8月 12th, 2014 Posted 4:56 AM

デザインは問題解決の実務手法として、
今、流行中の「インクルーシブデザイン」ではとても間違いが多く、
そのことに書かれた本では、実感が皆無だと感じていました。
そこで、医学系研究科の看護学と保健学から、
「自然科学系と人文科学系の融合への位置づけ」という提案があり、
早速、そのことを追いかけ直して、資料を作成しました。
それは「人材育成」を危機解決のために、
基礎工学・工学・医学系の医学・看護学・保健学を融合し統合を
来春、阪大から発信するための準備資料づくりでした。
造形言語(デザイン意図)意味すること、と
形態言語(デザイン内容)意味されることは、
すでに博士号学位論文として公認されていることですから、
新たに「コンシリエントデザイン」はデザイン文理学を母体にした、
デザイン理工学・デザイン医工学・デザイン政経学を整理できます。
間違いだらけの「インクルーシブデザイン」では解釈不可能なことを
信頼する教授から、その基礎学も指導されて辿りつきました。
「インクルーシブデザイン」で語られる排他主義では無い、
包括デザインなどという訳語認識にこそ実感の無い著述があります。
私が正式に大学側に差し出すことで悩んでいたことがすっかりと
解消されたことになりました。
この資料づくりから、提示されることでこそ、なんとか、
大学での学術的な融合と統合を背景にして産業経済でのデザインを
議論に持ち込むことが見えてきたようです。
これからさらに「デザイン」の奪格頭語として「コンシリエント」を
持ち出すことが可能になってきたようです。
今後は、この論理構築を形態設計から制度設計に拡大していきます。
これからのデザイン学の焦点化が出来ました。
consilience
agreement between the approaches to a topic of different academic subjects, especially science and the humanities.
形容詞は consilient
Tags: インクルーシブデザイン, コンシリエンス, コンシリエントデザイン, デザイン学の焦点化, デザイン文理学, デザイン理工学・デザイン医工学・デザイン政経学, 保健学, 制度設計, 包括デザイン, 医学系研究科, 博士号学位論文, 問題解決, 基礎工学・工学・医学系, 奪格頭語, 学術的な融合と統合, 実務手法, 形態言語(デザイン内容)意味されること, 形態設計, 排他主義, 産業経済でのデザイン, 看護学, 自然科学系と人文科学系の融合への位置づけ, 造形言語(デザイン意図)意味すること
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
8月 11th, 2014 Posted 12:00 AM

いち早くMacintoshを道具にしてきた私にとって、
いつでもPCの携帯性では電源を72時間は確保することにしています。
そして、現状ではMacbookAir11とChrome11を使い分けしています。
USBコードは自分用はDIYもしています。
最近OSは、MacOS XとChromeOSの併用が面白いと思っています。
ともかく、「情報装置を最新にする」ことはリーダーの基本です。
日本の技術は何でも最高だと思い込んでいる人が多すぎます。
もうそんな時代に日本の存在感は薄れていることも理解すべきです。
HPのChromeOS with Googleは未来を捉えているPCかも知れません。
ソニーがVAIOを事業から手放した企業戦略は、AIBOさえ辞めたことは
間違い無く、日本の存在感を失ってきている証拠かもしれません。
急速充電バッテリーの容量は増強されてきていますが、
今なお、発電・送電・変電が電力会社に統轄されていることや、
再生可能エネルギーで、ソーラー発電、風力発電では無理なこと。
その十分な知識がマスコミ・ジャーナリズムには大欠落です。
PCの携帯化を支えているのは、スマートフォンとパッドがあります。
したがって、これらの電源確保には智恵を使う必要があります。
