望=欲しいと熱望します。
無論、昨年、あるメーカーは一つの革命・発明をしました。
けれども、この2年ほどで、いわゆる工業性と工芸性、
これらの表現力は格段に後退していると判断しています。
万年筆の値段で言えば、最高級は2800万円程度のモノは、
もうほとんど不可能になってきたようです。
確かに、筆記具自体は、鉛筆も進化していますし、もはや鉛筆、
この存在はすっかりシャープペンシルになりました。
文字の表現においては万年筆への工芸度の技能と技術は
年毎に、手造りという技能は激減しているのです。
私はたかが万年筆の工業性と工芸性に世界の豊かさを見ています。
では万年筆に変わってデジタルペンやスタイラスがありますが、
絢爛豪華ともし呼ぶとするなら、そのような表現性はありません。
だから、たかだか万年筆だけを見て来ても、世界は貧しいのです。
それでも、ブランド性だとか高級感だとか、時代の普遍性などは、
もう一度、モノの「豊かさ」で評価すべきことなのです。
なぜなら、鉛筆・スタイラスペン・ボールペン、そして万年筆は、
人間にとって、「何が重大なことでしょうか?」、この質問は、
とりもなおさず、そのモノ=万年筆と使い手の関係性です。
つまり、貧しい人間になってはいけないのです。
真に豊かな人間とは、この筆記具の一つである万年筆一本でも、
それが「豊かなファッション性」なのです。
これすら見えていない人間はその「生」までも貧しいと思います。

『ペン・ボールペン、そしてスタイラス、この進化を追う』
「机上の一本はスケッチ用万年筆」
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