既製品も徹底的に自分用は自作しなければならないほど、
パソコン周辺機器メーカーにはその発想も欠落しているほどです。
その上にウェアラブルPCの登場、3D-PRINTER、PCメガネまでも
一般的には相当の知識不足を私は感じていますから、ついつい、
どうも上から目線になってしまいますが、結局は、
PC周辺の携帯性を支える電源というエネルギーと全ての使い勝手に
私は一般的なマン・マシン・インターフェイス思想の貧弱さを
感じ取ってしまうからです。
だから、駄目なコトにはいつでも喧嘩を仕掛けなければ、
いつまでたっても日本はますます貧しくなっていくのでしょう。
Tags: 3D Printer, 72時間, aibo, Chrome11, ChromeOS, ChromeOS with Google, DIY, HP, MacbookAir11, Machintosh, MacOS X, PCメガネ, PCモバイル性, USBコード, VAIO, ウエラブルPC, コネクター, ソーラー発電, パソコン周辺機器メーカー, マスコミ・ジャーナリズム, マン・マシン・インターフェイス, 充電池, 急速充電バッテリー, 情報装置を最新, 日本は貧しい, 源確保, 発電・送電・変電, 風力発電
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
8月 10th, 2014 Posted 12:00 AM

絹織物の歴史は奈良時代から養蚕=繭から生糸の智恵が進化します。
明治期には生糸の輸出では、限界がきますが、
由利公正は、橋本左内と横井小楠から学んだ殖産製造制度から、
欧州視察で絹織物の実際を見聞して、織物職人3名を派遣します。
彼らは、富岡製糸場を指導し、西陣織りを再興して、
その技術に、経糸を二本に緯糸一本で「羽二重」という光絹技術が
やがて人絹となって、現代のポリエステル産業につながっていきます。
明治期が始まる大きな要素は、適塾・ペリー来航・安政の大獄、
ここから、咸臨丸の渡航1860から、1870年代にようやく、
わが国の文明開化の中軸は織物産業が輸出経済となったことです。
私は1800年代の歴史は徹底的に暗記するほど、
この頃の産業全体を関係づけてきたと思っています。が、
いつも、幕藩体制の維新が決して無血革命ではなく、
安政年間のあまりにも悲惨なこと、安政の大獄と安政の大地震が
現代への歴史起点だったと何度も確認しています。
小説では坂本龍馬や福澤諭吉に焦点があてられていて、それこそが、
あたかも歴史の体裁になっていますがこの大誤解に対抗しています。
わが最大の敬愛者・橋本左内は26歳で斬首され、龍馬も暗殺、
横井小楠も大誤解のなかで暗殺されてしまうのです。
生きのびたことが歴史に燦然と輝いてしまいます。
由利公正(藩士・三岡三郎)は五箇条のご誓文=船中八策原本と
銀座がレンガづくりの都市計画になりますが、
やはり、私には、日本が明治期を迎えて、文明開化の華やかさには、
一方で、大獄と大飢饉があり、斬首と暗殺の歴史哀情に悲嘆します。
特に橋本左内は16歳で「啓発録」を書き26歳までのたった10年間に、
凝縮された思想と行動に限り無い敬意を抱いています。
新ブランドの最初「O-FUKUSA」は彼へのオマージュです。
「蚕・繭・絹・・・観察が『技』を決める」
「『SILK』Projectが示唆している重大さ」
「芸術という技法が引用したことから」
「憧憬の人物、その実筆書状を探す」
「会えずとも、誤解されようが・・・私は語り継ぎます。」
Tags: O-FUKUSA, オマージュ, ポリエステル産業, 三岡三郎, 五箇条のご誓文, 人絹, 咸臨丸, 啓発録, 坂本龍馬, 奈良時代, 安政の大地震、安政の大獄, 富岡製糸場, 幕藩体制, 文明開化, 斬首, 明治期, 暗殺, 横井小楠, 橋本左内, 欧州視察, 殖産製造制度, 無血革命, 生糸, 由利公正, 福澤諭吉, 絹織物, 維新, 織物産業, 繭, 羽二重, 船中八策, 西陣織, 適塾・ペリー来航・安政の大獄, 養蚕
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
8月 9th, 2014 Posted 12:00 AM

器械という言葉は機械以前の言葉です。
器械であれ、機械は民族の文明を守る武器・戦に繋がります。
したがって、私は機械という言葉よりも「機器」こそ現代的と主張。
なぜならば、機器は機=機織りと器=食器こそ、
人間が寒さから護られ、人間の飢えをしのぐ器ゆえに、
機器こそ文明の根本だと言い続けてきました。
機織りには、布・織物・繊維の世界が広がっています。
布は人類それぞれの文明がそれぞれの文化形成を支えてきています。
ハンカチーフは、まさにスカーフ=頭を覆う布が携帯的はモノ世界。
日本には風呂敷の文化が伝統として、着物の周囲にありました。
そして、その布については、
かたちを持たないことが思想や倫理観、宗教にまで連鎖しています。
最近は、風呂敷という極めて単純な収納用品の見直しがあります。
しかし、私が実につまらないのは、
デザイナーが風呂敷をデザイン対象にしたとき、
そのほとんどが風呂敷装飾をデザインだという勘違いを見つけます。
風呂敷をデザインで、しかも伝統から再発見するには、
基本は、布はかたちをもたない、水のごときモノであり、包むこと、
それは「つつましさ」という思想にまで辿り付き、
やがて、風呂敷が文明から文化になっていくときには、
袱紗という風呂敷が二重になったモノの存在が品性を生み出すこと。
それは、袱紗が儀式性のモノの物語り背景を持っていることです。
端的には茶道には袱紗扱いが作法化されることで、
人の指先で、単純さの極限にまで指使いが品格性を高めています。
私は、布→絹→羽二重を追い求めてきて、
大袱紗の製品デザインの開発をしてきました。
あえて、私は「O-FUKUSA」をこの秋に発表するつもりです。
Tags: O-FUKUSAE, スカーフ, つつましさ, ハンカチーフ, 作法化, 儀式性, 包む, 収納用品, 器=食器, 器械, 大袱紗, 宗教, 寒さ, 布, 思想や倫理観, 文化, 文明から文, 文明の根本, 機=機織り, 機器, 機械, 武器・戦, 物語, 着物, 絹, 羽二重, 茶道, 袱紗, 袱紗扱い, 風呂敷, 飢え
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
8月 8th, 2014 Posted 12:00 AM

多分「イーゼル=画架」と馴染んだ経験がある人は数少なく、
美術との関係がある人たちだと思っています。
私自身、イーゼルと出会ったのは、美大の実技試験の時が始めて。
美大入試は、学科試験でおおよそ15倍程度だったと思います。
鉛筆デッサンと水彩画を2日間、朝から夕方まで、
課題をデッサン対象に向けて描いた思い出がはっきりとあります。
7人でデッサン対象を取り囲んで描いていましたから、
二つのグループから一人が合格では、と推測をし、
初めて鉛筆デッサンと水彩画を描いて、周囲の圧倒的な巧さに、
私は仰天しこれでは全く合格は出来ないと思い知らされました。
運良く、美大に進学し、1、2年次までは、石膏デッサンや、
改めて鉛筆デッサン、水彩画で、徹底的な指導を受けざるをえず、
いつもやり直しを命ぜられるほどの有様であり、悩んでいました。
英語は今や国際語になっていますが、それはそれぞれの国家文化が、
英語という言葉に多大な影響を与えていたことを後に知ります。
easel、sketch、landscapeなど美術用語である言葉は、
すべからくオランダ文化を英語は引き受けていたということです。
これらの言葉は、17世紀に、ルーベンス、ヴァン・ダイクや
レンブラントなどフランドル派の画家達が世界からも称讃を受け、
オランダが航海技術で海洋大国であったことからです。
当然、イタリア文化からは美術関係や音楽関係の言葉があり、
ドイツ語圏からは化学や鉱物学用語が英語を豊にしていました。
この形跡は「オックスフォード英語辞典」では、時期も明らかです。
たとえば、日本文化から英語への転化は、
16世紀には、kuge、 bonze、17世紀にはkatana、 shougun、 inro、
18世紀には、zazen、 zen、19世紀に、kimono、bushidoなどが
次第に数多く英語に日本語が取り入れられていきます。
今、私は布=nuno、羽二重=hubtaeを英語に加えていきたいと
デザイン戦略を練っています。
特に、hari、shari、 kishimi、 numeri、 shinayaka、fukurami、koshi
この布の質感を英語化を狙っています。
Tags: 、hari、shari、 kishimi、 numeri、 shinayaka、fukurami, easel, landscape, Sketch, イーゼル, イタリア文化, ヴァン・ダイク, オックスフォード英語辞典, オランダ文化, デッサン対象, ドイツ語圏, ルーベンス, レンブラント, 化学, 実技試験, 布=nuno, 水彩画, 海洋大国, 画架, 石膏デッサン, 美大, 美大入試, 美術, 美術用語, 羽二重=hubta, 英語, 鉛筆デッサン, 鉱物学用語, 音楽関係
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
8月 7th, 2014 Posted 12:00 AM

人間同士のコミュニケーションには二つの形式があります。
会話=conversationと対話=dialogueです。
最近は会話が出来ない人が増加しているという話を聞きます。
私自身も、会話が出来ないのは、基本的には年代の違いを感じます。
それは極めて常識的な関係性という構造が壊れだしているのでしょう。
さらに、会話が限定化されると、それは対話になります。
そして、明らかに会話と対話には大きな差異があることです。
なぜ一方がcon+versationであり、一方は、dia+logosが問題です。
明らかに、対話はギリシア語のdialogosが語源であることに注視。
これはdiaとは決して、conである「二つの」という意味ではなく、
「・・・として」ということから、言葉としてのやり取りという
会話での限定性を意図しているととらえるべきでしょう。
ともかく、会話にしても対話にしても、
人間の関係性は話合うことが、言葉を厳密にしてやり取りに至れば、
それは「対話」になり、談話や雑談を超えた関係性の構造です。
そして、対話には、自分自身だけでの会話が成立していることです。
したがって、会話という二人同士の話合いが出来なくとも、
人は自分自身への言葉の確認作業=表現体系づくりは可能です。
なぜ私はここで「会話」と「対話」を取り上げているのでしょうか?
それはデザインする対象への会話形式と対話形式を明化するためです。
私は話をモノ=デザイン対象にしたときには、
会話としてのデザインと対話としてのデザインがあることの分別です。
デザイン対象の表現が、会話なのか、対話なのかは、
現状のデザインすることとデザインされたことの関係性の構造です。
ひとまず、この記載があったことを記憶に留めておいて下さい。
Tags: ・・・として, con+vernation, dia+logos, コミュニケーション, 二つの, 会話=convenation, 会話での限定性, 会話としてのデザイン, 対話=dialoge, 対話としてのデザイン, 確認作業, 表現体系づくり, 談話, 関係性の構造, 雑談
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
8月 6th, 2014 Posted 12:00 AM

8月に入って、私はデザインの語彙論・根本論に取り組みました。
それは、先般、森政弘先生の東大先端研での限定講義で、
私はまたあらためて自分の能力を洗い出しされました。
華厳経を学び直すこともままならなず、
先生からのメールでは260冊の仏教論解説書の紹介を受けました。
これからこれらを全てを読破する勇気に正直、躊躇していますが、
前回は「臨済録」からの重要な一節を先生自らが読まれました。
「仏に逢えば仏を殺し、
祖師に逢えば祖師を殺し、
羅漢に逢ったら羅漢を殺し、
父母に逢ったら父母を殺し、
親類に逢ったら親類を殺し、・・・・」、
この示衆の説に書き残された一節に囚われたままです。
先生からは、すでにメールでまた新たな教えをいただきながら、
返信に迷い迷ったままですが、
この「臨済録」で述べられている衣と袱紗について、
身震いするほどの衝撃を受けています。
おそらくこの章のこの一節を自分のデザインに持ち込めるでしょう。
如何に、仏教論がデザインの語彙論や解釈論から離脱出来るかが
今、私が認識し直すべきことのように気づいて感じとっています。
私は「かたち」を持って自分の職能・デザイン表現にしてきましたが
これは日本人として離脱出来るかが問われていると思っています。
解釈の解釈、論理の論理、すべからくを投げ捨てること、
ここ、デザインの語源論という解釈だけでは
自分の表現を自分の生涯に配置は不可能でしょう。
だから、敢えて、自分をそこまで追い込んでみる覚悟でいます。
Tags: デザインの語源論, 仏に逢えば仏を殺し, 仏教論解説書, 根本論, 森政弘先生, 生涯に配置, 臨済録, 語彙論, 離脱
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
8月 5th, 2014 Posted 12:00 AM

Universal Designは、ロン・メイスンが七つの条件を与えていました。
私は大学人になって、「公・自・単・情・安・省・空」の暗記、
これが最も的確であり、さらにこれの反証をもってこそ、
マイケルカリルの提唱との一致を教え子たちに教えてきました。
したがって、ロン・メイスンの七つの定義だけでは不十分です。
まず、七つを「公・自・単・情・安・省・空」とすれば、
● 公平性・人にはすべからく公平でなければなりません。
● 自由性・使い勝手には常に自由度が要求されます。
● 単純性・より分かりやすさには単純明快であること。
● 情報性・情報性が常に求められます。
● 安全性・何事も安全でなければなりません。
● 省力性・出来るだけ体力を必要としないこと。
● 空間生・十分な空間的な余裕が必要です。
以上が、ユニバーサルデザインに基本条件だと言われていますが、
私は、本来の使い勝手には、以下の反証性を与えています。
○ 公平性・すべからく人間に公平性はありえません。
○ 自由性・不自由な使い勝手によって鍛錬が必要です。
○ 単純性・より複雑さへの理解度を準備することもあります。
○ 情報性・情報を遮断する勇気も時に必要です。
○ 安全性・安心性と安全性のバランスが最も大事。
○ 省力性・体力を錬磨するためには体力の酷使も必要。
○ 空間生・わが国はいかに空間を使わずともの省スペースが必要。
デザインの本質において最大に重要なことは一方的な条件ではなく、
「公・自・単・情・安・省・空」を暗記して、
この反証との対比を常に熟考した問題解決の均衡性=バランスこそ、
私はユニバーサルデザインを実現していく、
根本的なデザイナー態度だと提示してきました。
Tags: Universal Design, ユニバーサルデザイン, ロンメイスン, 公・自・単・少・安・省・空, 公平性, 単純性, 反証, 問題解決, 均衡性=バランス, 安全性, 情報性, 省力性, 空間生, 自由性
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
8月 4th, 2014 Posted 12:00 AM

Universal Designはデザインの本質を捉えた大きなテーマでした。
これはテーマであり、具体的なモノのデザインに適用させるには、
その原意から明確な歴史性の確認を整理しておく必要があります。
日本では、ユニバーサルデザインといえば、
直ぐにロン・メイスンが筆頭に語られますが、実際は、
NASAのデザイナーであったマイケル・カリルが提唱していました。
しかも、彼が1989年名古屋での世界デザイン博覧会・会議で、
彼のユニバーサルデザインを講演しています。
当時以前に私は彼と親友であり、彼が米国の各地の大学で、
この講義をしていましたから、元来は彼の提唱です。
ロンメイスンは、1970年に1980年から始まる「国際障害者年」での
前段階として求められていた準備論文で「バリアフリーを求めて」を
書いたことで、後に、ユニバーサルデザインの定義は変化しました。
しかし、今や二人とも夭逝してしまっていますから、
このことは、私が両者の考え方を綿密に書き残しておきます。
マイケルカリルがとらえたユニバーサルデザインは、
地球での南北問題の経済的な格差へのデザイン展開であり、
ロンメイスンは七つの定義を先進国から後進国へのデザインでした。
私はこの両者を考える時、七つの定義を次のようにまとめて、
その反証を必ず再熟考することを追加しました。
「公・自・単・情・安・省・空」として、暗記して、
それぞれの反対事項を含めることを提案してきました。
わが国にユニバーサルデザイン教育システムは、私が大学で展開し、
最初の「国際ユニバーサルデザイン学会」に参加して発表しましたが
その直後に、ロンメイスンは亡くなりました。
マイケルカリルはそれ以前に亡くなっていました。
日本ではGマーク・ユニバーサルデザイン賞に一時しましたが、
商業主義によって、本来の意義が拡散されたことになり、
結局、「SD」(優れた建築雑誌)の最終号にて、
この考え方は、HCD=Human Centered Designへと昇華させました。
Tags: 「SD」, 「公・自・単・情・安・省・空」, 1970年に1980年, 1989年, HCD=Human Centerd Design, Universal Design, マイケル・カリル, ユニバーサルデザイン, ユニバーサルデザイン教育システム, ユニバーサルデザイン賞, ロン・メイスン, 七つの定義, 世界デザイン博覧会, 南北問題, 国際障害者年
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
8月 3rd, 2014 Posted 12:00 AM

ラテニウム地方にいたという人々に会ったことがありません。
だから、その地方からラテン語という、体系化された言語が
その後の、特に宗教思想を拡大していったことも私には不明です。
ただ、学術的、歴史的な知識をどれほど拡大させられるだろうか、
このことを多分、
私は自分の生涯の中で最も私は想像力の基本にするでしょう。
それはîreから辿っていくことになります。
それは、前置詞である「in」と「ex」に関わるからです。
私は知識と想像力は言葉・語彙、その原意の遡及だと思っています。
時に、デザイナーは「センス」が問われますが、
それは知識の前提、ズバリ、語彙その源流にあると確信しています。
たとえば、「ex」はexponentであり、この言葉には高校時代、
数学の教師がラブレターについて語ったことが今でも記憶は鮮やかで
「最も変わらないことであるものはexponent」という講義でした。
だから、以前、eX-DESIGNというデザイン企業を創ったこともあり、
それは「対数」を表していました。
当然、ラテン語の戻れば、ex=exîreは対極にin=inîreがあります。
私はデザイン=design=designareを原意に求めていくとき、
今では、英語でも当然の前置詞=inとexは対極であり、
in=〜中へ、ex=〜外へが実は奪格用語だと知り置くことでしょう。
奪格というのは、前置詞ゆえに次の言葉を支配することを意味。
つまり、in・・・とか、ex・・・は、「・・・」という名詞に
in=中・以内、ex=外・以外を規定しているということです。
したがって、例えば・・・デザインも、デザインの領域で
規定していることがあるのだろうかという問いかけになるわけです。
私はあらためて、ラテン語が、ラテン人となっていく人たちが、
実は、リディア人やエトルリア人が、なぜ、こうした前置詞を
あえて使ってきたのだろうか?
しかも、後の言葉を規定せざるを得なかった理由に、
私は自分の想像力を飛ばして、現代の定義にしておきたいのです。
Tags: DESIGN, designare, ex, eX-DESIGN, exîre, exponent, in, inîre, îre, エトルリア人, センス, ラテニウム地方, ラテン人, ラテン語, リディア人, 中・以内, 前置詞, 外・以外, 宗教思想, 語彙
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る